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 審神者の部屋から障子を閉める音がする。あれだけ言ったのだ。流石にもうバカなことはしないだろう。
 自身が腕を掴む男を睨めば、件の男は悪気のない顔でニコリと微笑んできた。

「そんなに睨んでも言葉にせねば分からんぞ? 俺も主もな」
「……お前にとやかく言われる筋合いはない」
「あなや。冷たい刀だ」

 おどけた様子を見せるが、こいつはまだ来たばかりで素性が掴めていない。審神者をどういう目で見ているのかは分からないが、危険分子を放っておくことは出来ない。
 例えば本丸に来たばかりで道に迷い、それで電気が付いていた審神者の部屋へと辿り着いた。と言うのであればまだ分かる。だが何故あのような体勢になっていたのか。遠目から見てもアレは完全に“男女の目合い”にしか見えなかった。審神者を抱きしめるだけでなく、髪や背に触れ、その端正な顔を審神者に寄せていた。偶然見かけたからいいものの、俺が行かなければどうなっていたのか。考えるだけでも胸糞悪い。

「部屋はどこだ。それすらも分からないのか?」
「一応同室だと説明してもらった刀はいるが……起きているかは分からんな」
「いい。さっさとそいつの部屋へ行くぞ。どいつだ」
「初期刀である陸奥守吉行だ。知っているか?」
「知っている。着いてこい」

 いつまでも廊下で立ち往生するわけにはいかない。それにこいつの真意がどこにあるのかは知らないが、審神者に危害を加えていなければこれ以上首を突っ込むのは御免だ。元々面倒ごとは好きじゃない。群れることも、誰かの面倒を見ることも世話を焼かれることも煩わしい。
 審神者にしてもそうだ。あれは仕事は出来るが自分のことはてんでダメだ。こちらが気にかけていなければ平気で好きなことをさせる阿呆だ。

 俺が来た時は既に辞めていたが、本丸が出来たばかりの頃の話を聞いて言葉を失った。短刀だけでなく、脇差や打刀もいる中でよくも呑気に寝られたものだな。と思う。面子が面子だったから気を許したのだろうが、全員男だぞ。短刀たちもそうだ。あんな見た目でも知識は多い。特に主人の部屋に飾られていた刀は目にする機会も多かったはずだ。主人と、その女たちとの関係を。それこそ俺のような打刀や脇差よりも多く。それを知っているのだろうか、あの女は。
 男と関係を持たなかったことが裏目に出ているのだろう。もう少し危機感を持てばいいものを……。あの審神者は自分に関しては無頓着で鈍感だ。その上加減を知らないから無茶をする。今日も遅くまで起きていた。俺の見てきた人の営み――人が活動する時間は当の昔に過ぎている。いつまで働く気なのだ、あのバカは。本当に手に負えない。

「なぁ大倶利伽羅とやら。お前は主に懸想しているのか?」
「…………は? 何だと?」

 自身の考えを口にしたつもりはなかったが、まさか音となって出ていたのか? 軽く動揺するが、悟られるのは癪だ。それにこれは“懸想”ではない。それは光忠や宗三左文字が抱いているもののことだろう。訝しむ気持ちと苛立ちを込めて睨んでやれば、新刃の刀は何がおかしいのか。クスクスと笑いだす。

「そう睨むでない。別にその口から想いを聞いたわけではないが、俺を引きはがした時と今とでは力の加減が違うのでな。てっきりそうなのではないかと思っただけだ」
「……憶測だけで話すな。不愉快だ」

 確かに審神者のことは少なからず気にかけている。だがそれは『持ち主を守る』という意味でしかない。それ以上も以下もない。俺は一人で戦い一人で死ぬ。そういう刀だ。慣れ合うつもりはない。例えそれが審神者であっても変わらない。俺は俺の道を進むまでだ。

「ふむ……。不器用な刀よな」
「やかましい。そら、着いたぞ」

 未だに飲み食いをしている広間から少し離れた、審神者の部屋に最も近い場所が陸奥守の部屋だ。障子を開ければまだ帰っていなかったから、まだ広間で飲み食いをしているのだろう。あれは騒ぐことと酒が好きな刀だ。今も楽しく他の奴らと飲み食いしているのだろう。

「おお、この部屋で間違いない。すまんな、大倶利伽羅とやら。助かったぞ」
「礼はいらん。朝までこの部屋から出るなよ」
「はっはっは。宵に紛れて主の部屋には行かんよ。だからそう睨むでない」
「別に睨んでなどいない。それに審神者の部屋に行きたければ勝手に行けばいい。俺には関係ない」
「フッ、心にもないことを。素直でない刀だなぁ」

