小説
- ナノ -



「主、少しお時間よろしいですか?」
「はえっ?! ど、どーぞどーぞ! っていうかこんな遅くにどうしたの?」

 あれからもう一戦加えて演練を終えた僕たちは、本丸に帰還し、主より先に湯を頂いた。その間主は一人で戦績を纏めていたらしく、夕餉を取り終わったのは先程だと部屋に戻ってきた小夜に聞いたのだ。
 幾ら寝るには早いとはいえ、既に日は落ち月が出ている時間だ。女性の部屋に向かうに忍びなかったが、この気持ちを翌日まで持ち越す気にはなれなかった。そのため僕は「帰りが遅ければ先に寝ていてください」と兄弟たちに告げ、主の私室へと足を運んだのだ。
 そして主もまだ眠る気はないのか、部屋に布団が敷かれた様子はない。むしろ机の上には『ぱそこん』と呼ばれる物体と、今日の出陣・遠征・演練での結果が記された書類が所狭しと広がっていた。

「おや、おかしいですね。近侍だった小夜は『今日の仕事は終わったよ』と言って戻ってきたはずなんですが……何をしていたんです?」
「ああああああ、いや、これはですね、別に仕事というわけじゃなく……!!」

 慌てる主が必死に隠そうとするが、そもそも身長差が大きいのだ。どんなに飛ぼうが跳ねようが僕の視界を遮ることは出来ない。それに気づいたのだろう。主はすぐさま僕に背を向けると机の上を片付け出した。全く。『本音を言うなら遊んで暮らしたいよね!』という割にはこんなことをしているんだから、手に負えない。

「あまり根を詰めても空回るだけですよ。今日はもうお終いにしたらどうです?」
「ははっ……それもそうですね」

 バサバサと音を立てて書類を集め、トントンと机の上で端々を綺麗に揃えてから引き出しの中に丁寧に仕舞う。それを入室せぬまま窺っていると、主が慌てて座布団を敷いて中に促してきた。

「お見苦しいところを……すみません」
「いえ、別に。ただ僕は近侍の小夜に心配をかけて欲しくないだけですから。それにあなたが倒れては元も子もありませんからね」
「はあ、おっしゃる通りです」

 主は基本的に、僕たちには丁寧に接しようと心がけているらしい。が、元が気さくな人なのだろう。気を抜いた時などは存外気安い言葉が零れ出るため、本人はいつも陰で頭を抱えているらしい。
 裏表がないとこういう時苦労するんだね。と呆れつつも穏やかな声で呟いた弟の言葉に深く頷きたくなる。

「でも、こんな時間にどうしたんですか? は! もしかして具合が悪いとか?! それともどこか怪我でも?!」
「違いますから落ち着いてください。僕は少し話をしに来ただけですよ。だから資材表は仕舞ってください」
「あ。そうですか……でも怪我じゃなくてよかったです」

 ほっとする主の向こう。机の隅には花瓶があり、そこには黄色い花が活けられていた。あれは確か、小夜と陸奥守が育てている花だ。庭の至る所に咲いているから見間違うはずがない。しかしそれが主の部屋にあることが珍しく、つい揶揄ってしまいたくなる。

「意外ですね。あなたでも花を活けることがあるなんて。どういう風の吹き回しです?」

 活け方はともかくとして、主の部屋に花が飾られているのは珍しい。この人にも女性らしい一面があったのかと感心したが、すぐさまそれは衝撃に変わった。

「ああ、これはですね、先日大倶利伽羅がくれたんですよ。どうしてくれたのかは分からないんですけど、貰ったからには活けないともったいないな、と思って」

 大倶利伽羅が、主に花を……? 固まる僕に主は「まぁ受け取ったらすぐに帰っちゃうんですけどね」と苦笑いを零す。だがこちらはそれどころではない。

「あの大倶利伽羅が花を? あなたに?」
「驚くでしょう? そうなんですよ。きっと女らしくない私に情けを掛けてくれているんでしょうね。普段『慣れ合わない』とか口にしてますけど、根は優しいんだろうなぁ。と思います」

