小説
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 扉を抜けた先は、案の定酷い有様だった。

「悪いな。気を付けて歩いてくれ」
「柊さん。そこ気を付けてください。穴が開いています」
「分かりました。この辺は大丈夫ですか?」
「はい。出来れば私か彼らの後を歩いてくださった方が安全ですね」

 大広間へと続く道でもそうだったように、床が所々抜けている。ちらりと見た厨も棚が倒れて皿が割れていた。ガラス戸や襖も割れたり倒れたりしている。それでも歩き続ければ、割かしすぐに手入れ部屋へと辿り着くことが出来た。中は埃っぽかったが比較的綺麗で、まずはそこに柊さんと山姥切、小烏丸、そしてにっかり青江と博多藤四郎を護衛に置く。
 だけど私はその中に入らず、他の皆に着いていく。この本丸の審神者がどんな人なのか知りたいし、もしかしたらあの南京錠を解く鍵がどこかにあるかもしれない。だから皆と一緒になって廊下を進んでいれば、薬研が青い顔のままこちらを振り仰ぐ。

「アンタは着いてくるんだな。てっきり手入れ部屋で待つもんだと思っていたぜ」
「私は一応『感知能力』がある身なので。皆に何か起きてもアレですし、それに……やっぱり自分の目で見ておきたいんです。どんなことでも」

 今剣も私の傍にいる。彼に見せるのは酷かもしれないが、それでも今剣も「一緒に行く」と言って聞かなかった。その気持ちが分かるから私も強く言えず、こうして奥へ奥へと進んでいる。反対側には小夜もいるし、背後には陸奥守たちもいる。不安に思うことは一つもない。
 迷うことなく進む私に、薬研と岩融が視線を合わせる。

「不用心だと笑えばいいのか、豪胆だと感心すればいいのか……」
「女子の割には肝が据わっている。が、無謀でもある」

 二人の言葉が自分を指しているのだと気づき、ちょっとだけ笑う。

「何言ってんですか。いざとなったら女の方が大胆だし、強いものなんですよ? 子供を産む時どれだけ痛いか知ってます? 肉を絶たれるなんて比じゃないんですよ」

 男で、しかも刀には分からない痛みだろう。まぁ私も産んだことはないのだが、話に聞く限りじゃ「南無阿弥陀仏」と手を合わせたくなる。それに私自身無鉄砲なところがあるのは否めないが、部屋の隅でビクビクしているだけだなんて性に合わないのだ。動いても動かなくても一緒なら動いたほうがマシな気がしない?  だから私は自分の足が動く限りは、自分の足で、自分の目で、確かめたいと思うようになったのだ。あの事件を経てから、より強く。

「それに、私には強くて格好いい刀たちがついていますから。あといざとなったら消火器で戦うのでお構いなく」

 この本丸のどこかにもきっと設置されているはず。伝家の宝刀“エクス火器バー”。どんな相手だろうと鈍器で一発だぜ! と拳を握れば、小夜が呆れた目を向けてくる。

「主。もうあんな危ない戦い方しちゃダメだからね」
「え? 何で? 不意をつけば結構なダメージじゃない?」
「不意をつくだけじゃダメだよ。物理で倒さないと」
「わお。小夜くん意外と力強い」

 まぁ確かに。エクス火器バーは一回きりの目くらまし技だ。二度目はないし、あるとすれば鈍器と化した本体で殴るのみである。腕力があれば鉄バットのように振り回せるだろうが、生憎そこまで鍛えてはいない。成程。確かに『約束された勝利の消火器』とはいかないか。エクス火器バーも万能ではないな。と頷いていれば、またも薬研がクスクスと笑う。

「あー、アンタら本当に愉快だな。こんな状況でそんなやり取りが出来るとか。いっそ感心するぜ」
「豪胆というより阿呆だな。これは」
「岩融さんって結構辛辣ですね」

 薬研とは違い全然心を開いてくれない薙刀をじっとりと見上げれば、不服そうに顔を逸らされる。何だ何だ。人間が嫌いなのか? この薙刀は。今剣に聞いてやろうかと思い見下ろせば、何故か今剣は微笑んでいた。

「あなたは、すごいですね」
「へ? 何が? あ。じゃなかった。何がです?」

 ついつい癖でため口になってしまった。慌てて片手で口を覆えば、皆が私に視線を向けてくる。待て待て、独り言じゃないぞ。今剣から話しかけられたんだって。マジで。

「岩融も、薬研も、ささくれだっていたこころがおちつきました。だれかをはいじょすることではなく、うけいれるだけのよゆうをもつことができました。こんなふたりをみたのは、とてもひさしぶりです」

