小説
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――ホウ。
 フクロウの声が闇夜に響く。私は一人鍛刀場の椅子に腰かけながら、燃え盛る炎を見つめていた。

「主、まだ起きちょったがか?」
「うん。眠れなくて」

 戸を開け、近づいてきたのは陸奥守だ。彼は傍にあったもう一つの椅子に腰かけ、私と一緒に燃え盛る炎を見つめる。

「遅うまで起きちゅうと、皆が心配する」
「うん」

 それでも離れることは出来なかった。
 晩御飯を食べた後、お風呂も仕事も全部終わらせた。布団も敷いたし、一度は目を閉じた。だけど、眠ることは出来なかった。

「……はあ。おんしは意外と頑固じゃ」
「ははっ。ごめんね」
「まぁわしも人の事は言えんがの」

 それを最後にプツリと会話が途切れる。外では相変わらずフクロウが鳴き、風が木々を揺らす。今日の月は三日月だ。彼の名前と同じように。

「……ねぇ、むっちゃん」
「ん?」
「三日月が顕現したら、最初に何て言う?」

 陸奥守はずっと私の代わりに本丸を守ってきた。尽くしてくれた。三日月のことを、気にしていた。そんな彼に「何を言う?」と聞けば、陸奥守は「うーん」と低く唸った。

「何も考えつかん」
「あはは。私も」

 何を言おうか。どんな顔をしようか。両手で頬を包み、むにむにと触る。御簾はもう、着けてはいなかった。

「そういえば、おんし何で御簾を外したんじゃ?」
「ん? ああ、急いで本丸に来たから、忘れちゃって」

 あの本丸から戻って来てすぐに私は身支度を整えこちらへ来た。その時に御簾を持ってくるのを忘れたのだ。それにあの本丸に行った時だって、私は御簾を着けてはいなかった。

「やっぱり着けてた方がいい?」

 綺麗な顔立ちじゃないし、化粧もしていない。無頓着すぎるのは女としてどうなんだ、って感じだが、どうにも苦手なのだ。嫌いじゃないけど、好んではいない。日焼け止めもそうだし、根本的に肌に何かを塗るのが好きじゃないんだと思う。母や友人からは「女としてダメ」とよく言われるけど、まぁ結婚とか恋愛とかは諦めているし。いざとなったら本丸にいる皆に看取ってもらおう。なんて考えていると、陸奥守が以外にも柔らかな声を出した。

「いや、おんしの顔がよう見えてええ」
「……そっか」

 視線の先には穏やかな表情をする陸奥守がいて、安堵の気持ちと相まってこちらも穏やかな声が出る。不思議だ。こんなに穏やかで、おおらかな気持ちになれたのは何時ぶりだろうか。
 パチパチと、炉の中で火が弾ける。

「……ねえ、むっちゃん」
「ん?」
「ごめんね。全部任せちゃって」

 酷い記憶を沢山見て、しかもそれを一人で抱え込まなくちゃいけなくて。私の面倒も見て、皆のことも任せっきりで。全部、全部彼に背負わせてしまった。いつも笑っていてくれたから、何も疑わなかった。何も聞かなかった。聞こうとしなかった。皆ももしかしたら、何かに悩んでいたかもしれないのに。
 そう思うと自然と遣る瀬無くなって、膝を抱えてそこに額を押し付ける。すると大きな掌が頭の上にぽんと乗せられた。

「落ち込まんでえい。わしは大丈夫じゃ。おんしが心配するほど柔じゃないぜよ」
「でも、」
「それ以上言うたら、その口塞いじゃるきの」

 ずい、と寄せられた顔にビクリと肩が跳ねる。そ、そうだ。そういえば私、むっちゃんにこ、こく、こくはく……されたんだった……。

「まっはっはっ、赤うなって可愛いの」
「だっ……! や、やめんしゃい、そういうこと言うのはっ」

 ぺしっ、と彼の手を軽く弾いて再び丸くなる。そうして一つ息を吐いてから今度は全身を伸ばした。見上げた文字盤がまた一つ、音を立てて遡る。一つ、また一つ。徐々に徐々に遡っていく文字を見つめながら、私は軽く目を擦った。

「眠いんか?」
「ん……いや、大丈夫。ちょっと痒くなっただけ」

 色々あったせいで疲れてはいる。それでも彼が顕現するまでは眠れない。持ってきたデジタル時計はあと数時間で夜が明けることを示している。頑張れば起きていられる。そんなことを考えていると、横で陸奥守が呆れたような息を零す。かと思えば、私の肩に何かを羽織らせた。

「顕現したらわしが起こしちゃるき、今はちっくとでも休め」
「でも、あとちょっとだし……」
「おんしが無理して、三日月が喜ぶと本気で思いゆうか?」
「……ごめん」

 羽織らされたブランケットを引き寄せ、体を包むと陸奥守が自身の肩に私の頭を乗せさせる。

「……重くない?」
「大丈夫じゃ」
「そう……」

 陸奥守の丸くて堅い指先が私の髪を軽く撫でる。そういえば、前も一度こうして寝かせてもらったことがあったな。あの時は膝枕だったけど。あの時から陸奥守は全然変わっていない。
 優しくて、頼りがいがあって。いつだって、私のことを一番に考えてくれている。