 簾の向こう、主は朗らかに笑っているのだろう。きっと『大倶利伽羅は仲間思いなのに素直じゃないんだから』とでも思って。だが僕はそう思わない。男が女に花を贈るのに、そんな遠まわしな意味などないからだ。

「はあ……今回はあなたが鈍くてよかったと喜べばいいのか、彼を憐れめばいいのか……微妙なところですね」
「え? 何がです?」

 まぁ彼は直接主に自分の好意を伝えることはないだろう。特に“言葉”という形にしては。それでも、こうして花を贈るとは意外に大胆なところがあるのだな。と見直しもした。

「ところで宗三さん。話というのは一体……?」

 首を傾ける主はもう演練会場でのことを忘れたのだろうか。キョトンとする姿からは反省の色は見えず、僕は思わず顔を覆う。

「……あなた、今日の演練会場でのこと、もう忘れたんですか?」
「え? あ、ああ! 今日の宗三さん凄かったですね! まさかあの鶯丸さんに勝つなんて!」

 僕が斬り倒した方ではない鶯丸の方を思い出して欲しかったのだが、先程まで戦績を纏めていたからそちらの方に意識が向いたのだろう。主は「誉も取りましたし、すごかったですね!」と若干興奮気味だ。いや、褒められること自体嫌ではないのだが、今はその話をしに来たわけではないのだ。

「あの後対戦相手の審神者さんと少しだけお話しする機会があったんですけど、『どうやったらあんな好戦的な宗三左文字になるんです?』って聞かれてちょっと鼻が高かったんですよ」
「はあ……え。というかそれ、バカにされてません?」

 僕という刀は基本的にどの本丸でも『好戦的』とは程遠い刀だ。籠の中の鳥――それが『僕』という刀だったのに。

「えー? そう思います? 私はそうは思いませんでしたけど。戦が嫌いなのは分かりますけど、だからってみすみすやられるような刀じゃないでしょう? いいじゃないですか、別に。与えられた仕事はきっちりこなす。戦国時代に名を馳せた刀らしい刀だと、うちの“宗三左文字”はそういう刀だと、分かって頂けたみたいで私は嬉しかったんですけどねぇ」

 困ったように頬を掻く、主の言葉に嘘は見えない。そんな器用なことが出来る人じゃないことは僕たちが誰よりも深く知っているからだ。だからといってこんな風に直球で言われると、逆にどんな顔をしていいのか分からなくて困る。どうにか作った表情はくしゃりと歪み、主からは不機嫌そうに見えたらしい。慌てて両手を前に掲げて言葉を濁してくる。
 
「ま、まあまあ。そんな顔しないで。いいじゃないですか。私は好きですよ、あなたのこと。確かに余所の“宗三左文字”に比べたら審神者に対して過保護というか、心配性な感じがしますけど。それだけ他者を気にかけることが出来るって言う長所じゃないですか! もしかしたらオンリーワンな宗三左文字なのかもしれませんし! このままナンバーワン目指しましょうよ!」

 ぐっと拳を握り、楽し気に言葉を連ねる主はまるで幼子みたいだ。僕たちが渡り歩いた時代にはいなかった、裏表のない素直な心を持った人。他者をまっすぐとした瞳と言葉で褒め、笑ったり怒ったりすることが出来る人。全く、これだから本当に……。

「あなた、どうしてモテる要素とモテない要素が絶妙な塩梅で共生しているんですかねぇ……」
「え……何で唐突に貶められたの、私……」

 ガーン、と古い効果音が付いていそうな具合に固まる主には悪いが、少しだけ袖の奥で笑わせてもらう。これだから憎めないのだ、この人は。

「まぁ、僕は今あなたの刀ですから。あなたがそれでいいというのであれば、今後もそうありましょう」
「ええ……今どこに着地地点があったの……審神者分からん……」

 心底『腑に落ちない』という態度を見せる主だが、こちらもこれ以上この話を掘り下げるつもりはない。そもそも別の話をするために僕はここに来たのだから。本題に移させてもらう。