 私の視線と、謎の空白から今剣と会話していることが分かったのだろう。皆こちらに注目はしているが、余計な口を挟んでは来なかった。

「ふぅーん。そうなんですか。でも、そんなに珍しいことじゃないと思うんですけどねぇ」
「え? それは、なぜです?」

 今剣は心底不思議そうな顔をするが、私からしてみれば刀剣男士が審神者に対し心を砕くのはそう珍しいことではない気がするのだ。

「だってほら。刀って基本的に持ち主に対して忠実というか従順というか、とにかく大事にしてくれるじゃないですか。例え持ち主がろくでなしでも刀はちゃんと『主』として記憶に刻んでくれるでしょう? 確かに争いの道具で、人を殺す凶器ではありますけど、同時に沢山の人に大切にされた刀もいるわけですから。辛い過去があっても大事に思う『主』が人である限り、あなたたちは根本的に『人』っていう存在を憎めないんじゃないかなぁ。と思うんですよね。あ。そりゃあ勿論妖刀とか、人を斬りまくって妖怪になったー、的な存在なら別ですけど、刀剣男士はそういう存在は少ないでしょ? だから皆、何があっても最後の最後まで主を信じてくれるじゃないですか。今剣さんも、そうでしょう?」

 彼は周りの刀たちから認知されない厄介な術を掛けられてしまったけど、最初に『主を待っていた』という旨の発言をしていた。帰らない主をずっと健気に待ち続けてきたのだ。その口からは今も尚審神者を詰る言葉は一つとして漏れてこない。だからやっぱり、彼らはとても純粋で素直な存在だと思うのだ。

「今剣さんもそうですけど、皆さんってやっぱり怖いだけの存在じゃないですよね。何だかこう、研いだばかりの刀身みたいで綺麗だな。って思うんです。そりゃあうっかり手を滑らせたら切れちゃいますけど、そんなのは刃物である以上当然のことですし。って、そうじゃなくて。こう、何ていうのかな。どんなことがあっても、どんなに時間が経っても、私たち審神者を信じて待ってくれる。そんな大きくて広い心を持てるのはやっぱり『神様』だからなのかなぁ。って思うわけですよ。ほら、人間なんて結構ちっぽけというか矮小というか、狡いところもあるし、醜いところも汚いところもいっぱいありますから。だからこんな風に、どんな目にあわされても審神者を信じて待ち続けることが出来る今剣さんたち、刀剣男士の皆さんの方が綺麗で、凄いと思いますよ」

 長い間人を信じ、待つことはとても大変だ。一瞬でも相手を疑ってしまえばドツボに嵌ってしまう。裏切られたんじゃないのか。もう戻ってこないんじゃないのか。自分は捨てられたんじゃないのか。いらない子だったんじゃないのか。そんなことを思いながら生きていくのは、とても辛い。だから、

「やっぱり『神様』って凄いですね。私たちには出来ないことを当たり前のように出来ちゃうんですから。私たち人間にはもったいないぐらいですよ」

 陸奥守も小夜も。そして今剣も。皆優しくて、おおらかで、心が広くて、優しくて強くて頼もしい刀で神様だ。そう言って笑えば、何故か今剣だけでなく皆が黙った。

「……え? あの、何? もしかして今『ザ・ワールド(時止め)』発動してます? それとも『タイムアタック』とかで出てくる『時間止める系』のアイテム誰か使いました?」

 キョロキョロと前後左右にいる皆の顔を伺えば、何故か陸奥守が片手で顔を覆いながらもう片方の手で私の頭をぽんぽんと叩いてくる。

「おんしはの、そういうことをの、気軽に口にするもんじゃないぜよ」
「え? 何の話?」
「はー……もうこれだからあなたっていう人は……ここに皆いなくてよかったですよ。もしいれば今頃どうなっていたことか……」
「主が再び亀さんになることは間違いなしだね」
「ただし今度は服じゃなく俺達刀剣男士で埋められるけどな。大将小せぇから潰れちまうぞ」
「え?! 何?! 何で突然圧死の話してんの?! 怖っ!!」

 お化け屋敷みたいなところでそんな話せんといて! と咄嗟に両腕を交差させれば、黙っていた髭切が噴出した。

「あっははははは! 面白いねぇ、大福ちゃんは」
「大福違います! 審神者です!」
「いや、そこは『水野です』やろう。柊さんも審神者なんやき」
「あ。そっか」

 武田さんの所でも柊さんの所でも『ゼリー』だの『大福』だのと呼ばれることが多いため失念していた。改めて「水野です!」と告げれば、今度は薬研が噴出した。

「ククッ……あー、こんな愉快な気持ちになったのは何時ぶりだろうな。アンタ、水野さん? 肝が据わっているのかと思ったが、単に怖いもの知らずなだけなんだな」
「いやいやいや。怖いものはいっぱいありますって。臓器とか」
「あなたね、そういうことじゃないんですよ。そういうことじゃ」

 大事なことなので二回言ったのだろう。呆れた表情の宗三を見上げれば、岩融からため息を吐かれる。

「貴様はよく分からん。底抜けに明るいだけなのか、計略なのか……単なる阿呆とも取れるが、掴みどころのない奴だな。お主は」
「え? そうですか? そんなこと言われたの初めてですよ」

“掴みどころがない”かー。そんなの初めて言われたな。基本的に『明るい』とは言われるけど。……ハッ! 何か『掴みどころがない奴』って格好良くない?! 立ち位置的には『四天王最弱』とか言われそうな感じだけど、ようは『ミステリアス』ってことでしょ?! おお! 何か大人っぽい!!

