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「危ない、主!!」
「ふぁ?!」

 陸奥守に抱き込まれるより早く、小夜の声が聞こえる。同時に鉄同士が激しくぶつかりあう音も。抱き込まれた腕の隙間から覗き見れば、小夜の前には見慣れた短刀の姿があった。

「チッ、今のを避けられるとはな。俺っちも腕が鈍ったかねぇ」
「や、薬研藤四郎……?!」

 そう。小夜の前に立っていたのは薬研藤四郎だった。だがうちの薬研とは違い、白い頬には幾つも傷がついている。体だって一目で分かるほどに酷い有様だ。
 二人は僅かな鍔迫り合いの後、互いに距離を置く。先程の一撃は上段からの切り込みだった。ということは、梁かどこかに忍んで飛び降り、奇襲をかけてきたのだろう。お前は一体どこの暗殺者だ、と突っ込みたくなるが、それよりも早く周りの刀たちが抜刀する。

「主、あなたは柊さんと一緒にお下がりなさい」
「そうだね。大将首を狙う、っていうのは悪くない手だけど……相手が悪いよね。それに多勢に無勢だ。君はどう切り抜けるのかな?」

 宗三と髭切が私たちを隠すようにして前に出る。柊さんも薬研は見えているのだろう。困惑が表情に出ている。そして今剣も焦ったようにうろうろと視線を彷徨わせている。

「多勢に無勢だろうと俺がすることは変わらねえ。これ以上本丸を荒らされるのは御免だからな」

 吐き捨てるように告げる薬研藤四郎の表情は、同じ刀とは思えないほどに私たちの薬研とは違う。まるで手負いの獣だ。鋭い瞳は負の感情に染まり、業火のように燃え滾っている。その瞳からは例え手足が失せようとも、首の皮一枚繋がっている限り最後まで食らいつく。そんな意思が気迫と共に伝わってくる。
 だけどこれは余りにも無謀だ。「折ってくれ」と言っているのと変わらない。髭切の言うように『大将首』を狙うのは暗殺としては正しい。だけどそれが失敗したのであれば撤退すべきだ。ただでさえ一対十二だというのに、これで引かなければ確実に折れる。負け戦であることを承知の上で飛び込んでくるのは果たして勇敢と言えるのか。
 とにかくどうにかして争いを止めなければ。そう思うのに、何も案が思い浮かばないまま頭上に鋭い横薙ぎが走る。

「下がれ!」
「はい!」

 刀剣男士たちは間合いに入っていたため、それぞれが伏せてそれを躱す。だけど私たちは宗三と髭切に「下がれ」と言われていたため、ギリギリでその間合いからは外れていた。あの時宗三たちに言われて下がっていなかったら本当に危なかった。それでも小烏丸に手を引かれ、更に後ろへと匿われる。

「父がそなたらの壁となろう。何、手負いの子供たちに負けるほど弱くはないぞ」
「あ、はい。それはもう……頼りにしています」

 元より柊さんの刀だ。言っては悪いが、うちの刀たちより場数は踏んでいる。それに練度だって最高練度に達していたはず。不安に思う要素なんてどこにあるだろう。だがそれを口にするより前に、鋭い横薙ぎを払った刀が姿を現す。

「よもやよもやだ……手を貸すぞ、薬研藤四郎。これ以上我らの本丸を荒らす者は許しておけん」
「おお、岩融の旦那か。助かるぜ」
「薙刀……岩融」

 私の本丸にはいないが、武田さんと柊さんの本丸で会ったことがある。二人の所では終始おおらかに笑っていた体躯の大きな薙刀だ。だが今目の前にいる岩融は違う。彼もまた体の至る所に怪我を負い、外敵を排除する獣と化している。
 鋭い眼光に怯みそうになるが、柊さんも負けてはいない。

「恐れ入りますが、あなた方は勘違いしていらっしゃいます。私たちは敵ではございません」
「ハッ、敵であろうがなかろうが関係ない。我らは誰であろうとこれ以上の侵入を固く禁ず。痛い目に遭いたくなければ即刻立ち去れ」

 構えはするが、体力の問題があるのだろう。ボロボロの体では幾ら薙刀と言えど限界がある。現に落ち着いた様子を見せてはいるが、無理をしていることは一目瞭然だ。これ以上彼らの神経を削るのは得策ではない。しかしここで今剣が岩融たちの前に立ちはだかる。

