小説
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 入院生活五日目。私は既に暇さがカンストしすぎてスライムみたいに溶けていた。

「あ〜……いつまでこんな生活してればいいんだよぉ〜……」

 パソコンや携帯を弄ることは出来る。見舞いに来てくれた家族からは「心配したんだぞ、このアホめ」と愛のあるお叱りを受けたが、本や漫画などの差し入れもくれた。だがそれも全て読んでしまったし、痣が残ってはいるが歩行に問題はないためリハビリなんかもする必要はない。
 寝てばっかりだと体が硬くなるから時折ストレッチしたり庭に出て散歩に行ったりもするけど、それも飽きてくる。テレビもそんなに好きじゃないし、映画は映画館で見る方が好きなので諦めている。少し前までは毎日出陣だとか遠征だとか、資材の管理だとかで忙しかったのに、急に長い休みが出来ると困るもんだ。私は再度「あーあ」と口にしながら枕に顔を伏せた。

「全く……見ていてだらしがないな、お前は」
「まぁまぁ」

 そんな私に呆れた声を上げたのは、柊さんの刀である膝丸と、脇差の堀川だった。堀川はうちにもいるけど、やっぱり『個体差』という奴だろう。彼はうちの堀川に比べ淡白だ。それが悪いとは言わない。むしろ仲良くなったところで他人の刀だし、今後何かに影響するとは思えない。膝丸はそもそもうちにいない刀なのでどんな性格なのかは知らないが、彼は武田さんの所にいる膝丸よりも更にキッチリとしている性格らしかった。

「だってずーーーーっと病院にいると飽きるんですよ。うちの刀たちに会えるわけじゃないですし……」
「それはそうだが、もう少ししゃんとしたらどうだ。お前は女子だろう? もっと歌を詠むとか華道に勤しむとか、色々あるだろう」
「いや、平安時代の女性と今の女性を比べんでくださいよ」

 今は歌を詠む文化も華道に勤しむ文化も廃れてきた。勿論『文化』として、あるいは趣味なんかとして楽しんでいる人は多くいる。それでも彼らが全盛期であった頃に比べたら遥かに嗜む人口は減っている。そりゃあ学生時代に授業やら宿題やらで短歌、俳句、川柳など作ったことはある。流石に都都逸なんてものはないが、大喜利なんかじゃよくお題として出るしな。身近ではないが知識として少しなら頭に入れている。
 だけどふと歌を詠んだり、また返歌するなどの技術はない。それならいっそ罵倒合戦の方が似合っている。誰を罵倒するかは考えていないが。そんな風にグダグダとしていると、病室の扉がノックされる音が響いた。

「はい」
「よう、元気にしてたか?」
「武田さん!」

 入室してきたのは、ここで見るのは初めてである武田さんだった。柊さんが言うには色々と忙しかったらしい。私の刀の面倒を見るだけでなく、政府の仕事もあるのだから当然だ。私は彼の後ろに続いて入室してきた太郎太刀にも挨拶をし、椅子を薦める。

「顔を出すのが遅くなってすまねぇな。足の調子はどうだ?」
「いえいえ。おかげさまで命は無事でしたから。足も痕は残っていますが、歩行に問題はありません。うちの刀も面倒を見てもらって、本当何から何まですみません」

 改めての礼は退院してからするとして、今は自分のためにあれこれとしてくれている彼に感謝の言葉を口にする。言葉だけじゃ足りないが、それでも彼は私の意を汲んでくれたのだろう。気にすることはない。と軽く笑い、すぐに太郎太刀の後ろへと視線をやった。

「それでよ、今回はちょっと特別に連れてきてやったぜ?」
「え? 連れてきたって……誰をです?」

 キョトンとする私に向かって、太郎太刀の後ろから見慣れた顔がぴょこんと飛び出してきた。

「主君! お元気そうでなによりです!」
「前田藤四郎、主君のために馳せ参じました」
「ガウゥウ」「ギャウウウ」「あ、あるじさま、お元気そうでなによりです! えと、虎くんたちそう言ってます」
「主殿ー! わたくしも鳴狐も、とても心配していたのですよー!」
「元気そうでよかった」
「ね。主さんのこと皆心配してたから。あ! 兼さんもすっっごく心配してたんだよ! 本人は気にしてない風を装ってるけどね」
「皆! 来てくれたんだー!」

