小説
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木苺の誘惑




パティシエ我愛羅くん×恋人サクラちゃん



喧嘩をした。
彼と、久々に。というよりも初めてかもしれない。
でもこれは喧嘩と呼べるようなものじゃない。
私が一方的に怒って、連絡を絶って、顔を見に行ってないだけだ。
彼の方からは何度か連絡が来ていたし、履歴にも残っている。でもその全てに返事をしなかったのは私。
仕事が忙しいから、今日は疲れてるから、まだ怒ってるから。
そんな言い訳を自分にして、結局彼と仲直りできずにズルズルと時間だけが過ぎていく。
おかげでもう一月近く彼と会っていないし、彼のお店にも、彼の作る美味しいお菓子にも、私にだけ特別に淹れてくれるコーヒーも、当たり前だが口にしていない。
会いに行こうと思えば会える距離なのに、どうしても会いに行けなかった。
ここまで一方的に彼を拒絶しておいて今更どうして会いに行けるのか。
あまりにも我儘で、自己中心的すぎて、会いに行けなかった。

「…素直じゃないなぁ、私って…」

基本的に彼は私に対して怒らない。
怒らないというよりも彼は私がしてほしいこと、してほしくないこと、そういうことを理解しているから喧嘩するようなことになったことがない。
それは私が先にアレはいや、これはダメ、と言っていたからなのだけど、そう思うと彼はいつも私に合わせてくれているような気もする。
優しい人なのだ。
愛されていたと思う。
けどもう愛されてる自信がない。

(流石にこれだけ意地張って連絡無視し続ければね…愛想も尽かされるってもんよ…)

最後に彼から連絡が来たのは二週間も前。
喧嘩の理由はデートを二回連続でキャンセルされたから、という非常に心が狭いものであった。
でもその時の私は丁度月のモノに当たっていて、とても情緒不安定だった。
そのせいにするのは少々卑怯な気もしたけど、私にとってデートはとても大事なのだとギャンギャン泣きわめいて彼からの電話を一方的に切ったのを覚えている。
大人気なかったと思う。
私だって働いているが、彼に至っては店を持っているのだ。
私より彼の方が色々と大変なのは分かっている。分かっていた。でも、それは“つもり”だったのかもしれない。

「…我愛羅くん」

いっそ怒ってくれたらよかった。
ヒステリックに罵る私に対して、いい加減にしろ!と怒ってくれてもよかった。
でも彼は怒らなかった。
ただ何度も電話の向こうで、すまない、とごめんを繰り返した。
優しい、心苦しそうな声だった。
それなのに私は許してあげられなかった。酷い女だと思う。
自己中で、大人気なくて、可愛げのない面倒な女だ。
だからこんな風に今でもぐちぐちと、テーブルに突っ伏しながら鳴らない携帯電話を眺めている。
もう彼から連絡が入ることも、私から連絡を入れることもないだろうに。

(こういうの自然消滅、っていうのかな…遠距離恋愛でもないのに、変なの…)

もし彼とこのままダメになってしまったら、私はもう二度と彼のお店には行けない。
初めて見つけた小さなお店。
表通りから外れた、旧表通りの一画に佇む彼のお店。
迷子になって心細かった時、たまたま見つけただけの彼のお店も、今は私にとって大切な場所になった。
大好きなケーキを食べるだけじゃない。
お店で働いている店員さんと話すことも、時折お客さんのことが気になって奥からちらりと彼が顔を覗かせる姿を見るのも、彼がコーヒーを挽く音も、好きだった。

でも、もう行けない。
こんな我儘な女が足を運んだら彼のケーキが不味くなってしまう。
それだけは避けなければならなかった。
だって彼の作るケーキは私以外にも沢山の人から愛されてるから。
お孫さんの誕生日に、とケーキを予約していったおばあちゃんの顔を私は知っている。
甘いものが好きな奥さんのために、と夜遅くお店に駆け込んできてケーキを買って行ったサラリーマンのおじさんも見ている。
だから、私だけが我儘を言う訳にはいかないのだ。
だって彼は沢山の人に大切にされているから。

