小説
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 大広間で俺達は主が戻るのを待っていた。途中本丸内を捜索しているという『にっかり青江』という脇差を見たが、他には誰も見ていない。
 そして数分前まで俺たちは初期刀である陸奥守とへし切長谷部、そして先日顕現したばかりの三日月宗近から昨夜主に何が起きたかを聞いていた。俺を始め、多くの刀が審神者の命が危険に晒されていたとは知らずに寝入っていた。兄弟刀である堀川国広も悔しそうに唇を噛む。兄弟はこの本丸が出来てすぐに来たから審神者との信頼関係も厚い。だから余計に何も気づかずに寝入っていた自分が許せないのだろう。兄弟はこう見えて熱いところがある。自分に自信がなく、理由がなければ審神者に近寄れない俺とは大違いだ。
 だがそれでも、主を大事に思う気持ちはあると自負している。彼女は俺が『写し』だと知っても尚、態度が変わることがなかった。


『へえー。“写し”っていうのがあるんだ。レプリカみたいなもんかな? でもレプリカだと斬れ味がなー。山姥切さんはちゃんと“斬れる刀”なんですよね?』

 顕現してすぐ審神者はそう問うてきた。確かに俺は“写し”だが、斬れない刀ではない。ここでも侮られるのかと皮肉を込めて『あんたの期待通りかは知らないがな。斬れるさ』と答えた。これで嫌われるならそれだけの話だ。どうせ俺は“写し”だ。本物のように重宝されることはない。人間は俺の見た目しか求めていないんだ。だから俺も期待はしない。
 布で顔を隠しながら答えた俺に、審神者は予想していた反応とは真逆の態度を見せた。

『え。何だ。斬れるならいいじゃないですか〜。てっきり“写し”だと斬れないのかと思って……。ごめんなさい、勉強不足で。でもよかったー。それなら問題ないですね。これからよろしくお願いします』

 審神者はあっけらかんとそう返し、頭を下げてきた。俺はその時どう返せばいいか分からず、言葉に詰まった。
 確かに俺は刀だ。刀に切れ味を求めるのは普通のことだ。だが少なくとも俺が見てきた奴らは“本物の山姥切”を求めていた。俺の切れ味ではなく、刀の価値に重きを置いていた。囁かれるのは陰口ばかり。何も考えず聞くと称賛のような言葉にも、裏には『嗚呼、何だ。本物じゃないのか』という気持ちが滲んでいた。誰もかれも“俺”を、俺自身を見ることはなかった。
 “美しい”“そっくりだ”“意外といいじゃないか”“よく研がれている”。渡った先で頻繁に聞いた言葉たち。だがその後に続いたのは全て同じだった。

『これが“写し”ではなく本物だったらなぁ。俺も有名人になれたんだろうが。仕方ないか』

 響く笑い声が刀身に痛かった。どれほど“美しい”と称賛されても、どれほど“似ている”と絶賛されても、所詮俺は“写し”。彼らにとって俺は“本物”じゃなかった。多くの“紛い物”の中の一つだった。
 だが彼女は、審神者だけはそんなこと一つも言わなかった。
 俺を見て「美しい」とも「綺麗」だとも言わなかった。ただ「切れ味」だけを純粋に求めてきた。まるでそれ以外は刀に必要ないとでもいうかのように。ここまでハッキリと裏も表もなく『ただ一振りの刀』として見られたのは初めてだった。だから不思議だった。この女は俺に『本物の山姥切』を求めないのかと。本物と同じだけの力を求めないのかと。疑問と不安を同時に抱かざるを得なかった。
 だがそれはすぐに打ち消されることとなった。他の誰でもなく、彼女自身の言葉で。

『ほぉ。“山姥切国広”が隊長ですか。まだ練度も高くないみたいですし、顕現したばかりかとお見受けします。だがコイツはひねくれもので扱うのが難儀ですよ。まぁ、あなたも審神者に就任したばかりと聞きますし、あまり深い付き合いはせず適当にお付き合いなさい。そうすれば勝手に育ちますよ』

 初めて向かった演練先で、対戦相手の審神者がそう言って笑った。傍に俺がいたにも関わらず、顔隠しの御簾の奥で卑しく笑っていた。それに対し主は『わざわざどうもー。アドバイスまでくださって〜。検討してみますねー』と笑い返していたが、自陣に戻るとすぐに烈火のごとく怒った。

