小説
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「……あれ?」

 購入する品目が多い時は着いてきてくれた刀たちと手分けして買い物をする。今回は私がお守りと文房具類を、陸奥守にはおやつに出すお菓子を選んでもらうことにしていた。今後のことも考えて予備のお守りも購入し、新商品とポップが出ていたボールペンを購入した。そして店を出た私は――摩訶不思議なものを見ていた。

「――森……? いや、林か……?」

 建物と建物の間。本来ならただの細い路地が続いているはずのその場所に何故か木々の類が見える。確かに万屋の大通りの先には小さな神社が設けられていたはずだが、ここではない。幻覚――にしてはやけにリアルだ。ザワザワと揺れる木々は明らかに作り物ではない。鳥の声もうっすらとだが聞こえてくる。
 もしかして、新しく何か出来るのか? 思わずそちらに踏み出そうとした瞬間、ガシッ! と誰かに力強く腕を取られる。

「主、何しゆうが」
「あ。むっちゃん」

 どこか険しく、訝しんでいるようにも見える表情をする陸奥守。その声は硬く、眉間にも皺が寄っている。対する私は自分でもどうかと思う程暢気な声が出た。でも実際心配されるほど妙な場所にいたわけではない。ましてや不審者に声を掛けられたわけでもない。何をそんなに警戒する必要があるんだろうか――と考えた瞬間気づく。
 そうだ。私の背後に、今不思議な光景が広がっているのだった。

「ねぇ、むっちゃん。アレなんだと思、う……って、アレ?」

 私たちは確かに万屋の道中にいた。建物と建物の間の、極々端っこではあったけど。なのに、何故。どうして、今。私たちは先程見つけたばかりの“森”の中にいるのだろう。

「…………おんし、またか」
「いや! ちょ、不可抗力! 不可抗力です!!!」

 まさかの怪異パート2!!! 思わず、と言った体で顔の半分を片手で覆って項垂れる陸奥守だが、私だって好きで怪異に巻き込まれているわけじゃない。しかも今回は理由が分からず、だ。だって嫌な気配も、予感もしなかった。ただ普通に立っていただけなのに、気づいたら引き込まれていたのだ。

「んー……でもぱっと見危なさそうな感じはしないよねぇ……」
「何を言いゆう。こがな状況に陥った時点で危険値はマックスじゃ」

 確かに陸奥守が言うことも分かるのだが、どーにも嫌な感じはしないのだ。私の感知能力は少しずつだが正確になってきている。過信しているわけではないが、人間に備わっている『本能』という奴なのか。それとも『危機察知能力』という奴なのか。どちらかは分からないが、どちらも反応しない。だから敵だの何だの、という危険はないと思うのだが。

「とにかく、ここでぼーっと突っ立ててもしょうがないし。適当に歩いてみようよ」
「……はあ。おんしの豪胆な性格を今は褒めればいいのか咎めればいいのか……悩むところぜよ」

 流石に今回の件は陸奥守も予想外らしい。珍しく頭を抱える姿が却って私を冷静にさせる。確かに物理的な意味では守ってもらわなければいけない身だが、土壇場での精神力なら私も相当なものだと自負している。元々その点については良くも悪くも図太かったが、半年前の騒動でより強固になった。
 実際こんな感じで森に引き込まれたことあったしね。あの時は蜘蛛やら百足やらに追いかけられてヒーヒー言っていたが、今回はそういう感じではなさそうだし。とりあえず木々に目印をつけつつ歩いていけばどこかに出るかもしれない。

「これは結界とか、そういう類のものかのぉ」
「さあ〜。どうだろう? 流石にそこまでは分かんないや」

 陸奥守が本体を使って木々に軽い目印をつけていく。一時待っても修復されないところを見ると、この木々は幻ではなく本物ということだ。
 空を見上げれば陽はまだ高い。暫くの間歩き回っても問題ないだろう。

