小説
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 彼氏いない歴=年齢の喪女審神者こと水野(仮名)、現在本丸ゲート前で仁王立ち中です。


『もう一つの本丸』


 知らぬ間に死にかけた昨夜。主人想いの刀たちに助けられ、私は無事に朝を迎えることが出来た。最初は眠れないかな〜。なんて思ったが、布団に入ったらすぐに寝たよね。いやー、自分の神経の図太さには本当ビックリだわ。まぁ皆がいるから安心できた。っていうのもあるんだけど。実際私の右隣には大典太、左隣には小夜という安心安全の位置で寝かせてもらったからね。そりゃあ快眠ですわ。久々にぐっすり寝たわ。おかげで今日も一日元気にやれますわー! なんて、呑気に笑っていられる状況では残念ながらなかった。

「武田さん、まだかなー」

 そう。今日は本丸に武田さんと業者の人が点検に来る日でもあった。なので私は昨夜大典太が切ったという霊力測定機について話がしたかった。
 眠りにつく前、測定機は確かに透明なままだった。中心部に私の霊力を表すオレンジ色の球体はあったが、大きさが変わったとか、形がおかしくなったとか、そういった異変は全くなかった。だけど大典太が斬り、飛び散った破片は真っ黒だった。集められるだけ集めた破片には私の霊力を表すオレンジ色はどこにもなかった。
 水晶がどれくらい染まっていたかと言うと、塗料をそのまま注入して閉じ込めたみたいに真っ黒だった。どこにも濁りがないそれは闇夜のようでどこか恐ろしく、眺めつづけていると鳥肌が立ちそうでもある。なので私は破片を集められるだけ集めた後、丁寧にハンカチに包み、歌仙から貰った桐箱へと入れた。

「連絡はしていたのでしょう?」
「うん。出来る限り早く行く。って返信来たけど……これじゃあ予定通りの時刻になるかもね」

 宗三が尋ねてきたように、私は朝一で武田さん宛てにメールを出した。測定機が真っ黒に濁ったこと。そして本丸内で謎の怪異に襲われたこと。詳細を省いての簡潔なメールではあったが、武田さんはすぐに返信をくれた。
 本来なら今日も通常通り出陣と遠征を行うはずだったが、私にこんなことがあったのだ。武田さんからも『本丸から出ないように』と返信がきたので、今日は非番だ。それに関する説明は陸奥守と長谷部に任せている。

 現在ゲート前にいるのは宗三と小夜、そして大典太だけだ。三振り以外の刀たちは皆広間に集めている。私は言わなくてもいいと思ったんだけど(無駄に心配かけたくないし)
陸奥守と長谷部から『私に何が起こったか』をキチンと説明すべきだ。と力説され、三日月と共に広間へと行かせた。
 一応大典太に聞けば、もう『妙な気配』は感じないらしい。だけど何が起きるかは分からない。だから皆私に大人しくしていて欲しいみたいだけど、奥に引っ込んで震えているなんて性に合わない。だって隠れてても見つかれば終わりだしな。
 だからこうしてゲート前で、出来る限り堂々と。背中だけでも立派に見えるよう、仁王立ちをしているのだ。まぁあんまり意味ないんだけどさ。
 ふう、とため息交じりの吐息を零した瞬間、ゲートが反応する。

「おう! 遅れて悪ぃな!」
「水野さん、おはようございます」
「武田さん、太郎太刀さん。おはようございます」

 ゲートからスーツ姿の武田さんと正装した太郎太刀が入ってくる。しかしその表情は険しい。太郎太刀は後から入ってきた作業着姿の男性数名とゲートのすぐそばで待機し、武田さんはまっすぐ私に向かって歩いてきた。

「例の測定機、見せてくれるか?」
「はい。こちらです」

 私の代わりに桐箱を持っていた大典太を促せば、彼はそれを武田さんへと差し出す。武田さんはそれを受け取ると太郎太刀へと視線を流し、軽く頷いた。

「それでは、私が拝見します」
「ああ。頼む」

 武田さんから太郎太刀へと渡された桐箱は慎重に開かれ、一人と一振りはそれを眺めた。

「マジか……本当に真っ黒だな。こんな炭みてぇになったやつは初めて見たぜ。どういうことだ?」

 訝しむ武田さんの眉間には深く皺が刻まれ、欠片の一つを手にした太郎太刀も同様に厳しい表情をする。

「水野さんの霊力では太刀打ちできないほどの禍々しい力を感じます。鍛刀場だけでなく、本丸中を点検した方がよいかもしれませんね」

 砕けた破片を箱の中に戻すと、太郎太刀は武田さんへと視線を下ろす。その表情は以前見た時と同じように涼やかなものではあったが、この事態を軽視しているようには見えなかった。対する武田さんもそれを理解しているのか、太郎太刀の言葉に頷く。

