小説
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 ギシギシと軋む、錆びた廊下を皆と進む。先頭は今剣だ。彼に入ってもいい部屋かどうかを確認しながら一つ一つ部屋の中を探索していく。

「うーん……でもこれと言って特筆して何かがあるわけでもないなぁ……」

 お師匠様の所に学びに行くようになってから知ったのだが、大体こういう厄介な術を張るときには『触媒』になる何かがあるものらしい。高度な術を扱える者ならともかく――特に鬼崎のような――そんな人は極一握りだという。だから術を仕掛けるために使用した何か、あるいはそれに基づく何かがあるはずなのだが、これといって目ぼしいものはない。

「主さん。その触媒っていうのは主にどんなものが使われるんです?」
「う〜ん……お師匠様が言うには、思い入れのあるものが多いみたい。昔なら『人形』とか『万華鏡』とか。今なら……えーと、そうだな。キーホルダーとか? ライターとかでもいいみたい。とにかく『強い思い』が宿っているものを通して術の力を強くするらしいから、厳重に保管されているか、使い古された感じがしていると注意しなさい。って言ってた」

 物に宿る願い、あるいは想いというのはこちらが考えている以上に強い。でなければ百年そこらで物に命が宿るはずがないからだ。昔は百年なんて夢のまた夢。不死でない限り到達できない領域だったと思うが、今では結構『今年百〇歳を迎えた〇〇さんです』みたいなニュースが頻繁に流れてくる。時代の流れと共に沢山の技術が発達したおかげである。だからもう『百年』は夢の領域ではなくなった。だけど人の想いというものは違う。何年経っても変わらない。想いの強さだけ人は強くもなるし狂ったりもする。それが良い方向に転じればいいが、悪い方向に転じるとストーカーになったり、愛憎が極まって殺人を犯したりもする。技術は進んでも人の根本は何も変わっていない。
 だから、必ずあるはずなのだ。あの術を維持し続ける何かが。その力となる基が、必ず。

「ん? 何だこれ」

 気付けば本丸の最も奥。審神者の部屋にまで来ていた。そこは女性らしい、私より歳下なのだろう。沢山の人形が残されたファンシーな部屋だ。だけどそこに不釣り合いな程しっかりとした造りの木箱が仕舞われていた。

「今剣さん。コレ何だか分かります?」
「はい? どれですか?」

 押入れの下段に仕舞われていたその木箱を引っ張り出せば、今剣の顔色が変わる。

「そ、それは……」
「え? 何か不味いもんでも引き当てちゃいました?」

 触った感じではそんなに妙な物だとは思わなかったのだが、感知能力が仕事してないのかな? 首を傾けていると、今剣が言いにくそうに顔を顰める。

「それは……それがなんであるか……ぼくは、しっています」
「えと……不味そうなものだったら元に戻しますけど……」

 最初に見た時以上に暗い顔をしている。そっと木箱を戻そうとするが、それより早く今剣が首を振った。

「いいえ。きっとあなたがみつけたということは、それが“ひつよう”である。ということです。だから、ぼくがおとめするわけにはいきません」
「え。いや、そんな大層な人間じゃないんですけど。私」

 宗三といい今剣といい、何でこんなに私を信用するかな? 多大なプレッシャーに軽く頬が引きつるが、近づいてきた小夜と堀川が何故か可笑しそうに口元を緩める。

「主さんってほーんと、鈍いですよねぇ」
「兄さまたちが心配するのもしょうがないですよね」
「え? 何で今そんな話に?」

 何故うちの刀たちは審神者を置いて違う話を始めるんだろう。置いてけぼりは結構寂しいぞ? 床に膝をついているので、常ならば視線の高さが変わらない二人を見上げれば、二人も同じように膝をついた。

「開けましょう。主さん。大丈夫です。何が出てきても、僕たちがお守りしますから」
「心配しないで。あなたが悪い物じゃないと判断したのなら、きっと大丈夫だから。もし不安に思うのなら、あなたを信じる僕たちを信じて。それなら、あなたも悩まないでしょう?」

 流石付き合いの長い小夜だ。そう言われてしまえば『皆の言葉なんて信じられない!』なんて言えるわけがない。逆手に取った上手い戦法だ。
 苦笑い交じりに「それはずるいなー」と零せば、暗い表情をしていた今剣も微笑む。