「さて、それでは本題に移りますよ。今日あなた、演練会場で別本丸の鶯丸にナンパされていたでしょう」
「はぁ? ナンパ?」

 はあ……やっぱり忘れている。
 うちの主はどうしてこうも自分に関することは無頓着なのか。だが今回はすぐに思い出せたのか、すぐに「ああ!」と掌を打つ。

「あのやけによく喋る鶯丸さんか! それがどうかしたんです?」

 よく喋る、ということだけで認識していたのか。あちらにその気があったのかなかったのかは分からないが、どちらにせよ不憫な覚えられ方である。まぁ、僕からしてみればいい気味ではあるが。

「あなたねぇ、ああいう時はすぐさま断りなさい。刀に懸想するつもりはないんでしょう? 期待を持たせるだけ持たせて、後でバッサリいく方が酷というものですよ」

 とはいえ、あの鶯丸にはそのぐらいのことをしてやってもよかったのだが、主はそこまで腹の黒いお人ではない。こんな覚え方をしていたのだ。“よく喋る鶯丸”が珍しくて眺めていただけなのだろう。『刀を飾る趣味はない』と口にした割には好奇心が旺盛なのだから、本当に質が悪い。

「え? あれって刀の中では“ナンパ”の部類に入るんです? ただ単に話し相手が欲しかっただけなのかな、と思ってたんですが……」
「はあ? あなた本当にバカですね」

 確かに大なり小なりあの鶯丸は“大包平”についてうちの主と話がしたかったのだろう。実際うちの本丸に彼は顕現していない。というより、いない刀の方が現状多いのだ。いない刀に興味を持つのは無理もない。
 だが大抵男が女を茶に誘うということは、現代で言うところの“でぇと”に誘うことと大差ないのだ。しかも本丸は男所帯。
審神者も男となれば女人との接点は少なく、機会に恵まれれば声を掛けに行くことはあるだろう。
 勿論“花街”という存在はある。だがそこには“人”ではなく女の姿をした『刀ではない、別の付喪神たち』がいるだけだ。人間を好む刀であれば足繁く通ったりはしないだろう。だが主はどうにもその辺のことが理解できないらしい。呆れる僕とは裏腹に、ひたすら首を傾けている。

「だってあの鶯丸さんも『普段大包平について話せる相手がいない』って言っていたから、茶飲み友達が欲しかっただけなんじゃないの?」

 主は思考が別方向に向くと言葉が崩れる。現に今もうんうん言っているから無意識に崩れたのだろう。だが変に畏まるよりは砕けた調子で話してもらえる方が楽なので、僕はそれを指摘せずに話を続けた。

「それは否定しませんよ。その気持ちは彼の根底にもあるはずですし。ただそこで意気投合してしまうと『ではまた会いましょう』となるでしょう。これはもう立派な“男女関係”への第一歩ですよ」
「えぇ〜〜?! 現代では結構普通に、男女間でも気兼ねなく遊びに行くことあるよ?! 勿論、恋愛感情抜きで!」

 主はそう言うが、そんなに男の欲が変わるものか。
 確かに男女間で肉体関係や恋愛感情を伴わない人たちもいるだろう。今は昔ほど世継ぎや家柄に縛られることはないというし。だが男というのは少しでも女性に好ましい部分を見つければ頭の中で一度は脱がすものだ。それを多くの男たちの手に渡った僕は見てきた。
 だが主は男性と恋仲になったことが一度もないという。ならば分からぬのも無理はないのかもしれない。

「はあ……全く、しょうがない人ですね。ちょっと失礼しますよ」
「え? ちょ、うわっ?!」

 少々強引だが、致し方ない。僕は手短に断りを入れると、主の手を掴んだ後、そのまま後ろに引き倒した。

「ほら、どうです? 力のない僕でさえこうも簡単にあなたを押し倒すことが出来るんですよ? 鶯丸にされたら抜け出せる自信がありますか?」
「お、ど、どどどどどどどしたん? え? 何が何でこうなったん??? い、一回落ち着こう?????」

