小説
- ナノ -





 水野さんを新しい本丸に送り届け、俺は太郎太刀と共に職場へ戻る。そこには数日の間彼女の世話を頼んでいた柊が佇んでおり、俺の姿を視認すると軽く頭を下げてきた。

「お疲れ様です」
「ああ、お前もな」

 柊は真面目な部下だ。規則に忠実で、悪巧みなどの姑息な手を嫌う。今時珍しい程の不器用な性質を持った部下は、珍しく物憂げな表情を見せた。

「……先輩。水野さんは、大丈夫なんでしょうか」

 コイツは表情が変わらないからよく勘違いされるが、思いやりの強い所がある。
 常に相手に丁寧に接しようと心がけるあまり事務的に聞こえてしまうが、その実心根はかなり優しい。だがあの破天荒な審神者を心配する気持ちは俺も同じだった。

「なるようになるさ。というより、そうするしか道はねえんだけどな」

 水野さんの足の痣はうちの石切丸がお祓いをした時には薄い紫色であった。呪いを貰った時はドンドン黒く変色していったが、政府が管理する特別病棟に運んだ時には薄れ、一時は消えかかった。しかし今では再び色濃く彼女の足を彩っている。それは薄紫とは呼べず、闇夜を連想させる紫紺に似ていた。

「呪いの気配を感じ取ることは出来なかった。俺とお前の刀の目を以てしても、だ」
「はい。ですが、大典太も髭切も膝丸も口にしておりました。“あの呪いをかけた術者はまた襲ってくるだろう”と」
「そうだな……」

 政府で管理しているデータの中から調べるにしても、あまりにも異例だ。一人の審神者がこんな風に命を狙われるのは。今まで遡行軍が本丸を襲撃してきた事件や、ブラック本丸で審神者が危険な目にあったことはある。刀剣男士が審神者に刀を向けた事だって零ではない。だがここまでの呪いを掛けられた人物に出会ったのは初めてだ。

「……私には、水野さんが誰かから怨みを買うような人だとは思えません」
「ああ。それは俺も同感だ」

 大体怨みを買ってくる審神者っていうのは性格に難がある奴だ。傲慢であったり我儘であったり、姑息であったりひねくれていたり。刀剣男士を玩具のように扱っていた奴だっている。そういう輩は大抵付喪神である彼らから怨みを買い、酷い目に合っている。だが彼女は決して刀に恨まれているような人間ではなかった。

「今日だってよ、刀たちから盛大に歓迎されてたんだぜ。“おかえり”ってな」

 うちで預かっていたころ、あの刀たちはあんな風に笑ったり声を出したりはしなかった。日々慎ましく、比較的穏やかに過ごしていた。歌仙や長谷部を始めとし、宗三や小夜が掃除を中心的に担い、江雪や鯰尾、燭台切や大倶利伽羅が馬や畑の当番を手伝ってくれた。普段内番を嫌がる同田貫なんかも洗濯をする堀川の手伝いをよくしていた。
 弱音を吐かず、また落ち込んだ姿を見せず。うちの刀たちにも適度な距離感を持って接していた。そんな彼らの中心にいたのは初期刀である陸奥守だ。主である水野さんが一度連れ去られた時も、あいつは決して狼狽えたりはしなかった。激高する長谷部だけでなく、今にも飛び出しそうな刀たちを抑え、まとめ上げたのはあの一振りだ。うちにいる時でもそうだった。多くの刀が陸奥守を信用し、また頼っていた。初鍛刀で来たという小夜左文字も同等の扱いを受けていたが、やはり初期刀は違うのだろう。
 皆が向ける視線は信頼に厚く、またそれに応える陸奥守も責任感に溢れていた。

「個体差、とはよく言ったもんだよな。うちのはしょっちゅう笑っているが、水野さんとこの陸奥守はいつだって落ち着いた態度を崩さなかったぜ」

 彼女が入院している間も取り乱すことなく、いつだって皆の前に立ち、主のいない刀剣達を率いていた。その姿はまさしく『初期刀』と呼ぶに相応しい、圧倒的な存在感を放っていた。

