小説
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 皆と打ち解けてから早一週間。私は再度起きた鍛刀場の『バグ』に、またもや頭を抱えていた。

「三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる。よろしく頼む」
「……二度あることは三度あるとはいうけれど……」
「マジか……マジなのか……」

 神々しさすら感じさせる微笑と、ゆったりとした話し方。演練先で幾度となく見かけた天下五剣の一振りであり、私の霊力とは合わないはずの「三条派」の『三日月宗近』が、再び起きた鍛刀場のバグにより顕現していた。

「うむ? どうしたんだ? そんなに項垂れて。腹でも痛いのか?」
「い、いや……大丈夫です……まさかあなたがうちに顕現するとは思っていなくて……」

 驚きのあまり両手足を地面につき唸っていたのだが、どうやら体調が悪いと思ったらしい。わざわざ膝を折ってまで気にしてくれた三日月に、私は改めて向き直った。

「ゴホン。えー、改めまして。縦に短く横にデカい。器の大きさはお猪口級、腹周りの太さは横綱級。態度のデカさは富士山以上。どうも、審神者の水野です」
「ははっ、変わった名乗りだなぁ」

 私のふざけた名乗りにも笑みを浮かべてくれる三日月は懐の広い刀だ。古いだけあって気も長いのだろう。近侍である小夜も私に続いて名乗り、二人で彼に向き直った。

「ここは本丸と呼ばれる場所で、現在三十振り近く刀がいます」
「ほお。それはそれは。大層な刀好きなのだな」
「うーん……そういうわけじゃあないんですけど……とにかく、あなたを呼んだ理由をお話ししますね」

 私室兼執務室でもある部屋に通し、来たばかりの彼に歴史修正主義者と戦をしていることを話す。他にも本丸での過ごし方や出陣、遠征の仕方など、小夜に手伝ってもらいながら一通り話終えると、彼は「成程」と頷いた。

「それで俺が呼ばれたというわけだな? しかし、人という生き物は何年経っても争いを辞めぬのだなぁ」
「おっしゃる通りです。その戦に巻き込んでしまうことは本当に申し訳ないのですが、力を貸していただけないでしょうか? 正直、私の霊力では満足に体が動かせないかもしれませんが……」

 彼の霊力は私の霊力より遥かに高い。というより、この本丸で最も霊力が低いのが審神者である私なのだ。特に天下五剣である大典太と三日月は神格も高いため、その霊力は私では御せないほどだ。ここで彼が「断る」と言って本体を抜けば、簡単に私を斬ることが出来るだろう。政府曰くそう簡単には『主従関係』は覆せないそうだが、私の霊力など底が知れている。彼らにとっては赤子の手をひねるかの如く簡単なことだろう。
 だが三日月は特に断ることもせず、すぐに「あい分かった」と言って快諾してくれた。

「確かにそなたの霊力は知れているが、俺を卸した張本人だからな。結んだ関係はそう簡単には覆せんよ」
「え? 三日月さんでも難しいんですか?」

 来たばかりの彼に何を聞いているんだ。という気持ちはある。実際私の隣に座っていた小夜も「何を聞いているの?」という目で見上げてきからな。すまんな、小夜。でも疑問に思ったことはちゃんと聞いておかないと気が済まない質なんだ。太刀だけにな……。などとくだらないことを考えていると、にっこりと微笑んだ三日月が急に立ち上がる。そうしておもむろに近づいてきたかと思うと、突然抜刀してきた。

「どおおおおお?!?!?!」

 キラリと照らされる刀身は美しい。刀の価値が分からなかった頃に比べたらだいぶ見る目が備わってきたとは思うけど、それでも刀に対する恐怖心がなくなったわけではない。恐怖と混乱に腰が引ける中、三日月は柄の握り具合を確認すると、その刀身を私に向けてきた。

