- ナノ -

歌姫の騎士

大衆の前で見せつけ合う歌姫と竜の話。
※Uの世界観というか、設定的なものを勝手に捏造しております。ご注意ください。


 最初に竜が出現した場所は武術館だと言われている。そこでは日夜様々なAzたちによる試合が行われているが、未だに竜の連勝記録は塗り替えられていない。むしろ竜が自己記録を更新し続けている有様だ。
 そんな武術館に訪れる者は大概がファイターであり、興味のない者は近づきもしない。だが今回は珍しく大規模な『武闘大会』を開催する予定で、なんとそれに鈴ことベルが呼ばれていた。

「武闘大会に? わたしが?」
「そ。大会のコンセプトは『世界各国の挑戦者を集めて、トーナメント形式で争わせてトップを決めよう』ってよくある奴よ。でも最近は同じメンツばかり集まるから、新規獲得を狙ってベルに来て欲しいんだってさ。ようは客寄せパンダよ」
「でも、わたし戦えないよ?」
「あったりまえでしょ?! ベルは出場者じゃなくて、来賓として向かうの! ベルに喧嘩なんてさせるわけないじゃん! だから、適当に笑顔で手ぇ振っとけばいいのよ。幾ら脳筋と言えどベルに手を出すバカはいないでしょ。それに来賓室は厳重なセキュリティでしっかりロックされてるから、万が一のことがあってもベルが傷つくことはない。だから安心していいよ」
「そっか。それならいい……の、かな?」

 首を傾ける鈴だが、ふと気になることがあり、主催者側とコンタクトを取っていた弘香に尋ねる。

「これ、竜は参加するのかな?」
「さあ? 予定が空いてれば参加するだろうし、興味がなかったらスルーするでしょ。今は昔みたいな残虐ファイトスタイルから足を洗ってるし、参加したところでブーイングの嵐に晒されることはないから、本人次第じゃない?」

 最近の竜は武術館よりも城にいることの方が多い。元より神出鬼没と謳われる竜だ。如何に武術館と言えど必ずしも竜に会えるわけではない。むしろ古参だろうと新参者であろうと、出会えたら幸運な方だろう。
 以前は『竜と戦うことになれば逃げるか、データ破損を覚悟で戦うかのどちらかだ』と言われていたが、今では真逆の『竜と戦えた者は幸運』とまで言われている。何故そんな真逆の意見に変わったのかというと――

「でも、ベルが貴賓として来るって知ったら何が何でも参加するでしょ。“ベルの彼氏”なんだし」
「や、やめてよヒロちゃん!! 恵く、竜とはそんなんじゃないから!!」
「じゃあこっちからも言わせてもらうけど、勘違いされたくなかったら人前でイチャイチャしないこと! まったく、毎日のように真相を聞かれるこっちの身にもなってよね」
「うぅ……。それには……感謝してるけど……」

 ベルと竜が共にいる姿が頻繁に目撃されるのが理由の一つだった。

 基本的に鈴は企業やスポンサーからの連絡を直接受け取ることはない。インタビューもそうだ。まずは専属マネージャーである弘香に話がいき、そこでふるいに掛けられる。その後弘香から鈴に話が行き、ベルとして受けるかどうかを鈴が判断していた。
 だからこそ弘香の元には日夜、それこそ世界各国から質問やら提携やらの話が舞い込んでいる。それを精査するだけでも相当な苦労だろうに、ベルのアンベイル事件以降、竜とのツーショットが何度も撮られたのだ。まるでハリウッドスターとパパラッチのようである。それだけ両名に向ける関心の高さが伺えるのだが、処理する方は堪ったものではない。
 現に弘香の元には山のようなメールが毎日のように届いているのだ。幾らクラスの皆には『恋人じゃない』と伝えていても、その声が『U』に届くわけではない。
 しかしベルが如何に『U』の世界で『竜とは恋人ではありません』と否定しても、何度もツーショットを目撃されれば真偽を問いたくなるというもの。

 片や世界の歌姫、片や世界一の嫌われ者だ。

 皆が興味を惹かれるのも無理はない話だった。

 だからこそ竜とエンカウントし、更には対戦が出来れば『竜の口から自分たちのことがベルに伝わるかもしれない』という邪な思惑が広まっていた。
 当然竜の口からその手の話は一切ベルに伝わることはなかったが。
 何も知らないことはある意味幸福である。

「はー……。まあ、否定したい気持ちは分からなくもないけど、竜が噂のこと気にして一時期ベルに会わないよう気を遣ってたら、我慢できずに城に突撃したのは誰でしたっけ?」
「うッ、そ、それは……」
「しかも城で捕まえられなかったから、って今度はリアルで電話したでしょ? それで『何でもないです』は流石にちょっと無理があるんじゃない?」
「だ、だって! また恵くんや知くんに何かあったんじゃないかと思って……!」
「竜はともかくとして、知くんとは城で何度も会ってたじゃない。わざわざ電話しなくても、LINKでメッセージ飛ばせばよかったんじゃないの?」
「そ、それも……そうなんだけど……」

 弘香の容赦ない言葉に鈴はどんどん小さくなっていく。だが恵は自分の気持ちを押し殺すことに、痛みを我慢することに慣れている。だから鈴はどうしても彼の口から零れ出る『大丈夫』を信じ切れないところがあった。

「……わたし、恵くんには……もう、傷ついてほしくないの」
「……まあ、あんなの見ちゃったらね。誰だってそう思うよ。私だってそうだし。でも、少しくらい信じてあげてもいいんじゃない?」

