「無自覚は罪よ」と親友は言った
このお話は『竜とそばかすの姫』を視聴されたこと前提でお話を作っています。
竜のオリジンについてとか諸々の情報がドンドコ出ておりますので、未視聴の方はお気を付け下さい。
また本編から数年経った時間軸のお話になっており、都合よくその後の時間を妄想しております。
正直「何が書いてあっても許せる方向け」の無駄に長いお話です。
無理そうでしたら即座にBACKしてください。
大丈夫そうなお方はよろしくお願いいたします。
竜のオリジンについてとか諸々の情報がドンドコ出ておりますので、未視聴の方はお気を付け下さい。
また本編から数年経った時間軸のお話になっており、都合よくその後の時間を妄想しております。
正直「何が書いてあっても許せる方向け」の無駄に長いお話です。
無理そうでしたら即座にBACKしてください。
大丈夫そうなお方はよろしくお願いいたします。
ベルがアンベイルされてから早数年。未だに『U』の世界ではベルを越えるシンガーソングライターは出ていない。それもあってか、活動を制限しているベルを”正式に歌手としてデビューさせるべき”という主張が増え続けている。
ベルのオリンジである鈴としては「いやいやいや。そんな。嘘でしょ」という気持ちが強いのだが、鈴の友人でもありベルの敏腕マネージャーでもある弘香は「ベル以上の歌手がいないんだから当然でしょ」とさも当然のように言い返しながらネットニュースを次から次へと読み流していく。
「ペギースーも一時期落ちたけど、今はまた上位にランクインしてるし、まだまだ『U』の音楽界は熱いよ」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
「っていうか、ベルに憧れて歌手を目指す子も多いんだから、あんたがトップを走らないでどうすんのさ」
呆れた口調ではあるものの、鈴が本気で拒否すれば引くのが弘香という友人だ。だが鈴が現状どうすべきか悩んでいる今は、自身が“彼女をプロデュースしたい”という気持ちもあって『U』でトップスターになるべきだと説得を試みている。
それに、今はベルがデビューした頃とは全く違う存在が常に傍にいるのだ。それも相まって話題性に欠くことはなく、むしろ日増しに増えていく。
それは誰かと言うと、良くも悪くも人目を引く存在――『竜』だった。
「“竜”がいるから別枠でボディガードを頼む必要もないし、あの頃に比べたら竜に対するヘイトも少ないし、『U』の治安自体もよくなったじゃん。むしろあれだけ人目を気にせずイチャイチャされたら他の野郎共もベルに変なことはしないから大丈夫だって」
「い、イチャイチャなんてしてないよ!」
弘香の軽口に鈴は顔を赤らめながらも必死に否定する。
ベルこと鈴がアンベイルされたことと、竜を巡っての騒動が実は繋がっているなど『U』の中で知る人は殆どいない。
だが共に“竜”のオリジンを探し出した弘香はそのことを当然ながら知っており、赤くなる鈴などお構いなしに抗議の声を笑い飛ばす。
「よっく言うよ。あの嫌われ者だった“竜”がベルの前では飼い犬の如く大人しくなるんだよ? 昔から子供には人気があったけど、今じゃベルとのツーショットを楽しみにしているコアなファンまでいるんだから、これを使わない手はないでしょ」
「も〜。ヒロちゃってば……。あんまり恵くんを困らせないでよ? まだ高校生なんだから」
「分かってるって。で? その恵くんは元気にやってんの?」
「うん。この間は試験勉強してる、って言ってたよ」
進学先はそれぞれ違えど、鈴と弘香は共に東京の大学へと進学していた。今までと違い気軽に会える距離にいるわけではないが、それでも予定を合わせれば会うことは出来る。
勿論『U』にログインすれば距離などあってないようなものだが、あらゆる意味で有名人と化したベルが見つかりでもしたらゆっくり話すことなど出来るはずもない。
だからこうして予定を合わせ、高校生の時と変わらずカフェや公園のベンチなどで気兼ねなく会話を楽しんでいた。
「ああ、そういえばもうすぐ試験の時期か」