「まさか岩融さんから褒められるとは……」
「お主は真の阿呆か? 誰が褒めたか」
「あっはっはっ! っと、お喋りしてたらあっという間だな。もうすぐ着くぜ」

 意外とよく笑う薬研に連れられてきた部屋の襖には、引手の所に血痕がこびりついている。それに引手以外の場所にも点々と飛び散っている。一体どれだけの重傷者がいるんだろうか。無意識にギュッと手を握り合わせれば、陸奥守が掌を被せてくる。

「大丈夫じゃ。やけんど、今はちっくと危ないきに。少しだけ下がってくれんかの」
「あ……うん。分かった」

 薬研と岩融は『停戦』を受け入れてくれたが、他の刀はまだ分からない。もし刃を交えるとなったら私は邪魔だ。陸奥守に諭され数歩下がれば、薬研がまず声をかける。

「皆、俺だ。薬研藤四郎だ」
「俺もいる。皆の者、開けるぞ」

 薬研と岩融の顔が若干だが強張っている。私自身どこかピリピリとした空気を感じ取っているので、きっと中にいる刀剣男士が警戒しているのだろう。薬研は僅かに襖を開けると、そこから中に入る。暫くするとボソボソとした話声が聞こえてきたが、何を言っているかは聞き取れない。きっと私たちの事を説明しているのだろう。そのうち空気が動く気配がし、薬研が顔を出した。

「皆には説明をした。大丈夫だ。だから手を貸してくれ。重傷者から運びたい」

 頷く私たちに薬研と岩融が襖を開け放つ。途端に血の匂いが漂い、咄嗟に口元を覆った。

「…………酷い……」

 部屋の中は今まで見てきたどの部屋よりも悲惨だった。刀種も何も関係ない。皆体中に怪我を負い、息も絶え絶えだ。中には手足に負った傷口が化膿し、膿が出ている刀もいる。これならばいっそ折れた方が幸せだっただろう。そう思ってしまう程に、刀たちの負傷は酷かった。

「長谷部。しっかりしろ」
「……はな、せ……あるじ、いがいの、人間に……だれが……」

 薬研が真っ先に手を伸ばした重傷者は『へし切長谷部』だった。見れば足の腱を断たれているらしい。歩くどころか立ち上がることすら出来ずにいる。常ならばサラサラと流れるストレートの髪もぐしゃぐしゃで、所々血がこびりついて固まってすらいる。手には抜き身の刀身を握ってはいるが、力が入らないのだろう。刃先が震えている。
 あまりにも痛々しい姿に目を逸らしたくなるが、奥歯を噛みしめて耐える。

「文句なら後で幾らでも聞きます。主人の帰りを待たずに折れたいのなら別ですが、あなたにはまだやるべきことがあるでしょう?」
「わかったようなくちを、」
「貴様の方こそ無駄口を叩くのは止めるんだな。ほら、さっさと行くぞ」

 そう言って負傷した長谷部から刀を奪ったのは、うちの長谷部だ。あっさり奪った刀身を鞘に収めると、嫌がる長谷部を難なく背負う。

「コイツは俺がお運び致します」
「うん。分かった。ありがとう」

 同じ長谷部として思うところがあるのかもしれない。未だブツブツと文句を言う長谷部に「うるさい。静かにしろ」と釘を刺し、手入れ部屋へ向かって歩き出す。

「じゃあ次は太郎、次郎。お前たちだ」
「いまさら私など……たすけたところで……」
「資材のむだ、ってね……ははっ、わらえねー……」

 太郎太刀、次郎太刀と言えば気風は違えど美丈夫な兄弟刀だ。だけどここにいる二人は酷く衰弱している。次郎太刀に至っては酒を口にする力もないのだろう。酒瓶は床に転がったままだ。流石に大太刀は一人では運べないので、太郎太刀を髭切と膝丸が、次郎太刀を陸奥守と宗三が支える。

