小説
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 私の一族はかつて都に名を馳せた“陰陽師”の裏家業を務める一族だった。暗躍するのが忍者だけだと思ったら大間違いだ。上に立つ者は常に影なる者を使い、権力を手にしてきた。その中でも特に重宝されたのが“呪術者”たち。そう。我が一族のことだ。
 朝廷に仕え、主人が望むままに人を殺めてきた。呪い、呪われ、更に呪う。何人かは呪い返しにあって命を落としたりもしたそうだが、私はそうはいかない。私は過去最高と呼ばれし先祖の力を持って生まれたのだ。私はこの力を、この家を、立ち上がらせるために生まれたと言っても同然だった。それは唯一“術者”として存在していた祖父の悲願でもあった。

『人を呪わば穴二つ……大事な言葉だが、真の実力者には縁遠い言葉でもある。お前はご先祖様の力を引き継ぐ者……決して屈してはならんぞ』

 祖父は先祖代々継いできた呪術に関する本を全て読破し、私に教えてから亡くなった。彼の術者としての実力は二流止まりではあったが、それでも私にとっては師も同然。師の悲願は弟子の悲願でもある。今更“陰陽師”という名を世に知らしめたいわけではないが、この数多の術を、素晴らしき知識を、世に残すことは大事なことだと幼き頃から思っていた。それはある意味では純粋なものであっただろう。『価値ある知識を後世に残す』という意味では。しかし私は成長するにつれ、祖父が感じていた以上の実力を自分自身に感じ始めていた。
 祖父が守ってきた術書を読み解くだけではない。実際に幾つも“呪うための道具”を作り、試し、成功させてきた。時には失敗することもあったが、呪い返しにあってもまたそれを返せば済むこと。それだけの実力は有していた。先祖は幾つも術を残していた。人を呪うのにこれだけの術があるのかと思えば笑えてきたが、何も“呪う”だけが術者ではない。人を騙す、物の怪を呼び寄せる、病に貶める、動物を憑かせるなど、他にも様々な術や呪い返しの方法が残されていた。
 その一つ一つを私は幼い頃から実験し、実力を高めてきた。元より高かった霊力はそれらを重ねるごとに更に増し、大学を出る頃には既に政府から声が掛かっていた。実力を発揮できる場所が欲しくはないか、と。
 この頃から水面下で繰り広げられていた戦争が露になってきた。歴史修正主義者。私にとってはどうでもいい存在ではあったが、魅力的なのは政府側の説明にあった。

――刀剣男士。そう。“神”を使役できることだ。しかも何度折れてもまた呼び出せる、高性能の実験体。
 私にとってはこれ以上にない環境だった。

 とはいえ何事も思い通りにいくものではない。誰だって初めは下っ端からのスタートだ。だがこの時に何をするか、どう動くかで将来が変わるというもの。私はこの時既に見目を騙す術を覚えていたので、それを駆使して様々な部署を渡り歩いた。刀剣を調べる部署、審神者に関する部署、そして歴史修正主義者が現れる場所を測定する部署。細かに別れた部署を見て回るのは、遊園地や博物館で遊ぶのと同じように面白いことであった。そして私はその間も慢心することなく自身の実力を高めるために努力を重ねた。勿論、審神者業も行いながら。
 その甲斐あってか、数年後には他人の脳みそを騙せるほどの実力を持つことが出来た。その一つが他部署に顔を出しても『同部署の人間である』と錯覚させることである。この術は非常に簡単だ。必要な札を部屋の四方に張り付けておけば良いだけのこと。それだけでその場にいる時は疑われずに済む。そして出入口には別の術を仕掛けておく。“忘却の術”だ。それが正しく発揮されれば私の存在は頭の中から抜け落ちる。幾重にも実験を重ねた上での成功は当然のことだ。
 だが何もないのにそれらを張り付ければ疑われるもの。だから私は一度政府の施設を“遡行軍”に見せかけた“我が部隊”に襲わせた。そう。この本丸と同じように。使ったのは第四部隊。一番練度の低い刀たちだ。それらに政府を襲わせ、恐れた彼らに私はこう言った。

『私が結界を張りましょう』と。
 真面目に仕事をこなし、霊力も実力も申し分ないと判断されていた私がこう言えば周りがどう反応するか。私は望んでいた通り各部署に結界改め、自らの欲を満たすための術を展開させることに成功したのだ。全てがトントン拍子に進んだ。まさしく私の望むとおりに。だが同時に限界も感じていた。私は刀剣男士、付喪神である彼らを超えることが出来ないのか、と……。

 力が欲しかった。誰よりも、どんな存在でも使役し、思い通りに動かせる力が。

 私は一度実家に戻り、祖父が守ってきた書庫を漁った。それこそ刀たちと同じく何百年と守ってきた知識たちだ。あまりにも古いものは写しが存在していたため、それらに頼りながら私は探した。自らの霊力を高める方法を。
 そして見つけたのだ。あまりにもリスクが高いため封印されていた一つの方法を。