 流石に主もすっとぼけることは出来なかったらしい。わたわたと芋虫のように丸い手足をばたつかせる姿に笑いたくなる。

「いいえ、落ち着くのはあなただけですよ。これでもまだ、僕たちを“男”として意識しませんか?」

 以前僕は主に、書庫の中で一度『壁どん』とやらを試してみたことがある。その時はもう少し互いに距離があったし、こんな会話をしていなかったからのほほんとしていたが、今は違う。刷り込みのようでアレだが、主には“男女関係というものがどういうものなのか”というのを説いていたのだ。ここでこのようなことをされたら、幾ら鈍い主でも流石に意識するだろう。
 僕を、ただの『刀』としてではなく、一人の『男』として――。

「ま、まあ……こうして見てみたら確かに宗三も『男の人』なんだなぁ……とは思うけど……」
「へえ。それは僥倖。それで? 他に何か思うことはありませんか?」

 先程とは違い、もがくことを辞めた主の顔はやはり見えない。この簾が邪魔だな。と思ったのは、今が初めてだった。

「でも、やっぱり私にはピンとこないなぁ」
「それは、どうしてです?」

 幾ら中性的だとはいえ、僕もれっきとした男だ。主よりかは力もあるし、声だって低い。喉仏だって出ているし、手だって節くれだっている。決して“女”ではない。別本丸では僕と恋仲になる審神者だっている。
 別に主と恋仲になりたいわけではないが、もう少し『女性』としての意識は持つべきだろう。そう思ってのことだったのに。

「だって“宗三”は刀じゃん。人じゃない。この体だって、結局は政府が用意した“仮初の肉体”なんだし。傷を負えば血も出るし、肉が断たれれば痛みだって感じる不便な体だけど、あなたたちの本家本元は政府が管理してる。ようは“偽物”でしょ? 結局、あなたたちの体は“人間が用意した、人間にとって都合のいい体”なんだよ。そんな体に、私は想いを寄せたりはしない」

 ほら、退いた退いた。と、そう言って押さえていない方の手で僕の胸を押してくる。
 いつもより距離はずっと近いはずなのに、僕はこの人との間に横たわる、埋められない溝の大きさを改めて突き付けられたような気がした。

「…………ですが、一時の欲望を満たせればそれでいい。と、今後乱暴な誰かに出会い、凌辱される可能性だってあるんですよ?」
「りょーじょく? 私が?」

 主に押されるまま起き上がり、離れた先で主が一瞬黙る。だが主はすぐさまいつものように笑い飛ばした。

「あははははは! 宗三ってば考えすぎだよ! 私が凌辱? ないないないない! どんだけ趣味悪いんだその男、って話だよ! あー、おっかしい〜!」
「は……ちょ、あなたねえ! こっちは真剣に話しているというのに……!!」

 思わず畳に掌を叩きつけて身を乗り出すが、主は本当に理解していないのだろう。ケラケラと子供のように笑ったかと思うと、簾の奥に指を突っ込み目元を擦る。どうやら笑いすぎて涙が出てきたらしい。失礼な話である。

「いやー、だってさぁ、私が余所の審神者さんみたいに線が細くて美人で可愛くて、髪もメイクもばっちりで、何でも頑張れるような人なら分かるけど、“私”だよ? デブでチビでなーんの取柄もない。審神者と名ばかりの、霊力なんてこれっぽっちもないクソみたいな人間だよ? お金持ちってわけでもないし、教養があるわけでもない。“痩せたら可愛いよ”って慰められるのが精々なもんだよ。そんな私に想いを寄せる人なんて、よっぽどの物好きか、見る目がないかのどちらかだね」

 言うだけ言ってスッキリしたのか、それとも笑いすぎて疲れたのか。主は「はあー」と一度脱力すると、ぐっと腕を高く伸ばして背を正す。

「まぁ、でもさ。正直男性と付き合ったことはないけど、そういう風に心配してくれるのは嬉しいよ。こんなんでも“主”として、“女”として心配してくれる存在がいるんだなぁ、と思うと、ちょっと救われるよね」

