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 休みが明けた月曜日。今日からまたサニワ業かー。正直だるいなー。と思わなくもないが、愛しの燭台切さんに会えるのだ。彼に好きになってもらうためにも頑張るぞ! と張り切って本丸の玄関を潜る。

「おはようございまーす」
「あ、夢前さんおはよう」
「水野センパイ、おはようございまーす」

 水野センパイは今日も女子力皆無な格好だ。ちょっと明るめの青緑色のカーディガンに、白地のシャツとジーパン。まるで休日家の中で過ごすみたいなスタイルだ。
 アタシは今日もメイクバッチリだし、服装もちょっと大人カジュアルな路線に変えてみた。だってサニワになったら社会人と一緒ってことだしー? いつまでも高校生っぽい格好はダサいよね! それに燭台切さんと恋人になったら絶対子供扱いされたくないし!
 だけど今日燭台切さんは本丸にいないっぽい。水野センパイに聞けば演練に行ってるんだって。ちぇー。せめてお見送りしたかったな〜。新婚みたいに! なんて考えつつセンパイと一緒に執務室へと入れば、そこには意外な人が座っていた。

「おお、もう一人の審神者殿だな。おはよう」
「え?」

 思わず目が丸くなる。だって、え? 嘘。何で? 確か『キンジ』って仕事は、陸奥守さんと小夜くんで固定してる。ってセンパイ言ってたのに。何でここに『三日月宗近』がいるの?

「え、えーっと……三日月さん、ですよね……?」

 一応確認のため声をかければ、まるでお人形みたいに整った顔がゆっくりと頷く。

「うむ。今日は何もなくて暇なのでな。審神者殿の仕事ぶりを拝見させてもらおうと思ったのだ」

 は……。いや、マジ何で? 意味分かんないんですけど。今までも暇だった時あったじゃん。それでも今まで来なかったじゃん。何で今更?

「あー、まぁ今日の近侍はむっちゃんだし、そのサポートは長谷部がしてくれるから、あんまり気にしないで」
「は、はあ……」

 刀が増えたから『キンジ』以外にもそのサポート? として刀を一振りか二振りつけてる。って言ってたな。長谷部さんも超絶イケメンだけど、堅苦しいし、センパイ以外には懐かない犬みたいでアタシ的には微妙なんだけど……。ま、いっか。長谷部さんもイケメンだし。三日月さんも超イケメンだし。陸奥守さんもイケメンだし。うん! 月曜から最高じゃん?!

「それじゃあいつも通り業務を始めようか」
「はーい」

 まぁ何にせよやることは変わらないし。毎日同じことの繰り返しっぽいけど、テストとかないから勉強しなくていいし。ある意味では休憩も取り放題だし? 結構サニワって楽なんじゃね?

「それじゃあ今日は出陣について詳しく話すね。こっちに来てくれる?」

 そう言って連れてこられたのは、あの大広間だった。だけどいつもと違うのはその雰囲気だ。かっちゅう、だっけ? なんか、あの、鎧に身を包んだ刀たちがシンと静まり返った状態で待機している。な、ナニコレ……正直超居心地悪いんですけど……。

「彼らは今日の出陣部隊です。出陣部隊は第一部隊が行うことはもう覚えたよね?」
「あ、はい」
「じゃあ今日はその出陣前に行う、最低限の“軍議”に参加してもらいます」
「ぐ、ぐんぎ……?」

 ぐんぎ、って何? そんな思いが顔に出ていたのだろう。センパイは『軍議』とホワイトボードに書く。

「軍議、とはその名の通り作戦を話し合うことです」
「とはいえ、ここで行うのは戦国時代の時に行われた綿密な軍議ではありません。あくまでも布陣を組むのは第一部隊の隊長である小夜左文字。ここで話し合うのはどの合戦上に向かうか、どの布陣が有効であるか、過去のデータから算出し、改めて頭に叩き込んでから出かけるためのものだとお考え下さい」

 センパイの言葉に続いたのは、今日のサポート役である長谷部さんだ。陸奥守さんは並び座る刀剣男士たちの前に立ち、一枚の大きな地図を広げる。

「これが地図じゃ。これを見ながらどこの合戦上に行くか決めるがよ」
「合戦上……」

 そうだ。これって“戦争”だった。でも見送りしたことも、出迎えたこともない。いつもアタシが来る前に皆作業場に向かってたし、アタシが帰るまでに戻ってきたことはない。だけど今日はこの“第一部隊”が戻るまでは残って欲しい。と言われた。