「……あなたは、みなさんにとてもだいじにされているんですね」
「ん? あ。それはそうですね。本当、皆すっごく優しくて。私にはもったいないぐらいなんですよー。あ! だからって今剣さんの主さんが悪いとか、そういう話ではないですからね?!」

 むしろ過保護が過ぎて困っています。なんて口が裂けても言えないけれど。でもそれだけ皆が大切にしてくれているということだ。それがむず痒くもあり、誇らしくもある。
 私自身彼らは大切な刀だと思ってはいるが、だからと言って今剣の主人が『悪人である』と思っているわけではない。もし鬼崎のような人間であれば『こんの野郎』とは思うかもしれないが、現状ではまだ何も分かっていないのだ。それなのに勝手に悪人だとか何だとか決めつけるのはよくない。
 第一誰にだってこういう行為に走るには何かしらの理由があるのだ。それが理解出来るか出来ないかは別として、何も知らない他人が勝手に自分の物差しで判断するのは軽率に過ぎる。髭切にもそう言われたし。
 だからあなたたちを侮辱するつもりはないのだと手を振れば、今剣は困ったように笑った。

「だいじょうぶです。わかっています。あなたは、きっとそういうひとなのだと。みじかいあいだですが、ぼくでもわかりますから」
「そ、そうですか? いや、ちょ、待ってください。信用するの早くないですか? もしかしたら私の方が悪い人かもしれませんよ?」

 だって、ほら。岩融には「この本丸に荒らすところなんてないやんけ」って言ったけど、今こうして家宅捜査してるわけだし? ある意味これは『荒らし』とも取れる行為だよね? ということは、こんなことをしているのが岩融にばれたら切られるんじゃ……? 自分の考えにゾッとするが、今剣は微笑むだけだった。

「だいじょうぶです。もしあなたがわるいひとなら、そんなあなたをひきいれたぼくもわるい刀です。おなじむじなというやつです」
「おお。成程。『連帯責任』というやつですね。ならば『一蓮托生』! どこまでもいっちゃいますか!!」

 この本丸の刀、今剣からの許可も下りたことだし、いざとなれば一緒に悪者になってくれると言うので、これ以上引き下がるのも野暮というものだ。
 特にこれといった封印術を掛けられてはいない木箱に手をかけ、蓋を取る。そしてそこに仕舞われていたものを確認し、息をのんだ。

「これは――」

 私だけじゃない。小夜と堀川も衝撃を受けている。対する今剣はただ穏やかに、けれどどこか寂しそうな目でソレを見ていた。

「……短刀……もしかして――――今剣?」

 自分の本丸にはいないから、実際彼の刀身を見たことはない。それでもぽっきりと折れてしまった小刀は『彼』のような気がした。
 改めて問いかければ今剣は暫く黙し、諦めたように目を閉じてから頷く。

「たしかに、それは『今剣』です。でも、それはぼくであってぼくではありません。きっとこのほんまるでさいしょにけんげんし、そしてはじめておれた刀……それが、きっとこの『今剣』なのでしょう」

 初めて語られるこの本丸の過去。そして『今剣』という刀。私たちはただ茫然と紡がれる物語に耳を傾ける。

「ぼくがけんげんしたとき、あるじさまはこえをあげてなきました。なんどもなまえをよばれました。でも、ぼくにはどうしてあるじさまがないているのか、わからなかったのです」

 それはそうだろう。誰だって挨拶をしたら泣かれるとは思わない。今剣が困惑したように、私たちも当然困惑する。だけど今剣は構わず続ける。

「それいらい、あるじさまはどこかぼくをさけておられるようでした。ぼくはなにかしてしまったのだろうかと、とてもなやみました」

 私も長谷部と江雪との出会い頭にやらかしてしまったので、ちょっと気持ちが分からないでもない。彼らの主もきっと後ろめたかったのだろう。だけどそんなことが顕現したばかりの刀に分かるはずもなく、今剣はしばらくの間とても不安な日々を過ごしたという。

「でも、あるひしょきとうの加州がこっそりとおしえてくれたのです。ぼくは、“ふたりめの今剣”なのだと」
「じゃあ、この今剣は――」
「はい。ぼくがくるまえにおれた、さいしょの今剣でしょう」

 この子は、どんな気持ちで審神者に仕えたのだろう。そしてこの折れてしまった今剣は、どうして折れてしまったのだろう。分からないことが未だ多い中、ふとあることに気付く。

