小説
- ナノ -


私の小さな旦那様



いつも書くお話とはまた別の設定。
でも我愛羅くんは相変わらずの仔狸設定です。




先日、十七になった私は元服を終えるとすぐに嫁入りした。
相手は資産家の息子、ではなく、名のある名家の息子。でもなく。私たちの住む村のずっと奥にある、大きな山に住まう化け狸の元に私は嫁いだ。




テーン、テーンと鞠の弾む男がする。
日当たりのいい年季の入った縁側に腰掛け、私はその音源に向かって声をかけた。

「我愛羅くーん!お昼にしましょー!」

私の声が届いたのか、先ほどまで聞こえていた蹴鞠の音は止み、次第に草木を踏み分ける音が近づいてくる。

「お昼?」
「うん。お昼」

近づいてきたのは見目は十の頃の男の子。
私の膝より少し高い位置にある赤い髪に手を伸ばせば、髪の合間から飛び出た丸い耳がピクリと動く。

「今日のおにぎりには何が入ってるんだ?」
「今日は我愛羅くんの好きなかつおぶしと昆布です」

おにぎりの中身を教えれば、途端に顔を輝かせる小さな子供に向かって濡れた手拭いを渡した。

「でもまずはお手を綺麗にしましょうね」
「うん」

小さな丸い手は人の手としては不完全な、人と獣が混ざったような妙な形をしている。
それは偏にこの子供が完璧に“転変”をしていないからだ。
まぁしていないというより出来ていない、という方が正しい。現にまだこの子は妖怪としては未熟だ。

「いただきます」

手拭いで綺麗にした両手を合わせ、少し大きめに握ったおにぎりを頬張る。

「美味しい?」
「ん!」

口の周りにお弁当をたくさんつけて、頷く子供に思わず笑う。
私がこの子供、もとい化け狸の我愛羅くんの元に嫁いできたのはもう二年も前のことだ。

当時、元服を終えた私は奉公先で見初められた殿方の所にお嫁に行くはずだった。
けれど私の嫁入りが決まった日、突如彼は何者かに憑かれたように狂い、村を荒らし、山伏殿達に鎮められた。

元来化け狸とは人を化かしたり人に憑く妖怪である。
実際その殿方に憑いていたのは狸の霊で、ある程度暴れて満足したのかあっさりと殿方の体から出て行った。
そうして呆然とする私の元にひょっこりと顔を出してきたのが、現在私の夫である我愛羅くんである。

『さくら、迎えに来たぞ』

小さな体に丸い耳。ずんぐりとした手足に丸く長い尾。
初めて見た時は何だこの化物はと思ったものだが、慣れてしまえば愛らしく見えるのだから不思議なものだ。

『あ、あなた誰?!』

奉公先の方々にご迷惑をかけたこと、そして夫となるはずであった殿方のことが気がかりで私は疲労と相まって夢でも見ているのかと思った。
けれど彼は昔自分と夫婦になる約束をした仲だと言った。

『昔約束しただろう。山から逃がしてやる代わりにお前が大きくなったら嫁に貰うと』

まだ人間に対し理解が浅かった彼の体はどちらかと言えば狸よりではあったが、それでも精一杯化けてきたのだろう。
小さな体で自分以外の男の所に嫁ぐのは許さん、とのたまう姿は正直滑稽ではあったが、それでも確かに私はその約束に覚えがあった。


それは私がまだ幼い頃。今の彼と見目がそう変わらぬ年の頃のことだった。
その日私は山の麓にある茸や山菜を採りに来ていたのだけれど、幼かった私は調子に乗って山の中に入ってしまった。そこは化け狸や妖怪が沢山住むと言われている山で、一度入れば二度と戻っては来れないとまで言われていた。
けれど子供だった私はその言い伝えも忘れて山に入り、気づけば帰り道が分からず泣いてしまった。