「この刀が俺自身だ。ということは理解しているな?」
「え、あ、は、はい。それは、勿論……」

 彼らは絶世の美男子ではあるが、所詮それは人間が与えた仮の姿でしかない。本来の姿は三日月の言うとおり、この薄く細い、けれど頑丈さと鋭い切れ味を持った武器なのだ。その意識を違えたことはない。
 恐る恐る三日月を見上げれば、彼は「うむ」と頷き刀身を鞘に納めた。

「今そなたに刃を向けて感じたが、やはりそなたを斬ることは容易いことではないな。“拒まれている”感じがした」
「拒まれる? 私に、ですか?」

 確かに斬られるのは御免だとは思ったけど……。特別何かをしたわけじゃない。呪文とか結界とか使えないし、そもそも知らない。例え知っていたとしても出来る自信がない。困惑が拭えぬまま首を傾ければ、三日月は私の問いに緩く首を振りながら「違う」と答える。

「厳密に言うと“俺自身”が斬ることを拒むのだ。刀は自らの意志で持ち主を斬ることは出来ん。例えこの仮初の肉体を以てしても、刀身がそれを拒む。鬼にでもなれば可能だろうが、そうまでして斬る理由もないのでな」

 政府や他の審神者たちがどうかは知らないが、私は彼らを“使役している”とは思っていない。あくまでも私は彼らを振るうための肉体を、彼ら自身に与えるために存在しているだけだ。実際に戦に出て自らを振るい、血を流し、傷ついてくるのは彼らなのだから。本丸でぬくぬくしている私が『主』と呼ばれるのも違和感がある。
 それでも他の刀も彼も、私を『持ち主』として認識してくれた。

「では改めて。これからよろしく頼むぞ、我が“主”よ」
「は、はい……よろしくお願いします……」

 勿論私はこれを上に報告した。うちにこんなにも多くのレア太刀が揃うのはおかしいからだ。特に天下五剣が二振りも。
すぐに返事が来るとは思わないが、報連相をこまめに行うのが社会人としてのマナーだ。
 因みに近侍の小夜には下がってもらっている。夜も遅いしな。なので私は一人黙々とパソコンにデータを打ち込んでいた。と言っても戦績や遠征で得た資材などは、それぞれの部隊長が書面に纏めて提出してくれている。私がするのはそれらを確認しながら記入し、報告書を作成して提出するだけだ。元々事務員として長く勤めていたのだ。このくらいの仕事苦ではない。

 それに今日は三日月宗近がうちに顕現したということで、遅くまで宴会が開かれていた。今でも執務室から離れた広間には明々と電気が点いており、刀たちの楽しそうな声が風に乗って聞こえてくる。戦時中ではあるが、彼らに少しでも憩いの時間があるならそれに越したことはない。勿論明日の仕事に支障を来すようなら咎めに行くが、うちには歌仙や燭台切といった面倒見のいい刀たちがいる。普段は頼りになる初期刀も酒盛りの時だけは箍が外れるので、宴会時は二振りに「皆のことよろしくね」と言って出て行くのが常であった。
 それは今日も同じで、皆が楽しく飲んで食べている間に仕事を終わらせようと指を動かし続けていた。ところが、もうすぐ完成する。というところで突然障子が開いた。

「あなや。ここは主の部屋であったか」
「うわー、ビックリしたぁ。三日月さんじゃないですか。どうしたんです?」

 障子を開けたのは今日顕現したばかりの三日月であった。服装は顕現した時に見せた正装ではなく、所謂『内番着』と呼ばれるラフな服装である。因みに私もジャージ姿であったが、特に羞恥心はない。だって彼らは刀なのだ。刀に向かって女っ気を出す必要はないだろう。幾らイケメンだろうと人間じゃないし。なので特に気にせずパソコンから三日月へと体を向け、きょとんとしている彼に問いかけた。

