小説
- ナノ -




――嗚呼、もう、全く。なんて腹立たしい。

 僕たちを強くするため、主は定期的に『演練』というものに参加する。どういう仕組みかは知らないが、ここでの戦いはすぐさま癒えるし刀装を損なうこともない。比較的安全に腕を磨くことが出来る場所だ。そのため会場はいつも審神者と刀で溢れており、その波を縫いながらあの小さくて小太りな主を探すのは大変なのだ。
 それが分かっているのかいないのか……。いや、絶対に分かっていない。でなければ護衛の一人もつけずに一人で受付に行くはずがない。本当に、なんて無自覚な主なんだろうか。

 募る怒りを原動力に足を進めていると、受付前の広間から主の霊力を感じ取ることが出来る。どうやら迷子になったわけでも、人攫いにあったわけでもないらしい。とりあえず一安心して様子を伺ってみると、主の前に立ちはだかっているのは随分と体躯のいい男だった。名前は確か――大包平と言ったか。鶯丸が常に気にかけている刀でもある。それが主に向かって何やら胸を張って話しかけていた。
 大方うちの主が大包平の珍しさに軽率に話しかけ、捕まってしまったのだろう。本当に考えなしのあんぽんたんなんだから。とため息交じりに近づいていくと、僕のすぐ横に鶯丸が並んできた。

「ああ、何だ。あそこにいたのか」

 独り言だろう。やれやれと言わんばかりの声音と、それに反した安堵を滲ませた表情を見せる鶯丸も同じ方向へと足を進めている。きっとあの刀と、隣にいる男性審神者の刀なのだろう。まったく、主の躾ぐらいきちんとして欲しいものだ。……まぁ、それはこちらにも言えることなのだが。

「ちょっと、あなたこんなところで何油売っているんです?」
「ああ、ここにいたのか。主、大包平。皆探していたぞ」

 鶯丸と声が被ったが、主は驚いた様子もなく「何故か捕まっちゃって」と呑気に頬を掻いている。本当に、僕たちがどれだけ身を案じているかちっとも分かっていない。そもそも僕が探しに出るより先、燭台切や平野、まだ顕現して間もない薬研までもが「主を探しに行こう」と騒いでいたのだ。和泉守は「ここで待ってた方がすれ違いにならなくていいんじゃねえのか?」と首を傾けていたが、どちらにせよ主の身を案じていることは表情と声音から窺うことが出来た。
 だというのに。この人はそんなことちっとも考えていないのだろう。現に視線は僕ではなくあちらの審神者たちに向いており、こちらに向く気配はない。
 ああ全く、なんて腹立たしい。天下人がこぞって欲しがったこの僕を好きにできる権利がありながら、この人はちっともそれに気づかないのだ。世が世なら殺されて僕を奪われていただろうに。以前の主のように。
 幾ら刀の価値が分からないとはいえ、流石に釘をさしておくべきか。と口を開きかけたところで、先程の鶯丸がこちらに近寄ってきた。大方礼でも言いに来たのだろう。ここは一度黙っておくべきか。と諌言を控えれば、どういうわけか。余所の鶯丸はとんでもないことを口にしてきた。

「君は大包平に興味があるそうだな? どうだ? 俺と一緒に茶でも飲みながら話さないか?」

 ……はい? 何を言っているのか、この刀は。
 固まる主と同じように口を噤んで観察する。が、どうやら揶揄っているわけではないらしい。現に主が何も言わないのをいいことに、“鶯丸”としては珍しくペラペラと言葉を紡いでいく。彼の背後を伺えば、持ち主である審神者と大包平は何事かを話しながらも鶯丸のナンパを止める気はないらしい。
 なんという無礼な人たちだろう。主が主なら刀も刀だ。幾ら僕たちが主に大なり小なり似る所があるとはいえ、こんな人前で、しかも僕がいる目の前で! ナンパするとはいい度胸だ。
 基本的に面倒ごとは嫌いだが、次の試合まで時間もない。それに幾ら余所の審神者に比べてうちの審神者が小さくて丸かろうが、主であることに変わりはない。守らなければホイホイとロクでもないことに巻き込まれる人なのだ。でなければ僕が自ら足を運んでまで探しに来たりなどするものか。

「ちょっと、何なんです貴方。ここは演練会場ですよ? ナンパなら余所でやりなさい」

 驚きすぎて言葉が出ないのか、黙る主に変わって前に出る。うちの主は丸いが高さがないので背に隠すことは容易い。まぁ横がはみ出る可能性はあるが。問題はないだろう。とにかく今は鶯丸の注意をこちらに引きつけなければならない。
 やれやれ。何と損な役割だろうか。だがこれも仕事だと割り切り鶯丸を睨みつければ、彼は「ははぁ」と目を細めて笑った。

