小説
- ナノ -


酒と涙と男と女



三十路手前の我サクちゃんでお酒を飲む話。





煌びやかな内装に華やかな衣装。彩るドレスや宝石は照明に照らされキラキラと光る。
その中で私は一人グラスを傾け、久方ぶりに会った彼の横顔を見つめていた。


【酒と涙と男と女】


今年で三十路になる私たち同期は去年あたりからここぞとばかりに結婚ラッシュが続いている。
子供を産みたいなら三十までに結婚しな、なんて二十代で結婚した友人には言われたけど、別に言うほど子供を産みたいなんて思っていないしそもそも相手がいない。だからとりわけ急いで婚活することも合コン、街コンする必要もないな、なんて思っていたけど、これだけ立て続けに行われれば最後の一人になりたくはないな、とは思う。
でも結局のところ相手がいないし、何となくまだ見つける必要性も感じられないのでしばらくは独り身を謳歌しよう。
そう結論付けた私は隣に座す友人に腕を突かれ、視線を向けた。

「ねぇサクラ、あそこにいるのって我愛羅くんじゃない?」
「え…?」

友人が指した先、会社関係の人を集めている席に確かに彼はいた。
見慣れた茜の髪。涼しげな眼差し。少しだけあがる口角と長い指。ああ、確かに彼だ。間違いない。
けれど私は特に気にした素振りを見せることなく、本当ね。としか言わなかった。

「あれ?それだけ?もっと他に言いたいこととかないの?」
「別に。これといってないわよ」

私の態度が気に入らなかったのだろう。
人の不幸は蜜の味。
それを体現するかのごとく人の不幸に敏感な友人はつまんないのー。とあからさまに嘆く。

「てっきり悲惨な別れ方したと思ったのに。あんなに仲良かったのにさ〜」
「そうでもないわよ。彼とは円満に別れたわ」
「ふーん。ま、我愛羅くん昔から大人っぽかったもんね〜」

そう。昔私は彼と付き合っていた。
大学に入って一年目のことだ。私が入っていたサークルと別のサークルが親睦会的なノリで飲み会を企画した。
勿論先輩に誘われて断れるはずもなく、乗り気じゃないままに参加したその場に彼がいた。

「ていうかもうすぐ三十路っていうのに若いよね。髪も肌も艶々してるし、良物件かも!」

実際昔狙ってたしねー。なんて元カノの前でズケズケと宣う友人には呆れを通り越していっそ尊敬する。
これでよく私や彼と同じ社会人として生きているものだ。まぁ会社では上手いこと皮を被っているのかもしれないけど。

「ねーサクラ〜。ちょっと話しかけてみなよ。ちょっとだけさ」
「何でよ。今更話すことなんて何もないわ」

それに席だって離れてるし。
そう続けようとしたところで、私たちの視線に気づいたのだろう。まぁ実際友人は熱視線を送っていたわけだし…
初老の男性と話をしていた彼の視線がふとこちらを向き、数度瞬いた。

「あ!コッチ見た!」

一瞬テンションが急上昇した友人ではあったが、彼はすぐさま別の男性に視線を移し会話を始める。
当然だ。結婚式と言えどここは社交の場。壁の花になんぞなる男なんて一人もいない。

「チェ〜。つまんないの」

どこか子供っぽい、私同様三十路手前独身女の独り言を聞き流す。
そして手元のグラスを空にしてから立ち上がる。

「あ、どこ行くの〜?」
「御手洗い」

がめつい友人ではあるけれど、トイレだけは一緒に行こうなんて言わない。そこが気楽でいいんだけど、目を離すとすぐにどこかに行くから信用ならない。
まぁ信用するほど仲がいいわけじゃないけど。
私はお手洗いで用を足すと、化粧室の鏡に自身を映しながら溜息を零した。

(まさかこんなところで逢うなんて…)

そもそも彼と別れた理由は私の留学によるものだった。
服飾デザイナーを目指していた私は当時、学校が設けた数少ない留学枠をもぎ取った。
期間は一年。ただし向こうで認められれば期間を延ばすことが出来る。私にとってそれは人生の転機だと思った。

