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俺たちは政府の男、武田という審神者の元から連れられた『髭切』を筆頭に、堀川国広、和泉守兼定、大倶利伽羅、燭台切光忠、鶴丸国永の七振りで行動していた。
まず最初に向かったのは主が消えたとされる鍛刀場のすぐ傍だ。中では点検員たちが太郎太刀の監修のもと引き続き点検を行っている。俺達がその周囲をくまなく歩き回る中、髭切は太郎太刀に話を聞いていた。
「じゃあ、君が異変を感じた時には既に“術”は発動していたと。そういうことかい?」
「はい。水野さんが歩き出した瞬間、空間が歪むのが分かりました。その時に感じたこともない邪気を感じ、咄嗟に呼び止めようとしたのですが……」
「彼女は飲み込まれてしまった、と……」
「はい」
頷く太郎太刀は悔しそうに端正な顔を歪める。邪気を祓うことの出来る刀でさえ気づかなかった。それほどの霊力を持っているのか、それともそれを隠すだけの技術を持っているのか。その両方なのかは分からないが、俺たちの主はとんでもない奴に目を付けられているのだということは分かった。
「兄弟、こっちには何もなかったよ」
「そうか。こっちもだ。手掛かりになるようなものは何もない」
鍛刀場の周辺から主が消えたとされる場所まで。鶴丸は本丸の床下を覗き、大倶利伽羅と燭台切は鍛刀場の裏を見回っている。兄弟と和泉守は鍛刀場の周囲を、そして俺は消えたとされる場所を歩き回って手がかりがないかを探っていた。
「太郎太刀さん、すみませんが僕たちの主はどの辺りで、どんな風に消えたんですか?」
兄弟が髭切と会話を終えた太郎太刀に尋ねる。すると彼は大きな体をのっそりと動かし、俺から数歩離れた場所を指さした。
「水野さんはこの辺りで一度立ち止まり、私が名前を呼ぼうと口を開いた瞬間忽然と姿を消しました」
「成程。本当に“一瞬”のことだったんですね」
「はい。ですから“空間が歪んだ”事以外、殆ど分からないのです」
太郎太刀が言うには、空間が突然『ぐにゃり』と歪んだらしい。罠として張っていた糸に引っかかったように、主は突如ねじれた空間に飲み込まれたという。
「この周辺を探りましたが、あの時感じた邪気はどこにも感じません。移動したのか、それとも痕跡を消したのか……」
「クソッ! それも分からねえんじゃ手の打ちようがねえじゃねえか!」
和泉守が悔しそうに拳を手の平に打ち付ける。その気持ちはよく分かる。俺もやり場のない気持ちをどうすればいいのか分からず持て余しているからだ。
そんな中鶴丸国永と燭台切光忠、大倶利伽羅がそれぞれ戻ってくる。
「やっぱり床下にはいなかったぜ。まぁ、期待はしていなかったんだがな」
「鍛刀場の裏手にもいなかったよ。林の中まで探してみたんだけどね……」
鶴丸と燭台切の報告に皆の顔が一斉に沈む。そんな中真っ先に顔を上げたのは和泉守だった。
「じゃあ、今度は畑や厩の方も見てみるか?」
「いや、そこは他の奴らが回る予定だろう。俺たちはこれ以上動かない方がいい。武田という男との約束だからな。これ以上の迷惑はかけられんよ」
「そうか……」
年長者の鶴丸の返答に和泉守の肩が今度こそ落ちる。それを兄弟が宥める横で、髭切という刀は顎に手を当て、何かを探しているようだった。
「おい。何かあったのか?」
「んー? いやぁ。なーんか違和感があるなぁ〜。と思ってね。どう言えばいいのかな? 一見おかしくはないんだけど、よく見れば少し違うというか。そういう感じなんだよねぇ……」
髭切はぺたぺたと空中に掌を当てては首を傾げている。よくは知らないが、コイツも妖切りの刀らしい。それならば少しは信用できるか。と俺も空中に手を翳し、何かないか探ってみる。