「何だアイツ何だアイツ何だアイツー!!!! 失礼にも程がある!!! 確かに私は審神者になったばっかりだし刀のことを何にも知らない無知でダメな審神者だけどさ!! 刀のことまで悪く言う必要ねえだろ!!! 山姥切が“難儀な刀”だと?! 難儀なのは人間だって一緒だろーが!!! 刀だけじゃないっつーの!!! それに“勝手に育つ”だと? んなわけねーだろ!! 刀だって出陣したり内番したり、いろんな経験を得て強くなるのに、その過程で得たものを何だと思ってんだ?! ふっざけんなよ! 許せねえ!! あいつ絶対ボコボコにしてやるかんな!!!」

 毛を逆立てた猫のように、主は「うがーッ!!!」と苛立ちを前面に押し出していた。あっけにとられる俺を余所に、共に演練に来ていた歌仙兼定が止めに入る。

「コラ、女性がそんな乱れた言葉遣いをするものじゃないよ。雅じゃない」
「でもさ! だってさ!! 歌仙さん聞いたでしょ?! あんのやろぉ〜、絶対ェ許さねぇかんな」
「はあ……本当、雅じゃない……」

 頭を振る歌仙とは別に、審神者の傍にいた秋田藤四郎がこちらを見上げて補足してくる。

「山姥切さん。主君は今すごく怒っているんです。山姥切さんが貶められた、って。ですが主君は戦いに参加することは出来ません。だから、僕たちが主君の分まで戦いましょう!」

 そう言って拳を握る秋田藤四郎の瞳はやる気に満ち満ちており、とてもじゃないが直視できる輝きではなかった。
 条件反射で布をひっぱり顔を隠すが、近づいてきた主によって閉じた視界は再び開かれた。

「山姥切国広!」
「な、なんだ」
「あのクソ審神者にあんたの切れ味教えてやんな!!」
「コラ。『クソ』はやめなさい。『クソ』は」

 突っ込む歌仙が審神者をなだめる様に肩に手を置くが、審神者は全く止まらなかった。

「いい?! 私はあんたの切れ味を信じてる! あんな審神者の言ったことなんて信じない。あんたはアイツの刀じゃなくて“私の”刀だ。私は私の刀を信じる。だから、俯くな! 負けるな!」
「ッ、だ、だが俺は……」

 俺は、所詮“写し”だ。向こうの審神者もそれを知っている。俺を、侮っている。向こうの刀たちは皆練度が高い。俺はすぐに負けてしまうだろう。幾ら『斬れる』と口では言っても、実力が伴っていないのだ。負け戦にどう自信を持てと言うのか。口ごもる俺に審神者は両手を伸ばしてくると、ピシャリ、と両手で頬を挟んできた。

 小さな掌から、強い思いが流れ込んでくる。

「勿論試合には負けていい。個人戦じゃなく団体戦だから、幾ら個人で勝とうが負ける時は負ける。でもね、“心”で負けるな。どんなに強い相手だろうと、心が折れちゃ戦えない。あんたは私に『斬れる刀』だって言ったよね? だったらちゃんと証明してきて。私に“山姥切国広”は斬れる刀だって。それが“私の刀”なんだって。他の誰かにじゃない。“私”に証明してみせて」

 まっすぐと投げられる言葉は力強い。そしてどこまでも深く深く、俺の心に突き刺さった。

「あんたは“山姥切国広”。確かに出自は“写し”なのかもしれない。でも私にとっての“山姥切国広”はあんただけで、そしてあんたが私にとっては“本物”なんだよ。誰がどう言おうとそれは変わらない。例えそれが山姥切。あんたの口から出たものだとしても。私は私の刀を信じる。私のところに顕現した、今この場にいる、私の目の前にいる、あんたという“山姥切国広”を信じる。だから、絶対に負けるな!」

 そう言ってから離された手の平は小さく、とてもじゃないが『戦』に向いた手ではない。だが今の彼女は俺以上に強く、頼もしかった。自身を布で隠そうとする気持ちすら奪うほどに、勇ましく、美しかった。

「よし! こうなったら徹底的にやるぞ! 歌仙さんも秋田くんも、試合に負けても勝負には勝とうぜ! あんな野郎に負けてやる必要なんかねえよ!!」
「主、どうして君は怒ると男口調になるんだい? 全く持って雅じゃない」
「でも主君のお気持ちはすごくよく分かります! 僕も負けたくないです!!」

 身長差があるため背伸びをしていたのだろう。ストン、と踵を地に下すと、彼女は掲げた拳を強く握りしめた。

「私ここで見てるからね! 皆負けんなよ!」
「やれやれ……分かったよ。それじゃあ行ってくるから、帰ってくるまでには怒りを鎮めておくんだよ」
「主君! 行ってきます!」
「ん! 行ってらっしゃい!」