 好きな人には格好つけたいもんでしょ。男なんて。

 という言葉は胸の内だけに留めながらも弘香が鈴をじっと見つめれば、鈴は右に左にと視線を彷徨わせた後、小さく頷いた。

「そう……だよね。誰だって、信じて貰えないのはつらいよね……」
「鈴が気にしてるお父さんとの件だって、今は専門のスタッフが間に入ってるから随分マシになった。って言ってたじゃない。リアルの問題は自分たちの手で片付けさせないと。じゃないと一生鈴が面倒見なきゃいけないことになるよ? そんなの、あの子たちにとっても毒でしょ」
「そ、そこまで言わなくても……」
「いいや。言わせてもらうわ。手助けするなとは言わない。でも、何でもかんでも鈴が介入したら意味ないと私は思う。あの子たちの成長を願うなら、時には信じて待つことを覚えなさい」

 すっぱりと言いきられ、反論出来なかった鈴は「わかりました……」としょんぼりと肩を落としながら頷く。
 実際弘香の言い分は間違いではない。恵は『鈴に守られる男』ではなく、今度は自分が『彼女を守れる男』になろうと決意していた。そして弘香にだけはそれを伝えていたのだ。ただ恵との約束で、弘香は鈴にそれを教えていないだけだった。

(まったく。何で私が仲人みたいなことやらされてんだか……。まあ、竜は無償でベルのボディガード務めてくれてるし、あの子たちの境遇を知らない訳じゃないから、少しぐらいは手助けしてあげるけど……)

 ベルを抜きにして竜とエンカウントした時、弘香は竜に言われたのだ。

『現実世界でも、『U』でも、ベルを守れるような男になる』

 と。初めは「マセガキが何言ってんだ」と思わなくもなかったが、物理的距離が離れている現実世界ではともかく、『U』ではベルのボディガードは必要だった。
 今までは会場を設けることでベルに群がろうとするAzたちを牽制していたが、何の告知もせずにふらりと『U』にログインすると途端に囲まれてしまう。だからこそベルの身辺を守るボディガードを決めることは最優先事項だったのだ。

『ふぅん? そこまで言うなら竜をボディガードに任命してあげてもいいわ。だけど、今までみたいなファイトスタイルを続けるようなら断るわ。ベルの好感度を下げるわけにはいかないの』
『あんなことはもうしない。……ベルが悲しむようなことは、したくないから』

 竜の強さは抑圧された感情そのものだった。だが今はベルと――鈴と交流を持つことで随分と穏やかになった。背中の痣も増えておらず、武術館に顔を出しても場外まで押し出すか、ワンパンK.O.で決めるよう努めている。
 そのファイトスタイルを残念に思う者も中にはいるが、それはあくまで少数派だ。大多数は『ルールに基づいていれば受け入れる』と明言しているので、今の竜は武術館でも受け入れられつつあった。

『ま、データの復旧も時間が掛かるし、相手が権力者だった場合は訴えられる可能性もあるから、残虐ファイトは今後一切禁止ね。例えベルの悪口言われても極限までは我慢すること。いい?』
『分かった。それでベルを守れるなら』

 こうした話し合いの末、竜は正式にベルのボディガードとして任命された。
 勿論弘香は鈴にもこのことを報告し、鈴の承認を得たうえで“公式発表”としてベルの専属ボディガードが竜に任命されたことを大々的に告知した。

 当然これには賛否両論、さまざまな意見が寄せられた。

『竜がボディガードとか、不安しかない』『ベルに手を上げたらどうするんだ!』『もしかしてベル、脅されたんじゃ……』『あんな奴解雇しろ!』『ベルのボディガードならもっとまじめなやつがいいと思う』『ベル、可哀想』『ベルが怯えて歌えなくなったらどうするつもりなんだ!』『なんで竜を擁護するのか理解出来ない』

 などなどかなりネガティブな意見が山のように押し寄せてきたが、中には『実質竜が『U』の中でも最強なんだから、手元に置いておくなら一番じゃね?』『ベルが竜の手綱さえ握れば問題なし』『むしろ竜は既にベルの虜なんじゃ?』『ベルのファンなら酷いことはしないかも』『とりあえず様子見で』といった肯定的なものから中立的な意見まで、思い出すのも馬鹿らしくなるほどたくさんのコメントが寄せられた。
 そうして世間一般には『試験期間』と銘打ってベルのボディガードを一時務めさせたが、竜は問題なくそれをクリアした。

 むしろあの大きな手でベルの可憐な手を握り、時にはエスコートし、時には人の目から遮るようにマントでベルの体をすっぽりと覆い隠す姿はどこか紳士的ですらあった。
 元より野性的な外見に反し貴族的な衣装を纏っている竜である。一度でもそれらしい振る舞いをすれば不思議と気品を感じさせた。

「まあ、元より育ちはいいものね」
「最近では竜の振る舞いにも好意的な意見も寄せられるようになったし、少しでも竜への偏見を無くせたらいいな」

 話し合いの場所を教室から廃校の一室に変え、弘香と鈴は大型ディスプレイに次から次へと寄せられるコメントを確認していた。
 それこそ先日開催された『U』の公式イベントに参加したベルを会場までエスコートし、会場の隅でじっと佇む竜のスクショがあちこちに出回っている。
 その時の格好はいつものような『ならず者スタイル』ではなく、知が育てた『秘密のバラ』を胸に飾ったフォーマルな衣装だった。