「隊長は僕、小夜左文字が務めます。隊員は鳴狐、鯰尾藤四郎、大倶利伽羅、鶯丸です」
「俺も練度が上がってきたからな。今日は関ケ原に向かいたいと思う。皆如何だろうか」

 鶯丸さんが話し出す。いつもはのんびりした人だけど、今は全然雰囲気が違う。口元は笑っているけど、何か……目が笑ってない感じ。正直、ちょっと怖い。

「夢前さん。渡したタブレットで刀のステータス値を出してくれる?」
「は、はい」

 センパイに促され、慌ててタブレットをタッチする。最初に教えて貰った『編成画面』には、この場にいる刀の情報が載っていた。

「鶯丸さんはこの前ようやく練度が四十を超えたばかりだけど……皆どうかな。敵には槍もいるし、投石だって飛んでくる」
「俺は問題ないですよ! どんな敵でもパパっとやっつけちゃいますから!」
「鳴狐も負けてはおりませぬ!」
「俺はどこでもいい」
「では決まりだな。主、今日は関ケ原へと向かおうと思う」

 タブレットに表示されているステータスの中で一際『練度』が低いのが鶯丸さんだ。他の皆、オークリカラさんとか、鯰尾さんは練度が八十を超え、九十に達しようとしている。小夜くんは『極』という文字がついているが、ステータスの詳細を見ればかなり強いことが分かる。鳴狐さんも八十を超えている。でも鶯丸さんは四十半ばだ。本当に大丈夫なのかな……。

「うん。正直、この面子ならどうにかなると思う。でも今は『検非違使』の出現率が以前より増しているらしい。だから、その時は……鶯丸。あなたが折れるかもしれない」
「?!」

 折れる……? 折れる、って、確か、それって死んじゃうってこと?!

「え、じゃ、じゃあダメじゃん! そんなとこ行ったら、鶯丸さん死んじゃうんでしょ?!」

 センパイは彼らを大事にしていたはず。だから出陣なんかさせるわけない。そう思っていたのに、センパイは全然揺るがなかった。

「でも、私は止めたりしない。皆が出陣すると決めたなら、私は信じて待つだけだから」
「せ、センパイ!」

 バカなアタシでも分かる。もし折れちゃったら、折れたりしたら、もう鶯丸さんに二度と会えなくなるってことじゃん!

「夢前さん」
「っ、」
「心配してくれてありがとう。でもね、これが“戦争”なの。生きるか死ぬか、帰ってくるまでは分からない。絶対の“安全”なんてどこにもない。どんな状態で帰ってくるかも分からない。それが――“戦争”なの」

 そう言うと、センパイは『パンッ!』と手を合わせる。

「よし! それじゃあ今日は関ケ原への出陣だ! 皆、お守りはちゃんと持った?」
「はい!」
「刀装も各自必要なものを装備して」

 トウソウ……って、あ、そうだ。あのボールみたいなやつ。これの中に、刀剣男士を守ってくれる妖精みたいなのがいるんだっけ……?
 金色の丸いボールみたいなものを、皆それぞれ手に取っていく。

「それじゃあ夢前さん。彼らを見送りに行くよ」
「え……あ、はいっ」

 ゲートの準備もサニワがしなければいけないらしい。いつもはセンパイがするみたいだけど、今日はアタシが操作することになった。

「この座標をここに打ち込んで。焦らないで。ゆっくりでいいから、正確に、確実に押して」
「は、はい」

 指先が冷たい。だって、怖い。アタシ、これから『毎日』こんなことしなきゃいけないの? 皆を、皆が死ぬかもしれない場所に、アタシが、自分の手で、送り出さなきゃいけないの……?

