7
だが世の中とはそんなに甘くはないもので。
帰宅した我愛羅を待っていたのはエプロン姿のサクラではなく木の葉の面々であった。
正直昨夜の会話を忘れていた我愛羅は思わず額を抑え、俺の頑張りは…と項垂れ嘆きそうになってしまう。
そんな我愛羅にリーが大丈夫ですかと気遣う声を上げ、テンテンがお疲れさまと苦笑いする。
いのも風影って大変ねぇと同情し、サイが暇じゃなくてよかったねと嫌味を零す。
流石にサイの発言には何なんだと思わないではなかったが、疲労で鈍くなっている頭は無視することを選択する。
そうして重い吐息を零した後にサクラを見やれば、一度苦笑いした後にお疲れさまと穏やかな声音で迎えてくれる。
本気で嫁に欲しいな。
頷きつつ思っていれば、サクラはくすりと笑った後に手を伸ばしてくる。
ふとその手を掴み抱きしめようかと思ったが、流石に木の葉の面々の前でそんなことはできない。
というよりそんなことをすれば流石に怒られることは目に見えてわかっていたので、素直に外套を脱ぐとそれをサクラに任せる。
「寒かったでしょ?」
「いや」
冷えた外套を受け取ったサクラの問いかけに視線を逸らしつつ答えれば、ひたりと冷えた頬に手を当てられ視線を戻す。
「ほら、こんなに冷たくなってる。嘘ついたって駄目よ?」
本当しょうがない人ねぇ、と呟き目を細めるサクラに、いつからか嘘も見抜かれるようになったなと苦い思いが込み上げてくる。
そもそもそんなに嘘をつくタイプでもないが、これでは格好つけることもできないなと。
だがそんな二人の空気を壊す様に、四人があのー、と声を上げる。
「あんた達バレたからってちょっと開き直りすぎじゃない?」
「そうそう。ちょっとは隠しなさいって」
「見せつけられてるみたいで腹立たしいよね」
「うぅ…サクラさん…やっぱり我愛羅くんとお付き合いしてるんですね…」
呆れるいのに、苦笑いしつつ二人を諌めるテンテン。
そして妙に食って掛かるサイと撃沈するリーに、二人は顔を見合わせる。
最近まではこれが普通になっていたので別に見せつけているつもりはなかったのだ。
生活の慣れとは恐ろしいものである。
結局苦笑いし謝罪するサクラにならい我愛羅も軽く頭を下げてから席に着く。
「で?結局のところ二人って付き合ってるのよね?」
早速切り出すテンテンにサクラが頷けば、やっぱりねぇー、と呟かれ数度瞬く。
どういうことかと視線で問うが、テンテンは気づかずいのと目配せし笑いあっている。
あれ?と首を傾ければちょんと突かれ首を巡らせる。
突いてきた我愛羅を見やれば、俺との会話じゃないんだから通じるわけないだろうと囁かれそうかと頷く。
つい我愛羅とのアイコンタクトが普通になっていたから言葉にすることを忘れていた。
慣れとは恐ろしいものであると再び思い直していると、サイにいつまで見つめ合ってるの?と諌められ慌てて視線を戻す。
「ていうか何か今日のサイって刺々しいわね。そんなにサクラと我愛羅が付き合ってるの嫌なの?」
普段とは少々態度が異なるサイにテンテンも違和感を持っていたらしく、眉間に皺をよせつつ尋ねれば、違うよ、と存外穏やかな声が返ってくる。
「別に嫌とかそういうのはないんだけど、納得できないなぁと思って」
サイの納得という言葉に全員が首を傾ける。
どういう意味よと今度は声にだしサクラが問えば、サイは微笑む。
「だって僕この間我愛羅くんがサクラ以外の女性と二人で会ってるところ見たんだよ」
ピシリ。
その言葉にサクラだけでなく我愛羅も固まる。
サクラはともかく我愛羅が固まったことにいのが驚き視線をやれば、居心地悪そうに視線を逸らす。
どういうことかしら。
流石にいのも剣呑な目つきになるが、サクラがちょっと待って、と言葉を紡ぐ。