 未だ固まったままの俺の腕を、歌仙と秋田が握って歩き出す。思わず振り返った先では主が大きく手を振っており、俺たちに向かって「負けるな!」と激を飛ばしていた。小さな体なのに、その中には収まり切れないほどの力がある。それは決して霊力などではない。
 彼女が持つ輝きは酷く眩しい。俺はまだ戦ってもいないのに、体が砕けてしまいそうなほどの痛みを感じ顔を歪める。そんな俺に気づいたのか、隣を歩く歌仙がクスリと笑った。

「驚いたかい? 僕たちの主は小さいけれど負けん気が強くてね。怒る時は烈火のごとく、悲しむ時は見ているこちらが辛いほどに落ち込む。本当に素直な人なんだ。だから彼女が君に言ったことは全て本当のことさ。彼女は僕たちに嘘をつかない。どこまでもまっすぐで、純粋だ」
「はい! それに主君はとっても優しくて、あたたかい人なんです。僕たちをちゃんと『刀』として扱ってくれる人なんです」

 歌仙に続き、秋田も小さな手で俺の手を引っ張りながら続ける。その足取りは短刀でありながらも力強く、進むことに迷いがない。まるで審神者のようだ。と、思うほどに。

「君が自分の在り方に悩んでいるのなら、ここで証明すればいい。彼女が僕たちに求めているものは“切れ味”だ。彼女は僕たちの見た目に騙されない。本質だけを見ている。“斬れる刀”にとってこれ以上の評価はないだろう?」
「大丈夫ですよ。試合に負けても主君は落ち込んだり責めたりしませんから。だから勝ちましょう! 僕たちが、主君にとって“斬れる刀”であると証明するためにも」

 まだ刀が少ない中で、殆どが負け戦だという中で、この二振りも主同様輝きを失わない。むしろより一層その心を燃やすかのように自身を奮い立たせ、この場に立っている。

――俺は、本当にこの本丸にいていい刀なのだろうか? 所詮俺は山姥切の“写し”なのに――

「山姥切国広、僕から言えることはただ一つだけだ」
「……何だ?」

 抜刀し、構える歌仙兼定が“雅”とは程遠い顔で笑む。その姿はまさしく『戦刀』そのものであった。

「“心を燃やせ”。それが、僕が彼女に教わったことだ」

 試合開始の合図が鳴る。先陣を切って走りだした秋田藤四郎が風の如く駆ける。それに続く歌仙兼定も、遅れて走り出した俺も。自身を抜き、その刃が光を反射した時。歌仙が口にした、主の教えが自然と身の内に湧いてきた。

――心を燃やせ。

 煌めく刃同士がぶつかり合う。斬られることは痛い。肉の器を得て初めて“痛感”する。斬った時の心地はまだ分からない。ただの刀でいた時と大差ないように思うが、相手が付喪神だからなのかもしれない。それでも、試合の最中に思うことはただ“勝つ”ことのみだった。痛くとも、血が流れようとも。不思議と膝を折る気にはなれなかった。それこそ、『心が負けてしまう』と思ったから――。

 残念ながら試合には負けた。当然だ。人数も練度も足りなかった。向こうの審神者は『当然の結果だな』という風に笑って頷いていたけれど、あちらにいた刀剣男士は皆異様なものを見るような顔をしていた。だがこの時俺は顔を隠したりはしなかった。ただ負けた戦場を見つめた。背後から彼女が駆け寄り、俺の手を取り笑うまでは。


 だから、俺にとって主は、かけがえのない人なんだ。俺を“俺”として見てくれた、初めての“人”なんだ。だから、俺から主を奪うというのなら、俺はそのすべてを“斬る”。


「水野さんはいるか!!」

 政府の男が大広間に駆け込んでくる。その表情からは逼迫した状態であることが察せられ、広間に集う皆に緊張が走る。

「いや、見ちょらんが……何かあったが?」

 俺達を刺激しないようにか、初期刀である陸奥守が落ち着いた声音で問いかける。だがその表情はいつもとは違い硬く、主に何かあったのだと悟っているようでもあった。

「……クソッ! すまねえ、目を離した隙に姿が見えなくなっちまった。今うちの刀共も探している。もうすぐお前らのとこの刀も」

 男が言葉を続けようとしたところで、小夜左文字と大典太光世が駆け込んでくる。

「陸奥守さん! 主がどこにもいないんだ!!」
「すまない、陸奥守……! 今の俺では主の霊力を辿ることが出来ない……!」

 小夜左文字も大典太光世も、本丸中を駆けまわって探したのだろう。額には汗が浮かび、息が乱れている。
 そしてこんなにも感情を露にした二振りを見るのは初めてだった。だが他の皆もそうだ。皆それぞれ、様々な形で主を慕っている。小夜左文字も大典太光世も、俺だって。彼女が大切で、大事なのだ。そんな彼女を攫うことがどれほど重い罪なのか。誰が相手であろうと、許せるものではなかった。