「はあ…」

彼と付き合っていたのは留学に行くまでの間、二年半程だ。一年間お付き合いをして、家族と大喧嘩をした私はそのまま彼の家に転がり込み、気付けばダラダラと同棲を始めた。

(でもあれは同棲っていうより同居っていうか、共同生活っていうか…とにかく滅茶苦茶だったわね)

彼とのお付き合いは楽しかった。
口数は少ないけれどユーモアと賢さが伴った彼との会話は楽しかったし、私がお酒を飲んで絡んだり暴れたりしてもため息一つで許してくれる心の持ち主だった。
デートの時だって周囲のカップルみたいにはしゃぎまわることはなかったけれど、車道側を歩いてくれる彼が時折笑ったり、足を止めてショーウィンドウを眺める姿を見るのが好きだった。
優しい人だった。
親と折り合いがつかずストレスで苛々してた私が唯一心を許せたのが彼だった。そしてそんな彼に求められることが、生きがいだった。

「…よし、戻るか」

けれどそれももう昔のこと。今は今。もう振り切らなきゃ。
気合を入れなおすように紅を引き直し、強い女の姿を借りて出たところで目の前を塞がれた。

「久しぶりだな」
「…我愛羅くん…」

壁に手を置き、私を見下ろす彼に数度瞬く。彼は少しだけ頬を緩めると、手元の腕時計を眺めた。

「もうすぐ終わるそうだ」
「へぇ、そうなの」

だがわざわざそれを伝えに来たのだろうか。あの社交場を抜け出して?
疑問を抱く私を前に、彼は悪戯っぽく口元を歪めると上体を屈めた。

「抜けるだろう?この後」
「…まぁ…そうだけど」

元よりそんなに親しくない友人との式だった。私が抜けたところでさほど問題ないだろう。
だけどそれがあなたに何の関係があるの、と人目を気にしつつ尋ねれば、相変わらず冷たいな、と呟いてから壁についていた手を離した。

「二人だけで飲み直さないか?酒が美味いいい店を知ってるんだ。煩くもないしな」
「あら、デートのお誘い?でも結構よ。私明日も仕事だから」

仕事があるのは本当だったが、彼とあまり一緒にいたくなかった。
だって彼と一緒にいればイヤでも思い出してしまう。彼との楽しかった生活も、愛し合ったことも。そして、それを自らの手で終わらせた罪悪感も。
なのに彼は視線を逸らす私に手を伸ばすと、左手に持っていた鞄を突如奪い取った。

「あ、ちょっと…!」
「指輪はしてないな。てっきり結婚してるかと思った」
「はあ?何それ嫌味?」

いいから返して、と必死に手を伸ばすが、身長の高い彼が腕を上げれば当然届かない。
それでも必死に腕を伸ばしていたら、ついにバランスを崩して彼に向かって倒れてしまった。

「ヒール、慣れてないのか?」
「そんなわけないでしょ…こんな子供っぽいことされたことないからよ」

呆れる私に彼はそれもそうかと軽く笑い飛ばし、身を離す私に向かって奪ったばかりの鞄を差し出した。

「デートの申し込みを受けてくれたら返すさ」
「はあ…分かったわよ。でも一杯だけよ」

構わないさ、と答える彼の手から鞄をひったくり抱えなおす。
だけど先程奪う時に気付いたが、元々彼の指に力は籠められてなかった。無理やりにでも鞄を奪い返そうと思えば出来たのだ。

「では行こう。流石に挨拶ぐらいしなくてはな」
「はいはい…」

これだから嫌なのだ。彼はいつだって私に逃げ道を用意している。
逃げ道がないことも辛いけど、あらかじめ用意されているのも心苦しい。それが彼の優しさだと分かっていて、私がその道を選ぶのだと分かっていて、それでも用意してくれる。
昔からそうだった。本当に私を逃がさないつもりなら逃げ道など用意するはずないのに。
本気で愛されているのか分からない。本当に求められているのか分からない。
それなのに私自身は彼を求めてしまう。
そんな自分が、嫌だった。

「少し歩くが、平気か?」
「平気よ。あなたがさっきみたいなことしなければね」

私の少し前を歩く彼がそれもそうかと頷き、ネオンが輝く街の中を、人ごみの合間をすいすいと抜けていく。
けれど時折足を止めては私を振り返り、平気か?とか、大丈夫か?とか聞いてくる。昔は手を繋いだり腕を組んでいたりしたから聞かれなかったけど、こういう気遣いが出来る人だった。
だけどそれを素直に受け取るには歳を取りすぎた。私は当然でしょ、と突っぱね隣に並ぶ。