『うえぇえ…帰りたいよぉ…』

大きな木の根元にしゃがみこみ、しゃっくり上げながら父母を呼び、けれど誰も答えてくれぬ大きく冷たい山の中で私は泣き続けていた。そんな中聞こえてきた声は私にとって何よりも救いだった。

『お前、人間か』
『…だれ…?』

木の上方、けれど見上げても姿は見つからない。どこからか聞こえてくる不思議な声に私の涙は止まっていた。

『人間がこの森に入ってはいけない。入れば最後、森に喰われて死んでしまう』
『そんな…!わたしまだ死にたくない!おっとうもおっかあもお家で待ってるもん!』

怒りながらも不安で泣く私に、姿の見えない声の主は小さく吐息を零した。

『しょうがない…では一つ、私と取引をしよう』
『とりひき…?』
『ああ、取引だ』

茸や山菜が入った籠を足元に転がしたまま、響いてくる声に向かって問いかけた。

『とりひきって、なあに?』

何も知らない私はその声に惑わされるように頷き、一つの約束をした。

『約束だぞ。お前が大きくなったら、必ず我らの元に嫁に来るのだ。必ずだぞ、さくら』

私は声の主に己の名前と、村の居場所を告げた。
そうして声の主は私に元服と同時に嫁に来ることを約束させ、私を山から戻してくれた。

(けどあの声の主って、我愛羅くんじゃなかったのよね…)

そう。私は嫁いでくるまで彼が声の主だと思っていたのだけれど、その実あの時私と取引をし、山から逃がしてくれたのは彼のお姉さんだったのだ。

『よう、さくら。久しぶりだな。約束は守ってもらうぞ』
『まったく、無駄な労力使ったじゃん』

現れたのは彼よりも遥かに背の高い、すらりとした女性と、少しばかり体格のいい男性だった。
聞けば私の夫になるはずだった殿方に憑りついたのは彼のお兄さんで、家族総出で私の嫁入りを阻止したわけである。
まぁ取引をしたのは事実だし、それを破ろうとしたのは私なので罪はこちらにあるのだが、正直子供の頃のことだったので忘れていた。
約束を反故にするつもりはなかったのだが、人間とはそういうものだと理解してほしい。

「我愛羅くん、お弁当いっぱいついてますよ」
「ん、すまない」

彼の丸くやわらかな頬についた米粒を取ってやれば、彼は少々照れくさそうに下を見る。
私に自分以外の男の元に嫁ぐなとのたまった彼は、その実相当な照れ屋であった。現に今度は米粒をつけないよう小さく口を開いておにぎりを頬張っている。
姿形と相まって、ますます幼子のようにしか見えない。


正直、初めは嫌だった。
何せ化け狸の嫁である。人間じゃない。妖怪の元に嫁ぐのだ。誰が喜び勇んで嫁入りを決意しよう。
だが化け狸は下手をすれば危害を及ぼす妖怪である。約束のこともあり、私は泣く泣く従うことにした。
そして彼と共にあの幼い頃から二度と足を運んでいない山に戻った。人の道を捨てることは恐ろしかった。随分は覚悟をした。
が、妖怪の元に嫁いだというのに私の暮らしは大して変わりはしなかった。

「ごちそうさまでした」

再び合わせられた両の手。小さく丸い指を再度手拭いで拭いた彼は、盆を除けて私の膝の上に乗り上げた。

「食べてすぐ寝たら太りますよ」
「う…ね、眠ったりしないぞ」

とは言いつつ胸元に顔を寄せ、ぎゅうと抱き着いてくる小さな体はぽかぽかとしていて眠気を誘う。
私でさえそうなのだから、まだ子供の彼は尚更だろう。実際夫婦になったとはいえ“子作り”なるものを私たちはしていない。
日々幼い彼の成長を見守る毎日だ。