「別に軟派などしているつもりはないんだが……何だ。嫉妬か? 宗三左文字とあろう者が」

 誰が嫉妬などするものか。と声に出そうとしたが、何故かその言葉は喉の奥につっかえて出てこなかった。代わりに「あなたこそ、余所の審神者にしか相手にされないなんて可哀相ですね」と嘲笑ってやった。
 相手がどんな本丸でどんな風に過ごしているかは知らないが、どうせこのようなことを許す審神者の刀なのだ。貶めたところで痛くも痒くもないだろう。なので存分に「お可哀相に」と憐れんでやれば、微笑んだままの鶯丸の目がすっと細くなる。
 ピリピリとした殺気が肌を焼く。主は気づいていないのだろう。現に背後ではあわあわとした気配は感じ取れるが、恐れている様子はない。悔しいことに僕と目の前の鶯丸の練度の差は大きく、ここで本体を抜いたとしても僕に勝ち目はないだろう。だがそれでも、皆を代表して僕がここにいるのだ。男として刀として、引くわけにはいかなかった。

――が、ここで周囲に明るい声が響き渡る。

「あー!!! いたいたいたー!!!! 主ー! 宗三さーん! もー! こんなところで何してるんですかー? もうすぐ試合始まっちゃいますよー?」

 足早に駆け付けてきたのは、我が本丸のムードメーカーである鯰尾藤四郎だ。彼は怒った様子を見せながらも殺気を消した鶯丸にちらりと視線を向け、それからその奥にいる男審神者と大包平にも視線を走らせる。そうして僕と主の立ち位置を確認した後、成程。と言わんばかりの顔で笑みを作った。だが彼の敏いところは僕と違い相手に食ってかかることはせず、すぐさま背後にいる主に向かって頬を膨らませるという仕草を見せたことだった。
 実際その姿に安堵したのだろう。主はすぐさま僕の着物を掴んで引き寄せると、そのまま鯰尾の隣まで後退した。

「そ、それじゃあ私たちはこれから試合がありますので! あ、大包平さん貴重なお話どうもありがとうございました! それじゃ!!」

 勢いよく頭を下げる主に向かって、あまり気にした様子をみせない大包平が「ああ、またな」と声を掛ける。その隣に立っていた男審神者も「試合頑張ってくださいねー」と手を振っていたが、主は無視していた。いい気味だ。そして例の鶯丸は未だ名残惜し気に主を見ていたので、再び僕の背に隠した。これ以上邪な視線に晒してなるものか。と睨みを利かせながら。
 そうして何度も頭を下げつつ人込みに混ざる主の後ろで、僕と鯰尾は二振り揃って中指を立ててから歩き出した。その姿に男審神者がぎょっとした顔をしたが、その位の意趣返しは可愛いものだろう。因みに鯰尾は中指を立てると同時に舌も出していたが。煽りスキルの高い刀である。本当、誰に似たんだか。
 だがほっとしたのも束の間、主は目の前を歩きながら丸い背を更に丸くして項垂れる。

「はあ〜……やっと解放された……」

 グルグルと肩を回し、「んあーっ」と情けない声を上げながら背を正す主に段々と怒りがこみ上げてくる。第一、この人がこんなに抜けていなければ僕が探しに出ることもなかった。
 確かに今日連れてきた刀の中では僕が一番練度が高いが、それでも余所の刀に比べれば遥かに弱い。主曰く『極』と呼ばれる宗三左文字の姿も見かけたが、今の僕では到底足元にも及ばない強さを感じた。悔しいが、それが現実なのだ。
 僕だけでは守れない。あの鶯丸だって、本気を出せば僕を折ることが出来ただろう。その位の練度差は感じられた。正直主がいなければ立ち向かいたくない負け戦だ。それが分かっているのだろうか。と丸い背を見下ろすが、どうやら主の中では既に思考が切り替わっているらしく、呑気な空気を漂わせていた。
 本当に! なんて腹立たしいお人だろう!!

