小説
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 水野さんの本丸で大規模な襲撃事件が起きてから早数日。俺は部下の柊と共に彼女が入院している病院へと足を運んでいた。

「先生、彼女の様子はどうですか?」
「うーん……意識は戻っているんだけどねぇ……」

 病院についてまず顔を出したのは、うちのお抱え医師である「じいちゃん先生」こと杉下先生の所だ。御年六十五歳。医師として働き始めて三十年以上のベテラン医師だ。元々家系的に医療従事者が多いらしい。そのせいかは分からないが、昔から強い霊力を持っていたそうだ。その噂を聞きつけたうちの上司たちが審神者たちの医師になってくれ、と頼み込んだ。最初は色々揉めたらしいが、今は多くの審神者のためにその力を振るってくれている。
 そんな彼にかかれば大概の審神者の容体は良くなるのだが、今回ばかりは雲行きが怪しいようだった。

「意識は戻った。だがそこに“意思”がない。会話を試みても何回かに一度返事があるくらいで、殆ど人形のような状態だ」
「人形?」
「ああ。文字通り“心ここに非ず”だな」

 柊の肩が落ちる。それもそうだろう。俺たちは彼女の命が最も危険に晒されていた時、何もできずに立ち往生していたのだから。

 あの日、彼女の本丸は朝から可笑しかった。全国の本丸を管理している部署の人間から連絡が入り、彼女の携帯やパソコンに連絡を入れても一向に繋がらなかった。それどころかメールはエラーで返ってきたのだ。これは可笑しいと思い彼女の本丸にゲートを繋げたが、それも初めは全く繋がらなかった。むしろ何度か繰り返しているうちに別の本丸へと飛ばされたりもした。
「非常に強力な結界が張られている」そう口にしたのは石切丸で、太郎太刀も「不穏な気配を感じる」と真剣な表情で進言してきた。
 その後もあらゆる方法でアクセスを試してみたが、一度たりとも彼女の本丸に辿り着くことが出来なかった。見かねた柊が自身の祖母に連絡を取り、事情を説明した。聞けば柊の祖母は占い師をしていたそうで、こういったもの全般に知識があるらしい。実際に話を聞き終わると、彼女の祖母は驚くべきことを口にした。

『驚いたねぇ。今時そんな結界を張れる人間がまだいたとは……それはちょっとやそっとじゃ壊れないよ。何せ“命”を対価にしているからね』

 柊の祖母は“呪術”を扱っていた家系の出らしい。呪術といっても“他者を呪う”方ではなく、祈祷師や憑き物落としを主に行っていたらしい。実際柊の実家には多くの重要参考文献が残っており、柊はその祖母に習って幾つか簡単な“呪(まじな)い”や“占い”が出来た。
 占い、と一口に言っても運勢を調べるものではない。“占術”には幾つか種類があり、その中でも柊や彼女の祖母が得意とするのは“吉凶”を読み解くものだという。大雑把に説明すると風水に近いものなんだとか。そして驚くことに柊の祖母は占術だけでなく、陰陽道にも精通していた。

『相当厄介だよ、それは。壊すことは諦めなさい』

 諦めろと言われてもこちらには人命が掛かっている。刀剣男士たちだけならまだしも、「人間」がいるのだ。その人を放ってはおけない。そう説明すれば、柊の祖母は俺たちに一つの方法を教えた。

『ただし、これはあくまでも“目的地に辿り着く”ことしか出来ない。そこから先は結界が壊れない限り何もできないよ』

 元々辿り着くことさえ出来なかったのだ。それだけでも十分だと答え、柊は祖母にその方法を教わった。そして彼女が教わった通りに“道”を作り、俺達はようやく彼女の本丸前へと辿り着くことが出来たのだ。