「うん。今日から試験が始まるから、いつもよりは早く帰れるって言ってたよ」
「試験かぁ〜。懐かしい響きだわ。あーあ。寺田先生元気かなー」
カフェのテラス席で頬杖をつき、ぼやく弘香の横顔を見ながら鈴はこっそりと笑みを浮かべる。
数年前の出来事を懐かしむなんて自分たちも大人になったものだ。当時は目の前のことで精一杯で、過去を振り返って懐かしむ余裕なんてなかった。
――むしろ思い出したくない苦い記憶ばかりで――だからこそ、鈴は過去を振り返ることが苦手だった。
だが今は以前よりもずっと穏やかな気持ちで振り返ることが出来る。
そんな鈴の変化が顔に出ていたのか、それとも単なる照れ隠しか。目敏い弘香がすかさず「なによその顔」と唇を尖らせる。
「これだから彼氏持ちは……」
「な、何言ってるのヒロちゃん! 彼氏なんているわけないじゃん……!」
「ほぉん? あれだけ堂々と『U』でイチャイチャしてるくせに?」
「だから違うってば! 恵くんとはそんなんじゃないの!」
恵――とは、竜のオリジンである男の子だ。父親に虐待されていることを知った鈴たちが彼らを助けたのはもう随分と前の話であり、当時中学生だった彼は高校生になった。
元々整った顔立ちではあったが、精神的負荷が大きかったせいだろう。当時は鈴と大して変わらないほど背が低く、線も細かった。
だが今ではすっかりと成長し――昔の忍と勝るとも劣らないほどの偉丈夫に育っていた。
「そーいや学校でもめちゃくちゃモテてるみたいだね。彼」
「知ってるなら聞かないでよ……」
「ニッシッシッシッ。弘香様の情報網を甘く見るでないぞ? ま、彼の本命は昔から一人なんだけどね〜。いつになったら気付くのやら……」
「え?」
ズズズッと残り少なくなったフラペチーノを不貞腐れた表情で吸っていた鈴だが、弘香が零した意味深な発言に興味を引かれて顔を上げる。
だが問おうにもタイミング悪く弘香のスマートフォンが鳴り、通話に出た彼女は数度言葉を交わした後勢いよく立ち上がった。
「やっばっ! ごーめん、完全に忘れてた! 鈴! ごめん! 今すぐ行かなきゃ!」
「え? ひ、ヒロちゃん?!」
「マジでごめん! 今度絶対埋め合わせするから!」
慌ただしく鞄を肩に掛けたかと思うと、弘香はあっという間に走り出し、人の波に紛れて消えていく。
「えー……まだ会ってから一時間も経ってないのに……」
昔は、それこそあのド田舎にいた頃は、一時間どころか半日も一緒にいた時もあったのに。
元よりある方面においては活発的な弘香ではあったが、東京に来てからはより忙しくなったような気がする。
鈴はガックリと肩を落としながらフラペチーノを飲み干し、ゴミ箱にそれを捨ててから人ごみを避けつつ歩き出す。
「ラ、ララ……ラー……ラララ……」
先月発表したベルの新曲は期待を裏切ることなくトップチャートに食い込み、発表してからものの数分でダウンロードランキング一位を勝ち取った。
鈴としても自身が作った歌が評価されるのは嬉しい。沢山の人に聞いてもらえることも、それに共感してくれる人がいることも。いつだって――それこそ初めて『U』の世界に生れ落ちた頃からその気持ちは変わらない。
“誰かの心に届きますように”
それが鈴の原動力でもあり、人気の秘訣でもある。
ベルは、どれほど人気になろうと、どれほど持て囃されようとも変わらない。
ペギースーのように数多のインタビューを受けることも、ジャスティンのように自らハッシュタグを作り世界中に何かを呼び掛けることもしない。
だけど皆が見上げた先には必ずベルがいる。
手を伸ばしても届かないはずなのに、何故だか『彼女は遠い人』と思えない妙な魅力がある。
エキゾチックな見た目をした美女であるのは間違いない。にも関わらず、トツトツと控えめに喋り、微笑む彼女はとても素朴で愛らしい。
だが一度舞台に立てば――歌いだしてしまえば。ベルは一瞬で『歌姫』になる。
華やかなドレスを身に纏い、聞いている者の心を震わせる圧倒的な歌唱力でその場を支配してしまう。誰もが目で追わずにいられない。耳を傾けずにはいられない。
数十億の人間に愛される世界的歌姫――。それが“Bell”だ。