「すまんな。まだここに慣れておらず、迷ってしまった」

 困ったように笑う三日月の顔は、清楚でありながらもどこか幼くも見えて可愛らしい。それに本丸で迷う気持ちはよく分かる。私や他の刀も最初は迷ったものだ。

「あー、本丸は慣れるまで迷いますからね。困った時は誰でもいいので聞いてくださいね」
「あいわかった。ところで主よ。そなたはこんな遅くまで何をしていたんだ?」

 三日月に指摘され時計を見れば、もうすぐで二十二時を回ろうか。という時間であった。短刀や、早寝が染みついている刀はそろそろ寝入る頃だろう。私だって普段なら奥に籠ってゴロゴロしている。だが今日は三日月が顕現したこともあり、タイムスケジュールが崩れてしまった。それは彼が来た時に限らず起こるので特に不満はないが、出来るものは今日のうちに片付けておきたかった。

「えーと、私は報告書を仕上げていたんです。明日は明日でやるべきことがありますし、覚えているうちに今日のことを纏めていた方が効率がいいので」
「ほお。そこにある道具で政を行っているのか? 見慣れぬ道具だな。もっと近くで見ても構わないか?」
「はい。どうぞ」

 パソコンが珍しいのだろう。近寄ってきた三日月は傍に座すと興味深げに画面を覗き、瞬きを繰り返す。その様はまるで猫のようだ。刀とはいえ、こういう時は可愛らしく困る。
 笑いたくなるのをグッと堪え、誰だって見慣れないものがあったら凝視しちゃうよね。あるある。と頷いていると、三日月がツンツンとパソコンを指先で突いた。

「主よ。これには付喪神がいないようだが、まだ若いのか?」
「そうですね。まだ二、三年ほどしか経っていませんから、付喪神はいないでしょうね」

 物に神様が宿るのは百年を超えてからだ。『九十九』というだけある。何時の時代も『百』というのは特別な数字なのだろう。特に昔は今みたいに恵まれた環境ではなかったから皆早死にだったらしいし。平均寿命は四十代前後だったっけ? と考えていると、三日月は姿勢を正してからこちらへと向き直る。
 どうしたんだろう。そんなに畏まって。

「主よ。もう一つ聞きたいことがある。今日は俺の歓迎会ということだったが、そなたはすぐに下がってしまったな。俺に何か不満でもあったか?」

 特に怒った様子はないが、彼が疑問に思うのも無理はない。何せ「あなたを歓迎しますね!」と言いつつ私はさっさと部屋に下がってしまったのだから。勿論彼の盃に数度酒を注ぎはしたが、その程度だ。彼なりに抗議に来たのかもしれない。だが決して彼に不満があるわけではない。これには訳があるのだ。

「違いますよ。私自身は三日月さんに対して不満などありません。ただ、その……私はお酒の匂いがダメでして……気分が悪くなってしまうんです」
「何と。そうであったか」

 そうなのだ。私は下戸で、アルコールを全く受け付けないのだ。匂いすらダメで、あの匂いを嗅いでいるだけでも頭が痛くなってしまう。祝いの席なのに早々と抜けるのは申し訳なかったが、気分を悪くして部屋に運ばれる私を目にするよりマシだろう。それを伝えれば三日月は「そうか」と頷き、安堵したように微笑んだ。

「てっきり主は俺が嫌いなのかと思ったが、いらぬ心配であったな。疑ってすまなんだ」
「いえいえ、伝えていなかったこちらにも非がありますから。気にしないでください」

 微笑む三日月は本当に格好いいというか、美しいな。と思う。やはり元が美しいから仮の姿も美しいのだろうか。人間は美しいものが好きだからなぁ。なんて考えていると、何故か三日月が詰め寄ってくる。

「……? 何か?」
「ふむ……俺も人の身体を得たが、やはり主とは違うようだな。そなたは柔らかそうだ」

 ええ、まぁ肥えてますからね。今更特には傷つかないが、まじまじを見比べられると何だか悲しくなってくる。……ダイエット、するかぁ……。長続きしたことないけど。頭の片隅で体重計の数字を思い出し遠い目をしていると、突然三日月が私の腕を掴んできた。