 簾の向こうで、主はどんな顔をしているのだろうか。声に落ち込んだ様子はない。むしろ言いたいことを言えてスッキリしているという感じだ。いっそどこか清々しさすら感じるほど主の空気に変化はない。むしろ、どこか照れている様子すら見受けられた。彼女にとってはある意味自尊心を傷つけられた行為かもしれないのに。どうして、こうも笑っていられるのだろう。“刀”である僕には、きっと理解できない。

「……主は、僕たちと……『刀剣男士』たちと恋に落ちる審神者を見て、どう思いますか?」

 主は誰とも付き合ったことがない。それは周知の事実だ。だが誰かに懸想したことぐらいはあるだろう。誰だって、その数が多いか少ないかは別として、一度だけだとしても、必ず。

「うーん……そうだなぁ。率直に言うと、“よくやるなぁ”と……」
「……“よくやる”とは、どういう意味合いで?」

 僕も『宗三左文字』とお付き合いしている審神者に出会ったことがある。他にも燭台切や長谷部、薬研や和泉守、うちにはいないが三日月や小狐丸といった古刀と恋仲になっている者もいた。まぁ本丸によっては刀同士で恋仲になっているところもあったが、それは割愛させてもらう。

「うーん……。なんていうか、こう言っちゃあ言葉は悪いけどさ、人に使役されているとはいえ、君たちも立派な“神様”じゃん? “付喪神”って言うし。ようはさぁ、色々違うわけじゃない。肉の器を与えられたとしても、生きる時間も、考え方も違う。そもそも私たち人間は死ぬことが決まっているからドンドン老いるけど、あなたたちは本元が無事な限り、言葉は悪いけど折れても次がある。それに年齢は重ねても偽りの体だから老いることはない。そしてこれからも大事に保管され続けていれば、この先何年も何百年も生きるわけでしょ? 不毛じゃない? そんなの」

 主は僕たちを特別扱いすることも、“人”として扱うこともしない。彼女は僕たちの“仮初の体”を通し、本体である『刀』の部分を見ているのだ。いつだって。だから、彼女が迷うことはない。
 そして、彼女はどんな時でも素直だ。僕たちが求めれば隠すことなく本心を晒してくれる。きっとそれが彼女なりの『信頼の仕方』で、僕たちへの『応え方』なのだろう。意識して行っているのかどうかは、別として。

「では、これは例えばの話になりますが、この本丸に顕現した誰かが、あるいは別本丸の誰かが、主に『お慕いしております。お付き合いしてください』と口にしたら、どうするおつもりです?」

 花を贈ってきた大倶利伽羅も、今日の演練先で出会った鶯丸も。どういう意図で主に贈り物をし、声を掛けてきたのかは分からない。が、僕は僕のやり方で、主の心を知らなければならなかった。でないと、僕もいつしか泥沼な“不毛な関係”に悩んでしまいそうだったからだ。なんて、口が裂けても言えやしないけれど。

「うーーーん……そうだなぁ……想像つかないけど…………やっぱり、『断る』……かな」

 腕を組み、僕の質問に真剣に悩んだ末出した主の答えは――やはり『否』だった。

「それは、先程と同じ理由で、ですか?」
「ん? うん。それもあるけど、やっぱり色々とね。結婚するなら子供を産んでみたいな、って思うんだよ。でも刀で、しかも神様であるあなたたちとの間に子供が出来るとは考えにくい。それにもし出来たとしても学校に行けるのかとか、戸籍はどうなるのかとか、私が死んだ時子供やあなたたちはどうなるのか――って考えたら、やっぱり『断る』しかないなぁ。と思って」

 確かに、恋仲になるだけでなく、生涯を共に。と誓い合った審神者と刀は未だ少ない。そしてその多くは、人であっても『人非ざる存在』として認知されている。

「正直言うと、一回だけ会ったことあるんだ。刀と夫婦になった審神者さんに。まだ私が審神者に就任したばかりの頃、研修と称して先輩審神者さんにお話を伺える機会があってね? そこで知り合ったんだ」