「我愛羅くん…」

どうして喧嘩をした時って素直に“ごめんね”が言えないんだろう。
何でこんなに短い、たった四文字の言葉が言えないんだろう。
大切なのに傷つけて、大好きなのに苦しめて、愛してるのに素直になれない。
本当に面倒な女だと思う。
もっと早くに彼から愛想を尽かされてもおかしくなかったのに、今までずっと私に付き合ってくれた彼は随分と大人だと思う。
そしてそんな大人な彼だからこそ、私は甘えていたのかもしれない。
もっと私のために時間を作ってよ、とそんな我儘を口にしてしまったのかもしれない。

(つくづく自分が嫌になるわ。本当、自己中な女)

はあと深くため息を吐いたところでピンポーンとドアフォンが鳴る。
時計を見れば午後九時を回るところだ。こんな時間に誰が来るというのだ。
普段なら居留守でも使ったが、自暴自棄になっていた私は携帯電話ではなく、呼び鈴に応えるために受話器を取った。
セールスなら断ればいいのだ。変人なら受話器を置いてもう二度と答えなければいい話なのだ。
こんな鬱々とした気分が少しでも紛れるなら、一時でもいいから受話器の向こうに耳を傾けていたかった。

「はい」

エントランスからかかってきた呼び鈴に答えれば、受話器の奥から聞き慣れた声が飛んできた。

『サクラ?俺だ。こんな時間にすまないが…開けてくれないか?』
「…え?」

聞こえてきた声に思わず素っ頓狂な声を上げ、暫くフリーズした後にもう一回え?と呟けば呆れたような彼の声が聞こえる。

『まさか寝てたのか?ならば起こしてすまなかった。携帯に連絡を入れようと思ったんだが、面倒だからそのまま直接来たんだ』
「え、あ、そ、そっか、わかった」

何がそっかわかった、だ。他人事のように言ってる場合か。
自分で自分に突っ込みつつ受話器の隣に設置されているロック解除のボタンを押す。
途端に受話器の奥からガシャン、とロックが外れ扉が開く音がする。

『ありがとう』

受話器の奥から聞こえてくる、聞き慣れた声が私に向かって礼を言う。
素直になれなくてずっと連絡を無視していた私を、やはり彼は怒らなかった。

「…何で…」

もっと怒ってくれてもいいのに。
そう思いつつ元の位置に戻した受話器は、先程ドアを開けた時と同じような音を立て沈黙した。

(許してくれるのかな…ちゃんと謝ったら…でも、もしかしたら別れ話をしに来たのかもしれない。もっといい人を見つけたから別れてくれって、私より素直な女の子を好きになったのかもしれない)

そう考えると胸が痛んだが、今回は自分がすべて悪い。
彼に我儘を言うのはもう止めようと強く目を閉じたところでドアフォンが鳴る。
今度は私の部屋の前の、たった一枚、外と中を隔てる扉の向こうからの催促だった。

(い、行くのよサクラ!例えこの先に別れがあったとしてももう彼を困らせたりなんかしないわ!立つ鳥跡を濁さずって言うでしょ!!)

一度深く深呼吸し、それからゆっくりと扉に近づきドアノブに手をかける。
冷たい金属のソレは私の手の動きに合わせゆっくりと回り、扉の鍵を外した。

「い、いらっしゃい…」
「ああ。夜分遅くにすまない」

開いた扉の向こう、見上げた彼は寒さに肩を縮め、鼻先を染めながら僅かに目を細める。
久しぶりに見る彼の顔だった。

「えと、寒かったでしょ。上がって」
「ああ、お邪魔する」

何故か急に思い立って昨夜掃除しておいてよかったと、片づけたばかりの部屋に彼を通す。
これから何を言われるかと内心びくびくしていたが、彼は思ったより緊張感のない顔で靴を脱ぎ部屋に入った。