「な、何だこりゃあ……」

 しかし辿り着いた彼女の本丸では、政府に勤めて長い俺でも初めて目にする光景が広がっていた。

「これは……酷いですね……」

 太郎太刀でさえ口元を袖で覆う。彼女の本丸へと続く道は酷い有様だった。
 周囲に覆い茂っていた草木は全て腐り、根元から倒れていた。踏み倒されている痕も幾つかあったが、その殆どが瘴気などの毒物に耐え切れず枯れ果てているように見えた。張られた結界の向こうでは門が完全に破壊されており、ひしゃげた門が地面に転がっていた。それだけで彼女の本丸に力づくで押し入ったこということが理解出来た。
 だが覆われている結界のせいで中で何が起きているのかは分からなかった。音も遮断されているのか、耳が痛いほどに周囲は静まり返り、何も聞こえなかった。
 柊は“道”を作る役目があるためこちらには来られなかったが、代わりに第一部隊を寄越してくれた。こちらも同じように部隊を引き連れていたが、皆何かを感じ取り、口々に「嫌な気配だ」「禍々しい気に満ちている」「酷い穢れを感じる」と表情を歪ませていた。逸る気持ちが募る一方で、俺達は待つことしか出来なかった。一分一秒が何十分にも何時間にも感じられる中、遂にある時結界が壊れた。

「行くぞお前ら!!」

 結界が壊れ出すと同時に刀たちが本丸に向かって駆けだす。乗り込んだ先では満身創痍の刀たちが遡行軍と白刃戦を繰り広げており、俺達は早急に奴らの殲滅に取り掛かった。途中髭切と膝丸が何かを察知したらしく、馬を別方向に走らせた。その頃には殆どの遡行軍を殲滅しており、俺はその間戦場を駆け抜け審神者である水野さんを捜した。だがいくら探せども彼女の姿はどこにも見えない。

「おい! 水野さんはどこだ?!」

 何よりも優先すべきは彼女の命だ。彼女の性格を思えば素直に隠れているとは思えず、こうなれば一部屋ずつ探していくしかないか。と本丸内へと踏み込もうとした時だった。彼女の刀たちに異変が起きたのは。

「鶴丸?! どうしたのさ!?」

 加州の切羽詰まった声が耳に入る。その声につられてそちらを見れば、広がる光景に思考さえも固まった。

「ようやく止まったと思ったら……今度は氷漬けか……? やれやれ……こんな驚きは求めていなかったんだがなぁ……」

 理由は不明だが、仲間に刀を向けていた鶴丸の体が地面に沈むと同時に結晶化していく。そして鶴丸だけでなく鶯丸、江雪、大典太が続々とその場に倒れ、その体に亀裂が入り始めた。

「どうなってんだ、こりゃあ……」

 今まで多くの事件を目にしてきた。沢山の審神者と共に怪異や事件を乗り越えてきた。だがこんな風に刀剣男士が結晶化したり、体中にヒビが入ったり、石膏のように壊れていく姿など見たことがない。唖然とする俺達を余所に、水野さんを背負った陸奥守と彼女を探しに行っていた加州が戻ってきた。

「主!」
「皆、無事だったんだ……!」
「それはこっちの台詞だ! それよりも主、鶴丸たちが……!」

 駆け寄った和泉守に手を引かれ、水野さんが俺たちの前に立つ。そして結晶化し、崩れつつある刀たちの前へと歩み出た。
 それから先は見ている方が辛い程の別れだった。刀も審神者も酷く傷ついていた。刀剣男士は勿論のこと、審神者である水野さんも手足を斬られていた。それでも皆散り逝く仲間との僅かな時間を刻み込むように会話をし、大いに泣いた。
 特に審神者である水野さんは子供のように泣いていた。ただでさえ小さな体を更に丸め、折れた刀の破片を強く握りしめながら何度も「ごめんね」と繰り返していた。傍にいる刀たちは彼女を守るようにして寄り添っていた。まるで一つの映画を見ているような気分だった。それほどまでに短くとも壮絶な時間だった。

