恋はいつだってもどかしい
無自覚にお互いが大好きすぎる歌姫と竜の話
鈴はその日、いつものように弘香の家に向かうためアーケード街を歩いていた。普段であれば特に見向きもせず道なりに進むのだが、この日はあるものが目に入り、咄嗟に足を止めた。
***
「なにそれ。竜?」
「そうなの! アーケード街に入ってる手芸屋さんのおばあちゃんがね、お孫さんが竜のファンだから作ったんだって!」
興奮する鈴から渡されたスマートフォンの画面に写っていたのは、手のひらサイズの小さな竜だった。しかも羊毛フェルトで可愛らしくデフォルメされている竜である。
弘香は咄嗟に可哀想なものを見るような目を鈴に向けてしまう。
「で? これがどうしたのよ」
「えっと、実は、自分でもコレが作りたくて……。今度その手芸屋さんのおばあちゃんに作り方教えて貰おうかな、って……」
「はあーーー…………。どうしてそうなるかな……」
頭を抱える弘香に、鈴は「だって」と肩をすくめる。
「このちっちゃい竜、可愛かったんだもん……」
「そりゃあ羊毛フェルトでデフォルメされてたら何でも可愛く見えるわよ。でもこういうのは慣れてる人が作るから可愛くなるの。素人が作ったらこうよ、こう」
そう言って弘香が手にしていたタブレットで検索した『羊毛フェルト 失敗作』で検索した画像を見せる。途端に鈴は顔を青くした。
「い、いっぱい練習するもん!」
「子供じゃあるまいし」
「どーせわたしは子供ですよ。とにかく、しばらく竜の人形作るから、新曲はもう少し待ってね」
「まあ、心ここにあらずで作られた曲なんてぱっとしないからね。いいわ。でもあんまり長くかかるようなら作曲に専念してもらうから!」
「ありがとう、ヒロちゃん」
そして迎えた翌日。鈴は学校が終わるとすぐさま手芸屋に向かい、早速手芸屋の主人と共に毛糸を選んでいた。
「私はこれを使ったから、同じのにしようかね」
「はい!」
「早く終わらせようとしなくていいからね。一針ずつ、丁寧に差すんだよ」
「はい!」
蛍光灯の下でひたすらチクチクと毛糸に針を刺して形を整えていく。時々手伝ってもらいながらも丁寧に針を刺し――時には指に突き刺しながらも体を作り、顔を作っていく。
流石に初心者とあって一日では出来なかったが、翌日が休みだったことが幸いし、開店直後からお邪魔してひたすらチクチクと針を刺した。
「出来た……。おばあちゃん! 出来ました!」
「あらまぁ。本当ね。初めてにしては上出来じゃない」
途中何度も手助けしてもらいながら作ったおかげだろう。弘香が見せてくれた『失敗全集』のような酷い出来にはならなかった。
若干傾いてはいるが、おおむね成功と言えるだろう。
「へへ……可愛い」
あとは服を作るだけだ。マント用に臙脂色の生地を切り取り、その背に痣の代わりに小さい花柄のアイロンワッペンを数個取り付ける。
細かな細工は素人である鈴には出来なかったが、マントを羽織らせればそれっぽく見えるようになった。
「あらぁ。いいじゃない。素敵よ」
「ありがとうございます!」
まだまだ拙い出来ではあるが、鈴としては初めて自分の手で作った『小さな竜』だ。
そして今度は天使を作るべく再度針を動かし――数日後には鈴の机の上には小さな竜と小さな天使が並んで座っていた。
「ふふ」
竜と天使のつぶらな瞳を見ていると、どこか胸がくすぐったくなってくる。鈴は二つの人形を両手で抱きしめるとベッドに背中から倒れ込み、下手くそなりによく出来た方だと思われる竜と天使を改めて見つめた。
「もっと練習したら、もっとうまく出来るかな」
表面はふわふわとしつつも、しっかり針を刺したため芯は硬い。そんな竜の顔を見つめていると、ふと初めて二人でダンスした時のことが思い浮かんでくる。
「…………いやいやいや! な、何考えてるのわたし! 幾ら人形だからって、流石に……!」
無意識に人形に唇を押し当てそうになった鈴は慌てて起き上がる。そうして不純な気持ちにならないよう、急いで二つのぬいぐるみを机の上に戻すと頭から毛布をかぶった。