 艶々とした革靴に、袖がほつれていないシャツにコート。そこには緻密に施された刺繍が複雑な模様を描いており、痣の浮かんだマントの留め具さえ宝石で出来ているかのように輝いていた。
 骨格上前傾姿勢なのは致し方ないが、一途にベルを見守る姿はあの“嫌われ者の竜”とは別人のようであった。

『着飾った竜が思った以上に格好いい件について』『クソッ、結局は顔なのか……!』『いや、竜に顔もなにもないだろ』『でもベルをまっすぐに見る目は素敵』『衣装が豪華だよね。ベルが用意したのかな?』『え?! あれってベルのプレゼント?!』『なわけないだろ。経費で用意したに違いない』『でもああしてるとどこかのお貴族様みたいだよな』『終始黙ってるから騎士にも見えるけどね』『ならず者が一流の歌姫の護衛とか、ラノベかよw』『むしろ人生逆転劇すぎてどっかの劇団が台本にしそう』『竜とベルの物語……気になりますねぇ……』

 次から次へと浮かんでくるフキダシに、鈴は思わず苦笑いする。

「あれ、知くんが作ったって誰も思わないんだろうなぁ」
「そういえば、あの子のセンスって卓越してるよね。いつかベルの衣装も作ってくれないかしら?」

 唸る弘香に、鈴は思わず『バラの衣装を貰いました』とは言えずに視線を逸らす。
 弘香はベルの衣装を用意することが趣味の一つにもなっており、専用で用意したドレスルームには既に大量の衣装が収納されている。勿論ドレス以外のカジュアルな服も数多用意されており、弘香は『お忍びスタイル』と呼んでいる。それらも気付けば増えているので、今後も鈴の知らない間に様々な衣装が増えていくことだろう。

「ま、竜の話はここまでにして。鈴。武闘大会の話は承諾でOK?」
「うん。来賓としてなら、大丈夫」
「まかり間違っても選手としてスタジアムには立たせないから安心しなさい。さってと、それじゃあ主催者側に連絡しますか」

 こうして主催者側はベルからの返事に狂喜乱舞し、感動と感謝の涙を流しながら『武術館にベルが来る』という旨を告知した。
 当然これに食いついたのはファイターたちだけではない。竜の出現以降足を遠のかせていたライト層も、データ復旧を終えた古参たちも、ベルに見て欲しい新規者たちも、こぞって武闘大会にエントリーを始めた。

 そしてその話は当然竜こと恵の元にも舞い込んでいた。

「ベルが武術館に?」
「うん。ニュースに出てる」

 コレ。と知がノートパソコンを指さしたところには、『世界の歌姫が武闘大会に参加予定』という見出しと共にベルの写真が載っている。
 となれば恵がすることなど一つだ。

「マネージャーさんに確認してみる。本当なら僕も参加するよ」
「恵くん、勝つ?」
「勝つよ。ベルには、格好悪い姿見せられないから」

 弘香と恵の主な連絡方法はLINKだ。あとは城や『U』の廃墟ユニットでうっかりエンカウントした時に確認したいことがあればする程度で、私的なコンタクトを取ることは滅多にない。
 今回も業務連絡のようなやり取りを終え、恵は早速武術館に向かい、周囲に注目される中エントリーを行った。そこで子供たちに声援を送られたり、握手やハグ、写真撮影を頼まれたりして竜は内心困っていた。
 そんな時にガラの悪い輩に絡まれ、子供たちは怯えて去って行く。
 竜は特に恐ろしさなど感じなかったが、今ではベルの専属ボディガードとして名が知られている。以前のように殴り飛ばすわけにもいかず、フンと相手を鼻で笑い飛ばしてからログアウトした。
 のちにこれがとある試合へと繋がるのだが――今の恵は何も知らぬまま日々を過ごすのだった。


***


 ベルが武術館に来賓することは『U』だけでなく現実世界でも話題になった。
 まずはクラスの全員から真偽を問われ、何故行くのか。何をするのかなど根掘り葉掘り聞かれることとなった。
 隣に弘香がいたためどうにか捌くことが出来たが、いなければ自分一人でどうにかしなくてはいけなかったのかと思うと、鈴は目の前が暗くなるような気分だった。

「そんなに気になるなら武術館に見に来ればいいのに……」
「プロレスに興味のある女子なんて極一部でしょ。ベルのコンサートでもないのに武術館に行くなんて、よっぽどのファンかベルを盗撮したい犯罪者ぐらいだよ」
「うえっ、ヒロちゃん……。背筋が寒くなるようなこと言わないで……」

 実際パパラッチ共はお忍びで『U』の世界を楽しむベルの姿を度々スクショしては世に流している。雑誌社に売り込んだり新聞社に売り込んだり……。弘香としては『公式画像以外は使うんじゃないわよ』という気持ちでいっぱいなのだが、人気者の性だろう。
 ベルの写真は高値で買い取られることが多かった。

「ま、金の生る木。金の卵だからね。ベルは」
「中身はしがない一般人なのにね……」
「例え中身がダッサイ田舎娘だろうと、ベルの真価は歌だからね。それさえ分かってればベルの正体なんて誰も気にしないよ。実際、アンベイルされた後もファンは増え続けてる。評価されてる証拠よ」