 彼女の手足に受けた傷は深かった。しかし不思議なことに出血は少なかった。大した止血もしていないのに、だ。それは泣き疲れて意識を飛ばした彼女を病院に運んだ時に分かり、杉下先生は首を傾けていた。
 とはいえその傷は一生ものだ。足は完全に筋肉が断たれており、どれほど時間をかけてもまともに歩けない可能性が高い。それどころか立つのも暫くの間は補助なしでは難しいだろう。そして腕も上腕から手首まで一直線に切られている。後遺症として痺れや感覚の麻痺があるらしい。そのため数年のリハビリを得てようやく鉛筆が握れ、文字が書けるようになるだろう。という僅かな回復しか見込めないのだと診断された。
 短い時間で彼女が失ったものはあまりにも多い。命が無事なだけよかったじゃないか、と言われたらそれもそうなのだが、彼女は大事な刀を五振りも失っているのだ。身体に傷を負ったショック以上に心に傷を負ったことだろう。あの別れを見ていたらそう思わざるを得なかった。
 そして今。彼女は目覚めていても心ここに非ずの人形と化している。彼女のご家族も大変なショックを受けており、今はまだ面会謝絶ということだった。

「私も色んな患者を診たが、あまり見ない例だよ。今回のは」
「と言うと?」

 杉下先生は掛けていた眼鏡を外すと、指先で数度机を叩く。これは彼が言葉を探している時の癖みたいなものだった。

「そうだねぇ……完全に魂を持って行かれているならまだしも、彼女の魂はこの世とあの世を行き来している。それも絶妙な塩梅でね」
「まだ完全には連れて行かれていない、ということでしょうか?」

 何だかんだ言って柊は水野さんのことを気に入っている。今はまだ他人行儀な連絡しか取っていないが、以前はこの件が終われば一度ゆっくり話がしたい。と言っていた。
 だが今はそれも叶うかどうか怪しい。神に気に入られるとこういう時に厄介なのだ。だから俺達政府の人間は必要以上に刀たちとはコミュニケーションを取らず、一定の距離を保つようにしている。むしろ規則として審神者にも徹底しなければいけないことだ。だが徹底させようにも既に遅く、審神者の数に対し政府の手が足りないのが現状だ。

「シーソーゲームのようなものだよ。付喪神である彼らが彼女を気に入り、本気で囲いに来たならば……我々に出来ることは何一つない」
「……可能性は、どれほどでしょうか」
「今はまだ五分五分だね。こちら側に帰ってくる時もあるから。……あとは、彼女次第さ」

 今まで多くの審神者を見てきた。そして時には看取ることもあった。それは病であったり寿命であったりと理由は様々であったが、時には崩壊した本丸の中で魂を持って行かれた審神者もいた。しかしそういった審神者の多くは肉体ごと消失している可能性が高く、稀に肉体が残っていてもミイラのように干からびていたり、植物人間のように中身だけが抜き取られていた。
 刀たちに怨まれていた場合はもっと悲惨だ。無残な姿で発見されるなんてざらで、特に数年前まで蔓延っていた『ブラック本丸』を運営していた審神者の多くが不可解な死を遂げていた。全ての関節が逆方向に捻じ曲げられていたり、肉体をバラバラにされていたり。それらの処理をするのは裏家業の人間たちに頼んだが、おおよそ気分のいいものではなく、眠れぬ日々を過ごしたことなど数えきれないほどにある。
 今回の場合は好かれているが故に連れて行かれそうになっているケースだ。今はまだ彼女の“意思”はこちらに戻ってくる時もあるらしいが、このまま何もせずにいれば連れて行かれることは明白だ。しかし外部から出来ることは少ない。精々が家族や友人、恋人などに声を掛けて貰ったり、触れてもらうことぐらいしかないのだ。

「今はご両親が時間を縫って会いに来てくれているようだよ。日中殆ど寝て過ごしているからね。彼女がこちらに戻ってこられるのを祈るばかりだよ」
「そうですか……分かりました」

 杉下先生に何かあったら連絡をくれるよう話をつけ、俺達は病院を後にする。

「水野さんは、大丈夫なのでしょうか……」
「さあな。あんだけ刀共に好かれてたんだ。連れて行かれちまう可能性も高い」

 だが、それでも。それが本当に彼女にとっての幸せなのか。分からない刀たちではないはずだ。
 彼女は決して世捨て人ではない。こちら側に帰る場所を持ち、親しき友人を持ち、自身の帰りを待ってくれる家族がいる。
 あの世とこの世の狭間で彼女が一体何をしているのか。そして神共は彼女をどうしようとしているのか。分からないまま病室を見上げることしかできない俺達は、どれほど刀の練度を上げようとも今は無力な存在だった。



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