そして無意識のうちにデバイスを掴み取り、逃げるようにして『U』へとログインする。
「あ、ベルだ」
「ようこそいらっしゃいました」
「知くん。AIのみんなも、こんばんは」
人目を避けて廃棄ユニットの中を通り、訪れたのは竜の城だ。どうやら竜は不在らしく、城の中には天使とAIしかいなかった。
「いらっしゃい、ベル」
「こんばんは、知くん」
キラキラと星屑のようなエフェクトを散らしながら、知の分身である天使のAzが宙を舞う。そんな天使の姿にベルが微笑むと、途端に天使が「あ」と声を上げる。
「ベル。こっち、きて」
「なあに?」
「はやく」
手招きされるまま、AIたちと共に天使の後をついていく。
そうして辿り着いたのは城の一角にある庭園であり、そこでも天使は花を育てていた。
「この前、テレビでみたんだ」
「なにを?」
「ラプンツェル」
ラプンツェル。とは、お城に幽閉されていたお姫様のお話だ。長い髪に特殊な力が宿っており、それを魔女が一人占めにしていた。
小さい頃はあの長い髪に憧れる子供が何人もいたものだ。
そして今回初めてその映画を見たのだと話す天使は、ベルの周りをクルクルと回ってから一度頷く。
「うん。やっぱり、ベルに似合うと思う」
「なにが?」
「お花。髪の毛と一緒に編んだら、きっとキレイ」
映画のラプンツェルも長い髪を編み、花で飾りつけていた。そのことを言っているのだろう。ベルはピンと来たが、生憎と技術がなかった。
「でも、わたし髪の毛編んだことなんてないから出来ないよ?」
「大丈夫」
天使が頷くと、一緒に来ていたAIたちが「ヘアアレンジ集のインストール完了しました」と告げる。
「ラプンツェルの髪型ですね? お任せください」
「え? あ、ちょっと……!」
小さな椅子を数人がかりで持ってきたAIたちがベルをそこに座らせる。そうして次から次へと天使と共に花を選び始めた。
そんな天使とAIたちに唖然としているベルの元に、遅れてログインしてきた竜が顔を出す。
「ベル。皆も、ここにいたんだ」
「竜。ごめんね、勝手に入って」
「ベルなら構わない。ところで、天使とAIは何をしてるの?」
ゆっくりと近付いてくる竜は、天使が育てた花を気遣っているのだろう。時折マントを両手で抱えて持ち上げたり、体を横にしながらベルの傍までやって来る。
「えっと、わたしの髪をラプンツェルみたいに編み込みたいらしくて……」
「ああ……。この前テレビを見ながら『コレ、やってみたい!』って言ってたの、髪型のことだったのか」
「そんなこと言ってたの?」
「うん。僕はその時お皿洗ってたからよく見てなくて、何のことかよく分からなかったんだけど……」
ラプンツェルで流れる曲を鼻歌で奏でながら、天使は用意していた籠いっぱいに花を摘んで戻って来る。
「竜。見て。ベルに似合う花、いっぱい」
「うん。そうだね」
楽しそうな天使の声に竜も柔らかく答える。
AIが二人がかりで籠を持つ中、早速手足を持つAIが流れるような動きでベルの髪を編み始めた。
「ここにはコレがいい。ここにはコレ」
天使が率先してベルの髪に花を添えていく。されるがままのベルは手持ち無沙汰だ。そこでちらりと竜を見上げれば、同じくベルを見下ろしていた竜と視線が合う。
「どうしたの?」
「えっと、こんな時何してたらいいのかな、って。わたし、髪の毛伸ばしたことがないから、編まれてる間何していいか分からなくて……」
鈴は生まれてこの方一度も髪を伸ばしたことがない。憧れなかった訳ではないが、母親が切りそろえてくれた髪型を変えることが出来なかったのだ。だから鈴は髪の毛を結んだことはあっても編み込んだことはなかった。
とはいえ相手は男の子である。きっと竜には分からないだろう。と思っていると、ベルと視線を合わせるようにして竜が地面に膝をついた。
「じゃあ、僕の髪でも触る?」
「え?」
「髪っていうか、鬣だけど。編み終わるまで暇なら、付き合うよ」