 三日月宗近は天下五剣と呼ばれているが、人を腹立たせる才能でもあるのだろうか。自覚しての発言かどうかは知らないが、これ以上不快な思いをするのは御免だ。
 視線を流せば審神者も眠ったらしい。電気が落ちている。やっと寝たか。と息を吐き出せば、再びクスクスと笑う声が聞こえた。

「いや、すまん。素直でないと言ったが、撤回しよう。存外素直な刀だ。自分自身で気づいていないだけでな」
「……付き合いきれん。俺はもう行く。後は勝手にしろ」

 踵を返せば背に礼の言葉を掛けられる。だが返事をする必要性も感じられなかったのでそのまま歩き続けた。
 俺と光忠の部屋からではこいつの行動は見えないが、その分初期刀に見張ってもらえばいいことだ。広間には案の定多くの刀が酔い潰れた状態で転がっており、その中に陸奥守もいた。

「おい。起きろ」
「あいたあ! 誰じゃあ! 今蹴ったのは!!」
「俺だ。こんなところで寝るな。迷惑だ」

 他にも寝転がっている刀を蹴り飛ばしてやれば、やいのやいの言いながら起き上がってくる。歌仙と光忠は部屋に上がったのか見当たらず、机の上にはまだ下げられていない食器と空になった酒瓶がある。審神者は普段あの二振りに宴会のことを任せているから、この惨状を知らないのだろう。噂に聞けば酒がダメらしい。俺も慣れ合うつもりはないので早々に退散したが、やはり正解だった。

「おんしが話しかけてくるなんて珍しいにゃあ。何かあったがか?」
「三日月宗近が徘徊していた。面倒を見るのはお前の仕事だろう。部屋ぐらいは把握させておけ」

 審神者に抱き着いていたことを報告すべきかどうか迷ったが、言ったところであの刀はケロッとした顔で「主には許可を取ったぞ? 疑うなら本人に聞けばいい」とか言いそうだから辞めた。それに俺たちがどう思おうと審神者自身が自分のことを“女”として意識しなければ意味がない。男所帯にいるとは思えないほどの無防備さ。宗三左文字が過保護になるのも無理はない。光忠も先程のことを知れば今以上に審神者を気に掛けるだろうし、面倒ごとが重なるだけだ。だから俺はそれ以上は言わず、部屋へ戻ろうと踵を返す。だがすぐに陸奥守から声が掛けられた。

「大倶利伽羅、すまんかったの」
「……別にいい。俺は行く。後はお前の仕事だ」
「まっはっは! そうじゃな。ありがとう」
「……ふん」

 今度こそ広間を出て自室に戻れば、ちょうど光忠が着替え終わったところだった。

「あれ、遅かったね。厠混んでたの?」
「いや……」
「……何かあった?」

 光忠は敏い。これ以上突っ込まれては面倒なので、俺も着替えて眠ることにする。

「余計な詮索はするな。俺は寝る。お前も寝ろ」
「はーい。まったくもう、伽羅ちゃんってば本当に取り付く島もないんだから」
「うるさい」
「短気は損気だよ、かーらちゃん」

 やかましい光忠の声は無視し、敷いていた布団に横になる。何だか妙に疲れてしまった。それもこれも、あの無自覚な審神者のせいだ。無防備に男を部屋に上げ、あまつさえ抱きしめられ好きに触らせるだなんて……一体どういう神経をしているんだ。普通なら狼狽えたり悲鳴をあげたりするものではないのか? それとも三日月宗近が口にしていた通り、あれは望んでのことだったのだろうか? ……いや、そんなはずはない。審神者はきょとんとしていた。あれは分かっていない顔だ。全く、本当に世話の焼ける女だ。

「……ねえ伽羅ちゃん。やっぱり何かあったでしょ?」
「……ない」
「嘘だ。だって伽羅ちゃんすごい苛々してる」

 光忠に指摘され、閉じていた瞼を開ける。そうして横目で光忠を窺えば、闇夜でも分かる金色の瞳がこちらをまっすぐ見つめていた。それこそ、こちらの心の臓を射抜くかのような輝きを持って。

「ねえ、まさか……主に何かあったの?」
「……何でもない」

 審神者が気にしていないのなら、俺が首を突っ込むことではない。他人のことに首を突っ込むのは御免だ。だから光忠に背を向け、再度目を閉じる。そこで再度光忠から問いかける言葉が掛かったが、すべて無視して目を閉じた。胸に巣食う苛々ごと、闇に葬り去るかのように――。


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