小説
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 その夜、私は検査を終えた後一人病室でぼんやりと天井を見上げていた。医師は当然驚いた。私の傷が無くなっていることに。そして後遺症がないか、他に支障はないか、あらゆる検査を行った結果、『問題なし』という診断結果を貰うことになった。それでも武田さんと医師に勧められ、今日だけは病院で過ごすことになった。

 あれから現世に戻り、私は改めて太郎太刀を探したが、その姿を見ることは出来なかった。何故ゲートを潜れたのかは謎だが、前田藤四郎を救うことが出来たのだ。ならばそれで良い。でもこの後どうすればいいのか。審神者を辞めたとして、次の職はどうしようか。その前に皆に一言ずつでも話しかけることが出来ないだろうか。武田さんにお願いして連れてきてもらおうか。そんなことを考えている間にもうとうとし始める。何だか最近こんなのばかりだ。でも意外と体力の消耗が激しい。きっと病院でずっと横になっていたせいだろう。あとは霊力がないのにゲートを潜り、本丸に行ったせいか。あるいは“この世とあの世の狭間”に行ったせいか。分からないが、そのまま目を閉じると泥のように眠った。
 今度は夢を見なかった。怪異に巻き込まれることもなかった。
 目覚めた私は翌日両親と共に実家に戻り、政府から連絡が来るまで“自宅療養兼待機”をすることになった。

「そんじゃあ行ってくるわ」
「あんた、本当に一人で大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。じいちゃんたちの墓参りしてくるだけだから」

 退院してから数日。私は未だに政府からの連絡が来ないため、福岡にある祖父母の墓参りに行くことにした。ホテルは既に予約を取っている。一応自宅療養兼待機の身なので、一泊二日の小旅行だ。適当に荷物を詰めた鞄を肩に引っ提げ、両親に見送られながら飛行機に飛び乗る。
 福岡の実家に行くのは何時ぶりだろうか。祖母は私が産まれてすぐに亡くなった。祖父は高校生の時に、だ。二人が眠る一族の墓が福岡にある。折角生きて帰ってこられたのだ。時間もあるから会いに行こう。と、ふとそう思い立ったのだ。
 福岡に着くまでの間飛行機でのんびりと居眠りをし、着いてから存分に背を伸ばす。晴れ渡った空が清々しい。
 移動はタクシーではなくバスにした。ローカルな旅も悪くないからだ。祖父母の住んでいた地域まで様々なバスを経由しながら進み、着いたら真っ先にホテルへと向かいチェックインをした。

「よし。そんじゃあ行きますか」

 荷物を置き、軽装に着替え靴を履き替えてからホテルを出る。墓の掃除をするためだ。花や水は道中で買えるので、財布と携帯だけを小さな鞄に詰めて歩き出す。
 祖父母の墓は山の麓付近にある。なので購入した花と水を抱えながら田舎道を進むと、虫の声が痛いほどに耳を刺してきた。それをどこか懐かしく思いながら墓地へと進み、一族の墓の前に立つ。

「あったあった。これだ」

 雨風に晒され汚れていた墓の掃除を始める。花を活け、線香に火をつけ、手を合わす。そうして暫く祖父母に話しかけた後、私はふとあることを思い出した。

「そういえば……どっかにじいちゃんと一緒に手を合わせに行った祠があったな。どこだっけ?」

 祖父母の家に行くと決まって祖父は兄と私を連れてある祠へとお参りに行った。確か先祖代々祀っている神様がいるのだとか。
 祖母の墓参りが終わると必ず行っていたので、ここからそう離れていないはずだ。私はあっちへウロウロ、こっちへウロウロとしながら山道を歩き、ついにその小さな祠を見つけた。

「あ! あった! うわぁ〜……小さい頃はそんなこと思わなかったけど、結構小さな祠なのね」

 お参りに来る人が少ないのだろう。お供えされていたお菓子は既にぐちゃぐちゃになっており、私は「これは流石に不味いだろ……」と思ってそれを下げる。代わりに先程お供え用に買ってきた菓子の残りを供え、ついでに汚れていた祠を綺麗にする。