そう言って顔を近付けてきた竜は、随分とベルに心を許してくれているのだと分かる。伺うような瞳に見つめられ一瞬ぽかんとしたベルだったが、すぐに笑みを浮かべて癖のある鬣へと手を伸ばす。
「ふふ。実は一度、あなたの髪に触ってみたかったの」
「……ベルは物好きだね」
「そうかな?」
「そうだよ」
ベルが動けない分竜の方から顔を近付けることになる。だがベルは恐れることなく竜を受け入れ、折れそうなほどに細く、繊細な指先を伸ばす。そうしてスルリと、撫でるように竜の鬣に触れ始めた。
「毛先、ちょっと癖毛気味なんだね」
「はじめは『ワカメみたいだな』って思ったよ」
「ワカメって!」
竜の率直な感想にベルは思わず声をあげて笑う。それでも竜に触れる指先は相変わらず優しくて、竜はまどろむように瞼を閉じる。
「ベルが笑ってくれるなら、ワカメでよかったかもしれない」
「あははは! もう、竜ったら。笑わせないで」
「……フフッ」
ベルの笑い声につられたように、竜も少しだけ笑う。そうして二人でクスクスと笑いあっていると、天使が「できたよ」と声を上げた。
「やっぱり、すてき! ベル、似合う!」
「はい! 渾身の出来です!」
喜ぶAIたちが、今度は大きな鏡を部屋から持ってくる。そこに映った自分を見た時、ベルは思わず「うわあ……!」と感嘆の声を上げた。
「すごい……! みんなすごいよ!」
「ご主人様? いかがですか?」
「え? あ、ああ……。うん。みんなの言う通りだ。すごく、似合ってる」
薄紅色の、鮮やかでありながらもあたたかみのあるベルの髪は丁寧に編まれ、たくさんの花が彩っている。白や黄色やピンクや青――花の種類も様々だ。
ガーベラやダリア、デージーなど季節も種類も関係なく用意できるのが仮想世界の強みだろう。
そうして最後に天使が紫色のバラをベルの胸元に挿せば、途端にベルの体を新しいドレスが包み込んだ。
「わあ……! すごい! すごいよ、知くん! すごく素敵!」
「よかった。ベル、キレイ」
ふわふわと嬉しそうに漂う天使がうっとりとした声音で囁くように、ベルの動きに沿ってラベンダー色のドレスがふわりふわりと舞う。
プリンセスラインのドレスを纏う姿はまさしく『お姫様』だ。そしてその頭には、ティアラの代わりに花冠が乗っている。
素直に賛辞を贈る天使やAIたちに対し、竜はただぼーっとドレス姿のベルに見惚れていた。
「竜! どう? 似合う?」
「え? あ、うん。すごく、綺麗だ――」
何も可笑しなことを言っているはずはないのに、無性に竜は気恥ずかしくて堪らない気持ちになる。
それを誤魔化すかのように一度咳払いすれば、いつかのようにAIたちが竜にもバラを用意し、胸に挿した。
「ふふ。またあの時みたいに踊る?」
「…………ベルが、それを望むなら」
ドクドクと、竜の心臓が今までにないぐらい高鳴っている。おそらくベルには伝わっていないのだろう。目の前にいる美しい人は、いっそ憎らしい程に無邪気な笑みを浮かべ竜へと近付いてくる。
そうして何の躊躇いもなく竜に向かって両手を出し出すのだ。あの時と同じように。
竜が迷い、戸惑ったのは一瞬だった。
今度は二回目と言うこともあり、スッとその手を取り、ホールまでベルをエスコートする。
さほどホールと庭園が離れていなかったためすぐに辿り着き、二人はそのままゆっくりとステップを踏み始める。
「なんだか懐かしいね」
「そんなに前のことでもないのに、変な感じだ」
「うん。わたしも」
近づいたり、離れたり。重ねた手を離すことはないのに、互いの体が少しでも離れると寂しくなる。だけど近付けば緊張で背筋に力が入り、強張ってしまう。
初めて踊った時の方がマシだったかもしれない。と竜が考えつつも、ちらり、とベルを見下ろせば、ベルは青い瞳をキラキラと輝かせながら竜を見上げていた。
まるで星空を閉じ込めたみたいな純粋な瞳――。竜はその瞳に思考も何もかもが吸い寄せられていくような心地に陥った。
「――ベル」
「うん?」
