- ナノ -

愛の調べ

ベルの膝枕で眠る竜の話。



 竜の印象は? と問えば、百人が百人とも似たような回答を返しただろう。

 曰く『醜悪なモンスター』だの『違反者』だの『最低最悪のファイター』などなど。言葉は違えどどれもこれも似たり寄ったりな回答が寄せられたであろうことは間違いない。
 現に弘香だって鈴と共に竜の正体を知るまでは『ベルのライブを台無しにしたクソ野郎』と思っていたのだ。
 だが今の竜を見れば、幾ら実情を知っている弘香であっても苦虫を噛み潰したような顔をするしかなかった。

「…………ベル。一つ聞いていい?」
「なに?」
「それ、寝てんの?」

 それ。と弘香がお行儀悪く指差す先に居るのは、ベルの膝の上に顎を乗せて眠る竜だった。

 ベルと現実世界でも友人であり、無二の親友だとベルから聞いた竜は弘香も城に招き入れることにした。それ以前からも弘香は城のAIと共にジャスティンに拉致されたベルを助けた仲である。よって弘香が来ても竜が追い出すことはないのだが――。
 まさかここまで警戒心なく眠る姿を見ることになるとは思わなかった。と弘香は改めてスヤスヤと眠る竜を見下ろす。

 上下する背中の痣は以前より減っているとはいえ、ゼロになったわけではない。
 大きな体躯も、鋭く伸びた二本の角も、大概のAzを一撃で沈めることが出来る強靭な手足もそのままだ。竜の骨格上仕方ないとはいえ、常に前傾姿勢で歩いていても大半のAzより大きい竜が、今は子供のように安心した顔でベルの膝の上で寝息を立てている。
 弘香は思わず「スクショして売れば少しはお金になるかな」と現実逃避にも似たことを考えてしまった。

 だがそんな弘香の考えなど知る由もないベルは、優しく黒い鬣を撫でながら頷く。

「うん。理科の授業で天体観測の課題が出たみたいで、最近遅くまで起きてたんだって」
「はーん。それで寝不足だったと。だったら『U』にログインしないでさっさと寝ろっての」
「そんなこと言わないで、ヒロちゃん。最初は竜も普通にしてたんだよ? でもわたしが編曲してたら、徐々に瞼が落ちてきて……」

 基本的に鈴は作曲時『U』にはログインしない。だが時折『U』の世界にいることで刺激を受け、停滞していた作曲や作詞が進む時がある。今回もそのパターンで、人がいない竜の城に遊びに来ていたのだった。

「最初は行き詰って『どうしようかな』って思ってたんだけど……。だんだん、竜と話しているうちにイメージが固まってきて、それで竜にお願いして、ここで編曲させてもらってたの」
「フゥン? 成程ね。ようはベルの新曲を子守歌代わりにして寝ちゃったんだ? 贅沢者め。熱狂的なベルのファンが知ったら包丁持って飛んでくるわよ、きっと」
「そんなことはないと思うけど……。でも、竜が『ここにいてもいい』って言ってくれたから完成したんだし、今回は大目に見て欲しいな」
「はあ……。まあ、いいけど。で? 今回はどんな感じになったの? データ出来てる?」

 ヒラリ、とベルの目の前を縦横無尽に飛び交いながら弘香が尋ねる。実際打ち込み作業は終わっていたらしい。ベルは頷くが、いつものようにデータを送ることはしなかった。

「あ、あのね、ヒロちゃん。一つ、お願いがあるんだけど……」
「なによ」
「データ送るの、竜が起きてからでいいかな? その……こんなに気持ちよさそうに寝てるんだし、起こすのが忍びないっていうか……」
「はあああ?! あんた本当……! …………はあ。いいわ。分かった。今回はトッッックベツに許してあげる。でも、竜が起きたらちゃんとデータ頂戴よね」
「ありがとう、ヒロちゃん」

 微笑むベルに、弘香は再度ため息をつく。どんなに悪態を吐こうとも、弘香にとってベルは、鈴は唯一無二の存在なのだ。竜や忍とは別ベクトルで守りたい存在だと思っている。
 だが現実世界でも『U』の世界でも、弘香の力だけでは鈴を守り切ることが出来ない。だからこそ『U』の世界では竜に、現実世界では忍に任せているのだが――。

「考えてみれば、竜ってまだ中学生なのよね。少し前まではランドセル背負ってたのかと思うと、ちょっと複雑な気分だわ」
「そうだよね……。あんな環境にいなかったら、きっと“竜”は産まれてなかったと思う」

 だけど竜がいなければ、今のベルは、鈴はいない――。

 それが互いに分かっているからこそ、二人は揃って眠る竜を見下ろす。

「幸せそうな顔しちゃって……。ちゃんと夜眠れてんのかしら。この子」
「どうかな。竜は、あまり弱音を吐かないから」
「弟の方はどうなのよ? 今日はいないの?」
「今日は新しく作った庭園の方に行ってるみたい。竜が教えてくれた」

 一度ジャスティンたちに燃やされてしまった竜の城だが、あれからバックアップしていたデータを元に城を復元し、AIや弘香の手も借りて様々な改造を加えていた。
 そのうちの一つが先程ベルが口にした庭園だ。
 元々秘密のバラを育てていた天使こと知だが、今では城の一角に作った庭園でも花を育てている。今度はどんな秘密が詰まっているのか。ベルは少しだけ楽しみにしていた。

 穏やかに微笑むベルは、ゆったりとした手つきで絶えず竜の頭を撫でている。おそらくこの手に安心感を覚えているのだろう。弘香はそう予想をつけながら、空中でクルリと一回転する。

「竜が起きるまで新曲はお預けね。でも今回は許すって決めたから。ベル。あんたも、あんまり遅くなるようだったら竜のことたたき起こして寝なさいよ?」
「うん。ありがとう、ヒロちゃん」
「それじゃあ、私は今からAIたちの所に行って城の復元手伝ってくるから。用があったら呼んで」
「うん。またね」

 ヒラヒラと手を振る弘香にベルも手を振り返し、再び静かになった城の中で竜の寝顔を見下ろす。

 竜の鬣は、正直そこまで指通りがいいわけではない。癖毛のようにうねる毛先と、マントの下に隠された強靭な肉体は仮想世界でなければ恐ろしくて触れることは勿論、近寄ることすら出来なかっただろう。
 出会った時は近寄りがたく、また安易に触れていい存在ではなかったためコンタクトを取るだけでも一苦労だった。
 そんな竜が今ではすっかりと心を許し、こうして寝顔まで曝け出している。

 そんな竜が無性に愛おしく、可愛らしく感じられ、ベルは気付けば違う曲を口ずさみ始めた。

 聞く人によっては『ラブソングだ』と思うかもしれないし、一風変わった、ベル風の『子守歌』だと思うかもしれない。ミーハーな人は『今回の新曲はなんかタイプが違うよね』と首を傾けることだろう。
 それでも誰か――大切な人を想い浮かべながら、愛を紡ぐように――柔らかく、のびやかに歌うベルに多くの人が魅了されることは間違いない。

 だが当の本人はそんな未来の自分を想像することすらせず、ただひたむきに、目の前にいる愛おしい存在のことだけを想いながらまた一曲、歌を作り上げるのだった。



終わり



 この後曲を書き上げた頃に竜は目覚め、自分が誰の膝の上で何をしていたのかを察して土下座する勢いで謝ります。(笑)
 竜可愛いよ、竜。

 しかし竜何もしてねえ……。これで『竜ベル』って言っていいのかな……。

 何はともあれ、最後までお付き合いくださりありがとうございました。


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