「むっちゃんは、ええ男やね」
「何じゃあ? 今更気づいたが?」
「ふふっ、前から知ってたよ。ありがと」

 陸奥守の掌から、かけられたブランケットから。あたたかなぬくもりが伝線して眠くなってくる。今はもう怪異に襲われることもないだろう。そう思うと自然と瞼が落ちてきて、私は無意識のうちに陸奥守の肩に頭を摺り寄せる。

「おやすみ、主」
「ん……おやすみ……」

 くったりと体から力が抜けていく。それを支えるように腕を回す陸奥守の動きを感じながら意識を落とす。思った通り何の夢も見ることなく、深く深く意識を沈めていった。そして瞼の裏が明るくなったな、と思うと同時に肩を揺すられる。

「……じ、……るじ……あるじ、主」
「ん……?」
「そろそろ鍛刀が終わるぜよ」

 陸奥守に起こされ目を開ければ、炉の中の火が徐々に小さくなっていく。慌てて目を擦り意識を覚醒させて立ち上がると、文字盤が『カシャン』と音を立てる。

「もう少しだ……」

 もう少しで、鍛刀が終わる。
 カシャン、カシャン、と文字盤が回る。炉の中の火が弱くなっていく。そして最後の文字盤が遂に回り終わると、炉の中の火が完全に落ちた。

「……終わった……」

 私の代わりに陸奥守が炉に近づき、一振りの刀を取り出す。

「主」
「うん」

 手に取った刀は――三日月宗近だ。間違いない。鞘から抜いた刀身も美しく、陸奥守に目配せすれば「大丈夫じゃ」と頷く。もう彼は鬼崎に捕らわれてなんかいない。正真正銘、私の刀だ。

「ふぅー……」

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。そして改めて三日月を持ち直し、目を閉じる。
 感じる。感じ取ることが出来る。あたたかな流れを、両の手から感じる。もう今までみたいな違和感はどこにもない。それに安堵し、私は『神卸』をした。

 ぶわり、と桜が舞い散る。目に痛いほどの眩い光と共に、刀に命が宿る。

「――三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる」

 顕現した彼は切れ長の美しい瞼を開くと、私を見つめて蕩けそうなぐらい優しい笑みを浮かべた。

「また会えたな、主よ。息災であったか?」
「三日月さん……!」

 やっと会えた! 本当に会えた!
 そう思ったら堪らず、私は三日月の腕の中に飛び込んで彼の体をぎゅうと抱きしめる。

「おお? はっはっはっ。熱烈な歓迎だなぁ、主よ」
「うん……うん……!」

 もう会えないと思っていた。会いたいと思っていたけど、正直この本丸で、私の力だけで顕現出来るか凄く不安だった。だけどちゃんと来てくれた。私に、私の目を見て、ちゃんと「また会えたな」って言ってくれた。だから、この三日月は、私の三日月だ。

「おかえりなさい。三日月さん」

 彼の胸から顔を上げ、自然と浮かぶ笑顔をそのままに「おかえり」と言えば、彼はとても嬉しそうな顔で笑い返してくれた。

「ああ……ああ。ただいま。ただいま、主よ」
「え? あ、わ、ちょ、えええ?!?!」

 ぎゅう、と抱き返されたかと思うと、何故かそのまま抱き上げられる。それに驚いて三日月へと視線を向ければ、彼はニコニコと子供みたいな顔をして私を見上げていた。

「ああ、懐かしいなぁ。そうだそうだ。この重みだ。この柔らかさだ。懐かしいなぁ」
「いや、ちょ、重いなら下してくれません?! っていうか下ろそう?!?!」

 あわあわと三日月の手を叩くが、三日月は気にした様子もなく笑い続けている。
 そ、そんなに嬉しいのか?!?! いや私も嬉しいけどさ?!

「はーい、そこまでですよ三日月宗近。さっさと離れなさいッ」
「お? あいたたたたた。痛い痛い、痛いぞ宗三左文字よ」
「へ? あれ?! 何で宗三がここに……」

 陸奥守しかいないと思っていた鍛刀場に何故か宗三がいる。しかも私の後ろから三日月の顔面を片手で鷲掴みにしている。ていうか手の平大きいな、おい。
 だけどそんなことを考えていた数秒後には、出入り口からわらわらと皆が顔を覗かせてくる。

「あー!! ちょっと三日月! 主を抱っこするとか調子に乗んないでよね!」
「そうだよ三日月さん。主が困ってるでしょ? 早く下してあげなよ」
「相変わらず貴様は節操がないな、三日月宗近。早く主から離れろ!」
「まぁまぁ、長谷部さん落ち着いて」
「全く。朝から雅じゃない……」

 不服そうに眉を吊り上げる加州に、同じくブーイングを入れる燭台切。そして憤る長谷部を宥める前田と呆れる歌仙。驚いている合間にも私は陸奥守の手により地面に下され、三日月は宗三に思いっきり締め上げられていた。