 弘香はこう言ったが、鈴を叩く者たちはやはり一定数いた。しかし相手が未成年ということもあり、不適切な発言として通報されたり、他の信者から叩かれて炎上したりと散々な目に合っている。
 他にもそっと離れていった者もいるし、ベルの歌だけを純粋に評価している者もいる。ファンと言わずとも曲さえ聞いてくれるのであれば、弘香としてはこれ以上火に油を注ぐ必要はないと判断していた。
 だが鈴としては離れていった一部の層が気になるのだろう。寂しそうに目線を足元へと落とす。

「でも、離れていった人たちもいる。あの時のことを後悔してるわけではないけど、やっぱりちょっと、寂しいね」
「フン。そんな奴ら、こっちから願い下げだっつの。いい? 鈴。ベルは最高の歌姫なんだから! 悔しい、寂しいって下を向くぐらいなら、離れていった奴らの後頭部殴り飛ばすぐらいサイッコーな曲を作りなさい! 私が全世界に発信してやるから!」
「ヒロちゃん……」

 鈴は苦笑いしたが、その言葉に心が軽くなったのは事実だ。先程とは違い、穏やかな笑みを浮かべた鈴の背を弘香は軽く叩く。

「さ。そろそろ武術館に行くわよ。事前打ち合わせは既にしてあるけど、最終確認だけはキチンとしておかないとね。プロとして遅刻とか厳禁だし」
「うん。行こう、ヒロちゃん」

 こうして弘香と鈴は『U』へ揃ってログインし、日頃足を運ぶことのない武術館へと赴いた。
 主催者だけでなく、大会を支える様々なスタッフたちと共に入退場の仕方、大会の流れ。ベルの挨拶についてなどの話を再度確認しながら機材の最終チェックも行い――遂に武術大会が開催された。

『さあ、始まりました。『U』の標準時刻、午前十時。本日この武術館で開催されるのは――』

 司会者役のAzが流暢な喋りで場を支配する中、舞台袖で出番を待つ鈴の元に席を外していた弘香が声を上げながら近付いてきた。

「見て、ベル。竜、やっぱり参加するみたい。今スタッフからランダムで決定したトーナメント表貰って来た」
「本当? 彼の出番はいつなの?」
「えーと……ふぅん。やるじゃん。竜の試合は一番最後。面白いカードはやっぱり最後に切るものよね。ただ、問題があるとすれば思ったより参加者が多いから、もしかしたら今日中に終わらない可能性もある、ってこと」
「わあ……。こんなにいっぱい……」

 幾ら参加者の年齢を問わないとはいえ、あまり遅くまで長引けば未成年者には不利だ。そのため日本では休日である土曜日に開催されているが、他の国ではわざわざ休暇を取った者もいると聞く。それほどまでに今回の大会は注目度が高いのだろう。
 ベルは改めて深呼吸をし、これから立つであろうスタジアムの中心部へと視線を移す。
 が、ここに来て弘香が「ん?!」と素っ頓狂な声を上げた。

「ねえ、ベル、これって――」
『それでは皆さんお待ちかね! 本日特別にお招きした来賓者の皆様にご登場願いましょう!』
「あ。ごめん、ヒロちゃん。わたし行かなきゃ!」
「え? あ、ちょ、ベルー!!」

 弘香の引き留める声を背に受けながらも、ベルは周囲の声に応えるようにスタジアムへと足を踏み出す。
 途端にベルの、鈴の耳をつんざくような歓声がスタジアムいっぱいに響き渡り、咄嗟に肩をすくめそうになる。

『皆さんの歓声が聞こえますか! ボルテージは既に最高潮です! さあどうぞ、こちらへ! 我らが歌姫――ベルーーーー!!!』
『わああああああ!!!』
「ベル!」「ベル!!」「ベルだ!」「ベル!!」「会いたかったよ、ベルー!!」「愛してるー!!!」

 ワーワーキャーキャーと、仮想世界とは思えないほどの大歓声。ベルは一瞬頬が引きつりそうになるが、今まで何度もライブや公式イベントに参加して来たのだ。ここで狼狽えるわけにはいかない。
 堂々とした足取りで、白いドレスの裾をたなびかせながら司会者の手を取り、ステージへと上がる姿は周りから見ればまさしく『高嶺の花』だ。
 ベルの手を取る司会者もかなりテンションが上がっている。幾らAzとはいえ、その向こう側にいるのは生身の人間だ。鼻息荒く近付いて来られると流石にちょっと引いてしまう。
 それでもベルは向けられたマイクを丁寧に受け取り、ぐるりと会場を見まわしてから淡い唇を開いた。

『皆さん、こんにちは』
「こーんにーちはー!」

 返事をしてきたのは子供たちだろう。甲高い、どこか舌足らずな声にベルは優しい笑みを浮かべる。途端にそこここから「天使」「女神」「心臓が……!」などというコメントも飛んで来たが、それは綺麗に無視した。

『本日はお招きくださり、ありがとうございます。また、こうして参加してくださった選手の皆さんも、観客席の皆さんも、今日という日を一緒に楽しみましょう』

 弘香と共に考えた無難な挨拶を終え、ベルは軽く手を振ってみんなの声援に答える。そうして予め予定されていた、これから試合を始める選手に向け、エールの代わりに三分ほどの短い曲を一曲披露する。

「これ実質ベルのライブでは?」「観戦に当選した自分は今年の運を全て使い切っただろう。しかし悔いはない」「例え一曲でもベルの生歌が聴けただけで幸せ」「仕事休んだ甲斐があった!」「有給取れなかった奴ざまあ」