 主曰く、その審神者は『本丸から“出られない”体』になっていたそうだ。

「神様と結婚しちゃったから、もう“現世”には帰れないんだって。その審神者さん言ってた。でも元々家族は皆亡くなっていて、身寄りがなかったみたい。だからいっそのこと本丸から出られないのはある意味『幸せだ』って言ってた。本当、幸せの形って人それぞれだよねぇ」

 しみじみと呟き頷く主には、ここではない。『現世』に帰る場所がある。本丸は現世と過去の、時の狭間にある特殊な場所だ。時の政府と主の霊力と、我々刀剣男士が纏う神気によって成り立つ架空の屋敷。だからこそ、この場所は主にとって『帰るべき場所』であってはならないのだ。

「それにさー、私に懸想する刀なんていないでしょ。『慕う』って言っても精々が『主を守る』『主だから』っていう理由でしょ? 第一私の霊力じゃあ、これ以上刀を増やすのは難しいと思うんだよね」
「……は? 何です、それ? どういう意味ですか?」

――話が思わぬ方向へと転がっていく。まるで、坂道を転がり始めた石のように。

「ほら、私って霊力少ないじゃん? だからこの本丸に顕現出来る刀の数は決まってるんだよ」
「は……何ですか、それ。初めて聞きましたよ、そんなこと」

 主の霊力が大して多くないことは知っている。刀も、まだ本丸が出来たばかりだから少ないことも理解できる。だが『顕現出来る刀の数が決まっている』とはどういうことなのか。うちの主と大差ない霊力しか持たない審神者にも出会ったことがあるが、彼らはそれなりに刀を揃えていたはずだ。それなのに何故、うちの主だけが違うのか。

「え? あれ? 言ってなかったっけ? あちゃー、しまったな……これじゃあ他にも知らない刀いそうだなぁ……てっきり陸奥守と小夜が伝えているものとばかり……」
「そういうのはいいです。まずは説明してください」

 皆に話す話さないは別として、まずは聞かねばならない。考えるのはそれからだ。と先を促せば、主は「実はね」と口を開いた。

「私の霊力では顕現出来ない刀がいるの。うちの本丸に刀が少ないのはそういう理由もあってね。特に“三条”とか“来派”は難しいんだって」
「それは……顕現するために使う霊力が足りない。ということですか? それとも、彼らとあなたの霊力の相性が悪い。という意味ですか?」

 刀は基本的に顕現した主の霊力と波長が合うようになっている。だからこそ本丸ごと、審神者ごとによって同じ刀でも『個体差』としてそれが現れる。だが霊力が足りないのであれば、何故他の審神者は幾多も刀を顕現出来ているのか。分からないことはあまりにも多い。一つ一つ確認するように問いかける僕に、主は丁寧に答えてくれた。

「うーん、政府から聞かされた話によると、主に私の霊力のなさが原因。って感じかな。霊力にも種類があってね。量がなくても質がいいと顕現出来るんだけど、私にはどっちも備わってないんだ。ほら、特に三条なんかは古い刀でしょ? だから顕現させる時に使う霊力、常に人型を保たせるだけの力が『量・質』共に足りないんだよね」

 そう言うと主は机の上に置いていた無地の紙を一枚手に取り、筆を走らせる。

「今でいうとこのMPみたいなもんかな。刀を召喚、顕現するには霊力を消費するんだけど、刀によってその多さが違うの。例えば藤四郎の短刀たちだけど、私が持っている霊力を百だとすると、彼らを顕現させるのに使う霊力は一振りに付き五。脇差だと八。打刀だと十。太刀だと十五。って感じに、使用される霊力が違うの」

 現在うちにいる刀は短刀が七、脇差が三、打刀が僕を含め十、太刀が五だ。大太刀、槍、薙刀はいない。単純計算でいくと既に百は超えているが、本丸にいる間は霊力を消費しないで済むらしい。