「最近めっきり寒くなったな。デパートではクリスマス特集を始めてた」
「あーそっかぁ。もうすぐそんな時期になるもんねぇ。一年って早いわよねぇ」

何て世間話してる場合か。
思いつつも私はマフラーとコートを取る彼に向かって手を伸ばす。

「掛けるから、貸して」
「ありがとう」

マフラーとコートはしていたのに、手袋はしていなかった冷えた指先が私の手に触れる。
思わずひゃっ!と声を上げれば彼は小さく笑ってからごめん、と言った。
先に謝られてしまった。
理由は違うけど、それが妙に恥ずかしかった。

「ど、どうして手袋してないのよ…」

何故謝ろうと決意したのに、思いとは裏腹に憎まれ口を叩くのか。
もういやーっ!と自分自身に嫌気がさしたがそんな私の心中が彼に届くはずもなく、彼は肩にかけていたバッグをテーブルの上に置くとああ、と呟く。

「朝バタバタして忘れてたんだ。今日スイーツ展があっただろう?それに参加してたんだ」
「へー…そう…ってスイーツ展?!」

何事もなかったかのように洩らされた彼の言葉に私が反応すれば、彼は知らなかったのか?と首を傾ける。

「ドームを貸し切っての展示会だ。百社以上の参加があって企業やら個人店やらが商品を売り出してたんだが…本当に知らなかったのか?」
「えぇ…何それ行きたかった…」

スイーツ好きとしては逃せないイベントであるはずなのに、何ともったいないことをしたのだろうと肩を落としてからはたと気づく。
彼は今までそういった場所に顔を出すことも、店の名を掲げ商品を並べることもなかった。
なのに何故今回は参加したのだろうか。

「甘いものが好きなお前にしては珍しいこともあるもんだな」
「そ、そういうこともあるわよ」

それに今回はきっと喧嘩の件で頭がいっぱいだったから気付かなかっただけなのだ。
きっとそうだ、そうに違いない。

「ていうかあなたこそ参加するの珍しいわね。どういう風の吹き回し?」
「本当は参加する気は無かったんだがな。テマリが勝手に書類提出してて出店することになったんだ。たまにはああいう場に出ろ、と言われてな」
「へ〜、成程ねぇ」

彼のお店は個人経営らしくとても小さい。
小ぢんまりとした店ではあるが、それでも中にランチやブレイクタイムを楽しめるようカフェが設置されおり中は存外広い。
それに彼が育てたという色とりどりの花々が飾られた外装も非常に愛らしく、女性としては足を運びやすい。
雑誌に載ることもクーポンを発券するということもないが、ご近所や口コミでそこそこ広がった彼の店に足を運ぶ人は多い。
まぁ私のように迷子になった際見つけたという人も多いらしいが。

「まぁ、有難いことに商品も売切れてな。新作も一緒に出したんだが、思ったよりいい評判がもらえてよかった」
「そっか、よかったね」

新作を出すなんて私は知らなかった。
いつもならお店に出す前に私に食べさせてくれるけど、今回は私が一方的に連絡を絶っていたため彼はそのままスイーツ展に持って行ったらしい。
本当に何故もっと早く素直にならなかったのかと座した彼の前で突っ伏せば、彼はそれで、と咳払いをしてから言葉を続けてくる。

「その…今更なんだが…お前にも…その…た、食べてもらいたくてだな…」
「…え?」

突っ伏していた顔を上げれば、何故か照れくさそうに視線を彷徨わせる彼がいる。
何故こんな反応をするのかが分からずじっと見上げていれば、彼はウロウロと視線を彷徨わせた後に瞼を落とす。

「…やはり…その…お、お前に食ってもらわないと…その…安心できないというかだな、いまいちしっくりこないと言うかだな、だから、その…上手く言えないんだが、納得…いかないんだ」

周りからどれほど称賛を貰っても、どれほど高い評価を受けても、私が美味いと言わないと自分の中で腑に落ちないと言う。
あまりにも意外な彼の言葉に私が呆けていれば、彼は慌てて立ち上がり鞄の中から小さな箱を取り出してくる。
それは彼のお店で使っている紙箱だった。