「ヒッ?! え、何々?! どうしたんです?!」
「ほお。女子の体とはこんなにも柔いものであったか……。いや、人の営みは見てきたがこうして触れたことはなかったのでな。
先程も皆に触れさせてもらったのだが、やはり男と女では肉の柔らかさが違うのだな。もにもにしておる」

 人の二の腕を戸惑うことなく揉み続ける彼を笑えばいいのか叱ればいいのか……。よく分からない。脱力しつつも「そうですか」と返し好きなようにさせていると、彼の視線が腕から別の場所へと移った。

「主よ、俺はそなたの体にどこまで触れてもよいのだ?」
「は?! え? 何? どういう意味です?」

 何これ刀流のセクハラ?! と少しばかり焦ってしまう。以前の自分なら「人の体に興味があるのかなぁ」ぐらいで終わったが、この間宗三に注意されたばかりなのだ。三日月にその気がなくとも慌ててしまう。頼りになる陸奥守も小夜もいないし、やたらと過保護気味な宗三もいない。どうしたものか。としどろもどろになっていると、何を勘違いしたのか。三日月は私の腕から手を離すと何故か両手を広げた。

「俺ばかりが触っても不公平だからな。主も俺に触れると良い」
「ええ……何ですかそれ……」

 ぶっ飛んだ理論に呆れかえるが、三日月の悪気のない表情と、ほれほれ。と言わんばかりに拡げられた両手を見ているとどうでもよくなってきた。
 はぁ。こうなれば気が済むまで付き合うか。

「それじゃあ……失礼します」

 軽く会釈し、伸ばされた手に触れる。加州の手に触れた時にも思ったが、やはり男性の体だ。手や指が大きい。宗三の手も節くれだっていたし、三日月の指も決して細くはない。

「三日月さん、太刀だからか手が大きいですね。皮膚はまだ顕現したばかりで柔いですけど、そのうち厚く硬くなっていきますよ」

 宗三と加州の手を思い出し、それから今の三日月と比較して改めて実感する。毎日のように白刃戦を繰り返し、時には鍬を握って畑を耕せば自然と皮膚が硬くなってくるのだろう。思えば二振りの手だけでなく、陸奥守や小夜の手も随分と皮が厚かった気がする。刀なのに刀らしくない。本当の彼らは冷たく無慈悲な鉄の塊なのに、今ではこんなにも柔くあたたかな身体がある。
 それが、不思議でしょうがなかった。

「……他の者にも聞いたが、そなたは俺達を“武器”として見ているらしいな」
「え? あ、はい。だってこの肉体は所詮借り物ですし、あなた方の本体……本霊、と呼べばいいのでしょうか? それも政府が管理していますから、何と言うか……余計に“人”として見れないな。と思うんです」

 演練先で出会う審神者や、数カ月に一度招集される会議では刀と恋愛をしている人と出会うことがある。それは女性だけでなく男性も同じで、同性愛者でなくとも「そういう関係」になってしまった人もいる。別にそれらを悪いことだとは言わない。第一思ってすらいない。
 恋愛なんて他人がどう口を出そうと個人の、本人の自由だ。泣くも笑うもその人次第で、私には関係のないことだ。
だから刀とお付き合いしている審神者と会っても「ああ、そうですか」としか思わないし、刀に恋心を抱いている人と出会っても「はあ、そりゃあまあ、大変ですねぇ」としか思わない。
 私自身がそんなんだから、良くも悪くも「あなたは他人に興味がないのね」とか「刀とコミュニケーションを取らないんですね」とか言われるけど、刀は刀だ。武器である彼らに『切れ味』以外の何を求めろと言うのだろう。この肉体だって所詮政府が与えた“仮の器”に過ぎないのに。彼らの本当の体は政府が所持しており、それは鉄の塊なのだ。鋭く研がれた遥か昔の武器。決して人にぬくもりを与えることはない、硬く冷たい人殺しの道具。それを、私が好むことはない。