「じいちゃんとばあちゃんが大切にしてきた神様だからなぁ。大事にせんと罰が当たるわ」

 降り注ぐ日差しは周囲の木々が遮ってくれている。そのため比較的涼しい環境の中掃除を済ませると、幾らか綺麗になった祠に手を合わせた。

「今更だけど、じいちゃんとばあちゃんを守ってくれてありがとうございました」

 二人共穏やかに人生を終えた。特別な病気に苦しむこともなく、事故にあうことも、詐欺にあうこともなかった。二人共眠るようにして亡くなった。祖母に関しては知らないが、両親と祖父からそう聞いている。
 先祖代々大事にしている祠だが、これを移すことは出来ないし、頻繁に通うことも出来ない。でも神様は神様だ。私を「主」と呼ぶ神様は気さくだけど、神様が皆そうだとは限らない。無礼のないように挨拶を済ませると、特に寄り道をすることもなくホテルに戻った。一泊二日なんて殆どとんぼ返りみたいなものだ。田舎町だし、特に観光地というわけでもないからホテルに戻ると速攻シャワーを浴びて眠った。
 翌日、私は再び飛行機で空の旅を終えると実家に戻った。政府から連絡はまだ来ない。それでも夜に武田さんからメールで「ようやくお祓いが終わった」と知らされた。あれから既に十日は経っている。相当大変だったのだろう。労わりの返事を入れつつも、旅行から帰ってきたばかりの私はすぐに寝落ちてしまった。

 深く寝入ってどれほどだろうか。私はまたもや暗い中に立っていた。しかし今度は闇の中ではない。淡く優しい光が満ちる中、私はとある光景を目にしていた。

「……あれは……」

 明々と電気がついた部屋。アレは本丸の大広間だ。気づけば私は本丸の中庭に立っており、大広間で宴会をする皆の姿を遠くから眺めていた。
 楽しそうだなぁ。と思いながらもその場から動かずに眺めていると、誰かが大広間から出てくる。その小さな体は庭に下り立つと、どんどんこちらに近づいてきた。
 誰だろう。じっと待っていると、逆光で見えなかった顔が徐々に露になる。少し手前で立ち止まった刀は、『前田藤四郎』だった。彼はあの時と同じように丁寧に腰を折って一礼してくる。それに倣って私も頭を下げれば、彼はまたもや手を差し出してきた。
 でも、いいのだろうか。私なんかがあそこへ行っても。ここはきっとあの本丸だ。すべて落ち着き、呪いから解放されたから世界は穏やかな夜に包まれている。だからこそそれを祝って仲間と共に宴会をしているのではないのか。そこに水を差すわけにはいかない。渋る私に前田は微笑むが、その手を取ることはやはり出来ない。
 そんな私達の元にもう一振り刀が近づいてくる。それはこの本丸では初めて見る、『陸奥守吉行』だった。彼はうちの陸奥守よりも人懐っこい笑顔を向けてくると、前田とは違い強引に私の手を取って歩き出す。

(ちょ、ちょっと……!)

 唇は動いたが声は出ない。夢の中だからだろうか。それともここが“あの世との狭間”だからだろうか。分からないが、慌てる私の背をあろうことか前田が押してくる。その顔は今までと違いとても楽しそうで、彼にしては珍しくニコニコとしている。どうしたものか。悩んでいる間にも大広間へと辿り着き、私は宴会をしている皆の前に押し出された。

(え、えーと……)

 中には多くの刀がいた。そしてここはやはり私の本丸ではない。私のところには顕現していない刀が多くいるからだ。槍や薙刀もいるし。
 しどろもどろになって固まっていると、燭台切が近づいてきた。緊張で身構える私に彼はニッコリと笑顔を見せると、大きな手で背を押し、何と上座に私を座らせる。

(え、あ、あの、ちょっと……)

 どうすればいいのか全く分からない。焦る私を尻目に刀たちはわらわらと群がり、笑顔で酒を注いでくる。いやいやいや、私飲めないんですけど?!?! 声が出ないためどう説明していいか分からず、身振り手振りで「お酒飲めません! ダメ! NO!!」というジェスチャーを一生懸命繰り広げていると、傍にいた宗三がコロコロと笑いだす。それは宗三だけでなく多くの刀がそうだった。そんなに笑うことないだろぉお!! と涙目になりつつ内心で突っ込んでいれば、加州がお猪口を持ってウィンクしてきた。

(え……これ……おさけ、じゃ、ない、よ……?)