「だから、その、持ってきた」
「持ってきたって…え?売切れたんじゃなかったの?」

先程確か彼は商品は売切れたと言っていた。
なのに何故新作がここにあるのかと問えば、彼はぐっと言葉に詰まった後視線を逸らした。

「………てきた…」
「え?ごめん、聞き取れなかったからもう一回言って?」

何故こんな時に限ってするりと謝罪の言葉が出てくるのかは分からなかったが、それでも問いかければ彼は頬を染めた後に箱を両手でつかみながら顔を俯けた。

「つ、作ってきた…お前に、食べてもらいたくて…」

何故、ここで照れるのだ。
そして何故、こんな一方的な女に対しここまで優しくしてくれるのだ。
私はまだ彼に謝罪もしてないし、そんなに優しくしてもらう義理などないはずなのに。
彼の気持ちが分からず狼狽えれば、彼は迷惑だっただろうか、と顔をあげぬままに肩を落とす。

「ううん…違うの…すごく、嬉しいの」

彼の新作が、皆より後になったとはいえ食べられることは嬉しい。
そして私のために作ってきてくれたというのも本当に嬉しい。
けれどそれを素直に口にするには、私にはやるべきことがある。

「でも…その前に私あなたに言わなきゃいけないことがあるの」
「ん?何だ、改まって…」

ようやく顔を上げた彼に私は深く息を吸い、職場で見せるよりも遥かに潔く頭を下げた。

「ごめんなさい!」
「え」

頭を下げた私の向かい側から、彼の驚いたような声が戻ってくる。
けれど私はそれに気づかぬまま今までのことを謝ろうと顔を上げたところで瞬いた。

「…えと、何で…そんなへこんでるの?」

顔を上げた先には、驚いた表情然り、憮然とした表情然り、困り顔然りの彼ではなく、何故か机に突っ伏し暗い影を漂わせる彼がいた。

(え…?私何か変なこと言ったかな…)

今までの自分の酷い対応について謝っただけなのに何故彼がダメージを受けるのかと途方に暮れていれば、彼の口からボソボソと何がしかの言葉が漏れ聞こえてくる。

「いや…確かにこんな時間に来るのは悪かった…遅い時間に甘いものは体に良くないし、自分が食べないからといって考慮しないのは浅はかだった…だがそんな勢いよく断らんでも…」
「ちょちょちょ!ちょーっと待って!あなた何勘違いしてるの?!」

バン!と音を立ててテーブルを叩き、彼の意識をこちらに向けさせれば先程とは打って変わってしょげた顔の彼が私を見上げてくる。

「だってお前…ごめんなさいって…」
「いや、違っ…!あれはあなたの差入を断ったわけじゃなくて、私がこの一月近くあなたにしてきたことに対しての謝罪なの!」

何故こんなことを自らの口で説明しなくてはならないのかと妙な気分を覚えるが、それでも人と少々ずれた感性を持つ彼相手なら噛み合わないこともままあることだった。

「俺にしてきたこと…?」
「そうよ!メールに返事返さなかったり、電話に出なかったり…その…幾らなんでも酷かったと思うわ。本当にごめんなさい」

自分で言っておいてなんだが本当に碌でもない女だと思う。
流石にメールぐらい返信しておくんだったと今更ながらに改めて反省していると、彼は何だと案外あっさりとした声をあげた。

「そんなこと一々気にしてたのか?」
「は?」

今日何度目かの彼に対して素っ頓狂な声を上げれば、彼はどうとでもないと言うかのように頭を掻きながら上体を起こす。

「別に怒ってなんかないぞ」
「…何で?」

自分が男なら確実にしゃーんなろー!である。
最悪こんな女と付き合ってられるか!と別れ話でも持ってくるのに、彼は気にした様子もなく私を見つめている。

「女心は秋の空、というだろう。それにそもそもデートを立て続けにキャンセルしたのは俺が悪い。お前が謝る必要はないし、むしろその件で謝るのは俺の方だ」
「いや、でも…連絡取らなかったのは私が悪いし…」