「…サクラ…」
「はい」
「さくらー…」

案の定ウトウトとし始めた小さな子供の頭を撫でる。
元は狸らしい、ふわふわとした髪は触り心地が好い。指の合間を柔らかく抜けていく髪を何度も梳いていれば、次第に腕の中のぬくもりが脱力していく。

「うんー…ねてないぞ…」
「ふふっ、まだ何も言ってませんよ」
「んー…」

何度も言うようだが、彼はまだ子供だ。
聞けば産まれてこのかた既に二十余年は生きているそうなのだが、妖怪としてはまだまだ未熟で、人間で言えばやはり十歳ほどなのだという。
そんな小さく幼い私の夫は、今日も私の腕の中で気持ちよさそうに昼寝を始めた。

「本当、調子狂うなぁ…」

妖怪の元に嫁ぐのだからと、人の道を捨てるのだからと、彼には内緒だが相当な覚悟を決めてきた。
なのにいざ彼が住む大きな家屋に辿りつけば、人里で暮らしていた時と大して変わらない毎日を繰り返している。
朝起きて、食事の用意をして、掃除をして。そうして毎日変化の練習をしたり、蹴鞠で遊んだり、どんぐりを拾って来たりする彼を眺めている。
初めはこんな生活で大丈夫なのかと不安に思ったが、彼の父親である化け狸の総統に“人の生体を教えるのがお前の役目だ”と言われそういうことかと納得した。

彼はあまり人里に下りない。
そのせいもあって彼の“転変”は不完全であり、未成熟だ。実際よく人里に下りて人を化かす彼の姉兄ははた目からでも分からないほどに上手く人に化けている。話し方も歩き方も作法も、そこらの人となんら変わりはない。
時には釣りの道具を持って人と共に魚を釣ってきたりする。本当に彼らは化けるのが上手い。
けれど彼は人里に下りないせいか人間に対する知識が浅く、人体のことを理解していないから“転変”の出来も不十分だった。

そうそう。“転変”というものは“変化”と少々違うらしい。
彼らが言うには“変化”とは一般的に人や物、木々や家屋に化ける時に使うらしい。この際の人間は実際に存在する人間に化ける時のことを指す。
そして“転変”とは、他人に化けるのではなく、己自身として人の姿を借りて化けることを指すらしい。ようは彼らの裏の姿というわけだ。
だから実際彼も“変化”は出来ても“転変”は出来ないでいる。早く慣れないと一人前になれないらしいから、きっとお義父様も大変なのだろう。

「すー…すー…」

とはいっても今腕の中にいる存在は私からしてみてもまだ子供だ。
生きている年数は彼の方が上でも実際の知識や成熟度は私たち人間の方が遥に早い。
夫婦というよりも姉弟のような関係に私は時折苦笑いしつつも、それでもこの関係を心地よく思っている所だってある。

「ん〜…むぅ…」

朝起きて、一緒にご飯を食べて、お散歩に出かける彼を見送る時。子供を見送る母のような気持になる。
そうして何か面白いものを見つけては、小さな手いっぱいに抱えて、コレは何だ、あれはなんだと問いかけてくる純粋な瞳に言葉を返すのが楽しい。
時には泥んこになって帰ってくることもあれば、全身ずぶぬれで帰ってくることもある。
かと思えば私のために花を摘んできてくれることも、怪我をした動物を連れ帰り介抱してやる姿も見せてくれる。
山に住まう妖怪としても、一人の男の子としても、見ていて飽きない私の小さな夫。
気が抜けると“転変”が解けて単なる狸の姿に戻ってしまう未熟な夫。
そうして目覚めた時に悪戯に鼻先に口をつけてやれば、途端に恥ずかしそうに小さな手で顔を覆ってしまう可愛らしい妖。

父母や友人たちには会えなくなってしまったけれど、私は存外この生活が嫌いではない。
だって元より忌み子として避けられていた私である。今更人里に帰りたいなどと思うこともない。
生まれ持ったこの薄紅の髪の色が、私が異端児である何よりの証拠だった。