 ゆっくりと口を動かす彼が何を言っているのか、頑張って読み解けば「これは酒ではない」と言っているらしい。こちらを安心させるようにニッコリと笑う。

(で、でも、何か悪い気が……だって私、皆の主じゃないのに……)

 何故彼らがこんなにも私に優しくしてくれるのかが分からない。だって私は何もしていない。呪われた本丸を浄化したのは政府だ。私はただゲートを繋げただけ。それも前田が座標値を教えてくれなければ繋ぐことさえ出来なかった。そんな私を何故気遣ってくれるのか。困惑する私に、宗三が微笑む。そして私の手に猪口を握らせると、持っていた徳利から「お酒ではない何か」を注いだ。

(……飲まなきゃダメ?)

 声には出さず伺えば、宗三はニコリと微笑む。無駄に綺麗だからドキッとする。酒ではないとしても本当に飲んで良いのか。もしこれが黄泉の国なら“黄泉竈食ひ(よもつへぐい)”になって、現世に戻れなくなる。私を連れて行く気なのか。それともこれを飲んでも大丈夫なのか。分からず固まる私に向かい、陸奥守が唇を動かした。

(だい、じょう、ぶ……? 本当に?)

 疑って悪いが、命が掛かっているのだ。そんな私に頷いて見せたのは、あの前田藤四郎だった。見渡せば他の皆も一様に頷いている。例えこれが罠であったとしても、抜け出す術を私は持たない。それに囲まれているしなぁ。チビで非力な私が彼らの包囲網を抜けて逃げることなんて出来っこない。ここは腹を決めて飲むべきか。毒を食らわば皿までって言うしな。うん。
 諦めたように息を吐き出し、そして深く息を吸い込み覚悟を決める。そして手にしていたお猪口に唇を押し当て、一気に中身を飲み干した。

(あ。美味しい)

 加州の言う通り、それは酒ではなかった。独特のアルコール臭さはどこにもなく、果実のジュースのように豊潤で甘い香りが口の中いっぱいに広がる。驚いて目を丸くすれば陸奥守はニッと笑い、前田がクスクスと笑う。それからは代わる代わる皆に「それ」を注がれた。味はそれぞれ僅かに違ったが、どれもが甘くて優しい味わいで、舌の上で転がすと幸せな気持ちになれた。
 他にも歌仙や燭台切が沢山料理を運んできてくれた。声は一切聞こえないけど、一生懸命料理の説明をしてくれる二人の話を私も頑張って聞いた。唇の動きを読むのは大変だったが、皆ゆっくり喋ってくれたので聞き返すことは殆どなかった。
 皆も私に構うだけでなく、親しい刀と共に宴を楽しんでいた。声も歌も聞こえない。それでも賑やかであることは不思議と伝わった。
 食べた気がしないほどに料理もお酒に似た何かも質量を感じなかったが、それでもすごく美味しかった。幾らでも入るのが少々恐ろしくもあったが、勧められたものを断るのも忍びない。それにもしかしたら皆、本当の主とこうして過ごしてみたかったのかもしれないし。それを叶えることが出来るのが私なのだとしたら、それを拒否するのは良心が痛んだ。

 長く長い間宴を楽しんだ。そしてようやく解放され、いっぱいになったお腹を摩りながら縁側に出ると、前田藤四郎が近づいてくる。見れば彼の手足に傷は残っていなかった。勿論、私の身体にもだ。どういう理屈かは分からないが、改めて彼に向き直れば何故か両手を取られる。

(え? え???)