「岩融! いけません! これいじょうたたかってはおれてしまいます!!」

 咄嗟に、という感じだろう。飛び出した今剣だが、やはり岩融には見えていないらしい。声も届いていない。今この場で今剣を認識できるのは、本当に私しかいないのだ。
 改めて噛みしめる私を余所に、柊さんは説得を試みている。

「刀を下ろしてください。我々は戦いに来たわけではありません」
「そうはいかん。自陣を守るのは当然のこと。もしそなたたちがこれ以上侵入するのであれば、我らは自らを振るうことを躊躇しない。退くか、進むか。二つに一つだ」

 岩融は本気だ。だけどここで白刃戦となれば確実に二人は折れる。それは今剣の願いを踏みにじることになってしまう。

「岩融! だめです! やめてください! ぼくのこえがきこえないのですか!? 岩融!!」

 見えない、聞こえないとは分かっていても体が動いてしまうのだろう。今剣は小さな体で必死に岩融の足にしがみつく。が、岩融の視線がそちらに向くことはない。傍に立つ薬研ですらそうなのだ。本当に、何て酷い。唇を噛みしめた瞬間、岩融の本体が動く。それは単に構えなおすだけの動作だった。それでも運悪く柄の部分が当たり、今剣を薙ぎ払う形となった。

「今剣!!」

 半透明であっても幽霊ではない。咄嗟に床に転がる今剣に向かって手を伸ばす。その瞬間、岩融と薬研の動きがピタリと止まった。

「……何? 貴様、今何と言った」
「俺っちの聞き間違いじゃなけりゃあ、うちの短刀の名前を聞いた気がしたんだがなぁ……?」

 眼光が先程より一層鋭くなる二人だが、こっちだってなりふりなんか構っていられない。柊さんを小烏丸に任せ、今剣の体を抱き起す。

「大丈夫? 怪我してない?」
「だい、じょうぶです……かすっただけです。ぼくは、みがるですから」

 それでも岩融に弾かれたのが哀しいのだろう。泣き笑いのような顔で微笑まれ、胸が痛む。

「おい。そこの女子。質問に答えよ。今誰の名を口にした」

 今剣が立ちあがるのを見守っていると、岩融が固い声で問いかけてくる。彼には今剣が見えていないことは重々承知なのだが、それでも流石に頭にきた。

「あなたには見えていないでしょう。ですが今ここに、この本丸の今剣がいます」

 そう言って今剣の肩に手を置くが、周りからはパントマイムをしているようにしか見えないのだろう。現に岩融は「不快だ」と言わんばかりに顔を歪める。

「我らの本丸を踏み荒らすだけでなく、仲間まで愚弄するか!」
「愚弄しているのはどっちだ!! さっきから今剣が必死に呼びかけてんのに!! それを抜きにしてもこっちは『戦う気がない』って再三言ってんじゃん!! あんた聞く耳持ってないだけでしょ?!?!」

 思わず。うん。思わず言いました。はい。いつもの奴です。こう……ね? 誰だって『イラッ』としたら判断力鈍るじゃん? つまりはそれ。別に小さい子が好きってわけじゃないけど、やっぱり短刀に対して甘くなってしまうのは審神者あるあるだと思うの。私悪くないと思うの。いや、うん。これはね、流石にちょっと、後から考えてみればダメだったな。って分かるんだけど、この時はキレッキレだったんだよね。私。

「薬研もだ!!」
「お、俺、か……?」
「そう! そっちの! うちの子じゃない方!」
「うちの子」

 うちの薬研が小声で繰り返す。対するボロボロの方の薬研は困惑した顔でこちらを見る。

「あんたもそんな怪我で走り回るんじゃない!! 傷が開いたらどうすんの! まずは手入れでしょうが!!」
「え。いや、でも……」
「文句は後!! 幾らでも、何時間でも聞いてやるからまずは手入れ!!」

 岩融もボロボロだが、まずは薬研だ。白い顔は白を通り越して青白く、もはや幽鬼一歩手前だ。うちの健康的な薬研と並べたら天と地ほど違う。顔色もそうだけど、まず元気がない。刀身にもヒビが入っているし、遠目から見ても分かるほどに刃こぼれをしている。あんな状態では斬れるものも斬れない。
 ポカンとする薬研を一旦置き、岩融へと視線を移す。