「さて。それじゃあどちらに進むか……」

 右か左か正面か。うーん。と少し考えた後、直感に従い真っすぐ進むことにする。

「ていうか、本当に私の直感だけに任せて大丈夫?」
「ああ。おんしは“感知能力”があるきの」

 何だかんだ言いつつ陸奥守は私の能力を信じてくれているらしい。その期待に応えるためにも改めて気合を入れ直す。

「うーん……何となくだけど、霊力的なものもうっすらとだけど感じるなぁ……」

 だが実の所霊力的なものはさっきからずっと感じているのだ。というより、この森全体からそれを感じることが出来る。やはり結界の一種なのだろうか? それとも幻覚なのか。ただそれにしてはあまりにも色んなものがリアルだ。試しに土に触れて匂いを嗅いでみるが、幼い頃から慣れ親しんだ山の土や匂いとそっくりだ。木々の表面にしてもそうだし、時折聞こえてくる鳥の声も録音したものだとは思えない。時折吹いてくる風もそうだ。これは人工的なものではない。自然のものだと断言出来る。
 でもそう考えると、何故突然あの細い路地とここが繋がったのか。理由がさっぱり分からない。移動しているとでもいうのだろうか、この森が。
 いや、実際の規模は“森”と言う程大きくないのかもしれない。
 全貌が分からないからただ“森”と言っているだけで、実際は広い個人宅の庭、あるいは古いお城とかの敷地内の一角、みたいな規模なのかもしれない。どちらにせよ確実に感じられる霊力は強くなってきている。

「この感じだと単体じゃなくて複数いるな……なんか、刀剣男士みたいな……」

 ガサガサと音を立てつつ道なき道を進んでいくと、前を歩いていた陸奥守が「お」と声を上げる。

「主、ビンゴじゃ。垣根がある」
「え?! マジ?!」

 陸奥守が指さした先、緑の合間から石造りの垣根が確かに見える。よかった。どうにかなりそうだ。

「日が暮れる前に見つかってよかったね」
「そうじゃな。まっことおんしの強運には驚かされるぜよ」
「あはは……強運なのか凶運なのか……微妙なところだけどね」

 垣根を目指しつつ歩くこと数十分。辿り着いた場所はやはりというか何というか。造りは多少違うけれど、確かに『本丸』だった。

「ごめんくださーい」

 試しにゴンゴン、と門を叩いてみる。当然だが呼び鈴などついていない。だからこうするしかないのだ。だが反応どころか人の気配もない。裏手に回ってみるのも手かもしれないが、不法侵入するのもなぁ……。どうしたものか。
 陸奥守と視線を合わせていると、私たちとは別方向でガサガサと音がする。すぐさま反応した陸奥守の背に庇われるが、顔を出した相手の顔を見てすぐさま緊張を解いた。

「あれ? 珍しいね。お客さんかい?」
「燭台切さん。こんにちは」

 内番姿で、籠を片手に姿を現したのは『燭台切光忠』だった。陸奥守もすぐさま親しみ安い苦笑いを顔中に浮かべる。

「いやぁ〜、それが迷うてしもうてな。すまんが助けてくれんか」
「迷う……? ……へぇ〜……うん。まぁ、そういうことなら。折角のお客さんだし、もてなさないのは伊達男として廃るからね。どうぞ」

 燭台切の反応が少しばかり気になったが、敵意や悪意は感じられない。一先ず促されるまま裏門へと案内され、そこから敷地内へと足を踏み入れる。

「ふわぁ〜……立派な枯山水ですね」
「ふふ、ありがとう。この庭は僕たちも気に入っていてね。やっぱり『詫び錆び』って大事だよね」

 案内された本丸の中は思っていた以上に綺麗で整っていた。さっきまでは気づかなかったけど、この本丸に漂う霊力は澄んでいる。それこそ『霊山』と呼んでもよさそうなぐらいだ。
 心なしか私の体も軽く感じる。きっと体の中に流れる神気と竜神の気にも合っているのだろう。となると、やはりここは『神』の領域だ。『人』の手を借りず、彼らだけで成り立っている小さな箱庭――。

 ここにも、審神者がいないのか。

 不審、というよりも、一抹の寂しさにも似た不思議な気持ちが湧いてくる。審神者がいなくなった本丸を見たのは先日が初めてだったが、あれだけ荒れていたのにこの本丸はこんなにも美しい。床は磨かれ、庭は細部にまで手が入っている。木々も外観を損なわぬよう定期的に手入れが入っているのだろう。綺麗に剪定されている。
 どうして、こんなにも差が出ているんだろう。
 ボロボロになって歩くことすら出来なかった彼らを思い出すと切ない気持ちになる。