 ステージ上から手を振りながら去って行くベルに再び大きな拍手と声援、ラブコールが送られる。それを耳にしながらも無事来賓室へと辿り着いたベルは、ようやく肩の荷が下りたかのように「ふう」と胸をなでおろした。

「お疲れさま、ベル。これで選手たちも一層やる気が出たでしょ」
「ありがとう。ヒロちゃん。そういえば、さっき何か言いかけてなかった?」
「ああ、そう。それなんだけど――」

 トーナメント表を広げようとした弘香の目下でも、会場に設置された数々のモニターにトーナメント表が映し出される。新規・古参関係なく入り乱れたその表に様々な声が寄せられる中、ベルも弘香が指さした名前を見て目を丸くした。

「え?! これって――」

 驚くベルに弘香も頷くことで応える。だが大会は既に開催されており、選手が自ら棄権しない限り試合は予定通り行われる。焦る二人を尻目に既に一回戦が始まり、ますますストップをかけられなくなってしまった。

「いや、でも、確かにコレは驚きなんだけど、せめてもの救いが対戦相手と言うか――」
「うん……。でも、かなり心臓に悪いというか、ドッキリにしても質が悪いというか……」
「いやぁ、本人にそんな意図があったかどうかも謎だね。これは」

 話し合う二人のことなどスタジアムにいる者たちからは分からない。決着のついた試合に沸き上がる会場へと視線を下ろしながら、二人はこの先起きるであろう惨事に頭を抱えそうになるのであった。



***



 途中休憩を挟んだ後、再び開催された試合は既にほとんどの試合が終わっている。竜の出番は最後であることは既に周知の事実だ。一つ、また一つと試合が終わる度に観客は竜の出番が近付いてきたことに興奮し――そして遂に、石造りのスタジアムに竜の姿が確認された。

「竜だー!!!」「竜だ!」「竜だ!!」「竜が来たぞ!」「本当に竜だ……」「うおー! 生で見たのこれが初めてだ!!」

 興奮冷めやらぬ中、現れた竜は今までの選手とは違い、王者としての風格がある。
 のっしのっしと大股でありながらも余裕のある足取りでステージに上がった竜の前には、予想もつかなかった相手が“浮いて”いた。

「――――え?」

 その声は一体誰の口から零れ出たものなのか。
 金色の瞳を限界まで見開いた竜なのか。それとも竜の対戦相手の『小ささ』に驚いた観客席からか。

 ベルの歌を聞いた後、すぐに現実世界に戻り、今の今まで課題を終わらせることに勤しんでいた竜はトーナメント表を一切確認していなかった。
 それは“自身が優勝する”という驕りから出た怠慢なのか――それとも学校の課題を終わらせてから『U』で存分に戦おうと決めていたせいなのか。確認を怠った竜の目の前には、今まで武術館で一度も見たことのない『クリオネ姿の、王冠を被った天使』がいた。

『さて。何やら心配になる組み合わせではありますが、決まったものはしょうがなし。残虐ファイトから足を洗った竜と、今回初参加の可憐な天使。どちらが勝利を掴むのか――!』

 司会者も、二人の対格差が心配なのだろう。ちらちらと天使と竜を交互に見遣りながらも淀みなく司会を務めていく。そして来賓室ではベルと弘香が遂に向き合ってしまった二人に「あちゃー」と顔を手で覆っていた。

「あれ、絶対に竜は確認してなかったね」
「うん……。知くんが参加するって知ってたら、絶対恵くん止めたはずだもん」
「何考えてんだか、あの子は」

 はあ。頭が痛い。と言わんばかりに溜息を零す弘香たちの下では、無情にも試合開始のゴングが鳴ってしまった。
 勿論来賓室にいるベル以外の貴賓たちも、見た目からして非力そうな天使にハラハラとした様子で見守っている。中には両手を組んで祈るような格好で見下ろしている者も、固唾をのむようにして身を乗り出している者もいる。
 二人も改めてステージへと視線を落とせば、半透明の天使がピューンとまっすぐに竜へと突撃していた。

「あ、危なーい!!」「これ事故るだろ! 絶対事故るだろ!」「おい! 誰だよあんなちっこいのにエントリー許可出したやつ!」「いやー! クリオネちゃんが死んじゃうーーー!!」

 観客席からも絶えず悲鳴が聞こえる中――心配されている天使はというと、竜の鼻先にまで急接近し、その小さな手でぺちん。と竜の肌を叩いた。

「……………………」
「えいっ、えいっ」

 ぺち、ぺちん。と天使の小さな手がぺちぺちと竜の肌を無情にも叩く。しかし竜は未だに意識が飛んでいるのか、一向に動く気配はなかった。

「……これは……」「いや、竜も固まるわこんなの」「どうすればいいの……」「初めて竜に同情してる自分がいる」「攻撃力1どころか0.1って感じだな」「うわあ……ある意味事故ぉ……」

 仮想世界のため実際に血が流れるわけではないが、流血沙汰を覚悟していた観客たちである。一方的に繰り広げられる殴打(?)の数々に微妙な空気が流れ始める。

『う、うぅん……。竜は……天使選手に手も足も出ませんね……』

 そりゃそうだ。と誰もが司会の言葉に頷きそうになる。だが流石の竜も数度叩かれたら意識も戻るというもの。呆然としていた金色の瞳を数度瞬かせると、だんだん疲れてきたような天使の体を包むように両手をそっと掲げ――そのまま閉じ込めた。

