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ドSとドMの攻防戦




「ちょいと小娘様、ちぃとばかしコレ履いて踏んでくれねえかな」
「は?」




*ドSとドMの攻防戦*



何言ってんだこのおっさん。
と只今絶賛(仕方なく)同居中の男に私は思わず冷めた目線を送る。

この目の前にいる見た目20代前半の童顔かつ低身長なおっさん、名をサソリという。御年35歳は一応私の彼氏というやつで、別に援交でゲットした代物ではない。
元々は私の通う大学の先輩で、私が現在入っているサークルのOBらしい。
とまぁそんなことはどうでもいいか。とにわかに現実逃避していた私の視線はもっぱら目の前に出された真っ赤なピンヒールに向けられている。

よくぞまぁここまで典型的なものを用意してきたな。
と私が呆れていると、何だ。ピンクか青の方がよかったか?なんて見当違いなことを言ってきやがる。
違ぇよ。
と思わず拳を握れば、彼の目が殴るのか?と何故か期待されたように輝いたので止めた。

周囲の人間、特に彼の後輩であるデイダラさんなどは彼のことをSだと言うのだろうが、実際のところこのいい歳したおっさんは正真正銘本物のドMだ。

「踏まれる準備は万全だぜ?」
「何がだこの変態」

跪いてドヤるおっさんの顔面に差し出されたピンヒールの踵を刺してやったのは私の優しさだ。
そういうことにしておこう。

「ふっ…踏まずにめりこませてくるたぁ…さすがだぜ…」

ぐっさりと額に刺さったそれに痛がるどころか、むしろ恍惚に身悶えているおっさん。
ぴくぴく震える身体が心底気色悪い。

ああ…私なんでこの人と付き合ってるんだろう。
そう遠い目をしてしまうのは仕方ないことだと思う。


もともとサソリはドMではなかったし、私も出逢った当初はSだと思っていた。
童顔で小柄なくせに態度はエベレスト並にでかく、口は悪い。おまけに性格も性悪ときたもので
これが社会人だなんてこの世は終わってるわ。なんて思ったものだ。

それが今では立派なドMに成り果て畜生と化しているんだから笑い話にもならない。
よくこんなんで社会の歯車の一員です、なんて言えたもんだわね。と私が詰ればそれさえも悦びの糧になるのか
おっさんはもう一声!!と叫んでくる。
何がもう一声だ。もう一発食らわせてやろうか。
ともう片方の靴を手に取れば彼はさぁ来い。と言わんばかりに腕を広げる。
そうじゃねえよ。
思わず投げたヒールの靴は、見事に彼の顔面に収まった。


彼がドMへの道を開拓してしまった事の発端は、私がサークルの飲み会で酔っぱらった事がキッカケだった。
あれさえなければここまでウザいドM男にならなかっただろうに、神様とやらは不公平だと思う。まぁ別に神様なんて信じちゃいないけれども。

思いだせる記憶を頼りに順序立てすれば、その日の飲み会は私の尊敬するOG生が開いてくれたものだった。
久々にその先輩と会って話ができることが嬉しかった私は、先輩がザルだとは知らずに同じペースで杯を開けてしまいべろべろに酔っぱらってしまった。
正直帰りもどうやって帰ったかは覚えていないが、同じサークルの友人に聞けばサソリに『タクシー一台!!』と電話していたらしい。
そもそも何故彼に電話したのだろうか。というより何故タクシーを呼べと言う意味を汲み取らずのこのこ迎えに来たのか。
バカなのか、それとも既にドMへの道のりを歩み始めていたのかまだ扉の前だったのかは分からないが、とにかく彼は私を迎えにやってきて、がっつりと酔っぱらった私を連れ帰ったらしい。

そこら辺の記憶は完全に抜け落ちているからもしかしたら寝ていたのかもしれない。
その後の記憶と言えば、既に家の中の記憶で、私は何か柔らかいものの上に座っていた。
はて、これは何だろう。と触ってみれば何故か下からくすぐってえ。と彼の声がする。

どこにいるのよぉ。
と私は酔っ払い特有の間延びした声を出しながら目線を下に向け、次の瞬間には言葉を失った。

「…サソリ…あんた何してんの?」

流石の酔っ払いの頭もその状況には思わずつっこまずにいられなかったらしい。
半分くらい酔いがふっとんだ私の記憶に残っていた彼は、何故か床に四つん這いになり私に座られていた。

「何って…お前が俺に『イスになれ』って言ったんじゃねえか」

てめえのふざけた願いを聞いてやった俺は褒められはしても蔑まれる謂れはねえぜ。
と言われ、ああ…そう。ごめんなさいね。と返して立ち上がれば、彼はいてて、と呟き体を起こす。

「とりあえずもう寝ろ」
「ええ…そうするわ…」

もしかしたらこれは夢なのかもしれない。
とその時思った私は彼の言葉に従いすぐさまベッドに潜り込み、そのまま眠った。
一応この日はこれで終わったのだが、ある日私が高い位置にある食器を取ろうと彼に『イス取ってきて』と言ったのがスイッチだったのかもしれない。
彼は持って行くより俺に乗った方が早い。
と何故か訳の分からない超理論を展開し私の前で四つん這いになった。