「立ち止まる方が周りの人に迷惑だから、行くなら早くして」
「了解」

どれだけ私が突き放す言動をしても、態度を取っても、彼はまるで思春期の子供を見るかのような眼差しで見下ろしてくる。
かと思えば私の前に腕を差し出し、一体何なのかと視線を上げれば悪戯な視線が私を射ぬいた。

「腕、組んでくれ」
「はあ?何で」
「俺が喜ぶから」

さも当然だと言わんばかりに笑う彼に顔を顰め、甘えてんじゃないわよ。とその腕を弾き返してから一歩踏み出す。

「サクラ」
「何よ」

久しぶりに彼の声で呼ばれた名前。跳ねる胸を隠しつつ振り返れば、彼は悪戯が成功した子供のような顔をして指を右に曲げた。

「店、ここだぞ」
「…っ〜、早くいいなさいよね!」

無駄に勢いよく一歩踏み出したのが恥ずかしい。
思わず先程奪い返した鞄でその背を叩けば、彼は乱暴者だなと昔よく口にした言葉を紡いで笑った。
その優しい声が、態度が、私の胸を苦しくするなんて知らないくせに。平気で見せるんだから、本当に嫌な人。

そんな意地悪な彼に促され足を踏み入れたのは、賑やかな街の中にあるとは思えないほど静かで落ち着いた雰囲気のバーだった。

「いらっしゃいませ」

奥に立っているバーテンダーは輝く白髪を後ろで纏めたダンディな男性だった。
うーわぁ〜…雰囲気あるぅ…

「サクラ、こっちだ。段差があるから気を付けるんだぞ」
「…分かってるわよ」

今度は普通に差し出された手に渋々掌を乗せる。まるでお姫様の手を取るかのように柔らかなそれは、私の心を擽り燻らせる。
先程飲んだ酒が全身を巡るよりも熱く、私の脈を加速させる。だから、触りたくなんてなかったのに。

「それにしても最近結婚ラッシュが続くな。出ていくご祝儀も馬鹿にならん」
「皆焦ってるんでしょ。三十近くにもなって独り身だと周りの視線が、ね」
「女性は特にだろうな。男は独身貴族なんて言われるが…女性は違うみたいだからな」

彼が頼んだのはバーボン・ウィスキー。私が頼んだのはライムをデコレーションに選んだジン・トニック。定番と言えば定番だけど、私はこのスッキリとした後味が好きだった。
それにジン・トニックはタンブラーで楽しむお酒だ。他のカクテルグラスに比べ一杯を楽しめる時間は長い。
本当、バカみたいだけど…一杯だけって自分で制限したのに、その一杯を長くするためのお酒を選んでるんだから笑えない。

「それにしても、サクラとあんな所で逢うとは思わなかったな」
「まぁね。お互い別にそんなに仲良かったわけじゃないものね、新婦の人と」
「ま、数合わせだろうな」

澄んだ琥珀色が彼の喉の奥を滑り落ちていく。実際に見えるわけじゃないけど、喉の動きで分かる。
尖った喉仏。思わず触れたくなって、止めた。ビックリするもんね。突然触ったら。
そんな私を余所に彼はグラスを軽く振ると、再び悪戯な瞳を向けてきた。

「ところで、今誰かとお付き合いはしてるのか?」
「…何でそんなこと答えなきゃいけないのよ」
「つれないな。ちょっとした興味さ」
「じゃあ尚更教えてやんない」

グラスを傾けることによって会話そのものを打ち切れば、彼は苦く笑ってから視線を戻す。

「相変わらずだな」
「何が」
「いや、昔以上か」
「だから何が」

自己完結しないでよ、と横目で睨めば、彼は少しだけ口角を上げた。

「ガードが硬い所」

思わずグラスを握る手に力が籠る。そんな風に思われていたなんて、知らなかった。

「悪い意味じゃないさ」
「でも好い意味でもないんでしょ?」
「まぁ…お前は昔からそうだったからな。強い女であることを目指してた。違うか?」

普段はのらくらして人のことを見てないようで、本当は誰よりも見ている。かもしれない。
そんな彼の言葉につい視線を逸らせば、やっぱり、と言わんばかりに静かな吐息が零される。