「……何をしている」
近づいてきたのは大倶利伽羅だ。こいつはその名の通り『倶利伽羅竜』を身に携えている刀である。無銘刀とはいえ、宿る力は本物だ。普段は「慣れ合わない」を口癖に話しかけてくることはないが、今は異常事態だ。背に腹は代えられないのだろう。
「髭切がこの辺りに『違和感がある』と言うからな。妖切りの刀が言うからには信用してもいいんじゃないかと思い、俺も探っている」
「うーん? どうしてかなぁ。変だなぁ、とは思うのに、どうにも掴めないんだ。僕より力が強いのかな?」
千年も生きる髭切より霊力の高い人間などいるのだろうか。大なり小なり人間と言うのは霊力というものを持っている。うちの主は量も質も大したことはないが、何故か引き寄せられる“力”を感じる。だがそれは決して嫌なものではない。
例えばだが、現代で使われる“掃除機”という奴の吸引力は凄い。だがアレは強制的に吸い上げるだけの代物だ。主の“引き寄せる力”はそういった類のものではない。
鶴丸や燭台切に言わせれば“好奇心をくすぐられる”、兄弟からしてみれば“存在を確かめてみたくなる”、そんな不思議な力なのだ。他にも感じ方は様々だ。短刀たちならば“守りたい”。打刀や太刀ならば“傍にいたい”。多くの刀が言葉を変えて口にしている。だが根本にあるものは皆同じだ。“この人間に会ってみたい”。これに尽きる。
沢山の人間の手に渡って来たからこそ思う。主は自分のことを『大した人間じゃない』というが、俺達に“触れてみたい”“会いたい”と思わせるだけで充分“特別”だ。戦が嫌いでも、采配が苦手でも。誰が相手でも自分の心を偽らない。まっすぐで暖かな気質が心地良いのだ。そして武器である俺達よりも“負けない”という気持ちが強く、勇ましい。
彼女の手に触れられた時に抱いた気持ちを、俺はこの身が朽ちるまで忘れることはないだろう。
“心を燃やせ”と、“負けるな”と激を飛ばしてきた日のことを。そして負けたにも関わらず「よくやった!」と俺の手を取り笑ったことも。
俺は決してあの手を離したりはしない。彼女が俺を“自分にとって一番の山姥切国広だ”と誇ってくれたのだから。
それに応えられずして何が『本物』だ。俺は“山姥切国広”。例え“写し”であろうとも、俺は彼女の前では“本物”に“負けない”、彼女だけの刀でいると決めたんだ!
「お。みーつけた♪」
ニィ、と髭切の顔が愉悦の色を滲ませ歪む。言われてみて初めて分かった。確かに僅かだが、空間に“亀裂”が走っている。上手く継ぎ合わせてはいるが、一度“斬った”ものは完璧には戻せない。俺だけでなく大倶利伽羅も気づいたのだろう。殆ど同時に自身を抜刀し、構える。
「ちょ、兄弟、どうしたの?!」
「おい! まさか私闘じゃねえだろうな?!」
「待て待て待て! 落ち着け伽羅坊!」
「伽羅ちゃん! 山姥切くん! ダメだよ喧嘩しちゃ!」
背後から駆けつけてくる皆には悪いが、自身を鞘に納めるつもりはない。それは大倶利伽羅も同じだろう。髭切が示した場所に向かい、俺たちは同時に腕を振り下ろした。
「斬る!!」
「死ね!!」
振り下ろした自身に確かな感触が走る。二振りの力で斬った空間は見事に避け、そこにいた敵短刀を両断した。そして飛び散る破片の中、呆然と座り込む主が目に入る。そこからは殆ど無意識だった。裂けた空間の向こうに俺たちは手を伸ばし、彼女の腕を掴む。
「「主!!」」
俺と大倶利伽羅の声が重なる。背後では皆の驚く声が聞こえたが、俺たちは目の前の主のことで頭がいっぱいだった。だからその奥から現れた大きな黒い影に遅れを取った。だがそれに気づいた瞬間、ソイツが動いた。
