小説
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春の海




長編設定で春の話。



二人の関係が始まった一年目の春。
今季の中忍試験の話し合いに来ていた我愛羅を誘い、サクラは浜辺を歩いていた。
寄せては返す波は穏やかで、浮かぶ月は欠けても尚明るく水面を照らす。
春にしては少し冷たい風は潮の香りを乗せ、二人の髪を優しく撫でた。

「今日は夜風が冷たいわね」
「ああ…だが何故海なんだ?」

靴を脱ぎ、裸足で浜辺を歩くサクラに問えば、特に理由はないわと返ってくる。

「でも何だか気持ちいいじゃない」

夜風に踊る髪を耳に駆け、微笑む顔は暗くて見づらい。
それでも雰囲気と声音だけで楽しんでいることが分かり、そうかと呟いた。

「それより我愛羅くんも足浸けてみたら?気持ちいいわよ?」

ぱしゃん、と白い足先で水を跳ねさせるサクラにいや、と首を横に振る。
自分はどちらかと言えば波と戯れるサクラを見ていたかった。
だがサクラは不満げに唇を尖らせると、いいよーだ!と顔を背け靴を浜辺に投げ捨てる。
何をするのかと視線を投げ出された靴から移せば、サクラはうっすらと微笑んだ後海の中に足を進めていく。

「…おい」

ざぶざぶと音を立てながら、サクラは逆らう波をもろともせずに進んでいく。
暫く見守っていたが、止まる気配のない足は既に膝頭まで浸かっている。

おい。
もう一度声を掛けるが振り返る気配はなく、思わず眉間に皺が寄る。
まるでそのまま闇に消えて行きそうな姿にゾッとし、強く名を呼べばようやく立ち止まる。

「それ以上行くと濡れるぞ」

投げた言葉はいつも通りであっただろうか。不安を覚えた声はおかしくなかっただろうか。
だが立ち止まっただけのサクラは振り返らない。
もう一度呼びかけようと口を開くが、すぐさまサクラの足が動きだし慌てて後を追う。

「おい!サクラ!」

ズボンの裾どころか上着の裾まで濡れるが、構うことなく飛沫を上げながらサクラを追い白い腕を取る。

「いい加減にしろ!」

強制的に引きとめた彼女の足は既に太ももの半ばまで浸かっており、どうしてこんなことをするのかと体を引き寄せれば、ようやく振り返ったサクラがくすりと笑う。

「ほらね?気持ちいいでしょ?」

零された言葉の意味が分からず暫し瞬けば、服の上から己の足を叩く波にようやく意味が分かり嘆息する。

「バカか。むしろ気持ち悪い」

ズボンがびしょびしょだと苦い顔を作れば、サクラはせっかちねぇと笑いだす。
まったく人の気も知らないでと眉間に皺を寄せれば、サクラはねえ、と淡く色づいた唇を動かす。

「何だかこうしてると、世界に二人きりみたいね」

呟かれた言葉に目を開き、よくよく辺りを見回してから成程、と思う。
辺りを満たすのは波の音だけで、町の灯りも少しばかり遠い。
自分たちを見つめるのは夜空に浮かぶ天体のみで、穏やかに寄せる波が世界との隔たりを教えているようだった。

「…攫われちゃいそう」

膝裏をくすぐる波は穏やかだが冷たく、取ったサクラの腕も夜風に晒されひんやりとしている。
握っていたおかげで彼女の存在を確かなものだと思えたが、そのままするりと消えてしまいそうで恐ろしくなった。

「サクラ、」

少しだけ上擦った声音が情けないと思ったが、呼べばサクラは顔を上げ笑った。
だがそれがどうにも寂しげで、思わず掴んだ手に力が入る。
痛いよ。
呟かれた言葉にハッとし力を緩めるが、それでも離すことが出来ずに握りしめる。

「…いくな」

聞こえる波は穏やかなのに、それが返って恐ろしい。
不変的な音が油断を誘い、背を向けた隙に彼女を攫って行きそうだと思った。
日中ならばそうは思わなかったであろう。
夜だけが作り出すその妖しい雰囲気に呑まれそうになっていると、彼女がふと微笑んだ。