「開錠して」
「……はい……」

 震える指でゲートを開くボタンを押す。木製の重たい扉が音を立てて開きだす。門の奥が光ってる。ここを通って皆は“戦場”に行くんだ。これを、毎日、繰り返すんだ。来る日も来る日も、本当の“終わり”が来るまで。

「どうかご武運を」
「はい。行ってきます」

 小夜くんに挨拶するセンパイは、アタシみたいに震えていない。慣れているのか、それとも堪えているのか。分からないけど、その姿はとても堂々としていた。多分、初めてセンパイが格好良く見えた。

「主さーん! 行ってきまーす!」
「行ってくる」
「行ってくるぞ、主」
「それでは行ってまいります、主殿ー!」
「行ってきます」
「はい。皆さんも、どうかご無事で」

 ゲートの中に皆が消えていく。一人、また一人と眩い光の中へと消えていく。その背中を、センパイはじっと動かず見つめていた。

「……夢前さん」
「ッ、はいっ」
「出陣ってね、命がけなの。彼らはああやって明るく挨拶して出ていくけど、本当は帰ってこられる保証なんてどこにもないんだよ」
「で、でも、強制的に帰還させることもできるって、この前言ってたじゃないですかっ」
「それはあくまで部隊長が“重傷”になった時だけ。隊員が折れそうになったとしても、実際に折れたとしても、こちらから無理矢理帰還させることは出来ないの」
「そんな……それじゃあどうして鶯丸さんを隊長にしなかったんですか?! 折れちゃうかもしれないんですよ?!」

 もしアタシがサニワなら、そんなことさせない。絶対に殺したくないから。センパイだってそう思っているはずなのに、どうして鶯丸さんを隊長にしなかったのか。
 自分でも驚くほど大きな声が出たが、センパイは怒ることも、驚くこともしなかった。

「――鶯丸が、そう願ったから」
「……え?」

 センパイの顔は見えない。それでも、とても静かな、覚悟を決めた顔をしているんだろうな。と思った。

「鶯丸がね、そうして欲しい。って願い出たの。だから、私はその願いを聞き入れた。どうしてだか分かる?」
「……わかんないです……」

 どんなに願われても、もしアタシだったら、燭台切さんが“折れるかもしれない”って場所に送り出すとしたら、どんなに願われてもきっと彼を隊長にするだろう。
 でもセンパイはしないという。その気持ちが、考えがアタシには分からない。だから正直に首を横に振ると、センパイはちょっとだけ笑ったみたいだった。

「それが鶯丸の“覚悟”だったから。そしてそれを受け入れ、彼の命を背負うのが私たち“審神者”の仕事なの。ただパソコンに向き合って、座っていればいいわけじゃない。彼らの命も、覚悟も。全部背負って、毎日見送る。それが、審神者の一番大きな仕事なんだと、私は思う」

 センパイの話は簡単なはずなのに、分からない。理解出来ない。だって、そんなの……

「怖く、ないんですか……? 折れたらもう会えないって……教えてくれたの、センパイじゃないですか……」

 折れたら会えない。もう戻らない。最初にセンパイが教えてくれた、大事なこと。

「怖いよ。怖いし、折れたら絶対に泣く。泣くし、凹むし、きっと一生後悔する。でも、それが無力な私が唯一彼らに見せられる精一杯の誠意だから。……勿論、時と場合によるけどね」

 センパイはそう言うとアタシの肩に手を掛け、ぽんぽんと軽く叩く。その手は小さいけど、あったかかった。

「さ。“仕事”に戻ろう。私たちの仕事は覚悟を背負い、彼らを見送るだけじゃない。ってのはもう十分理解してるでしょ?」
「……はい」
「大丈夫。絶対に大丈夫だよ。私の刀は強いんだから!」

 顔は見えないけど、きっと笑っているんだろうな。って分かる明るい声。センパイは毎日、ずっとこの『覚悟』を背負って彼らを見送っていたんだ。
 サニワって簡単な仕事だと思ってた。でも、全然そんなことなかった。

「さ! 仕事仕事ー! むっちゃん、長谷部! 何から片付けようか!」
「ほうじゃのぉ」
「ご随意にどうぞ」
「おーっとぉ? 丸投げはどうかと思うな〜?」

 センパイが軽く背中を押してくれる。おずおずと歩き出せば、ゆっくりとした足取りで一緒に彼らを見送っていた三日月さんが隣に並んできた。

「うむ。実に見事な仕事ぶりであった。そなたも、そう思うであろう?」
「……はい。アタシには、まだ難しくて分かんないことも多いですけど……でも……センパイは、凄いな。って、思いました……」

 今までずっとバカにしてきた部分もあるけど、センパイは“先輩”なんだ。アタシなんかより、ずっとずっと色んなものを抱えて、色んなことを考えて、彼らを送り出していたんだ。