「その腕、貰った」
『ガァアアア!!!』
俺達の横で構えていた髭切が黒い影を斬る。流石千年を生きる妖切りの刀だ。その切れ味は凄まじく、黒い影は見悶えしながら奥へと消える。そして同時に、俺達が斬ってこじ開けた空間も再び合わさっていく。
主は俺達の勢いが余って後方に飛んでしまったが、鶴丸が抱き留めた。だが燭台切や兄弟に支えられる中、主は今まで一度として聞いたことのないような悲痛な声を上げて叫んだ。
「前田藤四郎!!!!」
完全に閉じる異空間の中、消えていく敵短刀の声が僅かに聞こえる。それは掠れてひび割れていたが、確かに『主君』と言っていた。
「主……今のって……」
呆然とする主と俺達だが、すぐに周囲が騒がしくなる。
「主君ー!!!!」「あるじさーん!!!」「主殿ーーー!!!」「主ー!!!」
バタバタと凄い勢いで駆けてきたのは足の速い短刀たちだ。続いて打刀、太刀と続き、その更に奥から大太刀である石切丸と太郎太刀が駆けてくる。
「主君! お怪我はありませんか?!」
「あるじさん大丈夫?! どこも痛くない?! 苦しくない?!」
「ガウウゥ」「キュウウゥ」「と、虎くんたちも心配してます! 大丈夫ですか? あるじさま」
「う、ん……平気……」
主に飛びつき、声を掛ける短刀たちに主はこっくりと頷く。その答えに皆の顔が明るくなったのは一瞬で、すぐさまうちの『前田藤四郎』が主の前に膝をついた。
「主君、先程僕の名前を呼ぶ声が聞こえました。一体どうされたのです、か……」
尋ねる前田藤四郎に向かって、主の両腕が伸びる。そしてその手でしっかりと前田を捕まえたかと思うと、小さな体を強く抱きしめた。
「え……え?! あ、あの、しゅ、主君?!?!」
慌てる前田藤四郎の顔が真っ赤に染まる。あわあわと両手を彷徨わせる姿は普段のしっかり者らしい姿とはかけ離れており、彼がいかに混乱しているのかがよく分かる。だが慌てる前田とは裏腹に、主の声は酷く震えていた。
「ごめん……ごめんね……ちょっとだけ、こうさせてもらってもいい……?」
主が名を呼び、俺達二振りが切った短刀は主の言が正しければ『前田藤四郎』だったのだろう。例え自分の本丸の元に顕現した刀でないとはいえ、主にとって『前田藤四郎』は大切な刀の一振りだ。それが目の前で砕け散る姿を見たのであれば心優しい主が傷つくのも無理はない。
前田も何か感じ取ったのだろう。先程の慌てぶりが嘘のように落ち着きを取り戻すと、主と大差ない小さな手でその背を支えた。
「主君が望むのであれば、如何様にでも。僕はあなたをお守りする刀ですから。体だけでなく、心だって……お守りいたします」
小さくとも前田も男だ。魅せる時は魅せてくれる。僅かに芽生えた嫉妬心を隠すように布を引き寄せれば、髭切がずいっ、と顔を寄せてきた。
「他人に嫉妬とかよくないよ。鬼になっちゃうからね」
「ッ!! べ、別にそんなんじゃないッ」
布を引き下げ顔を背ければ、髭切がクスクスと笑う。その声を遮るように政府の男と陸奥守が走ってきた。
「主! 怪我しちょらんか?!」
「水野さん! 怪我はねえか?!」
「あ……むっちゃん……武田さん……はい。特に、わ?!」
前田から手を離し、立ち上がろうとした主の体が倒れそうになる。咄嗟に手を伸ばして皆で支えれば、主は「痛っ〜〜〜……!!!」と震える声を上げながら足首を掴んだ。
「どうした、見せてみろ」
「っ〜〜〜……!! なん、か、沁みる、みたい、な……! イッタイ……!!」
痛みで背を丸め、体を硬くする主の背を支える。その役目はすぐさま初期刀の陸奥守に譲り、俺たちは皆主の足首に刻まれたモノへと意識を集中させた。
「こいつは……!!」