「……武田さんとやら。主がこん本丸内で消えた、っちゅうことは確かなんやろうな?」
「ああ。異変を感じた太郎太刀が止めようと声を出した瞬間、目の前から消えたらしい。それまで何の異変も気配も感じなかった。だからまんまと連れ去られた。いや、正確には分からんが。“連れ去られた”のか“切り離され別の空間に飛ばされた”のか……」

 こんなことは政府の男も初めてなのだろう。悔し気に顔を歪める姿からは嘘をついているようには感じられず、俺は陸奥守を見上げる。

「どうする。陸奥守」
「どうもこうも、探すしかないろう。じっと待っちゅーだけで戻ってくるなら別やけんど……」
「その可能性は限りなく低いだろうからな」

 陸奥守の言葉を続けたのは長谷部だった。その表情は凪いではいたが、自身の鞘を握る手は震えていた。隣に座っている兄弟もそうだ。皆が“大切なもの”を奪われたことに憤っている。相手には悪いが、これでも“神”のはしくれだ。相応の覚悟はしてもらわねばならない。
 だがそれを止めたのはやはりと言うべきか、政府の男だった。

「気持ちは分かるが落ち着け。無闇に動いてお前たちに何かあったらどうする」
「“どうする?” だと……? 主の危険に気づくことすら出来ず、ここで“ただ座って待っていろ”と言うのか?!」

 吠える長谷部に男は顔を顰めるが、すぐに「そうだ」と頷く。

「うちの刀たちでも察知出来なかったんだ。つまり相手の霊力や技術が俺達を上回っている可能性が高い。正直に言うが、俺の刀に比べお前たちは弱い。ここで一番練度の高い陸奥守でさえ、俺の太郎太刀が全力を出せば折れるだろう。そんなお前たちを、危険に晒すわけにはいかない」

 男の言い分は分かる。大広間のすぐ近くを歩いて行った『にっかり青江』の纏う霊力でそれは理解していた。彼らは所謂『最高練度』というやつに達した本物の強者なのだろう。この本丸内を探っているという刀たちもそうだ。俺達より練度も高く、また霊力も高い。だがだからと言って、何もしないのは腑に落ちなかった。

「おんしの言うことも分かる。けんど、見回るだけでもさせてくれんか。わしらの主じゃ。わしらの手で探したい」

 今すぐにでも動き出しそうな俺達の気迫が伝わったのだろう。陸奥守の落ち着いた態度も功を成したのか、男は暫く黙った後、重苦しい吐息を一つ零した。

「……ならばせめて複数人で動け。決して一人だけで動き回るな。特に大倶利伽羅。お前は燭台切や鶴丸と共に行動しろ。決して単独行動はするな」
「あんたに指図される謂れはない」

 名指しで釘をさされた大倶利伽羅は顔を顰める。だが物事に対する判断力が欠けている刀でもない。口では反抗しつつも、伊達の刀で動くつもりではいたようだった。傍に座す燭台切光忠や鶴丸国永も頷いている。

「兄弟、僕たちも一緒に行動しよう」
「ああ、そうだな」

 俺は“山姥切”の写しだ。写しと言えど怪異に対して多少なりとも力を発揮することが出来るはず。俺を“山姥切国広”として信じてくれた主を、見殺しにはしない。


 その後話し合った結果、少数ではなく大人数で動く方がいいということになり、俺と兄弟、そして和泉守は伊達の刀たちと組むことになった。陸奥守は長谷部や大典太光世、左文字の兄弟と。粟田口の短刀たちは歌仙を始めとする打刀たちと。そして広間に残るのが三日月宗近と鶯丸の二振りとなった。

「異変があればすぐに知らせよう」
「皆心して行くんだぞ」

 主が戻ってきた時のために、と残ることを決めたのがこの二振りなのは心配だが、皆じっとしていられないのだからしょうがない。それに落ち着いた刀がいた方が戻ってきた主も緊張が解れていいかもしれない。なので俺達はそれぞれ政府の男が連れてきた刀と共に本丸内を捜索することになった。




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