「あ」「捕まった」「まっしろしろすけでておいでー」「おいやめろ」「今までにないほどの優しい対応」「竜って子供とか、小さい子には優しいよね」

 竜は『U』の世界に出現してからずっと残虐ファイトをしてきた身である。だからこそ落ち着いた今でもマイナスイメージが付き纏っているのだが、実際に天使を両手で包み込み、トコトコと歩いて場外まで持っていく姿は平和そのものであった。

『天使、場外! 竜の勝利!』

 どこかほっとした様子の司会の勝利宣言に、会場もわー! と声を上げる。誰もが見たくなどなかったのだ。あの小さき挑戦者が蹂躙されるのを。
 そしてスタジアムに未だに残っていた竜はと言うと――

「知くん。何でこんなことしたの」
「だって……ボクもたたかってみたかったんだもん……」
「危ないだろ。誰と当たるか分からないんだよ? 僕じゃなかったらどうするつもりだったの」
「う……恵くん、おこってる……?」

 首を傾ける天使に、いつもの竜ならば慰める発言もしただろう。だが今回ばかりは甘くしてはいけない。と心を鬼にし、じっと天使の姿を見つめる。

「次勝手にエントリーしたら、本気で怒るから」
「じゃあ、相談したら、いい?」
「ダメ」
「……恵くんのいじわる……」
「そんなこと言ってもダメ。ダメったらダメ。絶対にダメ」

 まるで母親である。恵に珍しくお説教を受けた知はしゅんと項垂れ、ひょろひょろと力を無くしたように竜の手の中に落ちてくる。

「くぅーん……」
「…………はあ……。今回は、相手が僕だったから百万歩ぐらい譲って許すけど、今後は本当に、絶対に、何があっても戦っちゃダメだから。分かった?」
「はぁい……」

 恵に怒られたのがよっぽど堪えたのだろう。竜の手の中で頷く天使に、竜もほうと息を吐きだす。そうして両手で天使を包んだまま退場しようとする竜に、司会者が慌てて近付き声を掛けた。

『あ、あの、お二人はお知り合いで……?』
「……答える必要はない」

 ツン。とそっぽを向いた竜ではあるが、その竜の手の中にいた天使が「今、反省中だから。またね」と言ったことで有耶無耶になってしまった。

「はあー、よかったぁ」
「これ、竜が相手じゃなかったら知くんどうなってたか……。っていうか、知くんぶっ飛ばした相手の方が心配になるよ。絶対に竜が仕返しに来るでしょ」
「うわ……。想像しただけでも怖い……」
「残虐ファイトは禁止してるけど、果たしてワンパンK.O.で済むのか……。これはあとで我々からもお説教だね。知くんはもっと自分を大事にしてもらわないと」
「う、うん……」

 とはいえ、今回は興味が惹かれただけなのだろう。ベルは内心でそう考えながらも、スタジアムから選手控え室へと続く通路へと消えていく竜の姿を見送る。

「そういえば、暫く硬直してたってことはやっぱり竜はトーナメント表確認してなかったんだろうね」
「用があってログインしてなかったのかも」
「まあ入場資格はあるから、一旦ログアウトしても試合に間に合えばそれでいいし、本人の自由だけど……。でも本ッ当ヒヤヒヤしたよ」
「そうだね」

 苦笑いするベルと弘香が話す傍ら、一回戦が終わったことで試合は既に二回戦へと進んでいる。一回戦ではまだ不慣れな者も多かったが、二回戦目からは本格的な試合が始まる。
 現に一回戦と違って知略や膂力を駆使して戦うファイターが白熱した試合を繰り広げており、いつの間にか二人も食い入るようにスタジアムを見下ろしていた。

「いけ! そこだ! あー!! 惜しい〜〜〜!」
「あの子、強かったね!」
「将来有望だなぁ、あの子。声からして子供なのに、大人相手に全然ビビッてなかったもん」
「海外の子っぽかったよね。煽り方が様になってたもん」
「ま、一番の悪役はアンタのボディガードだけどね」
「もぉ〜、ヒロちゃん!」

 ベルや弘香以外の貴賓たちもそれぞれが試合を楽しんでいる。そうして再度休憩が挟まれた後に、竜の二回戦目が開始された。

「今度の対戦相手は誰?」
「確か、ゴブリンみたいな姿のAzだったと思う。白雪姫の小人とファンタジー世界のゴブリンを足して割ったような感じ」
「なにそれ」

 弘香の説明にベルが首を傾ける中、竜よりも早くその『小人型Az』がステージへと上がる。
 橙色の、魔女が被っていそうなツバ付き帽子に、濃い緑色の肌。ぎょろりとした目は鋭く、大きな鷲鼻が特徴的な姿は確かにゴブリンそっくりだ。だが木こりのような恰好は小人感満載で、何とも言えない気持ちになる。
 これで本当に戦えるのだろうか? とベルが首を傾ける中、反対側から竜が現れた。

「今回は安心して見れるな」「あのゴブリン、何気に強いって聞いたけど」「友達が前に試合して負けた、って言ってた」「どんな戦い方するんだろう」

 観客席も竜の対戦相手に興味津々である。何せ一回戦目がアレだったのだから仕方ない。竜の実力を知るためにも彼には踏み台になってもらおう。と誰しもが考えていた。
 そんな中、現れた竜に小人型Azがビシッと指を向ける。

「おい、竜! よくもこの間はオレを笑ったな!」
「…………なんのことだ?」
「しらばっくれんじゃねえ! あの後『アイツ竜に簡単にあしらわれてたぜ』って周りからバカにされたんだからな!」
「知らん」