「武田さんの初期刀は、確か虎徹でしたよね?」
「ああ。うちの初期刀もしっかり者だが、水野さんの所には負けるな。うちのはすーぐ文句を言うが、あいつは一度として弱音も文句も吐かなかったよ」

 俺の初期刀は蜂須賀虎徹だ。お綺麗な刀だからしょっちゅう汚れ仕事には文句を言うが、それなりに責任感や信頼はある。だがやはり審神者の性格が反映されるのだろう。暇さえあるとだらける俺に似て、蜂須賀は結構手を抜くところがあった。

「お前んところは山姥切だったか」
「はい。初めは苦労しましたが、今では頼りにしています」

 柊は性格がこうだから、山姥切と打ち解けるのにかなり時間を要した。今では互いに信頼関係築けているようだが、傍から見ればかなり事務的なのが特徴だ。というより、柊のところの刀は皆その傾向がある。報連相はしっかりと、そして働く時はきっちりと働き、休む時は自分のペースを守りつつ休む。本丸に顔を出せばよりよく分かる。審神者がどんな性格をしているのか。どんな風に刀と接しているのか。
 俺から見ても、水野さんは誰かに怨みを買うような人間には見えなかった。

「しっかりした刀たちだったよ。長谷部もうちの日本号と会っても喧嘩しなかったしな」
「それは別本丸だったからなのでは? へし切長谷部は気難しい刀ではありますが、余所の本丸の刀に対し無礼な態度をとる刀ではないでしょう」
「まぁそうなんだがよ。それでも日本号が顕現していないにも関わらず、黒田家の話をしたそうだ」
「それは……」

 滅多に顔色を変えない柊の目が丸くなる。それもそうだろう。へし切長谷部と日本号は性格上そりが合わず、最初は衝突するのが常だ。極稀に長谷部の個体が『黒田家』寄りで衝突することのない本丸も出てくるが、大概は大喧嘩をするものだ。だが水野さんのところの長谷部は全く気を荒げることがなかった。

「それでうちの日本号が長谷部に『あっちの長谷部を見習ったらどうだ』って余計なことを言ったもんだからよ、それで喧嘩になるんだから世話ねえぜ」
「フッ、相変わらず喧嘩っ早いんですね」
「困ったもんだよ」

 うちの長谷部と日本号はそりゃあ仲が悪い。顔を合わせば睨み合い。言葉を交わせば嫌味の押収。全く、どうにかなんねえか。と二人を呼び出したことは数知れない。その割には戦では阿吽の呼吸を見せる。仲がいいのか悪いのか。頼むからハッキリしてくれ。と頭を抱えたのは一度や二度ではない。

「その喧嘩を止めたのはうちの蜻蛉切と燭台切だったがな。水野さんところの長谷部が『余計なことを口にした俺が悪かった。すまない』と謝ってきたもんだから、二人共ばつが悪くてよ。練度は低いが客人だ。そんな相手に真摯に頭下げられちゃあいつまでも喧嘩なんてしてられねえだろ。珍しくその場で仲直りしたんだとよ」
「まぁ、客人がいる中で喧嘩する方が悪いですからね。いい教訓になったんじゃないですか?」
「だといいがねぇ」

 柊のところの長谷部と日本号はあまり喧嘩をしないらしい。だが特別仲が良いというわけでもなく、日本号は三名槍と、長谷部は織田の刀と普段行動を共にしているらしい。だから衝突する機会もなく、会っても互いの近況報告になるから喧嘩に発展しないそうだ。羨ましいったらない。

「他の刀も落ち着いていたそうですね」
「ああ。皆よく働いてくれたよ。『働かざるもの食うべからずだ』って言ってな。本丸内の清掃から資材管理の手伝いまで、本当何から何まで嫌がらずやってくれたもんだ」

 刀たちは審神者と似る。水野さんはまだ審神者に就任してから半年だが、かなり真面目に働いている人だ。こまめに送られてくる報告書やメールからでもそれが伺える。腰が低く、思いやりがある。責任感も強く真面目だ。そして我慢強くもあるのだろう。泣き言一つ言わず、また騒ぎもせず。ずっと主人の帰りを待ち続けた刀たちの態度を見てそう感じ取った。