「それってもしかして、彼が浮気してるって言いたいの?」
にこやかな微笑みを浮かべつつも吹雪を呼び込むような冷たい空気に、思わず全員の背が震える。
だがサクラは穏やかに微笑んだままでそれ以上口を開かない。
どうしたものかといのがサイへと目配せすれば、サイはサクラではなく我愛羅を見ており、人の心って移り変わるからさ、と続ける。
「サクラもサスケくんから我愛羅くんに乗り換えたわけだし」
「ちょっとサイくん…!」
とんでもない例え方をするサイにいのが目を開き慌てて止めに入ろうとするが、サクラに視線で制される。
「サイ、私まどろっこしいの嫌いなのよ。思ってることがあるならハッキリ言いなさい」
ぴしゃりと跳ね除けるサクラにサイは少しばかり目を開くと、女の子って変わるもんだねと呟き少しばかり頬を緩める。
「サクラ、僕はね、君が幸せなら誰と付き合ってもいいんだよ」
「そう」
「でも」
そこで一度言葉を区切ると、黙って視線を背ける我愛羅に視線を移す。
「誠実さって大事だと思わない?サクラが好きなら尚更隠し事なんてするべきじゃないと思うんだ」
女性関係なんて特にね。
そう言って我愛羅に冷えた眼差しを向けるサイに、サクラは口を噤み隣に座る男へと視線を向ける。
だが我愛羅は先程からずっと視線を逸らしたままで口を開く様子はない。
言いたくないことなのか、それともまだ言えないだけなのか。
判断しかねるサクラは我愛羅の名を呼ぶ。
見返す色は少々不安定でぎこちない。
その読み取り辛い色にサクラはねえ、と口を開く。
「本当?」
「…ああ」
問えば素直に頷く我愛羅にサイがほらね、と呟くが、サクラは特に激昂することなく揺れる水面を見つめる。
弁解する気がないと言うことは女性と密会していたことは事実らしい。
だがどうにも我愛羅が浮気をするようには思えず、ただそう、と頷けば間髪入れずに違う、と返される。
「何が?」
問うが、暫し黙った後に今は無理だと返される。
揺れる水面は不安定で、ざわりざわりと身を騒がせる。
だが今は無理だと言うことはいずれは話すということだ。
浮気かどうかはまだ定かではないが、とにかく今はまだ時期じゃないと言うことだ。
「…待てばいいのね?」
サクラの問いに我愛羅が頷く。
すまん、と告げた後に落とされる視線は暗く、心底心苦しく思っていることが読み取れる。
サクラの血潮を騒がせた波は徐々に落ち着きを取り戻し、悲しげに揺れる水面にしょうがないかと一つ吐息を零す。
「分かったわ」
存外穏やかなその声音に我愛羅が視線を上げれば、穏やかに己を見つめる瞳とかち合い安堵する。
今はまだ言えない。だがいずれ必ず伝える。
その意を正確に汲んでくれたサクラにただ感謝すれば、サクラは我愛羅から視線を外すとサイに向かって口を開く。
「サイ、心配してくれてありがとう。でもそれは杞憂よ」
「どうしてそう思うの?」
女性と密会していたことを認めた我愛羅に対しやけに心広い態度を取るサクラに首を傾ければ、サクラはだって、と口を開く。
「彼浮気なんてしてないもの」
はっきりと我愛羅が否定したわけでもないのに、何故か断言するサクラに四人は目を見開く。
「で、でもはっきり否定したわけじゃないじゃない」
身を乗り出し問いかけるいのに、サクラはそうだけど、と呟き隣を見やる。
「今は時期じゃないってことよ」
サクラの言葉にいのは数度瞬き、視線を交わす二人を見つめ肩を落とす。
互いにしか分からない何かがあるのか。
いのは乗り出した体を椅子に落ち着けると、何だかなぁと呟く。
「もう少し疑っても罰は当たんないと思うんだけど」
いのの言葉にサクラは数度瞬いた後、バカねぇと呟き笑いだす。
「彼が私に嘘つけるわけないじゃない」
この人結構分かりやすいのよ?