「その方がよさそうだな。石切丸や青江を呼んで見回ってもらうのもありか」
「であれば、髭切と膝丸も呼んできましょう。作業の方たちに何かあってはいけませんから」
「そうだな」

 武田さんと太郎太刀との間で話が進む。そんな中、悲しいかな。私は蚊帳の外だ。余計な不安を与えないよう配慮してくれているのかもしれないけど、もっと話に混ぜて欲しいな。と思う。
 確かに『本丸』も『刀剣男士』も根本的には政府のものだ。私がどれだけ「主である」と主張したところで、その権利は政府が認めてこそのもの。政府がこれを認めなければ私は『審神者』として活動出来なくなるし、刀たちも本丸ごと解体されるはず。
 私に霊力がないことは承知の上だ。武田さんの本丸とは違い、霊を斬ったり祓ったりできる刀が少ないことも分かっている。それでも今の私にとってはこの本丸が『家』であり『仕事場』でもあるのだ。それを人の意見だけで自由にされるのは少しだけもどかしかった。

「じゃあ水野さん。悪いけど俺の本丸にいる刀を何人か呼んでくるから、先に太郎と業者の奴ら連れて鍛刀場へ向かってくれ」
「あ、はい。分かりました。太郎太刀さん、こちらへどうぞ。皆様も、こちらです」

 もどかしいと思っていても特別何か出来るわけではない。専門家たちに任せるのが一番だ。そう自身に言い聞かせ、心の中に渦巻くモヤモヤを鎮める。昔から餅は餅屋って言うしな。うん。そう思えば腑に落ちなくもない。なので私はサクッと意識を切り替え、太郎太刀と業者の人たちを鍛刀場へと連れて行く。
 因みに今日の近侍は陸奥守なのだが、彼には皆のことを頼んでいる。なので“本丸内で護衛をつける”というのも妙な話だが、私の傍には小夜と大典太が着いてくれることになった。宗三は小夜の付き添いだったらしく、鍛刀場へと向かう前に「僕は大広間に戻りますから。何かあったら呼んでください」と言って広間へと戻った。

「ここが鍛刀場です」

 辿り着いた鍛刀場は先日戻って来てから一度も使っていない。一応掃除は歌仙や長谷部といった綺麗好きの刀たちが率先して行ってくれているので汚れてはいないが、流石に空気中に漂う“澱み”だとか、悪い気だとかは分からない。大典太が何も言わないので大丈夫だとは思うが、太郎太刀は用心深く中を見回した。

「ふむ……水野さんの霊力以外何も感じませんね……」

 元よりあまり期待していなかったのだろう。太郎太刀は表情を変えることなく呟いたかと思うと、業者の人たちを促し指示していく。
 一度ならず二度までも、ましてや三度目となれば不安も募る。だけど私には彼らがどこをどう調べるのかも、またその結果が“普通”なのか“異常”なのかも説明されなければ分からない。他の本丸と鍛刀場の話なんてしないし、仕方のないことなのかもしれないけれど、せめて何か出来ればな。と動き回る人たちの背を眺めていると、どこか楽し気な声が聞こえてきた。

「へえ。君が呼んでくるからどんな場所かと思ったけど。割と普通の家じゃないか」
「馬鹿野郎。家じゃなくて本丸だよ。俺と同じでここにも審神者がいるんだ。失礼なことすんなよ?」
「主こそ失礼なことを言うな。兄者はのんびりとはしているが、礼節はちゃんと弁えているぞ」
「どーだかな」

 遠くからでもよく分かる、ガタイのいい武田さんの両脇には細身の美男子が二人、いや、二振りか。それぞれの個性を放ちながら言葉を交わしている。美男子なだけあり歩いてくる姿は爽やかだ。これが少女漫画なら確実に花でも背負っているだろう。私の傍にいる小夜と大典太はあまり少女漫画向けとは言い難いが、私にとっては大事な刀だ。二振りとも主人想いだし、普段口数が少ない分言葉に重みがあっていい。信頼できると胸を張って言えるんだから、それ以外の要素は特にいらんだろ。
 そう一人で頷いていると、向こうもこちらに気づいたのだろう。あっという間に距離を縮めてきた一振りが微笑む。