 武田さんが連れて来てくれたのは、私と共に初期の本丸を支えてくれた五振りだった。五虎退の虎とお供の狐が元気よく鳴きながらベッドに飛び上がってくる。久しぶりに触るもふもふの毛玉たちを存分に抱きしめ撫でまわしてやれば、武田さんも楽し気に笑う。

「本当なら全員連れてきてもよかったんだが、流石に部屋が狭いからな」
「それでもすごく嬉しいです。ありがとうございます。皆も来てくれてありがとうね」

 一番近くにいた秋田の頭を撫でれば、いつもより更に輝いた笑顔を見せてくる。秋田だけじゃない。五虎退や前田の頭もそれぞれ撫でてやれば、彼らはすごく嬉しそうに笑ってくれた。今はそれが一番嬉しい。

「僕たちは武田さんの本丸ですごく良くしてもらってるから。主さんは自分の体を治すことだけ考えるんだよ?」
「無理は禁物」
「はい。気を付けます」

 まるで教師のように人差し指を立てて話す堀川に続き、鳴狐も短いながらも釘をさしてくる。付き合いが長い分よく分かっている。毛玉たちを撫でつつ頭を下げれば、堀川が「よしよし」と言って私の頭を撫でてきた。珍しいな、堀川が私にこんなことをしてくるの。と見上げれば、堀川はくすりと笑う。

「でも主さんが元気そうで本当によかったよ。現世に連れて行かれた時は本当に危なかったからさ」
「心配した」

 普段無口な鳴狐がこんなにも喋るのだから相当だったのだろう。実際二振りはその時のことを思い出したのか、表情が翳る。
 折角会えたのにそんな顔をして欲しくなくて、私は二振りに向かって両手を伸ばした。

「ちょっとお二人さん、こっちおいで」
「え。何?」

 後ろに下がる短刀たちと入れ替わりに近づいてきた二振りの肩に触れると、そのままぐっと引き寄せ抱きしめた。

「?! ちょ!! 主さん!」

 狼狽える堀川に思わず声を上げて笑う。それでもぽんぽんと二振りの肩甲骨あたりを宥めるように軽く叩けば、すぐにその体から力が抜けた。

「心配かけて本当にごめんね。でも大丈夫だよ。今はまだ色んなことの整理がついてないから本丸には帰れないけど、私はちゃんと生きてるし、足だって歩くのには問題ないから」

 私の背を二振りの手がそれぞれ支えてくれる。その手は当たり前だけど私より大きくて、頼りになる。だからだろうな。こんなことになってるけど、ちっとも怖くないんだ。

「確かにさ、私は誰かに命を狙われてるのかもしれない。立て続けにこんなことが起きたら普通は不安になるんだけど、」

 私はそこで一度区切り、二振りから体を離すと、お見舞いに来てくれた皆の顔を一振りずつ見つめた。

「私にはさ、皆がいるから。私のことをこんなにも心配してくれる、すっごい“神様”たちが三十人もいるんだから。本当、自分でもどうかと思うぐらい全然怖くないんだよね」

 そりゃあ危機感は持った方がいいとは分かってはいるんだけど、柊さんの刀もいるし、本丸には皆がいる。そう思うと私は独りで別本丸に飛ばされた時ほどの恐怖や焦りは感じなかった。むしろあの時よりも安心しているぐらいだ。

「それに武田さんもいるし、柊さんの刀もいるんだよ? 膝丸さんと、柊さんのところの堀川さん。皆より強いから安心してるわけじゃないよ? 彼らは“与えられた仕事を全うしよう”っていう気がちゃんと伝わってくるから、安心して身を任せられるの。それに私が帰る場所は皆のところでしょ? だから待ってて。私絶対帰ってくるから」

 御簾のせいでこちらの顔は見えないだろうけど、それでも笑って言えば、うちの堀川の顔がくしゃりと歪む。彼だけじゃない。秋田や五虎退、それに前田までぐっと唇を噛んだかと思うと、殆ど同じタイミングで皆抱き着いてきた。

「もー!! 主さんのバカー!! 僕たちは主さんがいないといる意味ないんだからねー?!」
「主君〜!! 主君がいないと寂しいです〜! でも主君を自分の手でお守りすることが出来ないことが一番嫌です〜!」
「僕は、主君をお守りするのが使命なのに……! お傍にいられず、すみません……!」
「うぅ……あるじさま……あるじさまぁ……」
「主殿ー! 鳴狐もわたくしめも、主殿のお帰りをいつまでもお待ちしておりますゆえ〜!」
「ちゃんと帰ってきてね」