「……アタシ、頑張ります。もっともっと、センパイみたいになれるように」
「うむ。励むといい。それが“人”と言う生き物だ」

 三日月さんはそう言ってうっすらと笑うと、歩みを速めてセンパイと並ぶ。
 明るいセンパイの声がする。陸奥守さんも、長谷部さんもそれに交じって賑やかになる。
……ずっと気付いてた。気づいていたけど、考えないようにしていた。でも、今のでハッキリと分かった。

 この本丸の中心はセンパイなんだ。センパイを中心に、皆が回ってるんだ。サニワって、刀剣男士にとって、そういうおっきな存在なんだ。
 アタシみたいに軽い気持ちで『サニワって最高じゃん!』って思ってるやつに務まるほど、簡単なお仕事じゃないんだ。

「……センパーイ! 待ってくださーい!!」

 アタシも、センパイみたいになれるかな。刀剣男士たちがどうしてセンパイのことをあんなに好きなのか。やっと分かった。皆センパイの“ああいう所”が好きなんだ。
 優しくて、面白いだけじゃない。自分たちの“命を預けてもいい”って思える人だから、あんなにも大好きで、大切にしてるんだ。じゃないと、センパイがいないと、自分の“命”を預けられる人がいなくなっちゃうから。

「夢前さん、そんなに急がなくてもいいよ。転んじゃうと怪我するしね」

 センパイは優しい。時々お母さんみたいなことを言う時もあるけど、ちゃんと見てくれている。学校の先生みたいに、クラスメートみたいに、アタシの夢も恋もバカにしなかった。
……そうだよね。そんな人より、センパイみたいな人を好きになるのは当然だよね。
 うん! アタシ、センパイみたいになりたい! そんでいつか絶対、自分の燭台切さんと恋人になるんだ!!


 でも、アタシの考えはまだまだ甘かったと知る。


 第一部隊を見送った後。アタシたちはいつも通り仕事をした。初めて道場にも馬小屋にも畑にもセンパイと一緒に顔を出した。色んな刀と会話した。
 いつもより、充実してる! って、そう思えた。

 でも。

 いつもなら帰宅しているはずの夕方六時。帰還した第一部隊は――――全員、血塗れだった。

「急げ!! 道を空けろ! 鶯丸と小夜が重傷だ!!」
「小夜! 小夜、しっかりしなさい!」
「うッ……」
「手入れ部屋の戸を空けろ!」
「主! 鯰尾と大倶利伽羅も重傷だ!」
「主殿ー!! 鳴狐が、鳴狐がーッ!」
「落ち着け狐! 鳴狐は気絶しているだけだ! 騒がず大人しくしていろ!」

 バタバタと本丸内が騒がしい。ゲートから本丸の中まで転々と血が続いている。これが誰の血か、全く分からない。
 あんなに強いと思っていた小夜くんが、元気よく出て行った鯰尾くんが、オークリカラさんが、鳴狐さんが、皆、皆……誰かに手を借りなければまともに歩けないほど、ボロボロだった。

「夢前さん」

 センパイに呼ばれ、肩を揺さぶられ、意識が戻る。グラグラと地面が揺れている気がしたのは、センパイに揺さぶられていたからだと気づく。

「大丈夫。彼らはまだ折れていない。折れていなければ、まだ救える」
「で、でも……」

 あんなに、血が、だって、オークリカラさん、骨が、見えてた。

「大丈夫。絶対に大丈夫だから。絶対に助けるから。信じて待ってて」

 センパイはそう言うと、誰かに何かを言いながら走って行く。アタシは立っていられなくて座り込みそうになるが、誰かに腕を取られて壊れたマリオネットみたいな格好になった。

「気をしっかり持て、若いの。お主も審神者であろう」
「まだ、見習いだもん……」
「……そうか。だが見習いであれば尚のこと、彼女の働きぶりを目に焼き付けておくがいい。アレが、いずれそなたが身を落とす“地獄の窯の中”だ」

