小説
- ナノ -






そうして迎えた最終日、サクラは我愛羅と並び立ち、木の葉の面々の見送りに来ていた。

「お世話になりました」
「こちらこそいつもすまない。心から感謝する」

頭を下げるいのに我愛羅も目を細め、それからといのはサクラに視線を向ける。

「しっかりやんなさいよ」
「分かってるわよ」

それからこっちのことは任せておきなさい。
暗にそう告げウィンクしてくるいのに、任せたわと頬を緩めてから寂しげなリーと苦笑いするテンテン、そして後方で佇むチームメンバーへと視線を向ける。

「皆も元気でね」

穏やかに笑むサクラに、テンテンも笑みを浮かべサクラもね、と返す。
それに対しうんと頷けば、ずっとしょぼくれていたリーが、やはりサクラさんとお別れするのは寂しいですと呟く。

「折角サクラさんと沢山話ができるチャンスだと思ったのに、結局まともに会話する暇もなかったです」
「まぁしょうがないじゃない。サクラだって遊びに此処に来てるわけじゃないんだから」

木の葉の代表として来ていると言っても過言ではないサクラの実力に、リーもそうですねと頷いてから気を取り直す様に顔を上げる。

「サクラさん、お仕事頑張ってくださいね」
「はい。リーさんも、あんまり修行に精を出しすぎて怪我しないでくださいね?」

にこりと笑ってからかってやれば、リーは頬どころか首から耳まで朱に染め上げ、はいいい!!と叫ぶように返事をし背を正す。
一体何なのかと数度瞬けば、あーあとテンテンが額に手を当て、どこから取り出したのか巨大なハリセンでリーの頭を叩く。

「ちょっとは落ち着きなさいっての!」
「あいたっ!」

バシン、と小気味いい音と繰り広げられる漫才に笑みを零し、最後に昔のように読めない表情のままのサイへと視線を向ける。

「そんなに心配?」
「ん?んー…サクラが心配するなって言うからあんまり考えないようにはしてるけど…」

不安がないわけじゃないよ。
そう言ってサイは我愛羅を見やった後、すぐさまサクラへと視線を戻してくる。

「サスケくんにサクラを渡すのも嫌だけど、不誠実な男にサクラを渡すのも嫌だよねっていう話」

そのからかい交じりの棘のある言葉にいのは苦笑いするが、我愛羅は肩を竦めるだけで反論も弁解もしない。
だがいのもテンテンもいずれは話すとサクラに言い切った我愛羅を信じることにしており、責める気配はない。
ナルトとサスケには何とか認めてもらった我愛羅ではあるが、やはりサイ相手には難しいかと苦笑いしたくなる。

それでも自分が支えてやれば、あるいは隣に立ち手を握ってやれば、この男は自らの足で歩き出すことが出来ると分かっている。
だから自分は心配など何もないと穏やかな目でサイを見つめれば、女の子ってどうしてこんなに強いのかな、とサイは呟き苦い笑みを浮かべてから肩を竦める。

「サクラ変わったね」
「そう?」
「うん。変わった。すごく、変わったよ」

少しだけ寂しそうな眼差しに思うこともあったが、それでもただそう、としか頷かなかった。
それ以上、聞くつもりはなかった。

「それじゃあ私たちも帰りますか!またね、サクラ、我愛羅くん!」

手を振るいのに笑みを浮かべ、駆ける背を見送りながら靡く風に髪を躍らせる。
暫し無言で皆を見送った後、昇った太陽を見つめながら我愛羅が一つ吐息を零した。

「…先は長いな」
「そうね。でも私がいるんだから心強いでしょ?」

そう言って笑ってやれば、我愛羅は頬を緩め、ああと頷きサクラの背に手を回す。

「行こう」
「うん」

軽く押される背に触れる掌はあたたかい。
この先もずっとこの手を取るために、今日も出来ることから始めていくしかない。

「そう言えば、あの男の情報が随分と役に立ってるみたいだな」

昨日渡した解析表を思い出したのだろう。
呟く我愛羅にうんと頷く。

「彼本当に凄いわ。まだ十八なのに凄くしっかりとした研究をしていたの。残されてた資料が本当に役に立っているわ」

夏の事件で取り押さえられた青年が書き記した資料は膨大な量で、如何に復讐のためだけに生きてきたかがよく分かった。
毒薬の配合比率だけでなく、効果が表れるまでの時間や成分ごとに変わる症状例の一覧表、麻薬や薬にする場合の注意点や配合手順など事細かに記した資料は非常に役に立っている。
そして自らの足で切り開き、書き記した地図には舌を巻くほどに正確な分布図が記されており、いかに青年が優秀であるかが読み取れた。
あの力は生かしてほしいところではあるが、暗部の一人に劇薬を試した挙句サクラを誘拐し、我愛羅どころか里全員の命を狙った罪は重い。
未だ処罰はハッキリと下されていないが、あの優秀さは殺すには惜しいと思った。