 考えている間にも客間へと通された私たちは、揃って座布団に座し、庭を眺めた。

「何というか、長閑な所じゃな」
「そうだね。危険な感じもしないし。どちらかと言うと不思議だよね。どうしてこんな場所に、こんな本丸があるのか」

 私たち審神者はあまり本丸の外に出ることはない。確かに本丸の外にも僅かだが敷地があることは知っている。だが本丸とはつまるところ『異空間』にある建物なのだ。
 次元の狭間にある、不確かで、不可思議な場所。だからこそ数多くの本丸を立地出来る。だけどここはどこまでも地続きだ。ここまでの広範囲を敷地に持つ本丸など聞いたことがない。単に私が知らないだけなのかもしれないけど。

「でも携帯も圏外だし、多分……ここも『異なる空間』であることは間違いないんだろうね」

 万屋にいた時は当然圏外などではなかった。この謎の森に放り込まれた時、即座に確認すればすでに『圏外』になっていたのだ。これでは本丸にも政府にも連絡は取れない。

「危険はなさそうやけんど……油断は出来んな」
「うん。そうだね」

 そこで一旦会話に区切りがつく。瞬間、すらりと音を立てて襖が開いた。

「お待たせ。お茶を煎れてきたから、よかったらどうぞ」
「あ。ありがとうございます」

 湯気がたつお茶が入った湯飲みと共に、可愛らしい桜の形を模したお茶菓子が出される。そこでカコン、と鹿威しの音が響き、何となく笑ってしまった。

「ふふっ、何だか不思議な場所ですね。それこそ――」
「“時間がゆっくりに感じられる”――かな?」

 私が続けるつもりだった言葉を燭台切が悪戯な笑みを浮かべながら口にする。ということは、私と同じような感想を零した人間がいたということか。もしかしたらここに迷い込んだことのある人間は私たちだけじゃないのかもしれない。

「……はい」

 頷く私に燭台切はニコリ、と微笑み、立ち上がる。

「ちょっと待っててね。すぐにうちの本丸の責任者を呼んでくるから」
「あ、はい」

 果たしてそれは審神者なのか。それとも刀剣男士なのか。どことなく落ち着かない気持ちで待っていると、その人は静かに現れた。

「迷い込んだ客人、というのはそなたたちのことか?」
「はい。突然お邪魔してすみません。審神者の水野、と申します」

 やはり、というか何というか。現れたのは『三日月宗近』だった。とすると、この本丸に小烏丸はいないのかもしれない。
 多くの本丸で刀剣男士を束ねるのは初期刀か年長者の刀と決まっている。別にそういう風に定められているわけではないが、年功序列という奴なのだろう。古くから日本にいる刀だ。現代人である私たちよりもその傾向が強いのかもしれない。
 ならばこの本丸で最も古い刀として存在しているのは『三日月宗近』だろう。
 自身の刀でもなく、また一時的に預かっている刀でもない。この『神域』を統括しているであろうその刀に改めて自己紹介しつつ頭を下げると、三日月はコロコロと鈴を転がすようにして笑い出す。

「何、そう畏まらずとも良い。俺は人が好きでな。そう畏まられると却って緊張してしまう」
「そう、ですか? では、お言葉に甘えさせて頂きます」

 顔を上げて改めて向き直れば、三日月は「うむ」と頷き微笑む。何だか思っていた以上に優しそうで拍子抜けしてしまう。

「そちらにいるのは、そなたの愛刀か?」
「はい。初期刀の陸奥守です」
「陸奥守吉行じゃ。突然すまんの」
「いやいや、何分客人など久しくてな。つい驚いてしまった。何、気にするな。この本丸の敷地は広いのでな。迷うのも無理はない」
「やっぱり……あの“森”はこの本丸の敷地なのですね」

 うっすらとだが感じていた霊力と、ここで感じられる霊力が同じだったからそんな気はしていた。そして徐々にこの空間に馴染んできたから分かることも、ある。

「あの……この森に、敷地内に、何故“迷い”の術がかけられているんでしょう? 敵に備えて、にしてはあまりにも巧妙と言いますか、力が強すぎるといいますか……どうにも、不審な気がして……」

 そうなのだ。これについては私もお師匠様の元で色々と学んだから気づけたのだが、本来“呪術”というものには種類がある。事細かに言い表すとちょっと大変だから割愛するが、ここに掛けられていた“迷いの術”はある意味では“結界”と同じ作用を含む。ようは“守りたいもの”から目を背けさせるための術だ。これに掛からず真っすぐここに辿り着けたのは“感知能力”があったから――という理由だけではない。実のところ、これと同じ“迷いの術”を小規模ながら体験したことがあるのだ。お師匠様の神社の敷地内で。