「言っとくけど、ここには盗みに来たわけでも荒らしに来たわけでもないから。第一こんなボロボロの本丸、今更どうやって荒らすっていうのさ」
「おーい大将ー。それは正直に言い過ぎだぞー」

 うちの薬研が丁寧に諌めてくれるが、頭に血が上っている私の脳みそは綺麗にスルーする。

「あとあんたもまずは手入れ!! 他にも怪我してる子いるんでしょ?! んなボロボロの体で戦ってもうちの陸奥守の方が余裕で勝つわ!!」
「まっはっは! そうじゃのぉ。負ける気がせん」
「おいおい。お前さんまで乗ってどうする」
「無駄ですよ、薬研。ああなった主は沈静化するまで止まりませんから」
「まるでゴ○ラですよね」
「蒲○くん、でしたっけ?」
「おい。止めてさしあげろ。そっちは気持ち悪い方のゴ○ラだ。せめてベビーゴ○ラと言え」
「言っとくけど私ベビーゴ○ラより身長ないからな?!?! あいつベビー言うても身長百六十はあるからな?!」
「おや。僕たちより小さいんですね」
「身長の格差社会!!!」

 いつの間にかいつも通り、うちの刀たちとくだらないやり取りを繰り広げてしまう。当然これに慣れているのはうちの刀たちだけだ。柊さんを初め、彼女たちの刀も岩融も薬研も完全に「開いた口が塞がらない」状態になっている。しかしそれで止まらないのが我が本丸だ。

「まぁ身長はともかく、体重はどうなんです? ベビーと並ぶんですか?」
「おっとー、宗三選手それはセクハラだー」

 幾ら肥えていようともベビーゴ〇ラの体重には及ばない。そうと分かっているはずなのにこの言い草! 思わず真顔になれば、すぐさま堀川が審判の真似を始める。

「ピピッ! 宗三選手レッドカードです!」
「おや。退場になってしまいましたか。では長谷部。あとは任せますよ?」
「おい待て。ここで俺に振るな。どうボールを蹴っていいか悩むだろうが」

 ここでレッドカードを貰い退場になった宗三が隣に立っていた長谷部にバトンを渡す。だが幾ら名走者長谷部であろうとも突然バトンを渡されたら困惑は隠せない。しかも長谷部的にはバトンではなくボール、つまりサッカー系だと思っていたらしい。まぁ堀川が『レッドカード』って言っちゃったしね。しょうがない。
 噛み合わない会話に伴い、どんどん加速し、狂いだすのがうちの本丸だ。現に早速宗三がアクセルを踏み込む。

「何言ってるんですか。あなたは投球が得意なんですから、ボールなんて投げちゃえばいいんですよ」

 流石宗三。早速ルール無視である。それでいいのかお前。
 だがうちの長谷部もだいぶアレである。ここで正当なツッコミを入れず、予想の斜め上の発言をする。

「はあ? 投石の様にか? 別に構わんが、狙うのは頭でいいのか?」
「ちょいちょい、一気に事件性高くなったね? もはやボールが石器になってるじゃん」

 思わず声に出して突っ込めば、長谷部ではなく宗三が反応する。

「石器と言えばもはや退化では? 文明の利器は僕たちのほうでしょう?」
「え? 文明の利器って洗濯機とか冷蔵庫のこと言うんじゃなかったっけ?」

 三種の神器、と呼ばれていたはず。と教科書の内容を思い出すように視線を上げれば、宗三が呆れたような顔でこちらを見下ろす。

「あなたねぇ。今僕たちは武器の話をしていたでしょう? であれば洗濯機も冷蔵庫も武器ではありません。生活必需品です。戦う土俵が違うんですから、よく考えないと」
「あ。そっか」

 ん? いやでも待てよ? 今武器の話してたか? スポーツ系の話してなかった?
 あれ? と首を傾ければ、陸奥守が「ゴホン」と咳払いする。

「おんしら、話がずれちゅう」
「あ。だよね。今サッカーの話してたよね?」
「違う。そっちじゃないぜよ」
「あれ?」

 フルフルと首を横に振る陸奥守の隣、小夜も「主……」と眉を八の字に曲げる。

「今は彼らの話をしていたでしょう? 兄さまたちも主で遊んじゃダメだよ」
「おや。遊んでいるつもりはなかったんですが……ああ、でも、ほら。見てください小夜。主の鎮静化に成功しましたよ?」
「本当ですね! 万歳三唱でもします?」
「ははっ。大将すっかり珍獣扱いだなぁ」
「ダーッ!! あんたたち人で遊ぶんじゃないよ!!」