「待って。初期刀は『加州』って言ったよね? でも、あの負傷者の中に加州はいなかったよ?」

 先程の部屋には多くの刀がいた。だけどその中に『加州清光』の姿はなかった。もし負傷していないのであれば薬研や岩融ではなく彼が出てくるはずだ。だけど薬研は「動けるのは自分たちだけだ」と言っていた。じゃあ加州は一体どこに行ったのか。問いかけてすぐ、全身に鳥肌が立つ。

「避けて!!」

 咄嗟に傍にいた二人、小夜と堀川の袖を引っ掴んで引き寄せる。突然のことに二人は一瞬驚いた顔をしたが、すぐさま自分たちが座っていた場所に軌跡が走ったことで戦闘態勢に入る。

「誰だ!」

 二人を勢いよく引き寄せたせいで後ろに倒れた私は、すぐさま立ち上がり抜刀する二人に庇われながら体を起こす。背後にいた今剣は私に「だいじょうぶですか?」と尋ねながらも、その視線は勢いよく切り裂かれた襖の奥に立つ人物に注がれていた。

「あーあ。最悪。主の部屋に無断で侵入するとか、何様のつもり?」
「――加州、清光」

 そこに立っていたのはやはりというか何というか。敵意や憎悪を隠すことなく向けてくるこの本丸の初期刀――加州清光だった。
 本来ならば彼の瞳はルビーのように美しく輝いているが、ここの加州の瞳は負の感情で濁っている。それは血の色よりも更に濃く、こちらを憎らしげに睨みつけてくる。

「そこのアンタ。“不法侵入”って言葉知ってる? 知ってるよね? 知らないわけないよね。知らないバカが審神者を務めるとか、ありえないもんね」
「それは、まぁ。はい」

 彼の言いたいことはわかる。不法侵入は犯罪だ。だがこちらは正式に、政府の役員が許可を取ったうえで本丸に足を踏み入れたのだ。傍から見れば不法侵入かもしれないが、実際には違う。だけどそんなこと加州には関係ない。彼が守るべきは『主』。主に関する全てのものを、彼は侵入者から守ろうとしているだけなのだから。

「しかも主の一番大事なものをさぁ、無断で開けるとか。本当にありえないんですけど。マジで何様のつもり? 俺の主よりも偉いの? 全然そんな風には見えないんだけど」
「……少なくとも、審神者同士に優劣はありません。個人が勝手に判断する分にはしょうがありませんが、私はそんなこと思っていません」

 というか、私が偉けりゃ大概の審神者は偉いわ。むしろ審神者が偉いなら政府の仕事と兼任している人なんてどうなるんだ。神様か。そう思いはしたが、決して口にはせず加州のキツイ瞳を見つめ返す。
 本当、うちの加州なら視線が合おうものならニコニコして「あーるじ」なんて語尾にハートがついてそうな可愛い声をあげるのに。こちらの加州は鋭い舌打ちを返してくる。うーん。地味に傷つくわ〜。

「ま、どーでもいいや。俺は主が一番大事なわけだし〜? 他の審神者のことなんて知ってもしょうがないし。だから、主の心を、大事なものを、踏み荒らす奴は容赦なく殺す」
「主さん! 下がって!」

 私を庇う小夜の変わりに、加州の一撃を堀川が受ける。この半年で堀川は強くなった。それに脇差は室内戦でも実力を損なうことはない。堀川は難なく加州の一撃を跳ね返す。

「君が僕たちの主を殺そうというのなら、僕たちはそれを阻止する。君が主を守るように、僕らも主が大切だからね」
「ま、そうだよね。でもまさか堀川と刃を交えることになるとはねぇ……。ま、いいや。前の主のことは抜きにしてさ、真剣勝負といこうじゃん!!」

 折れた今剣が仕舞われた木箱を抱え、小夜と今剣に連れられ審神者の部屋から飛び出す。中では堀川と加州が激しい打ち合いを繰り広げており、決して邪魔出来る雰囲気ではない。

「主さん! 早くここから離れて! 加州は僕が食い止めるから!」
「ハッ! 舐めんじゃねえ! こっちは命掛けてんだ! 死ぬ気のねえ奴に負けるか!」

 ガキン、と刃同士が弾け合う音がする。だけど『命を捨てる覚悟』で臨む加州に、思わずカチンときた。

「だああああ!!! うーるせえええ!!! うちの堀川があんたなんかに負けるかあああ!!! そっちが死ぬ気ならこっちは生きる気で戦ってんだ! 土俵が違う!!!」
「み、みずのさん……?」