「ふむ……まさか“迷いの術”すら知っているとは……そなた、本当にただの審神者か?」
「あ、いえ……その、私にはお師匠様がいらして、その方がある程度術式を使える方なのです。それで何度かこれと同じ術を掛けられた場所を歩いたことがあって……それで何となくですが突破することが出来たといいますか……」

 お師匠様は私がある程度術式がどんなものであるか、どのような種類があるか。大方理解し始めた頃に神社の敷地内にこれと同じ術を施し私に言い放った。

『制限時間は三十分。私が待つ、この社務所へいらっしゃい。何、三十分経っても来なかった時は術を解きますから。焦らず、じっくりと。自分の能力を高めるという気持ちで臨みなさい』

 最初は全く辿り着くことが出来なかった。当然だが神社の中は清らかな気で満ち溢れている。しかもお師匠様の霊力と神社の敷地内に満ちる気は似通っており、到底見分けがつくものではなかった。

「成程。そういうことか。いや、疑ってすまなんだ。あまりにも身綺麗だったものだから、本当に術にかかっていたのかどうか気になってな」
「あはは……」

 三日月が言うように、この“迷いの術”というのは侮れない術式の一つだ。何せ“正しい道”を分からなくするだけでなく、その足元が崖に続いていようともそれを“分からなくさせる”という、所謂『錯覚』させる力があるのだ。これは術者の能力によるところも大きいが、術者がより正確に術を行使すればするほど巧妙な術になる。だからこそお師匠様は最初にこれを突破する訓練をさせたのかもしれない。何せこれが最も手早く相手を騙し、殺すことが出来る術なのだから。
 だからこの本丸も、本当の所を言うと少しだけ足を踏み入れることが恐ろしかった。だって、ここで掛けられている術は本気で“騙しに来ている”レベルだったのだから。

 場合によっては殺されるかもしれない――そう思わせるには十分なくらいに。

「ふむ……折角の客人、それに審神者殿と来たものだ。だがそなた、ただの“人”とは思えん。その身に宿る力、果たして“人の器”に収まるものか?」

 三日月宗近の瞳はとても真っすぐだ。そして澄んでいる。濁っても、澱んでもいない。あまりにも美しい、神の視線。息が詰まるほどの圧を感じる。
 もし私がただの“人間”であったなら。あまりの怖ろしさに声が出なかったかもしれない。だが何だかんだと言って経験を積んでいる身だ。思ったより私の口はしっかりと動いてくれた。

「“人であって人ならざる者”――それが、今の私です。“ただの人”と呼ぶにはあまりにも異質。それを思えば、私の身に宿る力も含め、私は“ただの人”ではないのかもしれません」

 “肉体は人であっても、魂の在り方が人ではない”
 以前、そう教えられた。この体に流れる神気と、神が住む魂。普通の人にはないものを、私は宿している。“鬼”になったつもりはない。だけど確かに“人”ではない。そんな私に三日月は暫し黙した後、ゆっくりと頷いた。

「成程。うむ。見たところは“ただの人”ではあるが、そうか。中身が違うのであれば、確かに。我らの元に辿り着いたのも偶然ではないのであろう」
「と、言いますと?」

 三日月の表情は静かだ。それこそ人形のように。慈愛も、慈悲も、悲哀も、憤怒もない。ただ淡々と、流れる水のように起伏がない。

「ここは“神域”――人の手を当の昔に離れた、只人がこれぬ領域よ」

 やっぱり、そうなのか。
 僅かに指先を動かしたのは陸奥守だけで、私は自分の考えが当たってしまったことに若干だがよくないものを感じる。
 ここが『神域』なら、本来なら私は来られない場所だ。ここに足を踏み入れることが出来るのは『神』または『死者』だけだ。だけど私は生きている。自身の左手首に親指を当たれば、確かに鼓動を感じることが出来る。これはあの本丸と同じだ。“生者を拒む、生と死の狭間にある本丸”。ただの人間が足を踏み入れることは出来ない、異空間。そこに何故私が引き込まれたのか。分からず思案していると、ガラッ、と扉の開く音がする。

「ただーいまー」
「おや。“ももか”が帰ってきたようだな」
「……ももか?」

 思わぬところで出てきた“ももか”という名前。声は高く、幼かった。これはもしかして……。陸奥守と視線を合わせれば、閉ざされていた襖が開く。

「三日月のおじーちゃんただいま、ってごめんなさい! お客さん来てたのね!」
「はっはっはっ。良い良い。気前の良い客人たちだ。それ、ももか。お客様たちにご挨拶を」
「はい!」