 皆にぎゅうぎゅうと抱きしめられる。暑苦しいけど何だかおかしくなって、つい笑ってしまう。
 珍しく取り乱す堀川を始めとし、泣きじゃくる秋田や五虎退、悔しさに涙を浮かべながらもぐっと我慢する前田、必死に思いを募るお供の狐と、手短ながらにありったけの気持ちを伝えてくる鳴狐。そんな彼らの背を抱きしめ、頭を撫で、何度も「大丈夫、大丈夫」と声を掛けていると、武田さんがへらりと笑った。

「いやぁ、やっぱりあんたはすげぇなぁ。こんな風に取り乱す刀たちを見たのは初めてだぜ。それこそ、審神者が死ぬとか辞める以外ではな」
「ええ。そうですね。私たちの主が同じ目にあってもこんな風にはならないでしょうから。本当に水野さんは好かれているのでしょうね」
「おいおい。冷てぇなぁ、うちの刀は」

 交わされる二人のやり取りに笑えば、黙って私たちを見ていた柊さんの膝丸と堀川も口を開く。

「だらしのない人間かと思っていたが、成程。お前には他人を惹きつける妙な力があるのだな」
「本当。僕も自分の主が一番大切だけど、こんな風には気持ちを伝えられないかなぁ」

 他の本丸や審神者がどうかは知らない。中にはこんな風に刀と接触することを厭う人や、怖がる人もいるかもしれない。私だって刀は怖い。でも、そんな気持ちで接して皆から同じだけの、あるいはそれ以上の“信頼”を勝ち取ることは出来ないだろう。だから、例えその身が怖くても、畏れ多い存在なのだとしても、彼らが私を『主』だと呼ぶ限り、私はその声に応えたいと思う。

「あ。そうだ。じゃあ皆にね、私が大好きな“魔法の言葉”を教えてあげる」
「魔法の言葉、ですか?」

 首を傾ける秋田に「うん」と頷き、こちらを見つめてくる純粋な神様たちに私が世界で一番大好きな『魔法の言葉』を教える。

「“絶対、大丈夫だよ”。これが、私がいつだって思い出す魔法の言葉」

 いつだって勇気をくれた某少女漫画の台詞を口にすれば、皆はキョトンとした後、しょうがないなぁ。という風に破顔する。

「もー、何それ。主さんが言うからもっとすごいのかと思ったのに。フフッ、でも何だか主さんらしいや」
「僕もそう思います! すごく主君らしいです!」
「僕も秋田と同じ意見です。主君にそう言われたら、不思議とそう思ってしまいますね」
「はい! 僕もすごく安心します。えへへ、やっぱりあるじさまはすごいです」
「主殿にそう言われたら我々は信じるしかないではありませんか。ねぇ、鳴狐!」
「ずるい」

 まだ何もわかってないけど、これといった根拠もないけど、私は怖い時とか不安になった時ほどこの言葉を思い出す。それで何かが解決するわけじゃないけど、物事が進展するわけでもないけど、それでも。心が折れたら戦えないから。戦う勇気をくれる、そんな不思議な力がこの言葉にはあるから。

「だから、皆も忘れないで覚えてて。何があっても、どんなことが起きても。私が“大丈夫だ”って言ってる限りは、大丈夫なんだって。私が皆を信じるように、皆が私を信じてくれる限り、私はちゃんと帰ってくるから。だから、絶対に、大丈夫だよ」

 そう言って改めて皆の顔を見つめると、皆も頷いてくれた。その顔はもう呆れとか心配とか、後悔とかの色は抜け落ち、すっきりとしたものになっていた。皆から少しでも不安とか後悔とかが無くなればいい。だから憑き物が落ちたように清々しい顔をしてくれるとすごく嬉しかった。
 黙って聞いていた武田さんも太郎太刀も、穏やかに笑んでくれている。柊さんの膝丸と堀川はちょっと驚いた顔をしてたけど、何でもよかった。私には私のやり方があって、柊さんには柊さんのやり方があるんだから。だから、私は私の思うままに話し、行動に移すだけなのだ。それに皆が応えてくれるかどうかは別問題なだけで。