 それが、霊力の高い存在の『肉を喰う』ことだった。

 元は竜や鬼の肉を喰うというものであったが、竜も鬼も神も一緒だ。己より強く、霊力が高い存在。それらの肉を喰えば“人”でなくなる半面、強くなるというものであった。早速私は試すことにした。しかし『お前たちを食わせろ』と言ったところで「分かりました」と頷く存在ではない。それに私は必要以上に刀と接してこず、親睦を深めていなかった。そのせいか彼らは私に対しどこか『警戒心』を抱いており、近づくことは容易ではなかった。しかし、そんな中二振りだけ私を信頼している刀がいた。
 それが初期刀である『陸奥守吉行』と、初鍛刀で来た『前田藤四郎』であった。
 私はまず『前田藤四郎』の声を奪い、肉体を奪い、刀だけに戻した状態で『蟲毒』の壺の中に沈めた。そして呪い返しされる前に陸奥守を呼び出し、前田同様声を奪ってから彼の肉を食んだ。人と同じように血が滲むのが不思議な感覚だったが、陸奥守自身でその両手を串刺しにし、更に術で身体の自由を奪ってから喰った。美味くはなかった。まぁ元より刀だ。鉄の味しかしなかったが、私の霊力は確かに上がった。そう。上がったのだ。限界を感じていた私の力が、開け放たれた窓のように力が解放されていくのを感じた。

 それからは力の弱い短刀から喰っていった。中でも三条や来派といった名だたる刀を喰った時は力の上がり方が大きかった。だが藤四郎たちはそこまで上がらず、殆ど力にならなかった。次に脇差、打刀、太刀、大太刀、槍と大物を狙い、遂に私は殆どの刀を喰うことに成功した。
 その頃には前田も『蟲毒』の中で新たな刀として存在していた。『呪いに身を浸した短刀』。喰われていった虫達の怨念を吸い取り、前田藤四郎はまた一つ強くなった。だがそれだけではない。私は新たな木箱を用意していた。そこに取り出した前田藤四郎を入れ、再び蓋を閉めた。それで完成だ。

 その後も私は何度も刀を喰った。今顕現が可能となっている刀は大概一度は喰っているのではなかろうか。正直もう覚えていないほどだ。そして力が高まれば高まるほど新たな術を試したくなるというもの。私は自らにとって『最高傑作』と呼ぶほどに強い刀が欲しくなった。そこで選んだのが『三日月宗近』だ。実力も振るうことにも申し分のない刀。だが思うままに操るには少々骨が折れる。だからこそ新たな“実験道具”としてはうってつけでもある。私は様々な術を彼に繰り返した。途中折れる三日月もいた。何振り犠牲にしたかは覚えていない。どうせ呼べば来る身だ。私はこの時既に殆どの刀を自由自在に呼び出すことが出来ていた。それだけの力があった。だから何度も『三日月宗近』を鍛刀し、術をかけ、折れたらまた次を呼び、実験を繰り返した。
 膨大な時間をかけて出来上がったのが、この『三日月宗近』だ。練度は最高練度に達しているだけでなく、私の術で更に強化までした。そんな最高傑作に満足したのも束の間、私はこの頃から自身の身におかしなことが起きていることを肌で感じていた。

「贄を捧げるか……しかし昨今赤子の魂はそう易々とは手に入らん……だが審神者なら……こちらで管理も出来るし、神に好かれていれば尚の事贄として最適だ。そうだ。審神者を捧げよう。神に好かれたその身を捧げれば、きっと奴らの関心はそちらに向く。その間に私は更に強くなればいい。何、難しいことではない。どうせ審神者など履いて捨てるほどいるんだ。一人か二人いなくなったところで何も変わらんだろう」

 神に生贄を捧げるのは太古の昔からあることだ。私は早速審神者を管理する部署へと赴き、様々な審神者と顔を合わせてきた。当時はまだ『ブラック本丸』が多かったので、神に好かれている審神者は多くなく、私は悩んだ。しかしこれはある意味転機だ。神に好かれるばかりの審神者の元では実験できないことをするチャンスでは? 思い立った私は早速本丸へと赴き、本丸にどのような仕掛けが効くのか実験を始めた。審神者の霊力と私の霊力が混ざってもバレないのかというのは勿論、鍛刀場を繋げる“道”を作る練習台にしたり、我が部隊が相手にどう見えるのか、ちゃんと“遡行軍”として刀剣男士からでも見えるように術が掛かっているかなどの実験を施した。何度も何度も。数多の本丸を犠牲にしながら、私は確実に一つ一つの術の完成度を高めていった。

 そして遂に見つけたのだ。“贄”として捧げるに適した人材――水野と名乗る女を。

 こいつは自分では気づいていないが、稀有な魂を持っている。霊力がないのはその対価なのか、しかしそれでも、お釣りが出るほどの価値がある。

「そう……あなたは神の贄として捧げるには十分な実力を持った存在なのですよ。水野さん」

 彼女の体に流れる血は極上の美酒。柔い肉は献上するにあたって最高級の肉となる。竜や鬼がいればこぞって手に入れたいであろうその真の価値は、それを作り出す魂にある。

「あなたの家系は特別なものではありません。よくある百姓の出です。ですがあなたの先祖が暮らしていた地域は霊山に近く、あなた方は遥か昔より“神”と共に生きてきた一族です」
「か、神様と一緒に……? っていうか霊山って……よく分かんないんですけど……」