「どうして、キミはそんなに綺麗なんだろう」
その思いがけない台詞に、ベルを通して鈴の脳は一瞬凍り付いた。
「……へ?」
「キミは、綺麗だ。いつ見ても」
「そ! それは、仮想世界のAzがよく出来てるからで……!」
「違う。入れ物の話じゃない。僕は、キミ自身のことを言ってる」
直球で投げられた言葉に今度こそベルの顔が真っ赤に染まる。つまりそれはAzの向こう側にいるオリジン――鈴の顔も真っ赤になっているという表れであり、竜は一瞬だけ目を丸くする。
「言われない?」
「い、い、い、言われないよっ! そん、そんなこと……!」
「変だな……。じゃあ、僕たちだけが知ってる、ってことかも」
「ひえっ」
自分より年下のはずなのに、どうしてこんな台詞を恥ずかしげもなく言えるのか。
ベルの動きがギクシャクし始めたことに気付いたのか、竜は咄嗟にベルの体を両手で抱き上げ、ホールの中をクルクルと回る。
「りゅ、竜……!」
「――ベル。出来ないと分かってるけど、時々、キミをここに閉じ込めてしまいたくなる」
――それこそ、ラプンツェルみたいに。
囁くように続けられ、今度こそベルの思考回路はショートした。
「あ、あうあ……」
「でも、しないよ。そんなことしたら皆に怒られるから」
抱き上げていたベルの体をそっとホールへと下ろし、崩れそうになるベルの体を腰を抱き寄せることで支える。
その姿は何も知らない人が見れば『野獣に食べられそうになっているお姫様』に見えただろう。だが実際は『無意識に愛を紡ぐ竜と、それに恥じらう初心な歌姫』である。
「あああああの、わ、わたし……!」
以前は鈴の方が積極的に竜に触れたものだが、今ではすっかり真逆になっている。思わず『当時の恵くんもこんな気持ちだったのかな』と頭の片隅で考えてしまう冷静な自分もいたが、体は完全に思考回路と分離していた。
「ベル――。キミが、好きだよ」
「はうッ……!!!」
十四歳とは思えないほどの甘さを含んだ声に、完全にベルの腰は砕けてしまった。
ずるずると座り込むベルに合わせて竜も膝をつき、真っ赤な顔で、瞳を限界まで潤ませているベルにそっと顔を近付ける。
「――ベル」
「ッ……!!」
思わず人形に唇を寄せそうになった数分前の自分が頭の中にフラッシュバックする。
だが互いの唇が触れる寸前――ベルの、鈴の耳に、父親が帰宅したことを知らせるフーガの鳴き声と、車が砂利を踏む音がした。
「あ! 待っ……!!!」
「むぐっ?!」
パッと両手で竜の口元を抑えてしまったベルは、咄嗟に真っ赤に染まった顔を青く染める。が、すぐさま赤くすると、慌てて立ち上がった。
「も、だ、あの、お、おと、おとうさんが、かえ、かえって……!」
「え? あ、あ、うん」
「だ、その、あの、だから、はふっ、ま、また! またこんど……!!!」
それだけ言うと、ベルは「ふわああああ」と素っ頓狂な声を上げながらホールから駆けて行く。
その後ろ姿をぼんやりと見送っていた竜の元に、陰で見守っていた天使とAIたちがそっと近づいた。
「恵くん。大丈夫?」
「…………うん」
「ご主人様……」
「次、頑張りましょう……」
「…………うん…………」
AIたちの労わるような慰めに、竜は暫し呆然としたあと両手で顔を覆う。
「はあああああ……」
「恵くん、大丈夫?」
「……ダイジョバナイ……」
――今度は、出来ると思ったのに。
思わず竜の心の中に、十四歳の素直な気持ちが迸る。
チャンスを逃して打ちひしがれる竜に天使は首を傾け、AIたちに「トラブル?」と声を掛ける。その質問に対し様々な知識を詰め込んだAIたちは、天使に意味が通じないことを承知で「TO LOVEるですね……」と答えたのだった。
終わり
この後真っ赤になった鈴は暫く眠れずベッドの上でゴロゴロしたあと床に落ちます。
そして羊毛フェルトで作ったぬいぐるみすらまともに見られない日が続き、ヒロちゃんから「鈴、あんた何かあった?」って聞かれて盛大に自爆して欲しいと思います。