小説
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もう少し、このままで



燭台切→水野。時々小夜。本編終了後から少し経ったお話。




 人が出払った静かな本丸の中を、お盆を持って歩く。これは主に出すためのお茶と菓子だ。主はとても勤勉な人だから、こうしてお茶を出して休憩を取らせないと高確率でヘトヘトになっている。そうなる前に休めばいいのに。どうしても未処理の仕事があると気になるらしい。おかげで月末や期日前に慌てて仕事を詰めてこなす、なんてことにはならないで済んでいる。真面目なのはいいことだけど、休憩ぐらいはまともにとって欲しいな。

「主、入るよ。って、アレ?」

 いつもなら「あ、光忠さんじゃん。どうしたのー?」なんて気軽な声が返ってくるのに、僕の視界に入ったのは机に突っ伏して微動だにしない主の背中だった。珍しく寝ているらしい。
 お盆を机の上に置いてからよく見てみれば、パソコンの画面はついたままだ。どうやら資材管理のデータを見直していたらしい。他にも昨日までの出陣、遠征、演練での報告書が積まれている。また無理をしていたのかな。ちょっとだけ不安になる。

 あの騒動から一月と少し。夏も終わりに差し掛かり、風がほんの少しだけ冷たさを増してきた。その間に主のやることは増えた。だけどそれを僕たちが手伝うことは出来ない。僕たちに出来ることと言えば精々出陣と本丸の掃除ぐらいだ。それ以外ではこうしてお茶を淹れてあげることぐらいか。
 例え主にしか出来ない仕事だと分かっていても、こういうデータ処理とか書類仕事を手伝ってあげられたらいいのに。そう思わなくはない。でもきっと遠慮しいというか、他人に頼ることが苦手な主は「大丈夫だよ」って言って笑うんだろうなぁ。そう思うと何だか遣る瀬無くなるが、主の笑顔のためにも僕たちは自分に課せられたことをきっちりこなす他ない。今はそっとしておこう。と上着を脱いで主の背に掛ければ、どうやら浅い眠りだったらしい。主の指先がピクリと動く。

「ん……あー……あれ? 光忠?」
「うん。光忠だよ」

 主は基本的に僕たちのことを尊重して「さん」付けしようとしているみたいだけど、気が抜けている時は高確率でそれがなくなる。僕としては全然問題ないんだけど、主は「失礼なこと」と考えているみたい。でも宗三くんは早い段階から「宗三」って呼び捨てにされてるんだよね。ちょっと羨ましい。
 だけど今は眠気が勝ってぼんやりしているらしく、主は僕に「さん」付けするのを忘れているみたいだった。

「疲れてるんでしょ? このまま少し寝てなよ」
「んー……そりゃあ疲れはあるけど……でもそんなの皆同じじゃん……あたしだけが寝ていい理由にはならないよ……」

 とか言いつつ起き上がる気力はあまりないらしい。頑張って指先を動かしてはいるけど、体が重いのか言うことを聞かないのか。「うあー」と間延びした声をあげながらもだもだしている。

「ちょっとぐらいなら大丈夫だよ。というより、しっかり休んでスッキリした方が効率良いんじゃないかな」
「あー……それは一理ある……」

 もだもだ主はもだもだしながら小さく頷く。その目は完全に閉じられており、やっぱり眠いんだな。と改めて分かって苦笑いする。

「出陣部隊が帰ってくるまでまだ時間はあるから、少しの間でもいいから眠った方がいいよ。手入れした後は疲れるでしょ? 逆に皆が心配しちゃうから、今休んでおこう」

 僕たちの傷は審神者以外の者では手入れが出来ない。勿論包丁で指先を切ったぐらいなら時間と共に癒えるが、敵から受けた傷は別だ。かすり傷なら気にしないけど、やっぱり大きな傷になると刀身自体が痛むから、放置は出来ない。それに主は僕たちをとても大事にしてくれている。だから手入れだって何よりも優先して行ってくれる。だけど手入れ後は力を使い果たしてぐったりすることが多いのだ。ただでさえ主は霊力が少ないのに。今は特別に与えられた『神気』のおかげでだいぶマシにはなっているみたいだけど、それでもまだ体に馴染み切っていないのだろう。こうして眠る時間が増えた。