「ふぁっ」

どうやら浅い眠りだったらしい。彼は寝言のような声を漏らしたかと思うと薄目を開け、ついでに数度瞬いてから目を擦る。

「…ねてないぞ」

どの口が言うのか。
思わず笑えばまだ眠たそうな、それでいて拗ねた瞳に睨まれる。

「笑うな」
「ふふっ、だって」

むぅ、と頬を横に広げる顔が愛らしい。けれど素直にごめんなさい。と謝れば、彼はうんと頷いて私の膝の上から降りた。

「サクラ、一緒に来い」

膝の上からだけでなく、縁側からも降りた彼に手を引かれ、私も下駄に足を通す。

「どこに行くんです?」

丸く小さな手を握り返せば、小さな彼はほたほたと短い足を動かしながらいいところ。と答える。

「いいところ?」
「うん。いいところ」

小さな足が、小さな手が、私を引っ張っていく。
明るいけれどどこか肌寒い、人気のない森の中をぐんぐんと突っ切っていく。

「…我愛羅くん」
「なんだ?」

初めの頃、彼をなんと呼べばいいか分からず悩んだ。けれど彼はそんな私に“お前が好きなように呼べばいい”と言った。
ここはもう人里ではないのだから人のしきたりに習うことはない。妖怪の掟なんぞ人の掟に比べれば他愛のないものばかりだ。だから自分のことは好きに呼べばいい。そう言った。
見目幼く愛らしいのに、存外男気のあることを言う。
そんな彼に驚いて、けれど思わず出たのは“我愛羅くん”だった。
呼んだ瞬間は怒るんじゃないかと冷や冷やしたが、どうやら彼はそれが気に入ったらしく、では今日から俺のことはそう呼べ。と言って私の手を引いた。

あの時からそう変わっていない。けれど少しだけ“転変”が上手くなった彼は私に向かって口の端を上げた。

「きっとお前も気に入るぞ」

だってそこにはお前の好きなものばかりが咲いているから。
そう続けて目の前に茂る草木を分けた瞬間、私の目に飛び込んできたのはこの世のものとは思えないほどに美しい場所だった。

「まぁ…!綺麗…!」

視界を染めるのは辺り一面に咲く色とりどりの小さな花たち。
赤に白に黄色に青。周囲に立ち並ぶ木々の青々とした葉っぱも、上空を彩る広大な青空も、全てが私の心を揺さぶり全身を打っていく。

「気に入ったか?」

腰のあたりから聞こえてきた少し高い声。
視線を下げればどことなくソワソワとしている体の彼がいて、私は自然と頬を緩めながらうんと頷いた。

「ありがとう、我愛羅くん」

繋いだままの小さな手にぎゅっと力を込めて、嬉しそうに俯く彼の手を勢いよく引っ張り花畑の中に飛び込む。
そうして互いの着物に泥がつくことも構わず抱き合いながらじゃれあって、驚きつつも声を上げて笑う彼の泥だらけの顔を見上げ私も笑った。

空は青く、花は美しい。
人の世から離れたこの土地で、私は彼と一緒に生きている。



end


突発的に浮かんだ妖怪パロ。
普段書いてるのとはまた別の設定です。

実はサクラちゃん、髪の毛の色のせいで忌み子として嫌われてました。
なので人里に戻りたいっていう意思は薄く、父母も(キザシさんとメブキさんじゃない設定)妖怪に見初められた我が子を手放すことに躊躇はなかったので余計にね。
だけど思ったより我愛羅くんが子供っぽくて、っていうか子供で、夫婦っていうより歳の離れた弟の面倒を見ているみたいで楽しくなってきたサクラちゃん。
多分このまま我愛羅くんが大人になって真の意味で夫婦になっても仲睦まじく暮らすだろうな、っていう設定は暗いけど内容は明るい話にしたかったアレです。

要するに、見た目だけおねショタなお話でした。(オイ)



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