だが時折公式映像(弘香プロデュース)として流される普段の彼女は、穏やかで素朴な笑顔が愛らしい、どこにでもいるような普通の少女そのものだった。
ベルがアンベイルされたことで彼女のオリジンが地味な少女だということは周知の事実だ。しかしそんなことすらどうでもよくなるほど、彼女の歌は人を惹き付ける魅力がある。
一度聴いたら耳を離れない。気付けば口ずさんでしまう。
そうなったらもうあとはベルの魅力に転がり落ちるだけだ。
凛々しく歌い上げる姿も、切なく歌詞を紡ぐ姿も、強い意志の籠った瞳も、穏やかな顔でハミングする姿も、全てがベルの一部であり、鈴の隠された魅力だ。
そんな彼女を慕い、憧れ、追いかける人は後を絶たない。
気付けば『U』の顔とも呼ばれるようになった彼女ではあるが、やはり中身は相変わらず内気な鈴のままだった。
「はー……。この後どうしようかな……」
見たい映画もないし、一人暮らしのワンルームマンションに戻ってもやりたいことはない。
新曲を作ったばかりだから。というよりも、弘香と会えるのを楽しみにしていた分、いきなりの解散に心が追い付いていないのだ。
コロコロとした小さな石を不満交じりに軽く蹴飛ばせば、鞄の中に入れていたスマートフォンが震えた。
「恵くん?」
LINKを通じて投げられたメッセージは、先程まで話題の中心人物であった“竜”こと“恵”からだった。
『ベル、今から会える?』
時刻はおやつ時を過ぎた頃だ。いつもならまだ授業が残っている時間帯ではあるが、試験期間中だから早めに終わったのだろう。
鈴も時間を持て余していたので、すぐさま『大丈夫だよ』と打ち返す。
すると相手もスマートフォンを見ていたのだろう。すぐさま『今駅の近くにいるんだけど、来れそう? 無理ならUで』と返事が来る。対する鈴も、少し離れたとはいえまだまだ視界いっぱいに駅が見える距離にいる。
だから『近くにいるから、すぐに向かうね』と打ち込み、スマートフォンを鞄に仕舞ってから駆けだした。
[chapter:「無自覚は罪よ」と親友は言った]
「うわあ……」
分かってはいたけど……。と心の中で呟きながらも、鈴は壁に背を預けながらスマートフォンを弄る恵の姿を遠巻きに確認する。
そんな彼の周囲には、チラチラと学生服姿の彼を見遣る女性たちがいた。
「あの人格好いいよね」
「ね。マジ格好いい」
鈴の傍にいた女性陣二人組もヒソヒソと囁き合っている。思わず鈴も頷きそうになり、慌てて首を横に振った。
(でも、恵くん本当に大きくなったなぁ……。出会った時はわたしと殆ど変わらなかったのに、今は忍くんと同じくらい背が高くなって、肩幅も広くなってる)
元々『U』の世界では大柄な体躯をしていた“竜”ではあるが、そのオリジンである恵は鈴とさほど背丈が変わらない少年だった。
それが今ではすっかり成長し、世の女性の視線を奪うほどの美男子に成長している。
褐色にも見える浅黒い肌に、切れ長の瞳。サラリと垂れる髪は染めたことなどないかのように真っ黒で、物静かな相貌も相まってどこかミステリアスに感じる。
「よく研がれたナイフ、って感じだよね」
そう例えたのは弘香だったか、他の誰かだったか。
鈴は曖昧な記憶を掘り起こしながらぼんやりと恵の姿を眺めていると、その視線に気付いたのか、それとも単なる勘か。
ふと顔を上げた恵と鈴の視線がバッチリと絡み合い、互いに瞬く。
「――鈴さん」
「うぐッ」
さっきまではミステリアスな高校生だったのに、鈴を見つけた瞬間パッと華やいだ笑みを浮かべ、一目散に駆けて来る。
その瞬間彼を見ていた女性陣が壮絶にざわついたが、鈴は実家にいる保護犬のフーガを思い浮かべて乱れそうになる心を必死に宥め、落ち着かせた。
「ひ、久しぶり、だね」
「うん。ごめんね。忙しかった?」
「ぜ、全然! そんなことないよ! むしろ時間を持て余しちゃってて、どうしようかなー、って思ってたから」
近くまで来ると更に実感する。
グッと首を上向かせないと合わない視線と、以前よりずっと低くなった声。
鈴は改めて『本当に大きくなった』と感動すらしていた。