「何と禍々しい……」
「これは酷いね。すぐに清めよう」
絶句する。というのはこのことか。主の足首には誰かに掴まれたであろう、手の形がくっきりとついていた。更にそれは肌を焼いたかのように黒く変色し始めている。事実主は痛みに呻き、体を丸めている。
「御神酒はあるかい?! この痣はすぐに清めないと大変なことになるぞ!」
「すぐに持ってくる!」
「長谷部、僕も行くよ!」
石切丸の言葉に反応したのは長谷部と歌仙だ。二振りは駆け足で本丸内に戻り、石切丸は主の前に膝をついた。
「これは“呪い”の一種だね。酷い呪詛の念だ」
「マジ、クソですわ、こんなん……!!」
「うーん。多分だけど、肉が焼かれている感じに近いんじゃないかな」
険しい表情の石切丸に、主が痛みと苛立ちを綯交ぜにしたような声で返答する。そんな中ケロッとした顔で発言した髭切に視線が集まった。だが当の本人は飄々としたもので、主の痣を冷静に観察している。
「君には“よくないもの”の痕が残っているね。一体誰に呪われているんだろう?」
昨夜大典太が『蜘蛛の糸のように張り巡らされた呪い』を断ち切ったと言っていた。その痕が残っているというのだろうか。主の体に。
だが俺達の目に、それは見えなかった。
「だけど凄い力だよ。僕の目を以てしてもうっすらとしか見えない。僕たちを超える実力者か、あるいは技術を持っている者か……どちらにせよ厄介だね」
淡々と述べる髭切の不穏な気配を断ち切るように、神酒を持ってきた長谷部と歌仙が戻ってくる。
二振りは石切丸の指示に従いながらゆっくりとソレを痣に掛けていく。
「あ゛……!!! ぐぅう゛ぅう〜〜〜……!!!」
沁みるのか、それとも痛いのか。分からないが主は陸奥守の肩に額を押し付け、指の色が変わるほどの強い力で服を掴む。陸奥守や短刀たちも主を守るようにして抱き込み、それぞれ声を掛けている。
「大丈夫じゃ、絶対に大丈夫じゃ! 負けたらいかんぜよ!」
「主君、僕たちがお傍についております! どうか今はご辛抱を……!!」
「あるじさん! 絶対絶対大丈夫だよ! 皆がついてるからね! 負けないで!!」
「水野さん、せめてこれを噛め。口の中を切ると不味い」
息を荒げる主に、政府の男が綺麗に折られた布を差し出す。だが主の息は既に絶え絶えで、指先すら動かせそうになかった。そんな中声を上げたのは、我らが初期刀。陸奥守だった。
「主、噛むならわしにせえ。大丈夫じゃ。わしは手入れすれば治るき」
「で、も……」
「ええ、ええ。おんしだけに苦しい思いはさせられん。それにワシは初期刀やき。おんしとは一蓮托生じゃ」
ニッと白い歯を見せて笑う陸奥守に主も安心したのか、もぞもぞと顔を動かすと御簾を少しだけずり上げ、陸奥守の着物を噛む。
「あまりの痛みに意識が飛ぶかもしれないが、必ず祓ってみせるよ。それまで耐えてくれ」
「頼むぞ、石切丸」
今からお祓いをするという石切丸の邪魔にならぬよう、短刀たちと共に主の後ろに下がる。
荒い呼吸を繰り返す主の首筋には玉のような汗が浮かび、幾筋も流れていく。石切丸の他にも髭切、膝丸、太郎太刀、にっかり青江がそれぞれ自身の柄に手を掛け、待機した。
「いざとなったら俺たちが怪異を斬る」
「うん。鬼だろうが何だろうが、すぱすぱ斬ってしまおう」
「じゃあ僕は石灯籠みたいに斬ってやろうかな」
「我が一撃は暴風の如し。負けはしませんよ」
太郎太刀の言葉を皮切りに、石切丸によって主のお祓いが始まったのだった――。
終
火傷ってあとからじわじわきて痛いですよね。やだやだ。
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