「主さんのお見舞いに来たはずなのに、僕たちの方が元気づけられちゃったね」
「はい。でも主君らしくて、僕はすごく好きです」
「いつか強くなって、我が身でお守りできるよう、僕も精進いたします」
「あるじさま、僕、本丸でお待ちしてます。必ず、帰ってきてくださいね」
「五虎退殿と同じく、わたくしめも鳴狐も、いつまでもお待ちしております」
「うん。約束」

 私に応えてくれる皆に「うん」と頷けば、武田さんも区切りがいいと思ったのだろう。一つ咳払いすると、皆私から離れて太郎太刀の横に並んだ。

「それじゃあ本題に移るがな、水野さん」
「はい」
「まずは例の測定機についてなんだが、調べてみたら細工がされていた」
「細工? どういうことですか?」

 武田さん曰く、あの霊力測定機はそんなに数があるものではないという。なので私が渡された測定機も以前は別本丸の審神者が使っていたものらしく、その以前にもまた別の審神者が使用していたものらしい。

「だがその時にはこんなことは起きなかった。どうにもあんたに渡す前に細工されたと見える」
「ということは、政府の中に私を呪っている人がいる、っていうことですか?」

 私が一体何をしたって言うんだ。と顔を顰めれば、武田さんは微妙な顔をしながら「それがなぁ」と続ける。

「この測定機は一度返却されるとまず鑑識班に回るんだ。審神者側から妙な細工が施されちゃいないか、不具合や欠陥がないかとか調べるためにな。それから技術開発部に回され、最終チェックが行われる。それに合格したら保管されるんだ。だから前の使用者から戻ってきた時に異常はなかった。そんで次はそれを出す時だ。この時はまず技術開発部が取り出してくる。そして時間が経っている間に何か影響を受けていないかチェックし、合格すればそのまま俺達に渡されるんだ。だから細工するとなれば技術開発部にいる奴らになるんだが……」
「そんなことをした人は誰もいなかった、ということですか?」
「ああ。そうなんだよ」

 曰く、技術開発部の人たちには他人を呪う技術はないという。彼らはあくまでも『物を作る』技術しかなく、他者を呪う術など知らないという。

「勿論調べりゃ呪いの方法なんて幾らでも出てくるがな、うちの技術開発部は審神者たちと接点がない。だから特定の誰かを、しかも面識のない審神者を、だ。呪うなんてのは妙な話なんだよ」

 確かに私も技術開発部の人とは会ったことがないはずだ。知人にもそんな人はいないし、元同級生がいたとしても偽名を使っているのだ。御簾で顔は見えないはずだし、私だと断定できる要因は少ないはず。それに例え怨みを買ったのだとしても、だ。こんな自分たちが疑われるような方法を使うだろうか? それしか方法がないとは言わない。それこそ武田さんが言ったように調べれば呪いの方法なんて幾らでもあるはずなのだ。だから自分たちの手で開発した物を媒体にして私を呪うのは、聊かリスクが高すぎるように思えた。

「勿論完全に白ってわけじゃないからこれからも調べはするが、あまり期待は出来んな」
「そうですか……」

 俯く私に武田さんは軽く肩を揺らす。あまり見たことのない仕草だからどうかしたのかと首を傾ければ、武田さんは言いづらそうに「あのよぉ」と若干声のトーンを落とす。

「あんた、自分の本丸に誰かを呼んだり、余所の審神者の所に行ったことがある、とかねえよな?」
「ああ、それはないです。職場に知人が来るのは嫌ですし、余所の審神者さんとも仲良くないんで」

 職場に知人が出来るなら別だが、わざわざ呼ぶなんてしないだろう。それに呼んだところでどうするというのか。刀たちを自慢するのか? 私以上に刀を知らない人たちに? それとも「イケメンに囲まれて仕事出来て羨ましいだろ〜」とか自慢するのか? バカバカしい。彼らの肉体は政府が用意したもので、仮初にすぎない。所詮は刀だ。刀を見せて「イケメンだろ〜」って言っても「はあ?」としか言われないだろう。
 それに余所の審神者は大体私のことをバカにしてくるので好きじゃない。それは私の体型であったり霊力であったり、あるいはその両方でもあるのだけど、中には私の価値観や態度が気に入らない。という理由で邪険にしてくる輩もいる。そんな人たちと敢えて仲良くする理由はどこにもなかった。
 情報が欲しいなら政府に直接問い合わせればいいしな。だからその線はありえない。と首を横に振ると、武田さんは「そうか」と頷いた。