そんな鈴の心情を知ってか知らずか、恵はどこか安心したように微笑むと、そのまま鈴の手を控えめに握りながら話し出す。
「よかった。最近は『U』でもあまり一緒にいられなかったから……」
「そ、そうだったね」
ベルは新曲発表に向け弘香と共にあちこちに顔を出していたし、恵は試験勉強がありログインすることが出来なかった。
恵の弟である知も中学校のテスト期間に突入したらしく、作り直した竜の城の庭園で「勉強、やだなー」といじけたように呟いていた。
そんな知も、遅まきながら変声期に突入した。柔らかで、透明感のあったボーイソプラノの中にほんの少しだけハスキーさが滲むようになった。
本人は「しゃべりにくい」と不満げではあったが、早々と声変わりをした恵は「そのうち落ち着くよ」とほっぺたを膨らませる弟に笑みを浮かべて宥めていた。
そう。恵が変わったのは見た目だけではない。
元よりどこか大人びた声質をしていたことは鈴も覚えていたが、声変わりを終えた今は高校生であるにも関わらず、どこか“色気”を感じさせる低くも甘い声で話すようになった。
「鈴さん?」
「あ! ご、ごめん、ちょっと、ぼーっとしてた」
思考が遠くに飛んでいた鈴を心配するように投げられた声は少し掠れて妙に耳に残る。
咄嗟に手首でゴシゴシと耳元を擦りつつ取り繕うように鈴が笑えば、恵はそれ以上深く追求することなく握った手を引いて歩き出す。
「ここは人が多いから、移動しよう」
「う、うん。そうだね……」
大学生になってから鈴も化粧を覚えた。初めは弘香や瑠果と共に四苦八苦したものだが、合唱隊のお母さま方を始めとし、『U』を通じて知り合ったメイクアップアーティストの人たちに技術やノウハウを教えてもらい、どうにか人前に出ても笑われないレベルにはなった。
むしろ今では鈴を鈴たらしめんとする『そばかす』を隠すことが出来るようにもなった。
おかげで周囲に『ベルのオリジン』だとバレずに済んでいるのだろう。初めはビクビクしていた外出も、今ではメイクさえしておけば心置きなく出来る。
そんな一皮むけたような、“大人の女性”に一歩近づいた鈴を初めて見た時は忍も恵も失礼なほどに口を開けていたのだが、今ではすっかり見慣れたらしい。しどろもどろになっていた頃が懐かしくなるほどスマートに人ごみから鈴を助け出してくれる。
そう考えると『可愛げがなくなった』とも取れるが、初めて化粧をして現れた鈴にたどたどしくも「き、きれいだよ」と赤い顔で告げた恵と、「すず、きれい」と笑顔で褒めてくれた知を思い出すと自然と穏やかな気持ちになれた。
「恵くん。知くんは元気?」
「うん。学校の先生に花を育てるのが上手い人がいるらしくて、一緒にいるのが楽しい。ってさ」
「そうなんだ。よかったぁ」
知は育った環境のせいか、どこか浮世離れしたところのあるフワフワとした少年だった。だが保護されてからは――環境の変化もあったからだろう。以前よりもハッキリと自分の意思を伝えるようになっていた。
そして今では花を始めとした植物や野菜を育てることに嵌っているらしく、時折鈴にも写真が送られてきていた。
切欠はなんてことはない。授業の一環として育てたミニトマトだ。だけどそれを通して“育てる楽しさ”に目覚めた知は、今ではベランダのスペースが許す限りの範囲で沢山のものを育てている。
「この間はナスを育てたい。って言ってたよね」
「うん。ただ、僕としてはその……。知くんが楽しんでるから水を差したくはないんだけど、正直『どこに向かっているんだろう』とは思う」
「どんどん広がっていくよねえ」
「うん。このままだとベランダが農園に変わるかもしれない」
恵の言葉に思わず鈴が吹き出せば、恵もクスクスと控えめに笑う。
「でも、知くんが楽しそうで、僕はうれしいんだ」
「うん。わたしもだよ」
人が集まる駅の通りを抜け、二人が並んで腰かけたのは小さな公園のベンチだ。遊具はほとんどないから公園と言うよりは休憩スペースのような場所ではあったが、二人はよくここに座って他愛ない話をしていた。
「そういえば、今試験期間だよね? 勉強はどう?」