 いちゃもんをつけられるのは初めてでないとはいえ、この手の輩は何を言っても何をやっても全て『竜のせい』にするから手に負えない。
 経験上それを理解していた竜は相手の話を聞き流していたのだが――流石に聞き流せない言葉が聞こえてきて目を眇めた。

「そもそも! オレはお前なんかがベルのボディガードをしてることだって気に入らないんだ! なんでお前みたいな嫌われ者が、ベルと一緒にいられるんだよ!」
「…………フン。弱い奴ほどよく吠える」
「テメエ!!」

 ベルのファンなのだろう。緑色の肌を真っ赤に染めて怒り狂う小人に司会者はどうしたものか。と竜に視線を投げる。それに竜が頷けば、司会者は渋々ゴングを鳴らした。

「テメエなんかがベルの傍に近寄るんじゃねえ!」
「それはこちらの台詞だ」
「テメエの、その、気取ったような態度もむかつくんだよ!」

 八つ当たりのようなことを口にしてはいるが、元より優秀なファイターなのだろう。小さな体躯を生かして竜の死角に潜り込んでくる小人に、竜は思わず舌打ちする。

(思い切り蹴れば一発だけど……加減を忘れるとデータが破損するから、気をつけないと)

 弘香と約束したのだ。今後一切残虐ファイトはしないと。
 まだ数ヶ月とはいえ、ベルの横でボディガードをしているうちに自分を認めてくれるような発言も増えてきた。だがもしここで“うっかり”やらかしてしまえば、真っ先に手を差し伸べてくれたベルの顔に泥を塗ることになる。

「チッ」

 ベルを引き合いにだされた苛立たしさと、戦い辛さにフラストレーションが溜まっていく。それでもどうにか相手の攻撃を躱していると、おしゃべりな小人は反撃してこない竜を鼻で笑った。

「はっ! ベルの横にいたことで腑抜けちまったのかよ。このザーコ」

 イラッ、と竜の中で怒りのボルテージが急上昇する。自分が今ここで手をこまねいていることとベルは無関係だ。それなのにベルを引き合いに出すとはどういう了見だと、竜は抑えようにも抑えられないレベルでイライラし始めていた。

「ベルも可哀想だよなあ! お前みたいなのに付き纏われてさ! きっとベルは優しいから、お前が横にいても何も言わねえんだろ!」

 ベルが、鈴が優しいことは事実だ。それについて恵は身を以って知っている。
 嫌われ者だった自分に何度も声を掛け、恐れずに触れてくれたのは彼女だけだった。何十億人もの前で正体を現してまで語り掛けてくれた彼女を――こんな何も知らない赤の他人に穢されるのは耐え難い苦痛だった。
 だからこそ力加減をすることが出来ず、竜は地面が抉れるほどの力で拳を叩きつけてしまう。しかしそれは紙一重のところで躱されてしまった。

「竜!」
『おおっとお! 竜の渾身の一撃! しかし躱されてしまったー!!』

 咄嗟に叫んだベルの声が届くことは恐らくない。だがベルには対戦者が竜に何を言っているのかは画面上に字幕として表れているため見えている。
 中にはその声に賛同する者もいれば、竜と同じように「ベルは関係なくね?」と疑問を呈している者もいる。混沌を極める中――ついに調子に乗り過ぎた小人は言ってはいけない一言を口にしてしまった。

「お前に勝ったらオレがベルの“ボディガード”になってやるよ。そんでいつかはオレの“女”にしてやるから安心しな!」

 その一言には誰もがブーイングを飛ばそうとした。が、それよりも速く――今まで一撃も小人に入れられなかった竜の膝蹴りが、飛びかかろうとしていた小人の立派な鷲鼻をめり込ませる勢いで顔面に決まっていた。

『き……決まったーーーー!!!! 竜の渾身の膝蹴りーーー!!!』
「う、うおおおおお!!!」「よくやったぞ、竜!」「すげえ今すっきりした!!」「竜カッコいい!」「それでこそボディガード!!」

 ゴロゴロとステージを転がる小人ではあるが、寸でのところで地面に爪を立て場外に出ること阻止する。しかし顔を上げた先には既に竜が立っており、息を呑む間もなく足の甲が顎にクリーンヒットし、上空へと蹴り上げられる。

「ぐぅ……!」
『竜のコンボが始まったー!!』

 基本的に『U』の世界には重力などあってないようなものだが、この武術館のスタジアムだけは違う。実際に滞空出来るのは翼をもつAzぐらいで、それ以外の者は空中にあげられたら逃げ場などない。

「カ、ハッ……!」

 息つく暇もなく次から次へと腹部に拳を打ち込まれ、最後には渾身の回し蹴りを喰らった小人が場外まで吹っ飛んだ。

『場外! 竜の勝利!』

 エンジ色のマントをはためかせながら、グルルルル……と唸る竜の姿は怒りに燃える覇王にも、姫を守る護衛騎士にも見える。そんな竜が醸し出すオーラに司会者もたじろぐ中、来賓室からベルが飛びだしてきた。

「竜!」
「! ベル。どうしてキミがここに……」

 ヒールの音を響かせながら、ドレスの裾を両手で持ち上げ駆けて来る歌姫の姿に会場から「おお……!」「ベルだ……!」という驚きの声が次々と上がる。

「竜、大丈夫?!」
「僕は、いや。俺は平気」

 けど、と竜はベルを見下ろす。スタジアムに立つ選手の言葉は随時モニターに字幕表示されるようになっている。ベルがあの小人の発言に心を痛めたのではないかと竜が心配していると、ベルはキッと目尻を吊り上げ、立ち上がった小人に向かって歩き出した。