彼の言葉に視線を落とし答えれば、彼はんー、と困ったような声を漏らす。

「確かに連絡が返って来ないのは心配だったが、忙しいだろうし、寝ているかもしれないと思って大して気にはしてなかったぞ」
「え、何それ!」

今まで悩んできた自分は何だったのかと思わずにはいられないほどあっさりとした言葉が返ってくる。
思わず脱力し席につけば、彼はガリガリと後ろ頭を掻いた。

「もしかしてそれを気にして店にも顔を出さなかったのか?」
「行けるわけないじゃない…そんな一方的に連絡断ってる中でさぁ…」

今度は私が机に伏せれば、彼はやれやれと言った体で吐息を零し私の髪に触れる。

「お前は妙な所で気を回すな」
「妙って何よぅ…」
「悪口を言ってるわけじゃない。それにそんなことで一々お前のことを嫌いになったりするものか。そこまで俺の心は狭くないぞ」

悪口を言っていないと言いつつも、からかうような彼の口調に上目を向ければ優しく目を細められる。
彼のその顔に、私は弱かった。

「怒ってないからそう暗い顔をするな。俺の方こそすまなかった。これでおあいこだろう?」
「…何かあなたってずるいわ…本当に」

おずおずと伏せた体を起こせば、彼が吐息だけで笑う。
それが悔しくて思わず唇を尖らせれば、彼の指がそこに触れ、テーブル越しに身を乗り出した彼に口付られる。
羽がそっと触れるような、甘く優しい口付だった。

「男ってのは狡いもんさ。じゃないと女の子に振り向いてもらえないからな」
「…私以外の女を振り向かせるのはナシよ」

彼の楽しそうな瞳を見つめ返すことが出来ず、視線を落とせば彼が分かってる、と返してくる。

「所でサクラ、これ…受け取ってもらえないだろうか」

そう言って目の前に勧められたのは、彼がわざわざ私のためだけに作ってきてくれたという新作が入った紙箱だ。
オルゴールのようなその小さな紙箱に私は視線を落としてから、緩む口角をそのままに頷き受け取った。

「うん。有難く頂くわ。だって私、あなたの作るお菓子大好きだもの」

本当なら誰よりも早く食べれたはずのそれが見たくて、開けていい?と聞けばどうぞと返される。
小さなオルゴール箱を開けた先には、ハーモニカのように細長い、タルトのようなミルフィーユのような、繊細なケーキが上品に収まっていた。

「わぁ…可愛い!綺麗!」

勢いよく席を立ち、お皿お皿!と食器棚に向かって駆ける。
途端に彼から今食べるのか?と問いかけられ勿論!と返す。

「こんな美味しそうなケーキが目の前にあるのよ?!明日なんて待てないわ!!」

現金だと思うかもしれないが、この一月私はまともにスイーツを口にしていない。
一方的に怒っていた頃は仕事終わりにチョコレートを齧ったり市販のプリンに浮気をしたりはしたが、やはり彼の作ったものの方が美味しくてそれ以来口にしていない。
久々のスイーツ、しかも彼の手作りときたら我慢などできるはずがなかった。

「ふわぁ〜…本当綺麗…美味しそ〜」

取り出したケーキは、果物のジャムだろう。
とろけるような赤い色のジャムと淡雪のように白いクリームが見目良く私の心をくすぐってくる。それに小さなラズベリーがちょこんとアクセントとして乗っかっているのも可愛らしい。
うずうずと逸る心を落ち着けながら彼へと視線を向ければ、やれやれと肩を竦めた彼が説明し始める。

「オレンジとココナッツを混ぜたクリームに、ラズベリーで作ったジュレを挟んでるんだ。一番下はピスタチオとクッキーを一緒に砕いて固めて、一番上にラズベリーのジャムを少し乗せてる」
「へぇ〜、このジャムも中に挟んでるのもラズベリーかぁ。赤と白の割合が絶妙で見た目も綺麗だし、本当に美味しそう!!」