 満身創痍の三日月の後ろ、地べたに座り込んだままの水野が混乱を露にしている。それもそうだろう。昔ならばともかく、今は『神』という存在の認識が薄い時代だ。特に彼女は『現代人』としての傾向が強い。他者に関しての興味が薄く、他の審神者とも繋がりを深く持たない。ワンマンタイプの人間だ。情報は政府に直接問い合わせる傾向にあるためこちらからの情報操作がしやすく、また驚くほど他人を疑わない性格のため素直に物事を信じやすい。
 こうした流されやすい人間と言うのは非常に助かる。そして一番助かっていることは、彼女が『興味を持つこと以外に関する関心が薄い』ということだ。昔は『助け合い精神』などという言葉で余計なお節介を焼く人間が多々いたが、若人の間では減ってきている。そして様々な情報、ジャンルを取捨選択できる分関心のないことに関しては誰もが簡単に切り捨てることができ、自分にとって都合のいい状況を作り上げることも出来る。周囲との繋がりが薄いうえ、刀たちには存分に愛されている。これ以上の贄はいないだろう。特に霊力も少なく、刀も育っていないという限定された中では。鴨が葱を背負っているようなものだ。私にとっては、だが。

「自らの出自、あるいは家系図を理解していないなど珍しいことではありません。またその血縁者が誰であるか……なども殆どの方は知らずに生きています。ですがそれを辿る術がないわけではありません。私も贄に捧げる存在については幾人か目星をつけ、その身元を確認すると共に家系図を辿り、その者がどのような血筋であるかを確認してきました。中には巫女やイタコといった霊能者を輩出した家系もありましたが、あなたの家系ではそのような人はいませんでした。ただ、今いる審神者の中でも上位に入るほど、神と深く関わっていた家系ではあります」
「ど、どういうことですか……」

 本当に知らないのだろう。そして実感すらしていない。どこまでも鈍く、穢れを知らない子供のような魂。それが、この者を贄に選んだ理由でもある。

「あなたの先祖は昔、日本でも有数な霊山の一つの麓で暮らしていました。霊山とは穢れなき神々が住まう山……そしてその麓で暮らすのは容易ではありません。何せ神と最も近い場所にいるのですから。悪事は勿論のこと、穢れを持つことも許されません」

 穢れ、は禊によって落とすことは出来るが、彼女の先祖の多くがそれを必要としなかった。何故なら神に愛され、それに応えるようにして精神を穢さぬよう、慎ましく生きていたからだ。霊山の麓という辺境の地であったため戦にも殆ど参加せず、日々土地を耕し神に祈りを捧げるだけ。幼き子供たちは霊山で神や木霊と語らい、大人になれば神に供物を捧げ、大地や空を見ながら占いをし、子供の健やかなる成長を願う。小さな集落の中で、大きな発展をせずひたすら“命”や“神”と密接に関わり生きてきた。その穏やかなる血が、魂が、神に何代にも渡って愛され、大切にされてきた。それは残された僅かな文献で読み取ることが出来た。例え厄災が起きたとしても、彼女の先祖は人柱を建てることをしなかった。むしろ神がその血肉を求めることがなかったと言ってもいい。殆どが作物の奉納だけで厄災をやり過ごしていたのだ。京の都で人を呪う術ばかり継いできた我々とは正反対の生き方をしていた。
 だからこそ彼女は人より鈍くもあるのだろう。そして人や神の機微に疎くとも憎まれずしていられるのは、受け継がれし加護があるからだ。彼女は今も神々に愛され、私の術を以てしてもすぐに命を落とすことがなかった。現に今もそうだ。私が掛けた数多の呪いに抗い、三日月宗近が死を覚悟の上で歯向かっている。自らの背に庇うようにして立つのもそのせいだ。そして彼女はそれを『当たり前』のように受け入れている。護られることに慣れている血筋だからこその傲慢さ。
 それが、少しばかり羨ましい。
 人を呪い、蹴落とし伸し上がってきた我が一族とは違う。生まれながらに神に寵愛され、護られてきた魂。だからこそ、その命を血に染めて捧げてやるのだ。私を呪う、神共に。

「あなたは生まれながらにして“神”に愛され、加護されている身……羨ましい限りですよ。京の都で日々暗躍していた我らとは程遠い、いつまでも無垢でいられる魂がね。まぁ、それでも私は魂と引き換えに悪魔の力を手に入れますが。力が全てですよ、何事も。金も権力も、殺してしまえば全て手に入る物なのですから」

 種明かしは終わった。彼女も自らの出自に思うことがあるのか、先程のようにまくし立ててはこない。三日月宗近も刀を構え直し、こちらに向き直る。

「では始めましょうか。命をかけて――」

 歴史修正主義者などどうでもいい。私は自らのためだけに力を求め、そしてそれを振るうのみ。
 私の最高傑作である『呪われし三日月宗近』が、黒く光った。


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