「イタタタタタ! 宗三、宗三折れる! 折れ、本当に折れそうなんだが?!」
「はあ〜〜〜??? もうしない、って言ったのあなたですよ? 覚えてますぅ〜?」
「イタタタタタ」
「そ、宗三! 宗三ブレイク!! もう三日月さん瀕死だから! 死にかけだからーーーッ!!」

 ヘッドロックからコブラツイストへと技が変わっている宗三を慌てて止めれば、宗三は「フンッ」と顔を背け、三日月はよろよろと壁に手をついた。顕現してから速攻でプロレス技を掛けられるなんて何て災難なんだ、三日月宗近。
 慌てて駆け寄りその背を摩ってやれば、ゲラゲラと腹を抱えて笑う声がする。

「はっはっはっ! 顕現して早々宗三を怒らせるとは。相変わらずだなぁ〜三日月」
「俺達のように穏やかに、とはいかなかったみたいだな。宗三に何かしたのか?」
「はあ……“嫌な予感がする”と早起きしてどこかに行ったかと思えば……宗三。争いはいけませんよ」
「兄様って本当、主のことになると勘が働くよね……」

 笑いながら鍛刀場に入ってきたのは鶴丸と鶯丸だ。その後ろでは寝起きらしい江雪と小夜が身支度を整えぬまま宗三を追いかけてきたらしく、呆れた顔を見せている。

「別にそんなんじゃありません。また事件が起きてはいけませんから。それだけですよ」
「まっはっはっ、おんしも素直じゃないのぉ〜」
「言っときますけど、僕はまだあなたのことを許していないんですからね。陸奥守」
「おん?」

 まだ朝も早いというのに、騒ぐ私たちの声が聞こえたのか皆が起きてくる。

「何だぁ〜? 朝っぱらから何騒いでんだ〜? ってうおお?! 三日月じゃん!!」
「あ。主さんおはよう! ほら兼さん、挨拶――って三日月さん?!」
「何だようるっせーなぁ、って、何だよ。三日月の爺さん戻って来てんじゃねえか」

 和泉守、堀川、同田貫と続き、短刀たちも起きてくる。

「主君、おはようございま――三日月さん!!?」
「み、三日月さんだ……! あ! あるじさまも、おはようございます!」「ガウ」「キュウ」
「本当に三日月さんだー! おかえりー!」

 秋田、五虎退、乱も乱入し、いよいよ部屋が狭くなる。流石の陸奥守も「ほーら、早う出んと追いかけるぞ〜」なんて言いながら皆を鍛刀場から追い出していく。
 いつも通りの喧騒が始まる中、鶴丸がひょっこり顔を出し、三日月に向かって笑いかける。

「どうだ、三日月。驚いたか?」
「フッ、そうだな。本当にまた主やお前たちと会えるとはなぁ。夢みたいだ」

 立ち直った三日月の苦笑いを正面から見つめ返し、鶴丸は再び大笑いする。だがその顔はどこか嬉しそうだ。

「ま、改めてよろしくやろうじゃないか。あ。言っておくが練度は一からやり直しだぞ。俺もお前もな」
「む? そうなのか? 俺はともかくとして、お前は骨が折れるな」
「まぁやりがいがあると思って頑張るさ。さて、俺は先に戻るとするか。朝餉の手伝いがあるからな。じゃあな」

 ヒラリと片手を振って鶴丸が出て行く。残された私は三日月と視線を合わせ、殆ど同時に笑みを浮かべた。

「それじゃあ私たちも行こっか」
「ああ、そうだな」

 大広間に向かって歩き出そうとしたところで、ふとあることを思い出し足を止める。振り返ればキョトンとした三日月が私を見下ろしていた。

「ねぇ、三日月さん。今までのこと、覚えてる?」

 この本丸にいたこと。あの鬼崎と名乗る男の本丸にいたこと。忘れた方がいいこともあるけど、覚えていて欲しい気持ちもある。確認のため投げかければ、彼はとても穏やかに口元を緩めた。

「ああ。全て覚えているぞ。失った記憶も、全て」
「え? じゃあ……」
「足利の宝剣として存在していたことも、ちゃんと覚えている」
「そっか。よかった」

 全部失った三日月だけど、今度はちゃんと覚えているらしい。例えどんなに昔の事でも、忘れてしまうのは悲しいことだから。彼が全部思い出せたのであれば、それが一番だ。安心して歩き出す私の背後から、三日月がそっと腕を回してくる。

「主、すまんがもう一度、俺の名前を呼んでくれないか?」

 驚いて見上げた先にあったのは、三日月の子供みたいなあどけない顔だった。だから私はありったけの気持ちを込めて、その名前を呼んだ。
 おかえりと、ありがとうと、これからもよろしく。の、三つの意味を込めて。

「おかえり! 私の三日月宗近!」

 また一緒に頑張ろう。
 舞い散る季節外れの花びらに、私は声を上げて笑った。





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