 地獄のカマ……? 力なく頭をあげれば、転々と血が残る廊下と畳、慌ただしく本丸内を走り回る刀剣男士の姿が目に映る。

 ……ああ、そうか。これが“地獄”なのか。審神者の、審神者と、刀剣男士たちの、終わらない“地獄”なのか。

「おい、三日月宗近。その方をこちらに渡せ」

 凛とした声に視線を向ければ、そこには長谷部さんが立っていた。

「何、崩れそうになっていたから手を貸しただけだ」
「それは感謝する。だが余計なことを吹き込むな。この方の教育を任されたのはお前ではなく我らの主だ。余計な口出しは一切無用だと思って頂きたい」
「はっはっはっ。これはこれは。辛辣なり、へし切長谷部」
「ふん。苛烈なのが長所なんでな。さ、夢前様。こちらへどうぞ。ゆっくりと茶でも飲めば落ち着きますよ」

 長谷部さんに手を引かれ、ふらふらと本丸内へと戻る。通されたのは血の匂いも届かない、血痕も落ちていない、いつも私たちが揃って仕事をしている執務室だった。

「ここで暫くゆっくりと身を落ち着けましょう。ご気分は悪くございませんか? 主から許可を頂いておりますので、横になる際は布団を敷きますよ」
「だい、じょうぶ、です……あの、第一部隊の、人達は……」

 彼らは、大丈夫なのだろうか。小夜くんも、鳴狐さんも意識がなかった。オークリカラさんは骨が見えてた。鶯丸さんは分からない。頭から血が出て、綺麗な緑色の髪が真っ赤に染まっていた。
 思い出せば出すほど恐怖と共に嘔吐感がせり上がってくる。思わず口元に手を当てれば、長谷部さんがビニール袋を渡してくれた。

「どうかお気にせず。気持ちが悪いのであればすべて吐き出してしまいなさい」
「う、うえぇ……」

 赤い、赤い、血の匂い。生理で慣れたつもりだったけど、全然そんなことなかった。骨が肉を突き破っていた。生々しい、あたたかい血がどんどん零れていた。痛みに呻く声がした。誰かが誰かの名前を必死に叫んでいた。誰も彼もが必死だった。
 これを、これを『毎日』行うの? 本当に? 毎日? アタシが?

「げほっ、げほげほげほっ!」
「大丈夫、大丈夫ですよ。彼らは折れてはおりません。少々目に毒な姿での帰還となりましたが、首の皮一枚で生き延びました。御安心なさい。彼らは生きております。分かりますか? ちゃんと、生きて帰ったのです。あとは主が治療してくれます。だから我らは安心して主に“命”を預けられるのですよ」
「……命を、あずける……?」

 吐き出すものを全部吐き出せば、少しだけ落ち着く。涙で滲む視界を上げれば、長谷部さんは力強く頷いた。

「さ、口を濯いで、少し横になってください」

 流石長谷部さんだ。準備が良い。コップに注がれた水を口に含み、用意されていた桶の中に吐き出す。すっぱかった口の中がすっきりした。

「長谷部さんは、怖くないんですか?」
「はい? 何がです?」

 手軽に横に慣れる、ごろ寝マットの上に寝かされる。丁寧に上からかけられた柔らかいブランケットを握りつつ問いかけるが、長谷部さんは何のことか分からないのだろう。キョトンとしている。

「戦場……戦いに行くこと、怖くないんですか……?」

 朝、見送るときに一緒にいたからアタシとセンパイの話も覚えているだろう。どうやら伝わったらしい。きっちりとした正座を崩さぬまま長谷部さんは頷く。

「はい。我々はそのために生まれ、呼ばれた物。ですから戦場を恐ろしいなど、思ったことはありません」
「どうしてですか? だって死んだら……折れたら、センパイに会えなくなるんですよ?」

 長谷部さんも、きっとセンパイのことが好きなはずだ。今日一日一緒に仕事をして分かった。長谷部さんは陸奥守さんと同じくらいセンパイのことを大切にしている。どんな時でも力になれるよう、仕事をしている。でも、もし死んでしまったら。そのセンパイとも一緒にいられなくなる。なのにどうして戦うことが怖くないんだろう。
 でも長谷部さんはアタシが想像していたよりずっと戦うことに“慣れている”人だった。

「そうですね。夢前様のおっしゃる通りです。確かに折れたら……死ねば、二度と主と会うことはないでしょう。ですが我らは元より“戦うため”に作り出された物です。良いですか? 我らは決して“人”ではございません。我らは“刀”。どれほど偽りの肉体を手に入れようと、それが覆ることはあり得ません」
「……刀だから、怖くないんですか?」
「はい。あくまでも俺の話ではありますが。戦わずして朽ちるぐらいなら、敵と相打ちにでもなって折れる方が遥かにマシですね。相打ちとはいかずとも、せめて一撃は食らわせたいものです」
「長谷部さんは強いんですね……」