「じゃあ余所の審神者が何か細工を仕掛けて行った、っていう線もなくなるな」
「ああ、そういう線もあったんですね」
「世の中何があるか分からんからなぁ。審神者にも色々いるし、結構大変なんだぞ? 相手にすんのも」

 げんなりとする武田さんの様子から察するに、どうやら彼は厄介な相手を担当しているのだろう。後ろの太郎太刀もすっと表情が無くなったので相当だ。政府は政府で大変なんだなぁ。と思っていると、武田さんは私の本丸について話しだした。

「余所の審神者や知人からの線はなし、と……。ああ、そうだ。水野さんの本丸だが、点検した結果何も出てこなかった。あんなことがあったってのに、何の痕跡も残っちゃいなかったんだ」

 ぶすくれるというより、忌々しいと言わんばかりの体で表情を歪める武田さんに「そうですか……」と返す。あの別本丸で見た景色や、敵短刀の姿に変わっていた前田藤四郎については柊さんに話している。武田さんも聞いたのだろう。だがどれだけ調べても刀剣男士が『遡行軍』のような出で立ちになった。という話は聞いたことがないという。

「歴史修正主義者のこともそうだが、遡行軍については俺達も分からないことが多い。だが今のところそういった報告はないんだ。ブラック本丸の報告書も見たが、性格が荒くれることはあっても出で立ちが変わった。っていう記述はどこにもなかった」
「そうですか……」

 でもあの刀は確かに『前田藤四郎』だった。まだ私の本丸に刀がいない時、前田の他には陸奥守と小夜、秋田しかいなかった。だから『前田藤四郎』という刀がどんな出で立ちをしていたかよく覚えている。この手で触れ、何度も手入れをしてきたのだ。間違えるはずがない。それでも今までにそんなことが起きていないというのであれば、私が見たあの『前田藤四郎』は何だったのか。
 敵、と呼ぶには少しだけ抵抗感のある姿を思い出していると、武田さんが意識を切り替えるように少し明るい声を出した。

「ま、もう暫くの辛抱だ。本丸は明日一度空間事解体するからよ。そうすりゃあ多少はマシになるだろう」
「分かりました。よろしくお願いします」

 本丸を解体するのは殆ど最終手段と言ってもいい。何せ全てを『リセット』するのだから。私の刀が育てた畑が更地に戻るのは悲しかったが、しょうがない。馬は武田さんの本丸に移動させたらしいので問題はないし、私の荷物も実家に送ってくれたらしい。
 それで私が安全になるのかどうかは分からないが、このまま本丸に戻るよりはマシだろう。ということだった。

「じゃあ俺達はそろそろ行くからよ。膝丸、堀川、後は頼んだぜ」
「ああ。心得ている」
「任せてください。お仕事はキッチリこなしますから」

 膝丸と堀川が頷く中、私も自分の刀たちへと顔を向ける。

「来てくれてありがとう。皆にも私が元気だってこと、ちゃんと伝えてね」
「勿論だよ。任せておいて」
「主君、早く帰ってきてくださいね」
「お待ちしております」
「クゥウウ」「ギャウゥウ」「僕も虎くんも、待ってます。あるじさま、早く帰ってきてくださいね」
「皆様にはわたくしたちからしっかりとお伝えしておきますので!」
「うん」

 病院の出入り口まで皆を見送る。すぐ傍のゲートを潜る直前まで手を振る皆に、私も同じように手を振り返す。彼らが出陣する時もこうして見送った。毎日行っていただけに、こうして日が空くと何だか懐かしく感じてしまう。ゲートが閉じると同時にどうしようもない寂しさが胸に広がるが、すぐに頬を叩いて気持ちを切り替えた。

「よし! そんじゃあ部屋に戻りますか」
「勇ましいというかなんというか……もう少し可愛げがあった方が女子らしいのではないのか?」
「膝丸さん、あんまりデリカシーのないこと言うと嫌われますよ?」

 私の後ろで何事かを話している二振りは完全に無視だ。刀に可愛げなんて分かるかよ。とは思わないが、別に『可愛い』と思われたいわけじゃないので最低限の愛想だけで十分だろ。と思っている節はある。だって彼らは私の刀じゃないしな。気にすることなかれ、だ。
 そうしてずんずんと突き進んでいく私の足首に残る痣が、知らぬ間にじわじわと色を濃くしていく。だがそのことを私は勿論、背後にいる二振りでさえ気づかなかった。

 着々と準備は進んでいく。私を渦巻く環境ごと全て飲み込み、壊すように。



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