そう言って朗らかに笑うサクラに四人は再び目を開き、我愛羅へと視線を移せばバツが悪そうに顔を逸らし口を閉ざしている。
どうやら図星らしい。
「…何だかんだ言って上手くやってんのね」
心配する必要なさそうねー、と笑いだしたテンテンに、サクラもでしょう?と笑い返してからサイへと視線を戻す。
「だから大丈夫よ。そんなに心配しないで」
「…サクラがいいならいいけど」
何ていうか男の趣味悪いよね、と続けたサイにテンテンがデリカシー!と突っ込み、いのが苦笑いし、サクラはからからと笑う。
暗に悪態をつかれた我愛羅は恨めしげにサイを睨むが、すぐさま視線を落とし無言を貫く。
どうやら会話に参加したくないらしい。
黙る我愛羅を軽く見やった後、ずっと黙っていたリーへと視線を向ける。
「リーさん」
「っ!」
呼びかければ肩を跳ねさせ反応するが、丸い瞳は床に落とされ沈んだ表情が窺える。
そんなリーにサクラはもう一度名前を呼び、顔を上げてほしいと言えば嫌ですと返され少々面食らう。
「ちょっとリー!」
いつにない反応に隣に座るテンテンが肩を揺すれば、リーは再度嫌です、と声を荒げる。
「僕は今非常に情けない顔をしています」
「情けない顔って…」
リーの言葉にテンテンが眉根を寄せれば、リーは情けないんです、と更に顔を俯かせ呟く。
「僕にとって我愛羅くんは大切な友人でライバルです。なのに今我愛羅くんの顔を見ると僕はきっと彼を嫌いになってしまいます」
「リー…」
勝負に負けただけではなく、愛する女性まで奪われる。
リーの心情を思えばそれも仕方ないことかもしれないとテンテンが視線を僅かに落とせば、ずっと黙っていた我愛羅がようやく口を開く。
「別に好かれなくても構わないが」
その発言にテンテンがちょっと!と声を上げるが、すぐさま我愛羅が言葉を紡ぐ。
「俺はお前に好かれようが嫌われようが関係なくサクラを連れて行く。文句があるなら俺の顔を見て言え」
そいつのようにな、と暗にサイの事を指す我愛羅にリーは顔を上げ、いつになく鋭い視線で我愛羅を睨む。
「僕は君が嫌いです!そうやっていつもいつも僕の心を見透かしたようなことを言ってくるところが大っ嫌いです!」
人の悪口を言わないリーの口から零された言葉に我愛羅以外の全員が驚くが、言われた本人は特に気にした様子もなくそうかと頷く。
「むしろ光栄だな。別に俺は貴様に好かれようが嫌われようが心底どうでもいい。むしろ清々する」
何て酷いことを言うのかとテンテンが文句を言おうと口を開くが、それより早くリーがひ、酷いです!と叫ぶ。
「幾らなんでも酷すぎますよ!僕はこんなにも好きなのに!」
涙目になり拳を握ったリーの発言に、は?と面々が視線を向ければ気づいたリーが慌てて口を覆う。
だが徐々に赤く染まっていく頬は隠せておらず、我愛羅は堪えきれず喉の奥で笑いだす。
「貴様の嘘ほど見破りやすいものはないな」
「うぅ…酷いですよ我愛羅くん…僕だって一つぐらい悪口を言ってやろうと思ったのに…」
しょぼくれるリーにテンテンがどういうことよ、と問えば、リーは恥ずかしそうに肩を竦め身を縮こませる。
「僕はサイくんほど嫌味は上手くないですし、サスケくんのようにズバズバ物を言えるタイプでもありません」
「いやいや!あんたも大概だから!」
リーの発言にテンテンがすぐさま突っ込むが、聞こえていないのかリーは言葉を続けていく。
「ですがサクラさんを奪われるのを素直に見送るのは嫌なので、悪口の一つでも言おうと思ったんですが…」
そこで一度言葉を区切ると、リーは顔を上げ我愛羅をまっすぐと見やると困ったように笑う。
「困ったことに我愛羅くんの悪い所が一つも見当たらなかったんです。これじゃあ悪口なんて言えませんよね」