「君がこの本丸の審神者かい? ぷくぷくしてちっちゃくて、何だか大福みたいだねぇ。食べたら美味しそうだ」
「おい。礼節はどこ行った」
「兄者ァ……」

 渋い顔をして突っ込む武田さんと、項垂れるもう一振りの刀。『兄者』と呼ばれたクリーム色の頭髪をした美男子は「ありゃ?」と悪気なく首を傾けると、再び私を見下ろした。

「ああ、そうか。自己紹介がまだだったね。僕は源氏の宝重、髭切さ」
「そして俺が弟の膝丸だ。主に呼ばれてな。本丸内を点検させてもらう」

 髭切と膝丸。どちらも私の本丸にいない刀だ。この短時間で察したが、この甘い顔立ちの髭切とは違い、キリっとした顔立ちの膝丸の方がしっかりしているらしい。まぁ大体上の子って自由奔放なとこあるよな。私の兄もそういうところあるし。なんて頭の片隅で考えながらも頭を下げる。

「審神者の水野です。お忙しい中ご足労おかけして……本当すみません」
「いや、これも仕事の一つだ。主に聞いたがこの本丸には『俺達』がいないそうだからな。どんな刀か分からないかもしれないが、実力は保証する。安心してくれ」

 キッチリカッチリ受け答えしてくれる膝丸に再度頭を下げれば、例の自由奔放の『兄者』が私の頬を指先でツン、とつついてきた。

「ありゃ。もっとぷにぷにしてるかと思ったけど、意外と硬いんだね。大福というより“ぜりぃ”みたいだ」
「そ、そうっすか……何かすみません……」
「兄者……頼むからそうホイホイと女子に触れないでくれ……」

 項垂れる膝丸に髭切が「ごめんごめん」と笑って謝罪する。だが反省しているようには感じられず、私はこっそりため息を零す。ぶっちゃけしんどいぞ。このノリ。そんな私に気付いたのか、小夜と大典太が一歩前に進み出る。

「早速だが本丸内を案内しよう。あんたたちの本丸と構造が一緒かは知らないが、好き勝手歩かれても困るからな」
「僕たちの部屋は後回しでいいので、まずは主の部屋を見てください。怪異が起きたのは主の部屋なので」
「了解した。兄者、行こう」
「そうだね。じゃあまたね。えーと……ぜりぃちゃん」

 誰がゼリーじゃい。と思いはしたが、顔を覆っている武田さんが視界に入っていたのでやめた。多分アレは言ってもダメなタイプだ。勘だけどそんな気がする。そんな髭切と膝丸を大典太が連れて執務室へと向かう。もしまた怪異が起きてもあの三振りだ。自力でどうにかするだろう。特に髭切と膝丸は練度が高いように思えた。まぁそもそも審神者の霊力自体が違うからなぁ。月とスッポンのようなものだ。
 ふぅ、と一つ息を吐き出し、小夜と共に武田さんに向き直れば、武田さんは「すまねぇな」と言いつつ後頭部を掻いた。

「髭切はちっと能天気というか、マイペースな所があってな。悪気はないんだが、どーにもなぁ……」
「ああ、別にいいですよ。流石に“豚”とか“デブ”って言われたら『もうちょっとオブラートに包まんかい!』って突っ込みましたけど」
「流石にそこまで失礼じゃねえよ。だが悪ぃな。気遣ってもらってよ」

 苦笑いする武田さんからは、彼なりに刀を大事にしている様子が窺える。やっぱりこの人はいい人だと思う。霊力測定機が怪しかったからちょっと疑ってたけど、彼は違う気がする。そっと視線を下せば小夜も小さく頷く。どうやら小夜も武田さんは「違う」と判断したらしい。
 かと思えば、またも違う声が掛かった。

「やあ。遅くなってすまないね」
「加持祈祷中の彼を連れてくるのは骨が折れるんだけど、僕たちの主は人使いが荒いよねぇ。あ、刀使いか」

 武田さんの背後。ゆったりと歩いてきたのは平安貴族か! と見紛うばかりのおおらかそうな男性と、中性的な顔立ちのすらりとした男性だ。口調や恰好からして彼らも刀なのだろう。現に彼らは私たちの元へと来ると優雅に微笑んだ。