「ちょっと! さっきのは一体何なんです?!」

 あまりにもアレなのでしっかり釘をさしておこうと隣に並べば、何ということだろう。主はケロリとした態度で「何が?」と首を傾ける。……こ、この人の頭は一体どうなっているんだ。普通あんなことがあったのに、ものの数秒で忘れるものなのか? それとも僕たちの心配や怒りは感じ取れなかったのか? 呆れる僕を余所に、主は足取り一つ乱さず歩き続ける。……本当に、何て人だ。

「本当、主って自分のことに関しては驚くほど無頓着っていうか、鈍いですよねー……」
「全くです……本当、どうすれば僕たちの気持ちに気付くんでしょうね……」

 流石の鯰尾も呆れているらしい。先程は一瞬呆れのあまり怒りが鎮火しそうになったが、やはりすぐには収まりそうにもない。それにここでアッサリ許してしまえばきっと主は同じことを繰り返す。今ここでしっかり諭しておかねば。と歩き続ける主に「ですから、」と言葉を続ける。

「何ぼーっと、呑気にナンパされてるんですか。あなたご自分の性別ちゃんと理解してます?」
「男は狼なんですよ! 主なんか簡単にパクッ! って食べられちゃうんですよ? 分かってます?」

 少ない時間でも、僕の言動と態度により主がどんな目に合っていたのか察したのだろう。鯰尾がすかさず援護してくる。だが主にはきっと通じないのだろう。彼女は普段から自分の容姿に自信がないという発言を繰り返している。
 何せ顕現したばかりの刀に向けて行う自己紹介が

『縦に短く横にデカい! 器のデカさはお猪口級! 腹周りの太さは横綱級! そして態度のデカさは富士山以上! どうも、審神者の水野です!!』

 なのだから。本当にふざけているとしか言いようがない。
 第一器の大きさがお猪口級って、それ明らかに器が小さいじゃないですか。それに比べて態度の大きさは富士山以上って何なのか。本当に『バカですね』としか言いようがない。
 それでもいざ本丸で過ごし、主の態度を見ていればそれらが嘘だということがよく分かる。まぁ確かに縦には短く横には大きいが。基本的には大雑把で細かいことを気にする質ではないのだ。

 実際、以前誰かが本丸に飾っていた高価な花瓶を割ってしまったことがある。この時歌仙は出陣中で不在だったが、いたら怒り狂って手打ちにしようとしただろう。だが主はまず僕たちに怪我がないかを確認し、すぐさま『まぁ割れちゃったもんはしょうがないし。いつかこうなる日は来ただろうからね。それが遅いか早いかだけでしょ? さ。早く片付けよう』と言って片づけ出したのだ。そしてそれを引きずることもしなかった。
 むしろ『ようは新しい花瓶と出会える機会に恵まれた、ってことでしょ? いいじゃん。人でも物でも一期一会って言うし。いい出会いがあるといいね〜』と笑い飛ばしたのだ。
 これだけ見ると『僕たちが折れてもすぐに忘れてしまうんだろうな』と思うが、彼女は割れた花瓶を片付ける際、何度も『今までありがとうね。お疲れ様。またどこかで会おうね』と声を掛けながら破片を拾っていた。そうして一纏めにして包んだ花瓶に手を合わせると、『今まで本当にありがとう。お疲れさまでした』と頭を下げたのだ。
 曰く、主は幼い時から物を捨てる時や譲渡する時、こうして感謝の言葉を口にしながら送り出すのだという。昔からの癖らしい。
 こんな主だからきっと、僕たちが折れても悲しむだけでなく、すぐに立ち直って次の刀の育成に励むことが出来るだろう。それを喜べばいいのか嘆けばいいのか……正直少し迷うところではあるが、やはり塞ぎこむ主は見たくないので元気に過ごしてほしい。
――人が悲しむ姿は、もう見飽きたから。

 だがうちの主は常に僕たちを気にかけているから、その分自分のことが疎かになるのだろう。
 本当、仕事は出来る癖に自分の心配はてんで出来ない。だからこそ目が離せないのだろうけども。悔しいことに、僕は彼女に振り回されている。

「あ、やっと帰ってきた」

 そうして歩く中、真っ先に聞こえてきた声に足を止める。いつの間にか辿り着いていた自陣の中で真っ先に僕たちを見つけたのは、身長の高い燭台切だった。こちらを見る目元に安堵の色が浮かぶ。だがすぐに顔を引き締めると、ちゃらんぽらんな主を諫めるようにして腰に手を当てた。

「遅いよ主。試合開始まで残り一分もないよ」
「ったくよー、しっかりしてくれよな。俺まだここに慣れてないんだぜ? 国広もいないしよー」

 続いて聞こえてきたのは和泉守の声だ。呆れと不機嫌さが混じったものではあるが、主の姿を見てほっと肩を下した姿を僕は見逃さなかった。感心のない装いではあったが、やはり彼も主が心配だったらしい。僕が言える立場ではないが、素直じゃないなと思う。
 そしてその後ろから短刀である平野と薬研が顔を出してきた。