「ベル!」
『べ、ベル! 危険です、お下がりください!』

 竜と司会者が慌てて追いかける中、場外でフラフラになりながらも立ち上がった小人に向かって、ベルはハッキリと宣言した。

「竜は! わたしの大切な人なの! 侮辱することは許さない!」
「…………ベル」

 目を丸くする竜に反し、周囲も「ベルに対して失礼すぎる」だの「例え相手が竜でも言っていいことと悪いことがある」「ベルのことやらしー目で見てる。サイテー」「見損なった」「ファイターにあるまじき精神」と彼女を応援するかのようにブーイングが飛び交う。
 これには小人も自身の発言がまずかったとようやく理解したのだろう。震える声で「ベル」と彼女を呼ぶ。
 だがベルは相変わらず不機嫌そうな顔で小人を見下ろし――数十万人の観戦者がいる中でキッパリと“宣言”した。

「わたしは、あなたを選ばない。わたしを守るのは、わたしのボディガードは、この先もずっと竜だけ。竜以外の人に、わたしは守られたりしない」
「ベル――」

 ハッキリと明言したベルに観客や司会者だけでなく、竜までもが息を呑む。そんな中ベルはクルリと振り返り、そのまま竜に向かって迷うことなく白い手を伸ばした。

「――聞かないで」
「え?」
「あんな言葉、聞かなくていい。あなたが傷つくような言葉は、もう聞かなくていい」
「……ベル」

 じっと竜を見つめるベルの澄んだ瞳を見返しながら、竜は相手を殴り飛ばしてもまだ収まらなかった怒りが消えていることに気付く。むしろ今はベルに対するあたたかな気持ちだけが溢れており、竜はその気持ちに逆らわないまま膝をついた。

「僕は大丈夫。キミが、ベルが、いてくれるから。どんな相手にも、どんな言葉にも、立ち向かっていける」
「……無理してない?」
「無理なんてしていない。僕は、キミを守りたいんだ」

 竜が天使を包んだ時と同じように――そっと大きな両手を伸ばし、ベルの体を包み込む。そうして誓う様に頭を下げた竜に、ベルも慈しむように顔を寄せて目を閉じた。

「――ありがとう。竜。わたしも、あなたを守りたい」
「……ありがとう。ベル。その気持ちだけで十分だよ」

 それに、僕はずっと前からキミに守られているんだ――。とは、流石に恥ずかしくて言えなかったが、竜の気持ちは伝わったのだろう。ベルはゆっくりと顔を離すと、改めて竜の頬を撫でるように手を滑らせた。

「さっきの、戦ってる時の竜。格好よかったよ」
「よかった。キミを怖がらせていたらどうしようかと、実は不安だったんだ」

 怒りで我を忘れて相手をボコボコにして場外まで吹っ飛ばした竜である。ギリギリの所で理性が働き、データを破損させるほどのダメージだけは与えなかったとはいえ、かなり危ないところではあった。
 そんな自分を、はっきり言えば初対面の時にうっかり見せてしまっている身ではあるが、再度見せたいものではない。それも杞憂に終わったのだと思うと自然と竜の口元には笑みが浮かんだ。

「さあ、ベル。もう戻って。ここは危ないから」
「ふふっ。おかしな竜。わたしを守ってくれるんじゃなかったの?」
「だからだよ。キミを一番安全なところまで送るのが僕の役目だから」
「ありがとう」

 スッと竜が差し出した手に、ベルは迷うことなくその手を重ねる。
 多くのAzにとって竜の手は、その先にある鋭い爪は凶器だ。だがその手にベルは迷うことなく触れ、また困惑することなく素直にその両腕に身を任せる。
 見せつけているわけではないだろうに、見せつけてられている気がしてならない。

 そんな二人に見惚れた司会者や観客たちがぼーっと二人を見送る中、弘香だけが「やってくれたよ……」と頭を抱えていた。

「あーもー……これじゃあ今まで否定してきたのが全部水の泡だよ……。あの二人、そこんとこちゃんと分かってんのかしら」

 嘆く弘香を他所に、その後も竜は次から次へと対戦者を千切っては投げ千切っては投げを繰り返し――見事に今大会の優勝者となったのだった。

「おめでとう、竜!」
「ありがとう。ベル」

 輝くトロフィーを受け取ることよりも、まっすぐに駆け寄ってきたベルを抱き上げることの方がよっぽど価値があると竜は目を細める。
 そんな竜に笑みを浮かべ、両手を回してしっかりと竜の体に抱き着く姿はどう見ても『想い合う二人』である。

 弘香はすっかり不貞腐れて両手を組みながら宙を漂い、司会者や観客席は一連の騒ぎを見ているため、あたたかな拍手を送ることで二人を祝福した。


 ――後にこれが『竜とベルの熱愛報道』に発展するなど、この時の二人は考えすらしていなかった。


終わり



 竜の姿を「彼氏だ」と言う人もいれば「騎士だ」と言う人もいる。けど最終的には「ベルが選ぶのは竜だけ」という答えに落ち着くため、数多のファンが血の涙を流していたらいいな。と思います。
 あと大会が終わった後知くんはヒロちゃんや鈴からも「危ないことしちゃダメだよ」って叱られて凹みます。でも「えい、えい」って言いながらぺちぺちと竜のこと叩く天使は可愛いと思う。




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