「私は石切丸。病気治癒がお望みかな? 腫れ物や病魔を霊的に斬ることもあるから呼ばれたんだけど、君は健康そうだから違うかな?」
「僕はにっかり青江。君も変な名前だと思うだろう? でもさ、にっかりと笑った女の幽霊を斬ったのが由来、と聞いてまだ君は笑っていられるかな?」

 ……え? 何で私脅されなあかんのん? 私初対面やで?
 困惑を露に“にっかり青江”とやらを見つめれば、彼は「フフフ」とどこか妖艶に笑う。え。ちょっと意味わかんないです。

「君は僕のことが気になるのかい? 熱烈だねぇ」
「いや、単にお前が気持ち悪くて引いてるだけだと思うぞ」
「ははっ。流石に私でも青江の“邪気”を祓うことは難しいなぁ」
「酷いなぁ、二人共」

 始まるコントというか漫才にどう口を挟めばいいか迷っていると、鍛刀場から出てきた太郎太刀がすっぱりとやってくれた。

「何をしているんですか、三人共。水野さんが困っているでしょう」
「おや、これはすまなかったね」
「緊張感を解してあげようかと思ったんだけど……変な意味じゃないよ?」
「青江、それ以上言ったら一週間トイレ掃除な」

 ……うん。よく分からんが、とりあえずにっかり青江に悪気はなかったらしい。ただちょっとアレだ。私と温度差があったんだな。そうだな。うん。すまんかった。とりあえず私は改めて二振りに自己紹介し、ここで起こった怪異のことを端的に説明する。

「そういうこった。だからお前たちは本丸内を見回ってくれないか。水野さんの部屋には髭切と膝丸が向かったが、場合によっては石切丸に加持祈祷してもらった方がいいかもしれないからな」
「じゃあ僕は妙なやつがうろついていないか見て来よう。偵察は得意なんだ」
「では私は青江とは反対側から回ってみよう。本丸は広いからね」

 仕事となった途端頼もしくなるのは流石と言うべきか。にっかり青江と石切丸はそれぞれ方向を決めると歩いていく。そして鍛刀場から出てきた太郎太刀は改めて私たちに向き直った。

「今のところ鍛刀場から異常は見当たりません。水野さん以外の霊力は感じられませんし、妙な道具や気配も見られません」

 太郎太刀の背後では未だ業者の人たちが何かしらの検査を行っている。その背中からは真剣さが伺え、決して適当にしているようには思えなかった。

「全て終わったわけではないので引き続き点検を行いますが、あまり期待できませんね」
「分かった。だが仕事は仕事だ。最後までやってくれ」
「ええ。分かっています。それでは水野さん。終わり次第また報告に来ますので、もう少しお待ちください」
「あ、お、お願いします」

 中間報告を終えると太郎太刀は再び鍛刀場へと戻っていく。それを二人と一振りで見送った後、私は武田さんへを見上げた。

「武田さん。あの破片はどうなるんです?」
「あ? ああ。鑑識と製造部、それから研究室へと渡す。あんだけ砕けてたから分割して渡せるしな」

 ニッ、と口の端を上げて笑う武田さんに苦笑いを返す。だが私は御簾をしているので武田さんからは見えないのだが。この御簾は巫女服同様、政府に渡されたが着用を義務付けられているわけではない。そのため御簾をしている人もいればしていない人もいる。武田さんは後者だ。別につけずとも問題ないのだが、どうして彼は御簾をしないのだろうか。

「あの、全然関係ないことなんですけど、一つ聞いてもいいですか?」
「おう。何だ?」
「武田さんはどうして“顔隠しの御簾”をしていないんです?」

 演練会場で見かける審神者も御簾をしている人としていない人は半々ぐらいだ。している人は『審神者』らしく神職らしい服装を着用していることが多い。だけど私は普段着だ。勿論私以外にも普段着に御簾をしている人は見かける。だが政府の役員として、審神者として。多くの人と接し、また活動する武田さんが何故御簾をしていないのか。疑問を抱く。
 何せ御簾は「相手から顔を隠す」だけでなく、神様である刀剣男士たちを「直視した」結果、審神者側に異状が起きないよう設計されているからだ。付喪神と言えど神様。神を直視すれば「目が潰れる」だとか「視力を奪われる」だとか、目ごと「持って行かれる」という噂まで出ているほどなのだ。嘘か本当かは別として、そういったリスクを政府の役員であれば知っているはず。だがそれを冒してでも御簾を外す理由が知りたかった。
 だが真剣な私とは裏腹に、武田さんはあっけらかんと言い放った。