 彼は私の手を引っ張って体を起こさせると、どこかに向かって歩き出す。しかしゴール地点はすごく近かった。
 鍛刀場だ。そういえば最初にこの本丸で『前田藤四郎』と会ったのはこの鍛刀場だったっけ。中を覗けば既に火が灯っており、いつでも鍛刀出来る準備が整っていた。

(え? ここに座るの? 座って待っていればいいの?)

 前田が傍にあった長椅子に私を座らせる。言葉での意思疎通が難しいため焦るが、彼は焦る私を安心させるように頷くと、一度この場を離れる。代わりに現れたのは陸奥守だ。その手には資材が入ったケースがある。どうするつもりなんだろう。鍛刀するつもりなのだろうか。彼らの意図が掴めず着々と資材を運んでくる陸奥守をただ眺めていると、前田が戻ってくる。その手には四つの桐箱が抱えられていた。

(これを、私に……?)

 差し出されたのはその中の一つだ。一番上の桐箱を差し出され、両手で受け取る。それなりの重さを持つ箱に視線を落とせば、見たことのある家紋が焼つけられていた。
思わず、目を見開く。

(これ……鶴丸の……)

 呆然と前田を見つめれば、彼は穏やかな表情で一つ頷く。開けてみろ、ということだろうか。恐る恐る蓋を開けてみれば、そこには粉々に砕け散った“私の”鶴丸が丁寧に収められていた。

(鶴丸……どうしてここに……まさか、拾ってくれたの?)

 あの日、私は砕けた彼らを拾うことが出来なかった。今頃本丸では彼らの破片が無残に散らばっているはずなのに、細かな破片も全て桐箱の中に収まっている。他もそうだ。鶯丸、江雪、大典太。三日月の桐箱だけはなかったが、他の皆はここに揃っている。そこであることに気が付く。先程の宴会場でこの五振りの姿は見えなかった。
 もしやと顔を青くする私だが、前田はそれには答えず桐箱を持つ私の手を引き、炉の前へと立たせる。そして陸奥守は資材を私の足元に運び、穏やかな目で見つめてきた。

(……まさか、コレを鍛刀するの? 折れた皆を使って……?)

 どうなるかは分からない。そもそもそんなことをしていいのか、妙なことが起きないのか。不安がる私に陸奥守は安心させるように笑顔を作り、前田も力強く頷いた。そして炉へと導く。陸奥守が炎の中へ資材を放つ。パチパチと火花が散る中、私は折れた鶴丸をじっと見つめ、考えた。

(……大丈夫。絶対に、大丈夫だよね……)

 祈るように目を閉じる。いつまでも立ち止まってはいられない。折れた彼をそのままにもしておけない。
 覚悟を決めると、閉じていた瞼を開け一思いに彼を炉の中へと放つ。ゴウッ、と音を立てて燃え上がる炎は赤々と美しく、力強い。
 備え付けられていた時計に文字が刻まれる。常ならば鍛刀時間が表示されるが、何故か文字化けが起きて何を示しているのかサッパリ分からなかった。更には時を遡るようにして通常とは逆方向に文字盤が回り出す。どういうことだろうか。不安に思う私の手を握り、前田が再び長椅子に座らせる。そして私を挟むようにして前田と陸奥守が座り、一人と二振りでじっと燃え上がる炎を見つめた。
 会話はなかった。それでも不思議と嫌な空気は流れず、ただじっと時が過ぎるのを待つ。その間他の刀は誰もここには近づいて来なかった。
 一つ、また一つと文字盤が動く中、ようやく終わった頃には随分と時間が過ぎていた。とはいえ時計がないのであくまでも体感だが。それでも不思議と飽きはしなかった。
 火が落ちた炉の中から一振りの刀を陸奥守が取り出す。それは受肉することはなかったが、一振りの美しい刀へと仕上がっていた。

(鶴丸国永……私の、私の鶴丸)

 陸奥守から鶴丸を受け取る。ずっしりと重たい刀を鞘から抜き出せば、その刀身は粉々になったのが嘘のように美しい姿を見せてくれた。

(よかったね、鶴丸。綺麗になって)