「主さま、ご無事だったのですね。お戻りが遅いので心配しました」
「そうだぜ、大将。傍にいてくれなきゃ守れないだろ?」

 二振りとも和泉守同様、ほっとした顔を見せる。だが薬研は笑っているようで目は笑っていなかった。
 当然だろう。短刀は基本的には主君の懐刀として扱われる。今回は自身の実力が伴っていないから辞退したが、本来なら自分が主を探しに行きたかったのだろう。うちの薬研は少しだけ子供っぽい要素が端々に滲む時がある。本人が気づいているかいないかは知らないが。
 対する平野は既に安心感からか穏やかな空気を取り戻している。身なりでは判断できないが、この中では一番切り替えが早いのだろう。まぁ主がどんな目に合っていたか知ると顔色は変わるだろうが、敢えて心配させるのも忍びない。時間との兼ね合いもあるし、現状これ以上の話し合いは無理かと判断する。全く、本当に我らの主は鈍くて困る。

「仕方ありませんね。今は時間が迫っているので、先程のことは後で話し合いましょう」
「イダダダダダダダ!!!! 宗三さん力! 力加減忘れてる! 頭割れるわ!!!!」

 ちょっとした意趣返しのつもりで主の頭を上から鷲掴みにすれば、どうやら随分と痛かったらしい。お淑やかさの欠片もない反応を見せてくる。
 はあ……こんなんだからあなたモテないんですよ。と思いはするが、先程の鶯丸や審神者のようなロクでもない男に引っかかるぐらいならこのままモテて貰わない方が安心する。
 手を離して見下ろせば、またしょうもないことを考えたのだろう。見上げてくる顔は簾のせいで見えないが、纏う空気で何を考えているかは何となく分かる。案の定僕が「怒りますよ?」と言って微笑めば、主はすぐさま邪念を捨てたらしかった。はあ、潔いと言えばいいのか何と言えば良いのか……。困った人だ。

「ま、いいでしょう。さて皆さん、今からは楽しい殺し合いの時間ですよ」
「はーい! ガンガン刈っていきましょお〜!」
「待って待って、どうしたの二人共。やけに殺気が凄いんだけど?」
「お? 珍しく殺る気満々じゃねえか。どういう風の吹き回しだ?」
「ほお、宗三にしては珍しいじゃねえか。こりゃあ何かあったな」
「薬研兄さん、何かあったとはどういう……?」

 改めて本体を握りなおし、会場へと向かう僕に続いて鯰尾が勢いよく腕を振りまわす。それにぎょっとした顔を見せたのは燭台切と和泉守だけで、薬研は不敵に笑い、平野は困惑に顔を歪める。会場には既に相手方の刀剣男士が並んでおり、準備は万端だった。

「相手にはうちにいない刀が揃っているね」
「薙刀に大太刀か……押し負けたら一気にやられるな」
「今日の対戦相手の中では、僕たちと練度差が少ない相手のようですが……油断はできませんね」
「こうなりゃ速さで責めるしかないな。一気に懐に入り、柄まで通させてもらおう」

 作戦を立てつつ、僕は一振りの刀に目をつける。

「では申し訳ありませんが、あの鶯丸は僕が相手をしてもよいでしょうか」
「え?! でも……大丈夫かい?」

 心配する燭台切の気持ちもわかる。太刀の鶯丸と打刀である僕とでは力量の差が歴然としている。だがこの煮えたぎる思いをここで発散しないと、却って主に何をするか分からなかった。

「ええ……ご心配なさらずに。大丈夫ですとも。斬って見せますよ、あんな男」
「な、何か分からねえが……あんたが殺る気なのはよく分かった。任せたぜ」
「そ、そうですね。宗三さん、よろしくお願いします」

 僕の気迫に押されたらしい。和泉守と平野が頷き、後押ししてくれる。そして僕の隣に立っていた鯰尾と薬研は、それぞれ違う角度からこちらを見上げてから不敵に笑った。

「宗三さん、後で詳しくお話聞かせてくださいね。俺、これでも援護は得意なんです」
「ああ。俺っちも気になるね。そこまでお前さんを駆り立てたのが何なのか。楽しみにしてるぜ?」
「ええ、いいでしょう。ただし条件があります。必ず“勝つ”こと。これが絶対です。敗者に話すことなど、ありませんから」

 互いに見合って刀を抜く。全体としては負けても、この際構わない。だが例え別個体とはいえ、今日“鶯丸”という刀に負けることだけはしたくなかった。

「いきますよ」
「おう!」

 好戦的な藤四郎二振りが更に士気を高める。己の誇りに掛け、この一戦だけは負けられなかった。



prev / next


[ back to top ]