小説
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 カコン、と鹿威しの音が響く。息が詰まり、目を丸くする私に『ももか』さんは視線を落とす。

「わたし、交通事故にあったんです。学校の帰り道でした。車にはねられて、そのまま死んじゃったんです」

 ドクドクと心臓が跳ねる。そうだ。ここは『神域』。足を踏み入れることが出来るのは『神』か『死者』だけ。私が入れたのはきっとこの体に『竜神』がいるからだ。だけど彼女は『普通の人間』だから、ここにいるということは、つまり、そういうことなのだ。

「本当は、天国に行かなきゃいけないんだろうな。って、思うんです。思うんですけど、お母さんが心配で……お母さん、いつもわたしが事故にあった場所に来て、泣きながら帰るんです。だから、お母さんまで死んじゃわないように、わたし、いつもお母さんがちゃんとおうちに帰れるように、見に行くんです」

 だから『ただいま』なのか。死者である彼女が帰る場所は、もうここしか残されていないから。でも、じゃあ、この本丸はいつから『神域』になったのか。
 刀剣男士が集まっただけで神域になるならば、多くの本丸がそうなってもおかしくはない。だけど神域なんてそうそうなるものではない。なのに、何故――。
 疑問ばかりが沸いてくる。

「……でも、お姉さんはまだ、生きてます……よね? 死んでない、ですよね?」
「あ……はい。私は万屋の帰り道で偶然この本丸に引き寄せられたといいますか、迷い込んでしまった、と言いますか……」

 何故私がこの本丸に呼び寄せられたのか。そして呼んだのは誰なのか。そもそもこの本丸は『どこに存在しているのか』。それすらも分からないのに。私はどんな判断をすればいいのか分からず膝の上で拳を握る。
 少女はどこか羨むような瞳でこちらを見た後、再び俯いた。

「――いいなぁ……わたしも誰かと……今剣くんと、一緒に遊びに行きたかったなぁ……」

 彼女が折ってしまった『今剣』はもう戻らない。うちの本丸で預かっている刀たちも、もう彼女に会うことは出来ない。確かに『百花』さんを探すことは出来た。出来たけど、彼女を彼らに会わせることは、私には出来ない。
 何て不甲斐ないんだろう。それに、加州にはどう説明しよう。素直に言うべきなんだろうけど、それは……あまりにも……。

「……ももか、お主も疲れたであろう。部屋で休みなさい。御客人の相手は、爺がするでな」
「はい。分かりました」

 おずおずと立ち上がる少女に「失礼なことを聞いてごめんなさい」と謝罪すれば、彼女は寂しそうに笑いながら「さようなら」と言って出て行った。

「……水野殿、と申したな」
「はい」
「彼女は“ああいう身”でな。魂が彷徨っている時に我らの本丸に迷い込み、以来こうしてここに住み着くようになった。決して悪い子ではないのだ」
「それは、はい。話していて感じました。彼女は……悪鬼でも、悪霊でもない。でも、あまり長いこと彷徨い続けるのは……」

 子供の魂、というのは良くも悪くも餌にされやすい。特に彼女は“霊力”があった身であり、今尚『神域』に足を踏み入れることが出来るレベルの存在である。あまりフラフラと彷徨っていてはいずれ鬼に喰われるか、あるいは魂が穢れ、自身が鬼になってしまう可能性もある。その前に彼女には成仏してもらいたい。でも、彼女には未練がある。
 “母が心配だ”という気持ちと“好きな人と出かけたかった”という願い。だけど後者はどうあがいても叶えることは出来ない。何故なら彼女の愛した刀は当の昔に折れ、意識はもうどこにもないのだから。

「ままならん話だ。我らの主も何処かに消えてしまって久しい。ようやく現れたと思った子も既に“生者”ではない。そなたも、あまりここに長居せぬ方が良い。その身が現世を拒まぬうちに、早く帰りなさい」

 この場所は、きっと私にとって良くない場所だ。今はまだ平気だけど、いずれ私の肉体も魂と噛み合わなくなって手放す時が来てしまうだろう。その前に彼は私たちに『立ち去れ』と言う。この不可思議で、清らかな箱庭から。

「燭台切が出した茶と菓子に手を付けなかったのは良いことだ。アレに悪気があったわけではないが、どうにも寂しがり屋でな。どうか許してやってくれ」
「はい。何となくですけど、彼の気持ちも……分からなくはないですから」