「ああ。単にめんどくせえだけだ。邪魔だしよ」
「…………は? 邪魔?」

 邪魔。……邪魔って……。そりゃあ洗顔する時とか寝る時とか、お風呂に入る時とかは邪魔だよ? 目の前でプラプラしてるわけだし。でもそういった時は外せばいいだけだしさ、呼吸がしづらくなるとか変なにおいがするとかもないんだし、もっとまともな理由があるのかと思ったが……。武田さんはただ「面倒臭い」からしないらしい。

「まぁ確かに御簾をしてなかったせいで色々問題が起きてる本丸もあるが、そんなところは大概審神者自身に問題があるんだ。目が焼かれたとか意識を奪われたとか、結局あんなもんただの言いがかりだよ。確かにあいつらは神様で、俺達なんて好きなように出来るだろうさ。だが奴らは外道じゃない。お遊びで持ち主の目を潰したり焼いたり、意識を奪って閉じ込めたりはしねえよ」

 そう言い放つ武田さんの態度からは絶対な自信と、刀たちに対する信頼が見える。いや、信頼というより「敬い」の方が近いかもしれない。気さくな態度や口調を取っているけれど、武田さんはちゃんと彼らのことを「神様」として見ているらしかった。
 そりゃそうか。政府関係者ってことは彼らの本家本元を見ている可能性だってあるわけだし。私よりずっと長く審神者もしているんだ。就任してから半年程度の私と比べたらダメだよな。

「ま、霊力が低いあんたはしてた方がいいかもしれねえがな。刀たちに好かれてもいるみたいだしよ。“連れて行かれたら”それこそ洒落にならねえよ」

 ははっ、と笑い飛ばす武田さんだが、あんなことが起きた後だ。正直「何言ってんすか〜」なんてケラケラと笑うことは出来ない。理由が何にせよ、私は彼岸――ようは「あの世」だ――に行きかけたのだ。笑える余裕は未だない。せめて原因が分かれば鼻で笑うぐらいは出来たかもしれないが、現状では難しかった。それを武田さんも察したのか、すぐに笑みを引っ込めると私の背を軽く叩いた。

「ま、俺達がいるからよ。それにあんたには刀たちがついてる。そう暗い顔すんな」
「……はい。そうですね」

 小夜が私の手を握ってくる。小さくても温かく、力強い手を握り返せば不思議と心は落ち着いた。

「それじゃあ水野さん。あんたは一旦広間で刀たちと一緒に待っててくれ。まずは髭切と膝丸に話を聞いてくるからよ」
「分かりました。お願いします」

 武田さんの案内を小夜に任せる。小夜は少しだけ不安そうな顔を見せたが、ここは敵陣ではなく本丸なのだ。霊力の高い武田さんもいるし、彼が連れてきた練度も霊力も高い刀もいる。何も心配することはないさ。と庭を横切っていた時、足元が『ぐにゃり』と変なものをひっかけたような気がした。

「……おっほーう……??? 今なぁーんか嫌な感じが……」

 ダラダラと背に嫌なものが流れる。何だろう。この感じ。さっきの『ぐにゃっ』とした感触は何か……ナマコみたいな。もっちり、むんにゃり、ぐんにゃりした、いやーな感触だった。裸足でナメクジ踏んだみたいな……。うわぁ、気持ち悪っ。さっさと皆の所に行こう。そう考えて歩き出そうとした瞬間、私は嫌なことに気づいてしまった。

「……嘘やん……何で世界が赤いの……?」

 時間はまだ朝だったはずだ。朝って言うか午前中っていうか、ようはAMだ。PMじゃない。それなのに何故今、この本丸内は夕暮れに染まっているのか。

 おいおいおいおいおいおいおいおい。嘘だろ。まさかまた私寝てんじゃないだろうな?!?! というか寝た?! 寝たのか?! 歩きながら?! んなわけねえだろ!!!! え。いや、でもさぁでもさぁ、じゃあ何でこんなことになってんだ??? 油断大敵、とは言うけどさ、だって太郎太刀さん背後にいたじゃん。髭切も膝丸もさっきまでここにいたじゃん。石切丸もにっかり青江もいたじゃん。異変を感じたら教えてくれるんじゃなかったの? それともやっぱり私歩きながら寝たの? ええもう……意味わからん……。

 呆然と立ち尽くす私の耳に、夕暮れの中寂しく鳴く蝉の声だけが木霊した。




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