「本丸にいる間はここに漂う霊力と、皆の神気のおかげで消費しないで済むんだけど、出陣や遠征ではそうもいかない。それに顕現させることは出来ても、霊力が上手く行き渡っていないと皆に不具合が生じるんだ。所謂『バグ』って奴だね。質がよければまだマシになるんだけど、残念ながら私の霊力は味噌っかす。だから特に霊力を使う刀、三条、来派を初めとし、槍、大太刀、薙刀も顕現が難しいだろう。って言われてる」

 主はそう続けると、大きなため息を一つ零す。

「だから……正直これ以上刀を増やすのは難しいかもしれないんだよね。藤四郎たちには兄貴分である『一期一振』に会わせてあげたいけど、うちに顕現するかは分からないし、槍や薙刀、大太刀が一振りでもいれば戦力になるとは分かっているんだけど、私自身の霊力の問題で顕現出来ない可能性の方が高い。今もそうだけど、これからも皆には苦労を掛けると思う。もし兄弟刀が実装されても、うちでは会わせてあげられないだろうし……。あー……マジ自分の霊力ゴミだわ……こんな主でごめんね……」

 しょげる主が深く頭を下げて謝罪してくる。確かにこれでは今後新たな合戦上に赴いた時に苦労するかもしれないが、主を責める気にはなれなかった。

「分かりました。このことを知っているのは初期刀の陸奥守以外には小夜だけなんですね?」
「うん。二振りには、特に陸奥守は私と一緒に政府の人から話を聞いたから、覚えていると思う」
「そうですか。分かりました」

 沢山話したせいだろう。時間はいつの間にか進んでおり、もうすっかり夜も更けた。僕は他にも聞きたいことが幾つかあったが、どんよりと沈む主にこれ以上鞭を打つ気にはなれず、部屋に下がることにした。

「この件は明日、僕が皆に伝えておきます。やはりこういった情報は共有しませんと」
「うん……そうだね……その時は私も皆に謝るよ……苦労を掛けるね……」

 一気に老け込んだように背中を丸める主にため息を一つ零し、僕はその頭を再び鷲掴んだ。

「イダダダダダダダ!!! 果てしないデジャヴ!!!!!」
「おや、それだけ騒げるなら十分ですね。凹んだところであなたの膨れたお腹が凹むわけじゃないんですから、いつものように無駄に元気でいてくださいよ」
「あれ?! 何か凄い毒が多いんだけど?! 私何かした?!?!」

 やはり落ち込む姿より騒いでいる姿の方が主らしい。
 僕は「ふん」と鼻で息をつくと、いつもの調子を取り戻しつつある主に口の端を上げる。

「それでは、僕は部屋に戻ります。精々寝坊せぬよう、早く寝るんですね」
「はーい……分かりましたー……おやすみ、宗三。また明日ね」
「ええ。おやすみなさい」

 疲れた様子の主に見送られながら、僕は自室に向かって歩き出す。今日は本当に色々なことがあった。疲労は残っていないはずなのに、妙に体がずっしりと重い。それはきっと、精神的に色々傷を負ったせいだろう。全く……本当に“不毛”なことだ。

「はあ……深く考えるのは明日にしましょう。どうせ荒れた一日になるのでしょうから。しっかり寝て、体力を回復させないと」

 一波乱ありそうな予感に身震いを一つし、僕は早寝早起きが日課の兄弟たちの寝顔に頬を緩める。
 僕はまだ、この先に待ち受ける大きな問題に気づけないでいた――。






 主に惹かれている割りには、認めたくない。けど自分の気持ちも主の考えも理解しているからもどかしい。そんな宗三さんと、彼の気持ちに全く気づかない喪女審神者とのお話でした。
 いやー、宗さには書いていて楽しいですね。この本丸の宗三さんは結構血の気が多いです。女審神者の沸点が低いからね。皆それにつられているところはあります。別に元ヤンではないです。
ただ口が悪く導火線が短いだけ。日頃は真面目な水野さん(仮名)の掘り下げ話でした。
 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。m(_ _)m



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