 センパイは、どうなんだろう。センパイも『怖い』って言っていた。でも、さっきアタシに『絶対に大丈夫だから』と言ったセンパイの声は、すごく力強かった。

「夢前様。我々は元よりそうあるよう作られております。ですが、そんな我らを更に強く、逞しくしてくれる存在があります」
「え? そんなすごいものが、この世にあるんですか?」

 何だろう。分からない。だから教えて欲しくて長谷部さんを見上げれば、彼は今までに見たことがないくらい、優しい顔をして笑った。

「はい。それが、それこそが、あなた方“審神者”なのです。夢前様」
「……さにわ……?」

 アタシたちが、一体何の役に立つんだろう。分からない。素直に答えれば、長谷部さんは焦らすことなく教えてくれた。

「審神者、即ち主がいること。それが我らにとって“力”となります。霊力だけの話ではありません。ここの――この体の奥にある、“心”の問題なのです」

 心。刀にも、彼らにも、心があるのか。
 ああ、でも、そうか。じゃないと“感情”なんて、生まれるわけないか。

「主と共に“歩みたい”“生きたい”“お傍にいたい”“お守りしたい”――そのような気持ちを含め、あらゆる感情を我々は審神者である主たちへと向けます。そしてそれこそが、死地の中で唯一見つけられるたった一つの光となりえるのです」

 ……すごいなぁ。センパイはそんな気持ちを、あんなにも沢山の刀たちから貰っているんだ。『命』を預ける覚悟。そして、それを受け入れ背負う『覚悟』。どっちも同じくらい、真剣なんだ。命がけなんだ。まだ子供のアタシなんかじゃ、全然たどり着けない場所に、センパイは立っているんだ。

「……長谷部さん」
「はい」
「センパイは、凄い人なんですね」
「主だけではありません。いずれ夢前様も、そのような審神者になってください。それが、主の願いです」

 長谷部さんの声は優しかった。いつも耳にする真っすぐな声じゃない。柔らかい、ふかふかの毛布で包み込むみたいに優しく慰めてくれた。
 その間誰も部屋にはこなかったし、本丸の中もすごく静かだった。でも、もう不安はなかった。だってセンパイが『絶対に助ける』って言ってたから。
 皆信じてるんだ。センパイの言葉を。だから、アタシも信じなきゃいけないと思った。それに、無理に信じ込もうとしなくても信じられた。だって、センパイはアタシよりずっとずっと、すごいサニワなんだから。

 結局この後アタシは気を失うみたいにして眠っていた。家には『遅くなる』って連絡してたけど、センパイが後から『体調が悪くなったのでこのまま本丸で休ませます』と連絡してくれていたらしい。翌朝起きて一旦家に戻ればすごく心配されたけど、アタシは平気だった。むしろ心配したのは第一部隊の刀たちとセンパイだった。でもセンパイはいつも通り「おはよう」とあいさつして、「ご両親を安心させてあげて。それから今日は休みでいいから。家でゆっくり休んでね」と背中を優しく押してくれた。
 第一部隊の人たちも全員無事だった。センパイに頼んで少しだけ手入れ部屋を覗かせてもらえば、皆血塗れだったのが嘘みたいに穏やかな顔で眠っていた。

『センパイ』
『ん?』

 本丸を出る前、アタシはセンパイに改めて向き直った。初めて自分から、心から、頭を下げた。

『アタシ、センパイみたいなサニワになりたいです。だから、沢山、色んなことを教えてください』

 センパイみたいになりたい。どんな時でも負けない、堂々と刀剣男士たちの背中を見送れるような、命を、預け合えるような。そんな審神者に。

「……アイドルなんて、夢みてる場合じゃないなぁ……」

 夢前ののか。もしアタシが自分の本丸を持った時は、もっと別の名前にしようかな。だって、こんな適当につけた名前じゃ恥ずかしくて……センパイの前に出られないや。

 高校二年の春。アタシは、きっとこの短くとも濃い時間を一生忘れられないんだろうな。と思った。



終わり

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