 刀身を鞘に戻し、ギュッと抱きしめる。例え顕現しなくとも、彼を綺麗な形に戻すことが出来て嬉しい。いわば死化粧のようなものだ。綺麗な姿で彼を送りたい。
 鍛刀場は本来なら二つ、ないし四つ稼働しているはずだが、今は一つしか動いていない。そのため一振りずつ時間をかけて鍛刀するしかなかった。しかもそれはすぐにとはいかず、一つ鍛刀が終わると夜が明け、鍛刀場はその活動を停止した。火が点かないのだ。どうやら鍛刀は夜にしか出来ないらしい。
 鍛刀場を出ると、雲一つない青空が私たちを迎え入れた。この時初めてこの本丸で夕暮れ以外の空を見た。
 一晩中起きていたが眠気は来ず、庭ではしゃぎ回る短刀たちに手を引かれ一緒に遊んだ。声は相変わらず聞こえない。それでも、もう困ることは何もなかった。

 夜が更けるとまた一振り鍛刀した。今度は江雪だ。彼も綺麗になって戻ってきた。そしてまた夜が明ける。
 今度は燭台切や歌仙と一緒に料理をした。昼時には堀川と一緒におやつを作り、夕方になれば取り込んだ洗濯物を皆で畳んだ。そして夜になり、また一振り鍛刀する。今度は鶯丸だ。欠けることなく戻ってきた彼を胸に抱き、私は夜が明けた本丸の中へと戻る。
 今度は宗三や小夜と一緒に縁側に並んでお手玉をした。初めて挑戦するため上手くいかず落とす私の隣で、宗三はコロコロと笑いながら上手にお手玉をした。刀のくせにずるい。不満を露にぶすくれる私を更に笑いながら、宗三は私の隣で遊ぶ小夜に優しい瞳を向けた。ここに江雪はいない。それでも二振りは何も言わなかった。
 ここにいる宗三も小夜も、私の本丸にいる二振りとはちょっと違う。宗三は意地が悪いところは似ているが、基本的に笑い上戸で悪戯好きだ。小夜はこちらでも大人しいが私の傍を離れることはせず、一日くっついて回った。そしてその夜大典太を鍛刀した。半身を失った彼も見事に戻った。私は三日月以外の刀全てがこの手に戻ったことに安堵し、そして同時に悲しい気持ちになった。

(皆、いなくなっちゃったね……)

 この本丸に残っているのは、私以外では陸奥守と前田だけになっていた。最初から気づいていた。鶴丸を鍛刀してから日に日に刀が減っていることに。それも一振り、また一振り。というわけではなく、多くの刀が一度にごっそりといなくなっていた。これに気づかないほど馬鹿ではない。それでも彼らは既に折れた身だ。理由はどうであれ、彼らに未練や後悔が無くなったのであればそれで良い。
 鍛刀場にいる時のように陸奥守と前田の間に座りながら、晴れ渡る空を見上げる。

(もう、お別れなのかな)

 私の膝の上には四振りの刀がある。受肉していない、彼ら本来の姿だ。例え分霊であっても、私の刀であることに変わりはない。そっと彼らを撫でる私の隣で前田が立ち上がる。そして彼はある部屋へ向かい、その手に一つの桐箱を抱えて戻ってきた。そして床に両膝をつくと、優しく微笑みながらそれを差し出してくる。

(……三日月、宗近……)

 蓋に焼き印されていたのは三日月の家紋だ。私は震える手でその桐箱を受け取り、ギュッと抱きしめる。

(ありがとう……皆、本当にありがとう……)

 三日月の入った桐箱を一度床に置き、前田と陸奥守を抱きしめる。彼らともお別れだ。私は、もうここにはいられない。体を離した私を二振りは穏やかな顔で見つめてくる。
 この数日一緒に過ごして分かったことがある。ここにいる『前田藤四郎』はあの木箱の中に収められていた刀だ。彼はこの本丸で、あの男が初めて鍛刀で呼んだ刀だ。そして陸奥守は怪異として見た夢の中で拾い上げた、あの男に足蹴にされていた刀で間違いない。彼はこの本丸での初期刀であり、私の陸奥守とも僅かにだがリンクしている。そう、彼が教えてくれた。