「強くあろうとする女は皆ガードが堅い。男につけいられまいとするのか、男に弱みを見せたくないのか…とかく男が近寄る要素を見せてはくれない」
「悪かったわね、ガードが堅くて」
「まったくだ。これじゃあ口説くのも一苦労だ」

嘘。本当は口説く気なんてないくせに。
昔から陰でこっそりモテて、女性に嫌味なく気遣う男が無意識でそういうことをするはずがない。
この人はどんなことをすれば女性が落ちるのか知っている。だから面と向かって話すのが嫌なのだ。彼に、心を見透かされそうで。

「…ねぇ」
「ん?」

カラン、と彼の持つグラスが音を立てる。初めの頃よりいくらか小さくなった氷山の一角が、グラスに水滴を作り落としていった。

「…私、何か変わったかな?」

いや、むしろ変わってないのだろう。だから彼に言われたのだ。ガードが堅いって。
でも彼は目を細め、唇からグラスを外す。

「ああ、キレイになった」
「…何よ、それ…」

じゃあ昔はキレイじゃなかったの?なんて拗ねた顔を出来ればいいけれど、実際の私は透明なジン・トニックに顔を写しているだけ。
ガードが堅いと言われた、強い女の皮を被っている私。偽りの私。本当は、強くなれない弱い私。

「サクラがあの時、自分の夢を追うために俺と別れたこと…後悔してるか?」
「してないわ」
「そうか。よかった」

何がよかったというのか。目線で問いかける私に、彼は独白のように続ける。

「お前があの時、何に、どんなことに悩んでいたのか…俺は少ししか知らない。家族とのこと、自分の夢のこと、進学先のこと、それよりもっと先のこと…昔から現実主義で、夢なんて追いかけてないように見せて本当は誰よりも夢に向かって走ってた。お前はそういう奴だったから…俺との別れを後悔してほしくなんてなかった」

カラカラと音を立てる氷山は徐々に徐々に琥珀の色を甘くしていく。
私は当時、彼に突然別れを告げた日のことを思い出し、胸の中に重たいものを感じた。

「我愛羅くんは私と別れて……どうだった?」

未練がましい女だと思われるかもしれない。でも、こんな話を持ち出した彼が悪いのだ。でも、本当に悪いのは私。今も昔も、彼に甘えている私。

「そうだな…初めは不思議な感じだった。ずっと一緒にいた人がいなくなるというのはこんな感じなのかと…時が経つにつれそう思った」

彼と過ごした二年半。一緒に暮らしたのは一年半だけど、暮らしは滅茶苦茶だったし、食べて寝て、飲んで遊んでを繰り返していた。
自堕落と呼ぶ手前、唯一の良心は夢に向かって努力していたことだけ。それ以外の時間は全て彼と一緒だった。
でも本当に努力をしていたなら、本当に自分の夢と真摯に向き合っていたなら、彼とお付き合いする暇なんてなかったはずだ。実際彼と自堕落なことをしている時間の方が長かった。
夢を追っているように見せてその実本当は逃げていた。才能のない自分の本当の姿を見たくなくて、挫折する情けない自分が見たくなくて、ずっと目を逸らし続けていた。
だから結局、向こうに行っても認められることはなかった。

「サクラは、留学してどうだった?楽しかったか?」
「えぇ…そうね。言語が違うっていうのには苦労したけど、それなりに…楽しかったわ。素敵な出会いも沢山あったし、有意義な時間だったと思う」

これは嘘ではない。でも多少脚色はしている。実際は楽しいと思うより辛いと思う時の方が多かった。私は、向こうじゃ才能のないただの凡人だったから。

「そうか」
「うん」

思い出す記憶は辛いものばかりだ。言葉が通じず、文化も違う。こちらじゃ通じる態度も向こうじゃ通じなくて馬鹿にされたことや、皮肉を言われて笑われたこともある。
それでも我慢できたのは教師や時折目にするデザイナーの作品が素晴らしかったから。クラスにいる人たちの驚くようなデザインや企画に圧倒されたから。
挫折と同時に絶望も味わったけど、それでもやっぱり、私にとってあの世界はキラキラと輝いていた。