だがそれは難しいだろうと我愛羅は顔を顰める。
我愛羅やサクラだけを狙っただけならまだしも、彼は里にいる全ての人に復讐をすると断言したのだ。
そんな危険な男をそう易々と解放するわけにもいかないと告げる我愛羅に、それはそうだろうと頷いた。
だがもし復讐に駆られず、彼の父親が生きていたとすればさぞ優秀な医者になっていただろうと思うとどうにも悔やみきれない。

「でも嘆いててもしょうがないか。今日も一日頑張りましょう」
「そうだな」

青年の残してくれた資料を大いに活用しながら少しでも多くこの里に貢献し、木の葉と砂隠を結ぶ架け橋の一つにしたい。
そしていつか、我愛羅の隣に並び共に生きていけるように。
今日も仕事に勤しもうと頬を叩き気合を入れる。

「ではな」
「うん」

研究所と風影邸に分かれる道で穏やかに視線を交わしつつ互いに背を向ける。
昔は別れる度に切なさに駆られたが、今ではそんなこと欠片も思わない。
堂々たる背に誇らしさを抱くことはあっても悲観することなど何もないからだ。

そう思うと確かに自分は変わったんだなと実感する。
けれど元々自分はこの位の強さは持っていたような気もする。

(…うん、でもやっぱり負けてらんないわね!今日も頑張るぞ!しゃーんなろー!)

ぐっと伸びをするサクラに降り注ぐ日差しはあたたかく、我愛羅の背を照らす光は穏やかだ。
この先もずっとこうであればいい。
そう思いながらサクラは研究室の扉に手をかけ、今日も頑張りましょうと先に席に着いていた研究員たちに声をかけた。


一方木の葉へと向かう面々は、この色濃い数日間を思い出しつつ言葉を交わしていた。

「でもまさかサクラと我愛羅がね〜。意外だったわ」
「本当よ!私にも黙ってるんだから、思わず文句言っちゃった」
「でもナルトくんたちは知ってるんですかね?」

地を駆けながら言葉を交わすリーたちとは別に、サイはずっと口を噤んでいた。
それが妙に気になったテンテンがサイの名を呼び、まだ不安なのかと問えばそうじゃないんだけど、とようやく口を開く。

「実はさ、食事会の帰り二人の後をつけてみたんだよね」

落とされた衝撃の発言に思わず全員が目を見開きサイを見やる。

「それ本当なの?サイくん」
「ていうか何でそんなことしたの?そんなに不安だった?」

首を傾ける女性陣に、リーは自分も似たようなことをしていたとは言えず思わず黙る。
だがサイは困ったような笑みを浮かべると、実はすぐにばれちゃったんだと続ける。

「彼感知タイプだとはいえ、凄い早さで僕に気付いたんだよ。隠密行動は得意なはずなのに怖いなぁ、って思ったよ」

食事会の帰り、皆を宿に送り届けた後二人はのんびりと帰路を辿っていた。
当たり前のように繋がれた手にはこの際目を瞑ろうと、陰からひっそりと二人を伺っていたサイであったが、すぐさま我愛羅に気付かれ睨まれたのだ。

「食事会の時にさ、サクラは彼のこと“見た目は狸でも中身は猫そっくりよ”って言ってたけど、あれはサクラに対してだけだよ」

サイに気付いた我愛羅ではあったが、特に何をするでもなく背を向け歩き続けた。
だが暫く二人で何か会話をした後立ち止まり、二言三言交わすと何故か我愛羅は地に片膝をついた。
一体何をする気なのかと観察していれば、そのまま何事かを告げた我愛羅にサクラは肩を震わせ、立ち上がった我愛羅に抱き着いた。
その背を包む手は優しげでいかにサクラを大事にしているかが分かったが、見せつけるような体制のままにギロリと睨まれた視線は尋常ではないほどに威圧的であった。

「正直ゾッとしたね。彼怖すぎるよ」

暗部にいた頃なんて比にならないやと笑うサイに、他の面々も本気で睨む我愛羅の人相を思い浮かべては極悪人…と呟きそうになるのを必死で堪える。
いかにサクラの前では猫を被っていても、我愛羅の根底に根付く獣はやはり猛獣だ。
しかも寵愛の対象外の人物には容赦なく牙をむき、いつでも愛する者を守れるよう目を光らせている厄介な猛獣である。