「大丈夫よ。私、どこにも行かないわ」

でもちょっと冷えちゃったかな。
そう言って控えめに体を預けてくる体を強く抱きしめる。
薄紅の髪に鼻先を寄せ、息を吸えば潮の香りに交ざって甘い匂いがする。
寄せた体は夜風に冷え、僅かに震える肩に熱を与えるよう擦ってやる。
それでも震えは収まらず、どうしたものかと視線を落とせば、己の胸板に額を押し付けたサクラがぎゅっと服を掴んでくる。
どうかしたのかと声を掛けようと口を開いたところで、思わず喉が詰まった。

「…サクラ…」

ゆっくりと、頬に手を馳せ流れる雫を拭ってやる。
暗闇の中きらりと光る涙の痕に胸が切なく締め付けられ、どうすればいいか分からず瞼に口付る。
何度も何度も、名前を呼びながら唇を寄せ、流れる雫を拭っては頬を撫でた。

「ごめんね…」

何に対する謝罪かは分からなかったが、それでも気にするなと答え、すっぽりと己の腕の中に納まる体を抱きしめる。
寄せる波の音だけが世界を包み、欠けた月だけが自分たちを見下ろしている。
冷えた夜風は熱を奪い、触れ合った箇所だけが熱を帯びている。

本当に、世界に二人しかいないようだった。

「…風邪、ひいちゃうね」

このままだと。
そう続けてやんわりと体を離し、顔を上げたサクラは笑っていた。
けれど先程とは違い、いつも通りの明るい笑みにほっと息をつく。

己は随分と彼女を失うことを恐れていたらしい。

だがそんなこと知るはずもないサクラは気持ちよかった〜、と呟きながら波をかき分け浜辺へと戻っていく。
その背は既に攫われるような気配はないが、それでも不安でじっと見つめ続ける。

「我愛羅くん?どうしたの?帰らないの?」

投げた靴を取り、濡れた足をタオルで拭きながら尋ねてくるサクラに、今行くと返してから歩き出す。
ズボンどころか靴まで濡れた。
脱ぎ捨てることすら忘れていたことに少々驚きながらも、変色し張り付く裾に顔を顰める。

「…気色悪い」

不機嫌な声音にサクラは声を上げて笑い、本当せっかちねぇとからかってくる。
そのいつもと変わらぬ姿に今度こそ心から安堵し、もう夜の海には来たくないなと思った。

「たくし上げて帰る?」
「そうするしかないだろうな」

全くもって無様だと、苦い顔である程度水気を絞ってから裾を折っていく。
正直格好悪い。

サクラもくすくすと笑いながら、再び脱いだ靴を片手に浜辺を歩きだす。
点々と続く彼女の足跡に視線を落とし、それから自分も靴を脱ぎその足跡に己の足を重ねてみる。

「あ、靴脱いだの?」

振り返ったサクラに慌てて顔を上げ、ばれぬよう歩き出せばサクラは少し頬を緩めてからまた歩き出す。
隣に並んだ足跡は小さく、間隔も狭い。
あまり自分も体格がいい方ではなかったが、それでも彼女とこれほどまでに違うのかと思うと妙な愛しさが湧き上がってくる。

「サクラ」
「なあに?」

呼べば振り仰いできたサクラの背を抱き、誰も居ない夜の浜辺で口付た。
抱いた背は相変わらず冷えていたのに、重ねた唇だけが妙に熱い。

「…大胆ね」
「たまにはな」

重ねるだけの口付を終え、二人並んで歩きだす。
時折触れる肩が心地よく、濡れた裾が冷えて気色悪い。
何とも言えない感覚に顔を顰めるが、それでも彼女と此処に来なければ知らぬままでいた感覚なのは確かであった。

「サクラ」
「うん?」

呼べば己を見つめる瞳を見返し、もう一度唇を重ねる。

彼女を通してみる世界は、本当に沢山のものにあふれている。
そんなことを思いつつゆっくりと唇を離し、開いた瞼の奥に揺れる水面を見つめる。
きらりと瞬く美しい世界に、ただありがとうと呟いた。

「…どういたしまして」

夜風が優しく波を打つ。
隣を歩く彼女の朗らかな声だけがぬくもりを持ち、冷たい波の音を消していく。
先程感じた不安はもうどこにもなかった。



閑話【春の海】了



第五部のちょっと前ぐらいの話です。
まだこの時はサクラちゃんの気持ちが不安定な時ですね。
夜の海って不思議な魅力があるよね、って思ってたら長編の二人で書いてみたくなりました。(笑)
というわけで閑話扱いでこちらに上げさせていただいた所存でございます。



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