だから無理やり言ってみたんですが、やっぱり嘘はつくもんじゃないです。
そう言って笑うリーに我愛羅も頬を緩め、お前が俺を嫌うはずなどないからなと自信満々に断言する。
その発言にリーを含めた四人が目を瞬かせれば、我愛羅の隣に座るサクラだけがくすくすと笑いだす。
「そうよねぇ。リーさんほど我愛羅くんのことよく思ってる人いないんじゃないかしら」
「そうだろう。俺がコイツにした仕打ちを考えれば尚の事だ」
随分と古い記憶を引っ張り出してくる我愛羅に懐かしいわねぇ、と目を細めれば、あれから随分と付き合いが長いからなと穏やかに言葉を零す。
「お前が俺を認めたように、俺もお前を認めている。そんなお前が今更俺を嫌いになるとは思えんのでな」
サクラを奪うことは嫌われる要素ではないのかと思う面々ではあったが、リーは照れたように笑い頭を掻く。
「確かにサクラさんを奪われるのは正直悔しいですし、少しばかり憎らしいですが…それでもサクラさんが望んでいるのであれば、僕は応援したいです」
やっぱり愛する女性には笑顔でいてほしいですから!
そう言って子供のように屈託なく笑うリーに、いのは安心したように肩を落とし、サイも口の端を上げる。
そしてテンテンは穏やかに目を細めると、なんだかんだ言って成長してるのねと一回り大きく見えるリーの横顔を眺める。
「ですが!もしサクラさんの笑顔を曇らせるようなことがあれば木の葉旋風で奪い返しに来ますから!」
「ああ、望むところだ」
好戦的に口の端を上げる我愛羅にリーも頬を緩め、約束ですよ!と親指を立て、ナイスガイポーズで約束を取り付ける。
それに対し我愛羅もああ、と頷き親指を立て返せば、リーは満足したように白い歯を見せ破顔する。
ようやく話が落ち着いたところでサクラがさてと、と零し立ち上がる。
「話も終わったし、ご飯でも食べに行きましょ?」
流石に皆お腹減ったんじゃない?
首を巡らせるサクラに、全員が頷き立ち上がる。
「あー安心したらお腹減ったわー」
「本当よねぇ。心配して損したって感じー」
「ごめんね、ずっと黙ってて」
サクラを先頭に女性陣が先を歩き、男性陣はその背に続く。
かしましくおしゃべりに興じる三人とは反対に、後方では無言が貫かれている。
サクラの前では笑顔でいたものの、やはり腹のうちに思うところがあるのかと珍しく黙るリーを見やれば、丸い瞳と視線がかち合い少々驚く。
何かと思い見返せば、リーは眉尻を下げうーん、と唸りながら顎に手を当て首を傾ける。
「やっぱり僕には我愛羅くんが何を考えているのかサッパリわかりません」
サクラさんは凄いです、と続けるリーにそんなことかと肩を落とし、当たり前だろうと続ける。
「お前とサクラとじゃ付き合い方が違うんだから当然だ」
「もしかして自慢ですか?」
「惚気だ」
我愛羅の軽口にリーはずるいです!と叫びながら我愛羅を涙目で睨む。
「僕だってサクラさんとの未来を想像していたのに…」
呟くリーから視線を逸らし、己の前を歩くサイを見やれば、その視線に気づいたのか青白い顔が振り返る。
「何か?」
「いや」
自分もそうだがコイツも何を考えているか分からんな。
青白い顔から視線を逸らせば再びリーと視線が合う。
何故こうも監視されるように見つめられているのか。
訳が分からん、と重い吐息を吐きだしたところで、サクラが此処にしましょうと店の戸を開ける。
まぁ何か思うところがあれば行動を起こしてくるだろうと、昨夜自宅に忍び込もうとしたリーの行動力を思い出し思考を投げる。
とにかく今は飯が先だと、吠えそうになる腹を少しばかり押さえた。
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