「折れていないってことは、貴方たちにはまだ“やるべきことがある”ってことですよ。さ、早く手入れ部屋に」

 太郎太刀と次郎太刀がいなくなると部屋の中がよりよく見渡せる。中にはまだ負傷している刀が多い。悠長にしている暇はない。

「大倶利伽羅、燭台切はどんな様子だ?」
「……今は眠っている……」
「そうか。他の奴らが戻ってきたら運んで貰おう。お前も一緒にな」

 部屋の奥、壁に寄り掛かった状態で座っているのは大倶利伽羅だ。その近くには真っ黒な物体が寝転がっている。それが『燭台切』なのだろう。ピクリとも動かない姿はうちの元気溌剌な燭台切とは大違いだ。まぁ、今は眠っているみたいだからしょうがないんだけど。

「大和守は? 大丈夫か? 同田貫の旦那もだ。まだ生きてるよな?」
「うるせえな……まだ生きてらぁ……」
「僕も、まだおれてない、し……」

 次に薬研が声を掛けたのは大和守と同田貫だ。二人とも腹部に怪我を負っているらしく、着物や甲冑が赤く染まっている。痛ましい刀たちの姿に唇を噛みしめていれば、一人の刀と視線がかち合う。

「なんじゃあ……主じゃないがか……」
「――陸奥守、吉行」

 大倶利伽羅同様、部屋の隅で上体を預けて座り込んでいたのはうちの初期刀と同じ『陸奥守吉行』だ。彼は長谷部同様足を負傷しているらしい。どんよりとした瞳を向けるだけで、すぐに自嘲的に笑う。

「やっぱり……主はわしらを捨てんじゃろうか……」

 陸奥守らしくない言葉に息をのむ。だけど戸惑う私の隣に立っていた小夜がすぐさま動き、陸奥守の頬をぴしゃりと両手で挟んだ。

「しっかりしてください。あなたは土佐の英雄、坂本竜馬の刀で、今は審神者の刀でしょう? 不確定要素について思い悩むのではなく、未来を見てください。あなたはそういう刀のはずです」

 うちの小夜は陸奥守と一緒に本丸を初期から支えてくれた頼りになる刀だ。というより今でも助けられてばかりいる。心優しく、芯が強い。そして修行を経て更に逞しくなった。そんな小夜の発言に陸奥守は目を丸くしたが、すぐに力なく笑った。

「おんし、小夜左文字とは思えんぐらいまぶしいのぉ……」
「本来僕よりあなたの方が眩しいんですけどね。手入れ部屋が空き次第すぐに運びます。もう少し辛抱してください」

 運んだのは長谷部、太郎太刀、次郎太刀の三人。最初に手入れ部屋に連れて行く最後の一人を、薬研が指名する。

「よし。それじゃあ蜻蛉切。動けるか?」
「……自分より先に、御手杵を。彼の方が重傷です」

 蜻蛉切の後ろ、彼が隠すようにして匿っていたのは槍の一振り――御手杵だ。彼は燭台切同様目を閉じ、ピクリとも動かない。眠っているのか気絶しているのか。ともかく、その姿は案の定ボロボロであった。

「じゃあ岩融の旦那。悪いが運べるか?」
「分かった。請け負おう」

 岩融もギリギリだろうに、それでも御手杵を背負って歩き出す。
 手入れは柊さんが行ってくれることになっている。職場から手入れ札を拝借してきたらしい。勿論許可を得たうえで、だ。なので刀たちはすぐに直るだろう。だが問題は他にもある。

「薬研さん。申し訳ないんだけど、本丸の中を少し見てもいいかな。あの結界を解く鍵がどこかにあるかもしれないから」
「……分かった。本当なら止めたいところだが……今剣もいるしな。多分、大丈夫だろう」

 この本丸の案内を今剣に任せ、小夜と堀川を連れて探索に行くことにする。因みにうちの薬研は救急箱を持ってきているので、この場の応急処置を頼んだ。

「本来なら俺も行くべきだが、大将ならこいつらを診てやれ、って言うだろ? だから大将のことはお前らに任せるぜ」
「はい。必ずお守りします」
「僕も、小夜くんと同じです。薬研さんは皆さんをお願いしますね」

 頷く薬研に、私も改めてお願いする。

「ここを任せられるのはこの中じゃ薬研だけだ。警戒されている中で一人置いていくのは本当に申し訳ないと思ってるけど、それだけ頼りにしていると思って、今は頑張って欲しい」
「ははっ。分かってらぁ。大将はどこの本丸の刀だろうと助けると決めたら意地でも助けるお人だからな。構わず行きな。俺っちの医療技術、こいつらにたーんと味わわせてやるぜ」

 そう言って悪戯にウィンクする薬研に軽く笑い、その頭をそっと撫でる。

「うん。頼んだ。よろしくね、薬研」
「おうさ! 大将も気を付けていくんだぜ? 特に足元と頭上な」
「ははっ。分かった」

 流石に上下を同時に見るのは難しいが、それでも心配してくれる薬研に頷き返し、負傷した彼らの部屋を後にした。


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