 今剣が呆然とこちらを見上げる。そして加州も、まさか逃げ腰の審神者に吠えられるとは思ってもみなかったのだろう。一瞬虚を突かれたような顔をするが、すぐさま苛立たし気に顔を歪める。

「戦場に立ったこともない奴が口出しすんじゃねえよ」
「そりゃそうでしょうけどね! 言わせてもらうけど今の加州全ッ然可愛くない! めっちゃ可愛くない!! 何そのヤンキー口調! うちのラブリー加州を講師に迎えたろか!!」
「主、主張する部分間違ってる」
「あ。やべ。つい」

 小夜に諭され咄嗟に口元を覆う。だけどすぐに自分の主張を声に出して説明する。

「あんたさっき『死ぬ気』って言ったよね。そういう覚悟は確かに必要だと思うよ。でもさ、実際に折れたら審神者はめっちゃくちゃ悲しむからね!! めっちゃくちゃ泣くからね?! あんた審神者が泣くところ見たことある?! あるでしょ?! あるからそんなに必死なんでしょ?! だったら審神者を泣かせるようなことを、自分からしようとするんじゃないよ!!」

 私自身、一度五振りの刀を失った。あの時の悲しみと言ったら……正直言葉に出来ない。息が詰まって、胸が張り裂けそうで、痛くて、悲しくて、自分が不甲斐なくて情けなくてしょうがなかった。色んな感情が渦巻いて、ただ泣くことしか出来なかった。あの時の痛みを、忘れることなんて出来ない。

「それにね、『死ぬこと』を前提に仕えている従者なんて願い下げだよ。どんなに苦しい状況でも、生き残れるか分からない絶望的な状況でも、それでも、手足が無くなろうと必ず帰ってくる。どんな姿になっても絶対に戻ってくる。そう誓ってくれる方が、主としては嬉しいよ」

 今まで何度重傷となった刀たちを手入れしてきただろうか。初めての合戦でボロボロになった陸奥守。小夜。まだ刀が揃っていない頃、堀川を含め沢山の刀が血塗れで帰ってきた。肉が削がれ、骨が見えていたことだってある。片腕や片足を引きずっての帰還なんて珍しくもなかった。そして誰よりもそんな姿を、それだけの功労を成してくれたのは、初期刀である陸奥守だ。だけど陸奥守は一度として『死ぬ気』なんて言葉を口にしたことはない。いつだって私に「必ず帰ってくる」と約束してくれた。生きる気力に満ち溢れた、力強い瞳で励ましてくれた。そんな刀を、私は知っているから。

「『死ぬ』ことを前提に戦っている刀に、うちの刀が負けるはずがない。私の刀は、私に『絶対に帰ってくる』って約束してくれる。生きて帰ってくるって、私が信じている気持ちに応えようとしてくれている。それに……」

 加州がこんなにも頑張っているのに、今剣がこんなにも健気に待ち続けているのに、彼らの主は――。

「私は、どんな理由であれ、自分の刀を見捨てるような、そんな主にはならない」

 怪我人を放置し、レアと呼ばれる刀を閉じ込める。そんな主でも、彼らは信じて待っているのだ。そんな彼らの心を踏みにじるような人に、私は審神者としても一人の人間としても、負けたくない。それはきっと、刀たちも同じだ。

「負けないよ。堀川は。うちの刀は、絶対に負けない。『死ぬ』ことを安らぎと考えているアンタに、負けるはずがない」

 加州の心は、もうボロボロなんだ。彼の体から溢れる霊力からそれが読み取れる。彼は今剣同様待ち続けた。待って待って、それでも、彼の主は答えてくれなかったのだ。
 彼のたった一つの願いに。

「……主の一番になれなかったからって、そんな捨て身の戦法はよくないよ」

 彼らの主の一番は、加州ではなく『今剣』だった。そう確信にも似た気持ちで続ければ、加州の目が見開かれる。だがすぐさま限界まで高められた殺意がこちらに向き、小夜が庇うようにして前に出る。

「分かったような口を利くな! 誰が主の一番になれなかったって?! 最初に選ばれたのは俺だ! 俺が、初期刀なんだ!!」
「そうだね。でも、初期刀だからって主の『一番大切な刀』になれるわけじゃない。それを知っているから、あなたはそんなに苦しんでいるんでしょう?」
「違う!! 俺は、主に愛されなくても……!! 愛され、なくても――……」