「……三日月さん、どうもありがとうございました」
「む? もう良いのか? もっと触れても良いぞ?」

 首を傾ける彼に触れたのは、手だけだ。指と、手の平。それだけで十分だった。彼らが、やはり人ではないのだと実感するのには。

「今日、三日月さんが私に説明してくださいましたよね? 私とは主従関係が結ばれていて、私に刃を向けると“拒む感じがする”と」
「うむ。そうだな」

 先程彼の手に触れて分かった。私にも、その感覚が。

「審神者としてまだ半年しか経っていませんが、それでも分かってきたことは沢山あります。その中でも特に、触れた時に感じるもの。それが何なのか。三日月さんから説明を受けてやっと理解できました」

 霊力が低いから感じ取れなかったんじゃない。私が彼らと“馴染みすぎていた”のだ。そしてこのことを“知らなかった”だけ。それを、今日知ることが出来た。

「あなた方に触れていると、私の中に不可思議な『違和感』が広がります。それがきっと、三日月さんが教えてくださった“主従関係”の表れなのだと思います」

 宗三に触れられた時も、加州に触れられた時も、何も感じなかった。だけど今はしかと感じることが出来る。出会ったばかりの彼を嫌っているわけではないのに感じたそれは、私と彼の間に結ばれた関係の表れだったのだ。主として、刀として。霊力の低い私と、神格も霊力も高い彼。柔い肌を通し、まだ互いの霊力が馴染んでいないからこそ分かったことだ。
 そしてそれは、決して『人同士』では起きない現象だった。

「人にも主従関係はあります。ですが、こうして触れただけではソレを感じ取ることは出来ません。勿論、好きな人に触れた時と嫌いな人に触れた時とじゃ感じるものは違いますが、私は三日月さんを特別嫌っているわけでもありませんし、また特別好いているわけでもありません。あくまでもあなたは刀であり、私は政府に雇われただけの人間です。本霊から切り離した、分霊である“三日月宗近”という刀の一時的な主ではありますが、それだけです」

 こうして三日月が触れてこなければ分からなかった。私と彼らの間にある見えない関係が。幾ら彼らに『主』と呼ばれてもピンと来なかったが、こんな摩訶不思議な感覚があるならば仕方ない。洗脳や刷り込みとは少し違うが、逆らえない『何か』があるのだ。霊力がいかに高かろうと、これを断ち切るのは難しいのだろう。これが私たち審神者と刀剣男士たちとの間で築かれる『主従関係』であり、『契約』なのだ。中々に面倒なものである。そう一人で納得し頷いていると、三日月の瞳がすっと細くなった。

「成程。主は霊力は高くないが、感覚が優れているようだな。顕現して間もないとはいえ、俺の体からそれを感じ取るとは恐れ入った」
「いえいえ。そんなことないですよ。元はと言えば三日月さんが教えてくれたことなので。それがなければ絶対に気づきませんでしたよ」

 だからそんなに褒められることじゃない。と続けようとしたところで強く腕を引かれ、気付けば私は彼の腕の中に納まっていた。

「……え? あれ?」
「さて、今度は俺の番だな。主よ、触れられた分、触れ返すぞ」
「え……いや、あの、ちょ……何で???」

 頭の中が疑問符でいっぱいになる。簾越しとはいえ、私からは三日月の顔はよく見える。彼は別段茶化しているわけでも、怒っているわけでもない。ただ本当に興味があるだけなのだろう。その瞳は蛍光灯の明かりがある中でも爛々と輝いていた。

――やばい。怖い。

 宗三の時とは違う。何だろう、この違和感は。私の髪に触れ、背中や腰回りを探ってくる掌から感じる『違和感』は、先程とは違うものだ。さっきのはか細い紐であやとりをしているかのような微弱な繋がりしか感じなかったが、今でははっきりとした一本の太い線となって感じ取ることが出来る。