(ありがとう。私、頑張るから。絶対に負けないから)

 もう何があっても、例え涙を流したとしても、挫けたりはしない。歩むことを止めない。立ち止まっても、また必ず歩き出すから。
 約束するように二人を見つめれば、二振りは安心したように笑ってくれた。そして鍛刀した刀と三日月が入った桐箱を持たせると、私を城門の外へと連れて行く。

(ありがとう、皆。本当に、ありがとう。……さようなら)

 私が立っていた場所から亀裂が入り、本丸が雪崩のような速さで崩れていく。その中に陸奥守と前田は立っており、二振りは笑顔で手を振ってくれた。だから私も精一杯笑って手を振り返す。“ごめんね”と“ありがとう”を繰り返しながら、大事な刀を抱え、あらん限りの力で手を振った。
 気がつけば私は自分の部屋の天井を見上げており、その腕には四振りの刀と桐箱が抱えられていた。私は起き上がると再度それを胸に抱く。強く、強く。

「……ありがとう」

 何度口にしても足りない。心からの感謝を込めて呟き、立ち上がる。居間に向かえばぐったりとした様子の母がソファーに座り込んでいた。
 だと思った。私は再び生死の狭間を彷徨っている、とでも言われたのだろう。母の小さな肩を叩けば、転寝していたらしい母は飛び起き、私を見ると泣きながら怒った。
 もう大丈夫だよ。と言っても俄には信じてもらえず、杉下先生に連絡を取ってからも「もう審神者になんかならないで」と縋られた。だけどそういうわけにもいかない。私にはやらなきゃいけないことがある。背負った責任がある。命がある。彼らの気持ちを無駄にすることは出来ない。
 それに――

「大丈夫。もう大丈夫だよ。絶対に大丈夫だから、もう泣かないで」

 嘆く母と渋る父を説得し、私は自身の本丸へと帰る準備をする。両の腕に四振りの刀と三日月の入った桐箱を抱えて。
 家を出る前に武田さんから連絡が来た。彼の本丸から私の刀たちがいなくなったそうだ。でも私には分かる。皆先に戻っただけなのだ。私を迎え入れるために。

「大丈夫ですよ。皆、私の帰りを待っているだけですから」
『だ、大丈夫って……』

 絶対に、大丈夫。
 その言葉が私を強くする。迎えに来た武田さんと太郎太刀さんに「こんにちは」と挨拶すれば、二人共ぎょっとした顔をした。それもそうだろう。霊力が無くなったはずなのに、私には太郎太刀さんが「見えている」のだから。顔を合わせる二人に連れられ、私は政府が管理する施設に設置されたゲートを開く。
 彼らを拒んでいた私の本丸は、主である私がアクセスすると簡単に開いた。

 世界が繋がる。青い空が見える。
 そして潜った先に並ぶ三十振り近くの刀の姿を見て、私はありったけの声をあげた。

「皆、ただいま!」

 笑う私に皆が駆け寄ってくる。退院した私を迎えてくれた時のように、沢山の言葉を掛けながら。あの襲撃が嘘のように綺麗に整えられた本丸は、きっと皆がしてくれたのだろう。
 あの時ごっそりいなくなった刀たちの気配を、この本丸から感じることが出来る。

「あなたもありがとう。ただいま」

 本丸の柱を一撫でし、玄関を潜る。その際に陸奥守の袖を引けば、彼は「分かっちゅう」と頷いた。彼は私の知らないことを知っている。だから話を聞かなければならない。
未だに受肉をしない刀たちを抱えながら、私は皆に連れられ、武田さんたちと共に大広間へと向かう。

 すべての謎を、今こそ解き明かそう。

 辿り着いた大広間で私の隣に陸奥守が座り、武田さんと太郎太刀さんは陸奥守とは反対の位置に座す。皆もそれぞれ定位置に着き、私たちを見た。
 事の全貌を掴むための話し合いが今、始まろうとしていた。





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