能ある鷹は爪を隠す。
まさにその諺を体現する猛獣の手綱を握りしめ、この子可愛いでしょ?
と首を傾けるサクラを猛獣使いと称すればいいのか、ただ単に騙されているだけだと称すればいいのか少々悩む所ではあるが、我愛羅がサクラに対し牙を向くことはないだろう。
それが分かっているからこそサイは悔しかった。

(けどああいうのを“愛し合ってる”って言うんだろうな…)

色度の違う翡翠を絡め合わせ、瞬きと頷きだけで互いの思いを理解し微笑みあう。
少しでも指が触れれば自然と絡め合わせ、何の違和感もなく歩幅を合わせ歩み始める。
聞こえてくる会話は聞こえずとも、笑うサクラの朗らかな声だけはよく聞こえた。
ずっと聞いてきた明るい笑い声とは違う、どこか穏やかな慈しみに溢れた声だった。

変わったねと告げた時、サクラは笑っていたけど聞きたくないと目で語ってきた。
きっと本人も変わったことに気づいているのだろう。そしてそのサクラを変えたであろう張本人が心底憎らしい。
何でかなぁ、と思いつつ再び駆けていれば、砂漠の中、小さなオアシスが目に入り思わず足を止める。

「…あれ?どうしたの、サイ?」

高い岩の上で足を止めたサイを仰ぎ、声を掛けたテンテンだが返ってくる言葉はない。
どうかしたのかと他のメンバーも足を止め、寂しげに目を細めるサイを見やれば、何でもないよ、と呟き笑みを返してきた。
明らかに何でもないようには思えなかったが、突っ込むのは野暮だろうと口を噤み、帰りましょうと声をかけてから再び走り出す。

(狡いなぁ…)

思わず足を止め見つめたオアシスの中心。
広がる泉は太陽の光を反射させながら穏やかに揺れていた。
その水面の輝きは美しく、深淵から染まる穏やかな翡翠に目を奪われた。

我愛羅の瞳と同じだと、思ってしまったのだ。

(狡いし、怖いよ)

水は怖い。
全てを飲み込み、攫い、無へと還してしまう。
けれど人は水を求め、命を繋ぎ、生活の糧にし、時に安らぎを覚え安堵する。
人も動物も植物も、水がなければ生きてはいけない。
この砂漠に佇むオアシスを求める人がどれほどいるかを考えると、本当に狡い人だと苦笑いしそうになる。

花は水がなければ生きていけない。
咲き誇るために花は水を必要とし、水はそれに応え慈しみを与える。
結局何があったとしてもあの水に攫われていたのかもしれないと思うと、サイは本当に狡い男だと花を奪った男に苦い思いが込み上げた。

もうあの男からサクラを取り戻すことはできないだろう。
ナルトとサスケが認め、尚且つサクラ本人が求める男が我愛羅であるならば、あの確固たる意志を秘めた瞳を奪い返すことはもうできない。

「…リーさん」
「はい?」

サクラたちの話から別の話題を展開していたリーに声を掛ければ、キョトンとした丸い瞳に見返されサイは淡く微笑む。

「失恋って、悲しいね」
「…え、ええ?!もしかして嫌味ですか?!」

顔を青くするリーに軽く笑い声をあげ、久しぶりに痛む胸に目を閉じる。
兄を失って以来の辛さだと、いつの間にか心の底から愛していた花を奪われる辛さに視界が滲んだ。

失恋は辛いと聞くが、予想以上だ。
生まれて初めて実感した初恋と失恋の切なさに奥歯を噛みしめ、傷む胸を服の上から押さえつける。
伝えることも出来ぬままに散ってしまった恋はまるで彼女の名のようで、余韻だけを残して切々と散っていく。

桜は春にしか咲かない。
冬の風が染み入るこの季節には、決して咲くことのない花だ。

(僕は…思ってたよりもずっとサクラが好きだったんだなぁ)

己に笑いかけてくれる華やかな笑みを思い浮かべて自嘲する。
今年の桜は随分と目に染みそうだと、そんなどうでもいいことを思い浮かべた。


一つの恋が終われば一つの世界が死ぬ。
彼女を通して見ていた世界は本当に色鮮やかで、それを失うのが恐ろしい。
けれどそれを受け入れる強さも持たなければと前を向く。

(だけど、今だけは…)

散った花を悼むぐらいはしてもいいだろうと口を噤み、散り行く花弁を見送った。
見上げる空は穏やかに晴れ渡り、注ぐ日差しは泣きたくなるほどに暖かだ。

いつか自分にも春が来ればいい。
春に咲く花と同じでなくともいい。
心から愛でることのできる花に逢いたいと、サイは砂漠の地を駆け抜けた。




第八部【想】了




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