 もしかして、これが『三日月宗近』の霊力? じゃあさっきまで感じていたのは? 彼が霊力をセーブしていたというのだろうか。まさか、そんな。顕現してまだ一日も経っていない。それなのにそんなことが出来るのか? 分からないことが多すぎて狼狽えていると、三日月の端正な顔がゆっくりと近づいてくる。

 うおおおおおおうおうおうおうおうおうおう!!!! ちょ、まっ……!!! 近い近い近い近い!!!!! 国宝級の美男子怖いッス!!!! どうにか抵抗しようと試みるが、抱き込まれた体は上手く動かない。というより、彼が離してくれないのだ。え? 何でなん? 幾ら何でもまだ顕現したばかりの刀だぜ? やっぱり女の私では敵わないってか? 肉体を得たばかりの彼に負けるってか? これもステータスの差か? 私と刀剣男士の。
 クッソー!! 悪かったな! 平凡な身で! 腹周り以外は特に異常ねえよ!!!
 どうすればいいのか分からず混乱し、思考が霧散する。その間にも三日月の顔が零距離まで近づき――――


ぎゅっ。と抱きしめられた。


「おお!! そなたの体は本当に柔いのだなぁ!」
「…………へ?」

 むぎゅむぎゅと抱きしめてくる三日月ははしゃぐ子供のようだ。というより、短刀たちと鬼ごっこをしている時みたいだ。私が彼らを捕まえた時と同じような反応をしている。特に秋田と乱はキャッキャッと楽し気に笑うからなぁ。
 というか長谷部もそうだが『刀』というのは人に触れたり触られるのが好きなのだろうか? よく分からん。それにもう完全にキャパオーバーだ。考えるだけ無駄な気がしてきた。どうせ人間と刀だしな。殺るなら一思いに殺ってくれ。と全身の筋肉を弛緩させ、障子の向こうに広がる綺麗な庭先を眺める。今日は満月ではないが、三日月でもない。少しだけ欠けた月は白く、周囲に瞬く星もよく見える。都会では見られない光景だ。そんな風にどこか冷静さを取り戻す中、遂に楽し気な声は笑い声へと変わった。

「はっはっはっ。突然すまなかった。やはりどうしてもそなたの体に触れてみたくてな。だがこの二つの掌だけでは足りんだろう? だからこうして全身で触れてみたわけだ」
「はあ……そうですか」

 全く持って三日月の思考は分からなかったが、正直考えること辞めていたので突っ込む気すら起きなかった。だってもうしんどいし、乱暴なことはされてないからまぁいっかな、って思って。

「それにしても、女子の体とはどこもかしこも柔いのだな。道理で男たちがこぞって女の体を求めるわけだ。これは癖になる」
「ああ……そうですか……」

 私からしてみれば混乱の極みだったのだが、何ていうか……アレだ。今の私と三日月は『巨大なテディベアとそれに抱き着く子供』だ。決して三日月は子供サイズではないし、私も横にはデカイけど縦には短いから『巨大』とは言い難いけど。
 それにしても、だ。内心焦りまくっただけでなく、緊張して体を固くしてしまった自分が恥ずかしい。何が『女を捨てている身』だ。全然捨てきれていないじゃないか。幾ら刀とはいえやはりイケメンには弱いのか。そうなのか。やっぱり人間(?)って見た目が九割なんだろうな。私も例外じゃなかったのか〜。私は筋肉の方が好きだと思ってたんだけどな〜。と若干落胆しつつも触りたい放題の三日月を放置していると、廊下を走る音と共にとある刃物が部屋に入ってきた。