もう食べてもいいかと視線で訴えれば、彼は無言でどうぞとケーキを進めてくる。
まるで子供扱いだが、私は気にすることなくいただきまーす!と声を上げてからケーキにフォークを刺し入れる。

「ふわぁ…クリームもスポンジもやわらかぁ〜い…うぅーん!ラズベリーが程よくすっぱくて美味しい〜!!」

口の中でふわふわのクリームとスポンジが弾み、間に挟まったジュレがふわりとベリーの味を広げていく。
そしてサクサクと鳴り響く土台のクッキーは甘さが控えられており、クリームに混ぜられているオレンジの香りを程よく引き立てるようだった。

「はにゃ〜…幸せ…」

やはり彼の作るケーキは美味しいと頬を緩めていれば、目の前の彼が嬉しそうに目を細める。

「やはりお前のその顔を見ないとしっくりこないな」
「何よそれ…」

口では悪態をつきつつも、それでもケーキを頬張れば途端に溶けてしまう。
勝手に緩む頬が抑えられずにケーキを味わっていれば、彼の指先が私の唇の端を掠めて行った。

「美味そうに食ってくれるのは有難いが、残さず食べてくれよ?」

そう言って、私の口の端についていたのだろう。
指先に乗っかったクリームを舐めとる彼はとても色っぽくて、思わず私は口の中で頬張ったばかりのケーキと共にフォークを噛んでしまった。

「…ちゃ、ちゃんと全部食べるもん…」

ガチン、とフォークを齧る音が聞こえたかもしれないと思うと恥ずかしくて視線を落とせば、彼はただくすりと笑ってから私の目の前で頬杖をついた。

「今日、このまま泊まってもいいか?」
「…うん」

落とした視線の先に映るケーキの上には、私の頬のように赤いベリーのジャムが甘く光を反射させている。
この後過ごすであろう時間を思えば益々口の中が甘く、ベリーのように酸っぱくなっていくが、それでも私はこのケーキを食べるし、彼の期待にも沿いたいと思う。
私は彼の作るケーキを食べるのが好きだが、彼に歯を立てられるのも嫌いじゃない。

「…サクラ、顔が赤いぞ」
「うるひゃい」

染まった頬を元に戻す術など知るはずもなく、ただ私は頬張ったばかりのケーキを咀嚼し喉に通す。
先程よりも鈍くなった味覚ではハッキリとどの味が広がったかは分からなかったが、それでも私の欲望を満たすには十分だった。
彼の作ったケーキはまだ半分も残っている。その間に向けられる彼の視線に応えるのは恥ずかしかったが、それでも私はフォークを刺し入れた。

(結局何もかも、この人じゃないとダメってことね。私は)

赤い頬を隠すことなく、ケーキを頬張る私の前では彼が嬉しそうな顔をして私を見つめている。
甘いものを食べるのは苦手な彼でも、甘い空気を作るのは得意らしい。
流石私の認めるパティシエだとくだらないことを考えつつ、小さな果実を噛みしめた。
途端に頬の内側で広がった酸っぱさにきゅっと顔を顰めれば、彼が小さく吹きだす。
店の中ではなく、ケーキを食べる私を見るだけで彼の幸せ指数が上がるならそれはとても幸福なことなのだと今更ながらに思った夜だった。




end


久々のパティシエパロ。
冬って色んな意味で街が賑わうんでケーキとか焼き菓子とか新作が増えるんでいい時期ですよね。
新作!とか、NEW!って値札の所にポイントつけられたお菓子を見つけるとほっこりした気分になります。
まさに豚。

どうでもいいけどこやつらまだ恋人です。
そして更にどうでもいいですけどこのあと滅茶苦茶するんですよ、アレを。
ただアレがソレでアアがコウなるシーンはこのシリーズで書くつもりがないので割愛させていただきました。(笑)

我サクちゃんに幸あれ!(笑)



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