小説
- ナノ -



「主、お茶をお持ちしました。……ん? って、な、何をしている! 陸奥守!」
「お? 長谷部か? 見たら分かろう? 主が寝ちゅうき、膝を貸しゆう」

 出陣や遠征の回数が減ったため、今日は本丸内の清掃を言い付かっていた俺は自身の休憩も兼ねて主にお茶をお持ちした。だが開け放たれた部屋の中、すぐに目に入ったのは近侍である陸奥守の背中だ。そして敬愛する主は横たわっており、どうやら眠っているらしかった。

「ぐっ……! そ、それはそうだが、何故そうなっているんだと聞いている!」

 主を起こさぬよう、出来る限り声を押さえて陸奥守に近づく。こいつは初期刀であり、第一部隊の隊長だ。実力は折り紙付き。練度も高く、未だ敵わない。そのうえ主の信頼を一身に引き受けている羨ましい男だ。そんな男が今、主に膝を貸している。つい最近まで近侍以外の刀が部屋を訪れることも叶わなかった身に、陸奥守はこうも易々と触れることが出来るのだ。悔しくないわけがない。
 だが当の本人は至って落ち着いた顔で、最近主があまり眠れていないのだと口にした。

「主はよう見ちょかんとすぐ無理をするきなぁ。ワシらはすぐに回復出来るけんど、主はそうはいかんき」

 陸奥守もやはり主の姿勢には思うところがあるらしい。
 主は俺達刀剣男士には「戦に出る身なんだからしっかり休養するように!」と口にするが、ご自身はいつも無理ばかりする。どれほどこちらが言い募っても「大丈夫大丈夫。あと五分ぐらいで終わるから。給料分の仕事しかしないって」と笑い飛ばしながらも遅くまで報告書を作っている。俺以外にも宗三や大倶利伽羅も気にしているようで、短刀たちは『自分たちの遊びに付き合わせる』という体でよく主を仕事から引きはがしている。我々のことばかり気にかけているせいか、いつも主はご自身のことを省みない。もう少し息抜きしても罰は当たらないというのに。困ったお人だ。

「こん本丸のことも気にしちゅうみたいやき、ワシらが不安な顔したらよけい心配するぜよ。優しすぎるのも問題じゃ」
「……そうだな」

 俺たちが完全勝利を収められないのは決して『練度が低いから』という理由だけではないそうだ。出陣先にも異常があるのだと先日説明された。以来出陣は慎重に行われるようになり、部隊の編成も短刀と脇差が中心となった。打刀は交代で一振り部隊に入る。今日の出陣は鳴狐だ。他は内番と遠征に分かれており、どちらもない俺は他の面子と共に本丸内の清掃や刀装作りに励んでいた。
 主も『鍛刀』という仕事が無くなったとはいえ、やることが多くあるらしい。俺は近侍になったことがないので詳しくは知らないが、主が望むなら幾らでも手を貸したかった。だが主は責任感が強く、他者に頼ることを苦手とする面がある。だからこうして陸奥守の膝を借りている姿が、彼への信頼を示しているようで少し妬ましくもあった。

「……うっ、」

 眠っていた主が唸る。顔は御簾のせいでお伺いすることは叶わないが、何やら苦しんでいることだけは分かった。どうしたものかと陸奥守と視線を合わせると、主は自身の胸に手を当て強く唸りだす。

「うっ……や、だ……やめて……やめてよ……」
「! 主! どうしたが!」
「主! お目覚めください!」

 うーうーと唸る主の肩に手を掛け、陸奥守と共に揺さぶる。小さな体は柔く、力を入れすぎると壊れてしまいそうだ。それでも何度か呼びかけ揺さぶっていると、主の意識が戻ってくる。

「ぅ……あ……」
「主! 大丈夫ですか?!」
「御簾が邪魔で顔色が分からんな。主、ちっくと温いが茶じゃ。飲むとええ」
「ん……ありがと……」

 目覚めたはいいが、まだどこかぼんやりとしていらっしゃる。陸奥守が主の背を支えながら湯飲みを渡し、両手で受け取った主はそれに口を当てる。御簾の奥でゆっくりと湯飲みが傾き、そうしてゴクリ。と嚥下する音が聞こえた。

「……はあ……ありがと。どのくらい寝てた?」
「そんなに寝ちょらん。精々十分じゃ」
「あー……何だ。そっか。てっきり三十分は寝たかと思ったんだけどな……」

 困ったような様子で後頭部を掻くと、主は傍に控える俺に気づいたらしい。いつものように明るい声で「あれ?」と驚きを露にした。そこに無理をしている様子はなく、少しだけ安堵する。

「長谷部来てたの?! ごめん気づかなくて! 何かあった?」
「いえ、俺は主にお茶をお持ちしただけですので……ですが主、本当に大丈夫ですか? 御簾で顔色は伺えませんが、陸奥守からあまり眠っておられないと聞いております」
「え? あ、ああ。大丈夫大丈夫。元々夢見が悪いとこあるし、気にしないで」

 主は笑って誤魔化すが、その姿に以前ほどの覇気はない。人の器を得て初めて分かったが、人間にとって『睡眠』とはとても大事なものだ。俺達刀剣男士でさえ睡眠を取らねば思うように動けない時がある。主はただの人間だ。その弊害は俺達よりもずっと大きいだろう。現に空元気なのが目に見えて分かるのだ。黙する俺に、主もしゅんと肩を落とす。

「……本当に、夢見が悪いのはよくあることなんだよ。でもこんなに続いてるのは珍しくて……変だな、とは思うんだけど……。ほら。政府の人と色々話してきたばかりだしさ。もしかしたらどっか不安なのかも。ごめんね! あんまりそういうの、言うべきじゃないって分かってるんだけど……」

 主が謝罪する必要は微塵もないのに、将たる者はもっと堂々とせねば。と思っているのだろう。すぐに俯かせていた顔を上げて両手で拳を握る。

「でも十分でも寝たからだいぶ楽になったよ! やっぱ仮眠って大事だね! さーて。続きに取り掛かるとしますか。ありがとね、むっちゃん。長谷部」
「いえ……俺は何もしていませんから……」

 何も言わない陸奥守へと視線を向ければ、陸奥守は珍しく険しい顔をしていた。だが主を睨んでいるわけではなく、何かを考えているようだった。しかし当の主は既に俺達に背を向けており、それに気づくことはなかった。

「主」
「うん?」
「何かございましたら……いえ、何かなくとも、いつでも長谷部をお呼びください。すぐに駆け付けますので」
「あはは。うん。分かった。ありがとう」

 こちらは本気で言っているのだが、主は気遣っているように見えたのだろう。主はクスクスと笑うと、先程の湯飲みを指さした。

「じゃあ悪いけど、あったかいお茶淹れてきてくれる?」
「……はっ。畏まりました」

 例え雑用であろうとも、俺は喜んで拝命する。今はまだ深追いすべき時ではない。初期刀である陸奥守が何も言わないのだ。ならば俺が出しゃばったところで主は口を割らないだろう。柔軟なように見えてこの方は頑固なところがあるから。
 俺は未だ口を開かぬ陸奥守に視線を向け、小さな声で囁いた。

「何かあれば言え」
「分かっちゅう」
「……そうか」

 盆の上に湯飲みを乗せ、一礼した後部屋を去る。俺と主の心の距離はまだ縮まっていない。あの日の失態は水に流してもらえたが、それでも尚、主の御心が遠い。
 俺は雲一つない青空を見上げ、一つ吐息を零してから厨へと足を向けた。




prev / next


[ back to top ]