『霊力』と『神気』は別物だ。似ているけれど人の子が『神気』を持つことは通常であれば出来ない。ただ主は特殊で、生まれながらにその魂に竜を宿している。
 しかも僕たちより遥かに長く生きている土地神だ。だから主でも『神気』を持つことが出来る。ただその『神気』は土地神のものではなく、僕の知らない本丸の刀たちのものだ。陸奥守くんが言うには『自分たちの親戚みたいなもの』らしいけど、僕は見たことがないからあまりピンとこない。
 それでも主がその『親戚刀』を大事にしていることは分かっているし、彼らのおかげで僕たちはまたこうして主と一緒にいられるのだから、感謝してもしきれないぐらいだ。
 だけどそんな彼らの『神気』と主の体が馴染むのにはまだ時間が掛かるだろう。
竜神は『神気』のおかげで力を増しているみたいだけど、主自身は肉体が着いていっていない。苦しいだろうけど、今はこうして休んでもらう他ないのだ。

「ほら、主。こっちにおいで」

 いつも気軽に接してくる主に倣い、僕もふざけてぽんぽんと膝の上を叩く。常ならば「何言ってんの」って笑い飛ばすのだが、今日は違った。

「ん……お邪魔します……」
「え」

 普段の主なら絶対にこんなことしない。遠慮しい、っていうのもあるんだけど、主は結構恥ずかしがりというか、照れ屋なところがある。だからこういう接触も恥ずかしがってしないのだが、よほど眠たいらしい。
 羞恥心も思考力も今は低下しているらしく、僕の膝に頭を乗せてゴロンと横になる。そうして僕が掛けた上着をもぞもぞと自分の上にかけなおしたかと思うと、そのまま眠ってしまった。

「…………これは…………ちょっと……」

 何と言えばいいのだろう。まさか本当にこんなことになるとは思ってなくて、言葉が出ない。それでも最近は御簾を外して顔が見えやすくなった主の穏やかであどけない寝顔を見下ろしていると、じわじわと胸の内から『喜び』という名の熱情が溢れ出てくる。

「主、手合わせ終わったよ。って、うわっ」

 部屋を覗いてきたのは小夜くんだ。だけど部屋に広がる光景に驚いたらしい。彼にしては珍しい、心底驚いた声が零されて顔が熱くなる。

「ご、ごめんね小夜くん……今ちょっと……」
「あ、いえ……僕の方こそごめんなさい。でも、すごい桜の量だね」

 そう。僕たち刀剣男士は誉を取った時以外でも感情が高ぶると桜が舞うことがある。今の僕がそうだ。『喜び』という感情で胸が千々に乱れ、桜が大量に飛び散っている。

「暦上は秋だけど、燭台切さんのおかげで主の部屋は春爛漫だね」
「止めて小夜くん。光忠お兄さん恥ずかしさで死んじゃう」

 別に揶揄うつもりはないのだろう。思ったままの感想を口にしたらしい小夜くんの発言に思わず顔を覆えば、彼は小さく「すみません」と謝る。

「でも主ならそう言うかな、って……」
「あー、確かに。言いそう」

 主は良くも悪くも裏表がない素直な人だ。心の赴くまま、あるがままに生きている。そのまっすぐな生き様が眩しくもあり、好ましくもあり、時には悩ましくもある。色んな時代の、色んな人たちを見てきたからこその視点が僕たちにはある。そんな僕たちの発言を主は尊重してくれるけど、時々人の身に慣れていない僕たちを揶揄って笑うこともある。本当に無邪気な人なのだ。僕たちの主は。

「最近は減ってきたみたいですけど、やっぱりまだ慣れていないんですね」

 小夜くんが零した言葉に頷く。主の体の中に『神気』が流れていることは皆知っている。だけどそれがまだ体に馴染んでいないということを、主自身は気づいていない。だいぶマシになった方ではあるけれど、馴染むまでにはもう少し掛かるだろう。
 一難去ってまた一難、をまさに一身に受けている主の髪にそっと触れれば、主がゴロリと寝返りを打った。

「燭台切さん。布団、敷きましょうか?」
「ん? んー……悪いけど、もう少しこのままでいいかな?」

 いつも陸奥守くんや他の皆が主との時間を奪ってしまうから、僕がこうして主と一緒に、しかもこんな風に触れ合っていることはとても珍しい。だからどうしてもこの時間を離しがたくてそう答えれば、小夜くんは珍しく優し気に笑った。

「分かりました。それじゃあ上掛けだけでも出しますね」
「うん。お願いするよ」

 僕はともかくとして、主が風邪をひいてはいけない。入ってくる風は寝ている身には冷たいだろう。
 小夜くんは早速取り出した上掛けを主にかけると、普段主が彼にするように小さな声で「おやすみなさい」と呟いた。

 不謹慎だけど、もう少し主の体に神気が馴染まなければいいな。と願ってしまったのは一生の秘密にしておこう。そう誓った初秋の昼下がりだった。







本編ではピックアップがなかった燭台切お兄さんと水野さんの話。
いつも美味しいとこ取りされているから、たまにはいいよね。っていう話。



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