 思わず全力で突っ込めば、ポカンと口を開けていたはずのもう一人の薬研が声をあげて笑い出す。

「ははは! 何なんだあんたらは。意味が分からん過ぎて笑えてきたぞ」
「薬研……笑い事ではないぞ。何なのだこ奴らは。どう対処していいか分からん」

 顔を顰める岩融ではあるが、薬研は何かがツボったらしい。先程のような剣を帯びた顔つきは和らぎ、困り顔で笑いを零している。

「はあ……確かに、理解は出来ん。だが彼女たちが嘘をついているようにも見えん。どうだ? 旦那。ここは一旦彼女たちを受け入れてみないか?」
「なッ!! 何を言っておるのだ!! 貴様、裏切るつもりか!!」

 薬研が手の平を返すとは思ってもいなかったのだろう。ギョッとした表情をする岩融だが、ここがチャンスだ。私たちも一気に加勢する。

「そーだそーだ! まずは手入れからだ!!」
「そうですよ。無駄な争いはやめましょうよ。お肌が傷つきます」
「あんたはどこのOLか?!」
「はっはっはっ! まぁ確かに、弱い者いじめはどうかと俺っちも思うぜ?」
「ああ。喧嘩ならいつでも出来るきのぉ」

 うちの薬研が放った『弱い者いじめ』が頭にきたのだろう。案の定岩融が「誰が弱者だ! 愚弄するな!!」と切れたが、薬研は憑き物が落ちたような顔で自らの刀身を鞘に収める。

「旦那。俺は彼女たちを信じるぜ」
「薬研、貴様血迷ったか……!!」
「ああ。旦那が怒るのも分かる。だがな、そこの審神者さんは“今剣”がここにいる。って言うじゃねぇか。それなら、俺っちには奴さんが『悪い人』だとは思えねえんだ」

 今剣がこの本丸でどんな立ち位置にいるのか。それは未だに分からない。それでも彼の名前が出た瞬間岩融は言葉に詰まり、視線を落とす。

「なあ、そこのアンタ。今ここに、この部屋のどっかに、今剣がいるんだろう?」

 薬研の問いかけに頷き、私は自分の隣に手を翳す。そこに立つ、今剣の背を支えるようにして。

「ここにいます。あなた方を、心配そうに見ています」

 今剣も最初こそ私たちのやり取りをポカンとした顔で見ていたが、今では薬研と岩融が仲違いをしないか不安そうに見つめている。その旨を口で説明すれば、岩融もようやく武器を下した。

「……今剣よ……本当に、そなたはそこに居るのか……?」
「……はい。ここに、ぼくはここにいますよ。岩融」

 私の傍を離れ、岩融の手にそっと小さな手が触れる。それでも岩融には分からないのだろう。うろうろと視線を彷徨わせ、諦めたように目を閉じる。

「俺には何も聞こえん。何も見えん。……主は、何故今剣に斯様な術をかけたのだ……」
「さぁな。……さて。岩融の旦那も一旦は納得してくれた。どうだい? これで互いに刀を収めるっていうのは」

 今剣のおかげだろう。『和解』というより『停戦』という形に持って行けたのはありがたい。元々争いに来たわけではないのだ。皆も次々に抜いた刀身を鞘に収めていく。

「では他の方がいらっしゃる場所に案内していただけますか? あなた方も怪我をしていますが、それでも奇襲をかけてきたということは『まだ動くことが出来る』からですよね?」
「ああ。アンタの言う通りだ。俺と旦那はまだ傷が軽いほうでな。酷い奴はまともに動くことすら出来ない。……悪いが、手を貸しちゃくれねえか。仲間が傷ついているのに何も出来ねえってのは、ちときつい」

 薬研は本丸で医療関係を担うことが多い刀だ。そのため何もできない自分が一番歯痒いのだろう。彼らは封印術式が掛けられている大広間ではなく、その横にある小さな扉に向かって歩き出す。

「ここは術が掛けられてねえんだ。厨に続いていてな。そこからそれぞれの部屋へと行ける」
「手入れ部屋も道中にある。……頭上に気をつけよ」

 流石に岩融程身長はないが、皆も背が高い。私や柊さん、短刀たちはすんなりと通れたが、他の皆は頭を下げてその扉をくぐった。


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