 ももか、と呼ばれた少女は背中に赤いランドセルを背負っている。それを一度床に置くと、私たちの前、三日月の隣に座るとペコリと頭を下げた。

「こんにちは。ももかです。今日はゆっくりしていってください」
「あ、は、はい……私は水野です。突然お邪魔して、すみません」

 少女は溌溂とした調子で話し、ニコリと笑う。とてもじゃないが刀を放置していくような子には見えない。そもそも名前が被っている可能性だってあるのだ。人の名前なんて割かし被るものだし。

「えっと、ももかさんは“審神者”でいらっしゃるんですか?」
「あ……えっと、昔はしてました。でも今はしてないです」

 昔はしていた? ということは、引退したのか? でも、じゃあ何でこんなところにいるんだ? しかもさっき「ただいま」って言わなかったか?

「もう辞められた、ということでしょうか」
「はい。色々あって……わたしにはまだ難しいな、と思って……担当の水無(みずなし)さんに言って、引退させてもらったんです」
「水無……」

 政府の役員の名前は『水無』と言うのか。私と若干名前が被っている点から見ても、彼女が探している『百花』さんかはまだ分からない。彼女であって欲しいような、そうでないでいて欲しいような……。

「あの、失礼なことだとは重々承知なのですが、その、よろしければ審神者を辞められた理由など……教えてはいただけないでしょうか」

 聞いていいことなのかどうかは分からない。彼女が別の『ももか』さんなら問題ないが、もし私たちが探している『百花』さんなら……理由はきっと一つのはずだ。
 彼女は少しだけ困ったような顔をした後、三日月を見上げる。だが彼は彼女の味方をするわけでも、私たちの味方をするわけでもない。ただ静かに微笑み、彼女を見下ろすだけだった。

「……えっと……わたし……実は、好きな、刀がいたんです」
「好きな刀」
「はい。今剣くん、なんですけど……」

 これは、もしかして――ビンゴか?

「でも、わたし、彼のこと……とっても、大切だったのに……好きだったのに……折って、しまって……ごめんなさい……折るつもりなんて、なかったのに……!」

 じわり、と少女の目に涙が滲む。慌ててハンカチを差し出せば、彼女は首を振ってこれを拒否した。

「ごめんなさい……時々思い出しちゃって……わたし、初恋だったんです……今剣くん……優しくて、格好良くて……足も速くて、いつもニコニコ笑いかけてくれて……わたしのこと、褒めてくれたんです。大好きです、って、言ってくれたんです。わたし、それまで男の子にはいじめられてばかりだったから……嬉しくて……」

 この年代だ。きっと男の子たちも『好きな子にちょっかいを出したい』という気持ちで彼女を揶揄っていたのだろう。でも女の子は繊細な生き物だ。バカにされたら嫌な気持ちになるし、辱めを受けた気分になる。だから余計に真っすぐに愛情を示してくれた彼に恋をしてしまったのだろう。

「光忠お兄ちゃんも、わたしの髪、いつもキレイにむすんでくれました。加州くんも、いっぱい助けてくれました。でも……わたし、今剣くんを折ってしまったのがとても悲しくて……サニワを続けていく気になれなくて……水無さんにお願いして、やめさせてもらったんです」

 もし彼女が私たちの探す『百花』さんであるならば、話が大いに食い違っている部分がある。彼女は『正式に審神者を引退した』気でいるのだ。だが実際は本丸は放置され、刀たちは彼女の帰りを今か今かと待っている。しかも柊さん曰く、彼女のデータはどこにも残っておらず、担当者も行方不明と来ている。
 思っていた以上に今回の仕事は厄介なのではないか。そう思わずにはいられなかった。

「あの……例えば、の話なんですが、その、もしまた審神者に戻れるとしたら、戻りたいですか?」

 もし彼女が探し人であってもなくても、一応確認しておきたい。彼女自身にはまだ霊力がある。ここに来られる理由は不明だが、望むのであれば政府は喜んで本丸を貸し出すだろう。だが彼女は再び暗い顔を見せると首を横に振る。そして、私たちが予想だにしなかったことを口にした。

「それは出来ません。だって、わたし――もう、死んでいるから」


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