「うちの膝丸と堀川が言っていました。『あんなに飾らない女性は初めて見た』と」
「ははは! それもそうだな」

 柊のところもそうだが、うちの太郎や青江も口にしていた。“あの審神者は良くも悪くも飾らない”と。俺も会った回数は少ないが身に染みて感じている。どんなこともあっけらかんと笑い飛ばし、前に進もうとする姿は悲観とは程遠い。刀にも俺達に対しても態度を変えず、また気取らない。ありのままの状態で接するところは清々しかった。

「……だからこそ、狙われるのでしょうか」

 純粋無垢な魂程力になるものはないのだと、太郎太刀と石切丸が口をそろえて言っていた。
 喰らうならば赤子の魂。連れて行くなら子供の魂。そして神に捧げるのであれば男を知らぬ“純潔”を保ったままの、無垢で純粋な魂であればあるほどその力は増すのだと、そう聞いた。

「うちの髭切も言ってたぜ。霊力自体は大したことないが、彼女の持つ魂には価値がある。ってな。魂の価値ってぇのは、何なんだろうな……」

 彼女を狙う理由は勿論のこと、あの呪いをどうすれば完全に祓いきることが出来るのか分からない。痛々しく刻まれた痣が色濃くなるにつれ、彼女は何かを噛みしめるような表情をした。それでも泣き喚いたり、文句を言うことはなかった。

『やだなー。私なら大丈夫ですよ。何とかなりますって』

 そう言って笑う姿は空元気であったかもしれない。だが痛々しいとは思わなかった。彼女は何も考えていないわけではない。本気で『どうにかなる』『出来る』と心から信じているのだ。呪われていることを嘆くことではなく、前に進むことだけを考えている。大なり小なりショックは受けているだろうに、言葉にして表現することはなかった。

『これで歩けなかったら流石にブチ切れてましたけどね! 普通に歩けますし、痛みもないですし。まぁ犯人見つけたらボッコボコにしてやりますけどね! 死ななきゃ安いってもんですよ!』

 退院する前日のことだ。面食らう俺達に向かって彼女は朗らかに笑って見せた。だがこの時初めて、彼女は俺達に一つだけ弱音を吐いた。

『でも、怖くない。って言えば嘘になります。やっぱり死ぬことは怖いですから。それに、皆に“帰る”って約束しましたから』

 色が濃くなった痣に触れながらそう言い切ると、少しの間だけ口を閉じ、すぐに微笑んだ。

『まぁ私には神様たちがついてますし、武田さんも柊さんもいますから。大丈夫です! まだ頑張れますよ!』

 俺達の力がこの術者に対しどこまで対応できるかは分からない。それでも『戦う』ことから逃げず、立ち向かおうとする彼女から俺達が逃げるわけにはいかない。

「私は、もっと水野さんとお話がしてみたかったです。とても楽しそうな人でしたから」
「全部終わりゃあそうすればいいさ。なに、水野さんのことだ。『いつでも遊びに来てください』って言って笑ってくれるだろうよ」

 顕現させた三十振りの刀たちからあんなにも愛されているのだ。刀たちもそうだが、俺も柊も彼女のことを気に入っている。今時珍しいぐらいにこざっぱりとした付き合いやすい人なのだ。話していて胸がすくような心地になる彼女を、こんなことで失うのは御免だと思った。

「水野さんには長く勤めて欲しいからなぁ。あんな人そうそういねえぞ」
「ええ。確かに。日陰者にくれてやるには惜しい命ですね」

 政府として、一人の人間として。また神に仕える審神者として。同胞を守りたいと思うのは自然のことだろう。

「おっし! じゃあ俺は呪術に詳しいって評判の爺さんに会ってくるからよ。後のことは頼んだぜ」
「分かりました。何かあればご連絡いたします」
「ああ。頼んだぞ」

 全国津々浦々、今はネットでやり取り出来る便利な時代だ。その中で見つけた『呪術』に詳しいという古書店を営む爺さんに会うべく、俺は職場を後にした。

 後ろに控えていた太郎太刀が着いてくる。その手には柊から受け取ったファイルがあり、そこにはこの数日間の間で彼女が調べてくれた情報が詰まっていた。


prev / next


[ back to top ]