は?
と固まった私の反応は至って正常だと言いたい。

固まったままでいつまでたってもサソリの上に乗らない私にしびれを切らしたのか、乗らねえのか?と見上げてくる彼に
いや、乗るか乗らないかの話じゃなくて。
と私がボソボソと答えれば、じゃあ踏むか踏まないかか?と言われて思わず口を閉じた。

お前は一体なにを言っているんだ。
彼にそうつっこまなかった私の判断は間違っていたのか正しいのか。
完全に混乱していた私は思わず無言で彼の頭を踏んづけてその背に乗った。
ぐえ、と蛙がつぶれたような声で鳴く彼にちょっと清々したのは秘密だが、目当ての物を取った私が背から降りれば彼は何故か震えていた。

重かった?
と恥を忍んで聞けば、彼はいや、と首を横に振った後

「ぜひもう一回お願いしたい」

と鼻血を垂らしながら言ってきたので思わず腹を蹴ってやった。
床を転がる35歳のおっさんに、何でこんなことになってんだろう。と思った私の思考はやはり正常だと言いたい。


そんな回想をしながらヒールを顔面に乗せ幸せそうに倒れているおっさんに、何故私は付き合ってやってるんだろうとつくづく思う。
こんなの無視すればいいのに。
と言われるかもしれないが、無視したらしたでこいつは存外しつこい。
結局私がうるさいと手を出してしまうのがオチなのだ。

じゃあ別れれば?
と言われるかもしれないが、正直このおっさんの収入はいい。
低身長の割に高収入なのだ。侮れないおやじだと思う。
多分私が専業主婦になったとしてもやりくりできるぐらいの月給とボーナスをとふんだくってくるあたり仕事は出来る方なのだろう。
別にお金が目当てなわけじゃないが、何だかんだ一緒に居て気が楽なのもある。
最近はドキドキよりもイライラが多くなってきたけれど。

「ちょっと、いつまでそこで寝転んでるつもり?何にもしないなら雑巾にでもなって床の上這いずり回ってなさいよ」
「おお…ついに雑巾呼ばわりか…悪くねえがどっちかつーと豚野郎とか犬畜生とかの方がいいな」

明らかに論点のズレた回答に私はそうじゃないだろう。と思うのだが、もうこの際仕方ない。
こうなってしまえばサソリは止まらないのだ。

「何言ってんのよ。豚さんと犬さんに全力で土下座して謝れ。あんたみたいなのと並べられたら動物たちの方が可哀想だわ。生物に例えてもせいぜいゾウリムシぐらいよ」

少しは闘争心に火がついたかしら、と思いつつ彼を見やれば、なるほどゾウリムシか…などと呟いている。
もうコイツはだめかもしれない。

「でもゾウリムシだと長くて呼びづらくないか?」
「呼ばないわよ。バカじゃないの」

あんたはサソリでしょう。
と言ってやれば何故か視線を逸らされる。
何よ。と言えば、いや…と口ごもった後に

「お前久々に俺の名前呼んだな、と思ってな」

サソリの言葉に思わず動きを止め、そういえば最近の私はコイツのことをあんた、とかちょっととか、おっさんだのおやじだの呼んでいた気がする。
確かにこれはまずかったかも。いくらサソリがドMでも付き合っているのだから名前で呼んでやるべきだ。
彼が何も言わないからって、少し図に乗りすぎてたかもしれない。と私が謝罪しようと口を開いたが

「まぁ“お前なんぞ名前を呼ぶ価値もない畜生”だと、お前なりの俺に対する愛情表現かと思っていたから何の問題もないんだがな」

と良い笑顔で告げてきたサソリに私は一瞬で罪悪感とおさらばした。
再度確信した。コイツはもうだめだ。

「…あんたってやつは!!本当どこまでドM極めてんのよ!気色悪い!!」
「おお!!ついに本領発揮か!!こい小娘!お前のすべてを受け止めてやる!!!」
「ぎゃああああ気持ち悪い!!来るな!寄るな!!腕を広げるなああああ!!!」

ピンヒールを顔に刺したまま近寄ってくる変態に私は罵倒しながら逃げ回る。
まるで見た目は子供同士の追いかけっこのようだが、私たちは至って真面目なのだから心底滑稽だと思う。

「捕まえたぞ小娘ぇ!!」
「いやあああああ気持ち悪い死ねえええ!!!」

他人が聞けば彼氏に言う言葉じゃないだろう。とつっこまれそうだが、結局のところこれが私たちの関係なのだ。世間一般から全力でずれていたとしても。
そして私は今日も今日とてドM彼氏の横っ面を張り倒しその背に足を乗せふんぞり返るのだ。

「私に勝とうなんて千年早いのよ!!」
「ありがとうございます!!」

…やっぱり少し考え直した方がいいのかも。



end
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