「…涙が似合う女にならない方がいい。辛い記憶はいつか優しさに変わる。お前はそういう女だ」
「……うん…」

いつの間にか目の前が歪み、気づいた時にはそれが小さな音を立ててテーブルを汚す。
ぽつりぽつりと落ちていく、独白のような痛み。私の過去のもの。そして今も尚苦しめるもの。
声を上げて泣くことは出来ないけれど、それでも一枚一枚写真を破り捨てるように落ちていく雫は、私の心そのものだった。

「…はぁ…ごめんね、我愛羅くん。私、こんな情けない姿…見せるつもりなんてなかったのに…」
「情けなくないさ。辛いことを知っているということは、それだけ人に優しく出来る証拠だ」
「ふふっ…相変わらずね、そう言うとこ…」

ハラハラと落ちていく雫の合間で笑ってみせる。昔はこうしてよく彼の前で泣いたっけ。でもそれも遠い昔の記憶。
そう思っていたのに、今も結局涙を見せている。彼の前じゃ最後まで強くいられない。弱い私を受け止めてくれると知っているから、どうしても、甘えてしまう。

「…サクラ」
「何…?」
「誰かに頼ること、誰かに甘えること…それは決して弱さじゃない。自分一人で立ち上がれることが強さでもない。一人で何でも解決できることは強さではなく傲慢だ。それを、忘れない方がいい」
「…一人で何でもできることが、傲慢に見えるの?」

私はそうは思わない。一人で何でもできるってことは、それは自立した大人であるという証拠だ。
何でも出来て、どんな困難にも負けない。そんな強い人が、私の理想なのに。

「この世はサクラ一人だけじゃない。人の間で生きるっていうことは、それを学ぶことだ。人は人のために生きている。愛する誰かのために、人は生きているんだ」
「…うん…」

そこまで言い切ると、彼はふと優しく笑って私の頬に指を滑らせた。

「相変わらず宝石みたいな涙を流すんだな。これが真珠になればネックレスにしてやるのに」
「ふふっ、嫌よ。自分の涙で出来たネックレスなんて縁起でもないわ。市場価値もないし、すぐに在庫商品よ」
「そうか?俺はいつまでも眺められる気がするがな」

先程とは打って変わって零される軽口。それを軽く笑って一息つくと、私の涙も自然と止まった。

「悔しいけど何だかスッキリしたわ。やっぱり泣くっていいことなのね」
「俺と出逢ったことじゃなくて?」

零されるおどけた台詞に少しだけ笑って、私は最後の一滴を飲み干した。

「ご馳走様。約束の一杯はもうお終いよ」
「何だ、つれないな。金ならあるぞ?もう一杯いかないか?」
「イヤよ。約束したでしょ?一杯だけよ、って」

自然と上がる頬をそのままにウィンクすれば、彼は負けた。と肩を竦めてからバーボンを飲み干した。

「幾つになってもお前には勝てんな」
「それだけあなたにとって私が魅力的、ってことよ」
「フっ…そういう強気な姿勢、変わってなくて安心する」
「何よ、それ。失礼ね」

彼の背中を左手で抱えた鞄でもう一度叩いて、駅まで一緒に歩いてから向き直った。

「驕ってくれてありがとう。美味しかったわ」
「こちらこそ。楽しいデートだった」

夜が遅いということもあってか、随分と人通りが少なくなった改札の前で互いに微笑む。
私の左手に、指輪はなかった。

「最後に一つ、イイコト教えてあげる」
「何だ?」

鞄の中から取り出したのは電子マネー。
私はそれを改札機に当てると、ゲートが開いた瞬間彼を振り返った。

「私、あなたのことまだ好きよ」

猫のように目を開く彼に思いっきり笑って、私はヒールの音を響かせながら階段を昇った。
ホームから零れる風は少し冷たく肌にまとわりつく。それでもそんな風に負けじと髪を揺らし、私は近付いてきた電車のライトに目を細めた。

私の第二の人生は、まだ始まったばかりなのだ。


end




内罰的のような自己欺瞞のような、不安定なサクラちゃんを支えつつ口説く我愛羅くんの話。
本当は火遊びする二人が書きたかったはずなんだけど、結局我愛羅くんが軽い男で終わってしまった…(笑)

そしてタイトルは相変わらずのインスピレーション。



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