 高められた殺意が霧散していく。開かれた瞼が痙攣するようにひくつき、苦し気に呼気を漏らす。

「……愛されたかった。でも、あなたの主は、あなたを一番に愛してはくれなかったんだね」

 加州清光という刀は主人からの愛情を特に欲しがる刀だ。大なり小なり刀というのは主人に対しそういう気持ちはあるが、その中でも加州は極めてその傾向が強い。それは彼の生まれに起因しているらしいが、それを抜きにしても加州という刀は主人に対して愛情を注いでくれる。だからこそ審神者もその愛に応えたいと思う。でも、中にはそんな彼に応えない審神者もいる。

「……うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさい!! 主に愛されなくったって、俺が主を愛せばいいだけだし!! 俺が一番に愛していれば、いつか主も俺を一番にしてくれるかもしれないじゃん!!」
「そうかもね。でも、そうはならなかった。それを一番理解し、誰よりも実感しているのはあなたなんじゃないの?」

 主がいなくなった本丸。手入れもされず放置された刀たち。折れた今剣はこんなに大事にしていたのに、幽閉しているレア刀同様、彼はこの本丸に捨て置かれた。愛していても、その声に応えてはくれなかったのだ。この本丸の主は。

「帰ってくるって……信じてれば……いつか、絶対……必ず帰ってきてくれるって……」
「……信じたいんだよね。でも……」

 加州の体から殺意も戦う気力も抜けていく。ずるずると崩れ落ちる体を床に突き立てた刀だけで支える姿は、あまりにも憐れだった。

「どうしてだよぉ……どうして、帰ってきてくれないんだよぉ……主ぃ……」

 ボロボロと、遂に加州の目から涙が零れ落ちる。それは次から次へと床に落ち、美しい顔をしとどに濡らす。私は未だ警戒する小夜と堀川を片手で制し、そっと加州に近づいた。

「一緒に探そう。あなたたちの主を。そのために私たちはここに来たんだから」

 この本丸に来たのは何も刀剣男士たちを助けるためだけではない。彼らの主、行方知れずとなった審神者を助ける手がかりを探すためにも来ているのだ。
 それを伝えれば加州はノロノロと顔を上げ、真っ向から見つめてくる。

「本当に……? 本当に、主にまた会える……?」
「会えるよ。だってあなたは神様でしょ? 神様が信じないでどうすんのさ。人間の願いなんてちっぽけなものなんだから、神様ぐらいの願いじゃないと届くものも届かないよ」

 誰だって信じてくれる人がいなければ立っていられない。初めての戦争に膝が震えて仕方なかった私を、持てる力で支えてくれたのが彼ら『刀剣男士』だ。
 本来の彼らは本当に優しいのだ。戦の道具ではあるけれど、審神者を愛し、守ってくれるだけの器量がある。それをこんなことで濁してしまうのは酷くもったいない事だと思った。

「大丈夫。絶対に大丈夫だよ。あなたたちの主は私たちが絶対に見つけるから。だから、今はもう少しだけ、信じて待っていて」

 とはいえ、彼らの主を見つけたとしてもその人がまた本丸に戻ってくるかどうかは分からない。もし戻ってこなければ本丸は解体されるか、別の審神者に譲渡されるかのどちらかだ。だけど引き継いだとしてもそこで刀たちと審神者がうまくやれるかは別問題だ。良くも悪くも刀たちは『主人』に忠実だ。だから幾ら『新しい主』を迎えたとしても、すぐに気持ちを切り替えることが出来ない。特にただの刀であった時とは違い、今は肉体とそれに伴った『心』がある。鉛の時とは比にならないほど強大なその力に、彼ら自身が引っ張られることは少なくない。
 だからこそ今この場所で、加州は涙を流しているのだから。
 今の彼は私たちと何も変わらない。制御出来ない『心』という厄介なものを持っている。だからこそ傷つき、悲観し、絶望する。
 そして同時に、『希望』を見つけることも出来るのだ。