 お茶を出された時、私は咄嗟に陸奥守の袖を引いて『飲まないように』と注意を促した。
 何故ならここは既に『現世』ではない場所。『神』か『死者』しか存在出来ぬのであれば、ここで出された食べ物は全て『黄泉竈食ひ』となる。陸奥守は神様だけど、もしも、がないとは言い切れない。だから私も陸奥守も一切手をつけずにいた。それを三日月は優しげな、それでいて少しだけ寂しさを滲ませた瞳を潤ませたが、すぐさま柔らかく微笑んだ。

「出口へと案内しよう。実の所この本丸は常に移動していてな。出口はあれど入口はない。いつどこでどのようにして現世と繋がるのか、俺達にも分からんのだ」
「そうなんですか……本当に不思議な場所なんですね」

 誰がどんな理由でこんなことをしたのか。何となく無意識に本丸の柱に触れれば、突然脳内に不思議な映像が流れ始める。


『――り――りよ、むり、むり、むり……! こんなの無理……! 耐えられるわけがない! だって私は――』

『そうだ――を――して――――してしまえば……――私は――』

『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……! でも、私には――なんて耐えられない……!!』

『さようなら、――――』

 …………? 何だ? 今の……。呆然と柱の上を見上げるが、そこには何もない。でも、確かに『何か』が見えた。アレは……この本丸の、審神者?

「どうした? 何かあったか?」
「あ、い、いえ。何でもないです」

 少し先にいた三日月に促され、柱から手を放して歩き出す。だけどその時、確かに女性の声が聞こえた。

 ――あなたも私と一緒ね――と。

「…………?」
「主、行くぜよ」

 振り返っても人影などどこにもない。むしろ誰の気配もない。少女の気配も、燭台切の気配も。でも、じゃあ、今のは……何だったんだろう……? この本丸が記憶している出来事だったのだろうか。それとも……。いや、まだ分からないことをどうこう言ってもしょうがないか。
 私はさっと踵を返し、陸奥守の隣に並ぶ。静まり返った本丸は私たちを送り出す時でも静かなままだ。見慣れたゲートを三日月の指が操作する。そしてそれを潜った先。気づいたら万屋の大通りの中で二人並んで立っていた。

「……帰ってきた、のかな?」
「そうみたいやにゃあ。不思議な体験をしたもんじゃ」
「ね。しかももう夜になってる。出かけたのは朝なのにね」

 携帯を取り出してみれば、時刻は既に七時を超えていた。私たちが万屋に出かけたのは十時前だ。ほんの二、三時間しかあそこに滞在していなかったはずなのに、現実ではその倍の時間が過ぎていた。

「……百花さんのこと、ちゃんと説明しなくちゃね……」
「……そうやな」

 気が重いけど、と続けようとした瞬間、勢いよく携帯が震えだす。画面を見れば『武田さん』の名前が出ており、珍しいなぁ。と思いながらも携帯を耳に押し当てた。

「はい。水野です」
『水野さんか?! 無事か?! 無事なんだな?!』
「へ? 何、え? どうしたんです? 突然」

 予想だにしなかった慌ただしく切羽詰まった声に驚けば、武田さんはしきりに『怪我はないか』とか『今どこにいるんだ』とか矢継ぎ早に質問してくる。それに「落ち着いてください」と返した後、改めて事情を説明する。

「どこにも怪我なんてしていませんし、陸奥守も私も無事です。えっと、帰宅時間を過ぎたことは刀たちに悪いことしたなぁ。とは思いますが、わざわざ武田さんに連絡を取ることでは――」
『は? 何言ってんだ。水野さん、あんた三日間も行方不明だったんだぜ?』
「――は?」

 三日間? 行方不明???

 固まる私に陸奥守が「どうしたんじゃ」と声を掛けてくる。

「……なんか、私たち三日間も行方不明だったらしい」
「はあ? 何じゃそりゃ? どういう意味じゃ」
「さあ……?」

 とにかく私は無事だし、これから帰るという旨を伝えて通話を切る。一体どういうことなのか。改めて携帯の画面を見つめれば、確かに私が出かけた日から三日間進んだ日付が表示されていた。

「……どういうこと……?」

 もしかして、あそこにいた時に過ぎていた時間は一時間やそこいらの話ではなく、日にち単位で進んでいたということだろうか。となると、あの場所は本当にいつから『神域』として存在しているんだ? そして『百花』さんは一体いつ事故にあって亡くなったんだ?
 分からないままゲートがある場所へと赴き、自身の本丸の座標を打ち込む。そうして開いたゲートの先で、私は再び妙な出来事に首を突っ込んでいるのだと知ることとなる。


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