「貴様、何をしている……!」
「む? 誰だ?」
「あれ、大倶利伽羅じゃん。どうしたの? こんな遅くに」

 大倶利伽羅は珍しく怒った様子で三日月の後ろ襟首を掴み、ものすごい力で私と彼とを引きはがす。
 でもおかしいな。大倶利伽羅という刀は元来集団行動を好まない性格だ。最近では花をくれたり少しだけ雑談をすることも増えたけど、こんな時間に私の部屋に来るなんて珍しい。何かあったのかな。と声を掛けるが、大倶利伽羅は私には目もくれず、何時になく険しい顔で三日月を睨んでいた。

「そいつに何をしていた」
「ふむ。何やら勘違いしているようだが、別に乱暴はしていないぞ? ちゃんと許可を得たうえでの行為だ」
「何、だと……?」

 あの大倶利伽羅に衝撃が走っている。
 珍しい光景に私も三日月もぽけーっとした視線を向けていると、大倶利伽羅は三日月を廊下に放り投げるようにして掴んでいた襟首を離し、私に詰め寄ってきた。

「あんた、女としての自覚がないのか?!」
「え?! い、いや、一応ある! あります!!」

 だってちょっと緊張したし! 色んな意味でドキドキしたからまだ『女』を捨てきれていませんでした! 少しでも「女として見られてんのかな」とか思ってすみません!!! 喪女の勘違い程痛いものはないもんな!
 どう見ても怒り心頭と言わんばかりの大倶利伽羅に手を合わせて謝罪していると、その後ろで三日月が「酷い目に合った」と言いながら立ち上がった。

「言っておくが本当に何もしていないぞ? 人の身体の柔らかさをこの身で実感していただけだ」
「…………本当に何もされていないだろうな?」

 訝しむ大倶利伽羅の鋭い瞳に身震いする。が、何度も頷いて肯定すれば日頃嘘をつかないことが功を奏したのか。大倶利伽羅は「チッ!」と鋭く舌を打つと三日月の腕を取って歩き出した。

「む? どこへ行くのだ? 大倶利伽羅とやら」
「部屋に戻るに決まっている。ここは審神者の部屋だ。お前の部屋じゃない」
「おお、案内をしてくれるのか。すまんな」

 ほんわかした態度を崩さぬ三日月に大倶利伽羅は暫く黙る。が、再度舌打ちをして歩き出した。

「“次”はないからな」
「あなや。これはこれは。恐ろしい刀だ」

 はっはっはっ。と笑う三日月に構わず大倶利伽羅は歩き出し、廊下に出ると開け放たれていた障子に手を掛けた。

「あんたも、刀と言えど男を簡単に部屋にいれるな。もっと“自覚”しろ」
「は、はあ……」

 自覚しろ、と言われても……何を? と首を傾けると、大倶利伽羅は再び舌打ちした後「もういい。寝ろ」と言って出て行ってしまった。勿論、三日月の腕は掴んだままで。

「ではな、主よ。また明日」
「あ、ああ、はい。おやすみなさい、三日月さん。大倶利伽羅」

 大股で歩く大倶利伽羅は振り返らず、腕を掴まれ歩いている三日月だけがにこやかに手を振ってくる。それに若干呆然としながらも手を振り返し、静かになった部屋の中で暫く座り込む。

「…………なんか、疲れた……」

 未だ起動中のパソコンの画面には完成間近の報告書がある。だがもう続きを打つ気にはなれず、(大倶利伽羅も「もう寝ろ」って言ってたし)殆ど終わりかけだから明日の朝仕上げても問題ないだろう。そもそもそんなに急いで提出するものでもないしな。今日はもう寝よう。何だか霞む目を擦りながらパソコンをスリープモードにして電気を落とす。
 この本丸には審神者として業務を行う部屋の奥に、私の『私室』となる部屋が設けてある。そこにのろのろとした動作で布団を敷いて倒れこむと、思った以上に疲れていたらしい。全身が重く怠かった。

「ふぁ……あー……ねむっ……」

 ぼやける思考の中、私はゆっくり深呼吸を繰り返して脱力する。この後に何が待ち受けているかなんて知らない私は、そのままゆっくりと意識を落とすのであった……。


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