「諦めないで。主を見つけることもそうだけど、まずは『生きる』ことを。言っちゃえば『死ぬこと』なんて何時でも出来るんだから」

『死』は誰にでも平等だ。神様だってそう。きっといつかは死んでしまう。どんな生物でも、道具でも、必ず終わりはやってくる。それは当然、私にも。
 だけど『生きること』は死ぬことよりもきっと辛くて苦しい。傷つくことなんていっぱいある。やりたくないことをやらなければいけない時だってある。面倒な人に絡まれた時なんて腹が立つし、間違ったことをしていたら後悔する。恋をしたら舞い上がるし、失恋したらものすごくへこむ。それでも私は生きて欲しい。
 そう願うのは、きっと傲慢なのだろうけど。それでも、私は最期まで皆と一緒に生きたいから。だから、彼らにも簡単に諦めて欲しくないのだ。本当、勝手な願いなんだけどね。

「おお。ここにおったがか。って、何じゃあ? 何かあったんやか」

 どうやら私を探していたらしい。顔を出した陸奥守は泣き崩れる加州に寄り添う私と、刀を収めた小夜と堀川を交互に見やって器用に片眉を上げる。もし加州に『斬りかかられました』と言えば陸奥守はどんな顔をするだろうか。でもきっと私が「許す」と言ったら「しょうがない」って言って認めてくれるんだろうな。

「何でもないよ。でもどうしたの? 何かあった?」

 軽く加州の背を叩き、傍を離れて陸奥守に近づく。代わりに堀川と小夜が加州に近づき、その手にハンカチを握らせた。

「やべ。私もハンカチ渡せばよかった」
「何の話じゃ」
「いやー。ない女子力の話をしてもしょうがないな、って。うん。で? どうしたの?」

 元より備わっていなかった女らしさの話をしてもしょうがない。ハンカチのことは風に飛ばされる洗濯物のように脳の片隅に追いやり、改めて陸奥守を見上げる。
 陸奥守は私の意味不明な発言に首を傾けていたが、すぐに真剣な眼差しを向けてきた。

「手入れ札のおかげで負傷していた刀たちの手入れは終わったぜよ。それと、柊さんが上と連絡を取ったらおんしのお師匠さんが来てくれる言いゆう。早うせんとお師匠さんが来るきに」
「マジか!! ちょ、堀川、小夜くん、悪いけど加州のこと頼める?!」
「それはいいけど……主、どこに行くの?」

 訪ねてくる小夜に陸奥守からの伝達内容を伝えれば、すぐに頷いてくれた。

「僕たちも後でそっちに行くよ。だから気にせず行ってきて」
「ありがとう! それじゃあ加州、泣き止んだら皆の所においでね」
「……分かった……」

 ぐずぐずと未だ泣き止まぬ加州の肩をぽんぽんと叩き、すぐさま傍で控えていた今剣へと視線を移す。

「今剣さんも一緒に来る? もしかしたら私のお師匠様が掛けられた術を解いてくれるかもしれないよ?」
「えと……みずのさんがよろしいのであれば、いっしょにいきたいです……」

 今更何を遠慮することがあるのだろうか。どこか恐る恐ると言った体で続ける今剣に、私は御簾で見えないことをうっかり忘れて笑顔を向けてしまった。

「大丈夫大丈夫! じゃあ行こっか!」

 お師匠様を迎え入れるのは弟子として当然のことだ。遅れは許されない。なので私は何の躊躇もせず、片手で陸奥守の手を、もう片方の手で今剣の手を握って走り出す。

「思ったけどこの部屋から玄関までめっちゃ距離あるじゃんね!! 私の鈍足で間に合うかな?!」
「もし間に合わざったらわしも一緒に謝っちゃるき、気にせんでええ」
「ヒュー!! むっちゃんおっとこまえー!! 知ってた!!」
「まっはっはっはっ!」

 笑い飛ばす陸奥守と一緒に廊下を駆ける間、私は今剣の方に意識を向けることをすっかり忘れていた。だって繋いだ手から悪い感情なんて一つも読み取れなかったから。だから、今剣がどんな顔をしていたのか全く見ていなかったのだ。私の手を呆然と見つめる、その顔を。

「みずのさま……」

 小さく呟かれた声は生憎私のアホみたいな会話で聞こえなかったが、今剣が私の手を離すことはなかった。それこそ、無事玄関に辿り着き、お師匠様を迎えてからも。小さな手はずっと私の手を強く握りしめていた。



続く




今剣のセリフはゲーム通り名前や一部の言葉以外全部ひらがなにしたんですが、読みづらければある程度漢字に変換しますのでおっしゃってくださいませ。m(_ _)m


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