「うーん……。好きでも得意でもないけど、成績は落とさないよう気を付けてる。鈴さんはどうだった? 勉強、得意だった?」
恵の問いかけに、鈴は当時の事を振り返る。正直、鈴は『U』を始める前まではただ無意味に日々を過ごしていた。
歌うことも出来ず、父親ともうまく会話出来ず、鬱屈とした、息が詰まるような日々を繰り返していた。
だけど『U』が、Bellが、竜が、それを変えてくれた。
臆病だった自分を、前を向くことが出来ず、進むことが出来なかった自分を変えてくれた。
それからは歌も勉強も以前より打ち込めるようにはなったが、決して自慢できるような成績ではなかった。
「うーん……。ハッキリ言って微妙かな……」
「ははっ。そうなんだ」
「うん。勿論、勉強は大事だって分かってたけど、」
働いて、お金を出して、学校に通わせてくれているお父さんのためにも頑張らないと、と思ったことは事実だ。だがそれ以上に、鈴の頭の中は『音楽』でいっぱいだった。
「『U』の中だけじゃなくて、現実でも歌えるようになったから……。それが嬉しくて、あんまり勉強には身が入らなかったかな」
人前で歌う事は勿論、一人きりの部屋の中ですら歌うことが出来なかった。掠れて、音程もとれなくて、酷い時には戻してしまうほど『歌う』という行為に対して怯えていた鈴が、いつしか堂々と歌えるようになっていた。
弘香の前だけではない。忍や、父親の前でも、歌えるようになっていた。
だからつい作曲にのめり込んでしまい、勉強が疎かになっていたのは否めない。
今更ながらに反省する鈴を気にしてか、恵は話題を変えるように口を開く。
「そういえば、この間の新曲聴いたよ。すごく素敵だった」
「えへへ、ありがとう。そう言ってもらえると、やっぱり嬉しい」
竜として、ベルとして、出会った頃はお互い距離を測りかねていたけれど、交流を重ねた今は互いに穏やかな口調で会話が出来るようになった。
恵も知もベルの歌を大切にしてくれている。知に至っては今でも「ベルは、いつも綺麗。とても、素敵」と言ってくれる。
だから今日も変わることなく、穏やかに会話が続くのだろうと思っていた鈴は、思いもよらぬ言葉にアッパーカットを喰らったような気持になった。
「……ベルは……鈴さんは、やっぱり、今もまだ、“あの人”が好きなの?」
「――へ? あの人、って……?」
「うん。あの時……僕たちを助けてくれた日。鈴さんが抱き着いてた、背の高い男の人」
忍くんのことを言っているのだと気付くのに、鈴は数十秒ほど時間を要した。
「――な、ななななななにいってるの恵くん?!」
「だって、今回の新曲は好きな人とは結ばれない、悲しい曲だったから……。MVもそんな感じだったし……」
「そ、それは……!」
アレは、単にヒロちゃんに「創作意欲刺激されるかもよ?」と勧められた悲恋小説の主人公に感情移入しすぎてボロ泣きしながら書き上げた曲であって、断じてそういう、自分に起きた男女のアレソレでは決してないのだ――。
と、素直に言えたらよかったのだが。
テンパりまくった鈴は支離滅裂な言葉を次から次へと零してしまう。
「あ、あれはわたしじゃなくて……! ただそういう気持ちになっただけというか、感化されただけというか……!」
「感化された?」
「そ、そう! だからわたしが失恋したわけでも、恋をしたわけでもな――」
恋を、したわけでもない。
そう言いかけてハタと立ち止まる。
自分は、いつの頃から忍に対する恋心を意識しなくなったのだろうか。
「…………鈴さん?」
コトリ。と目の前で成長した恵が心配そうな目を向けながら首を傾ける。
思えば、東京に進学してから忍と会う機会は随分と減ってしまった。それでも時には『元気?』というメッセージから始まる近況報告をしてはいる。してはいるが、恵や知、弘香と会う頻度に比べれば確実に言葉を交わす機会は減っていた。
「……わたし……」
高校生の頃は、いつも忍から向けられる『大丈夫?』『なんかあった?』『言ってみ?』という言葉に逐一意識しては顔を上げられず、逃げるように立ち去っていた。
それが今では自分から『忍くん元気?』『ごはんちゃんと食べてる?』『なにかあったら言ってね』と言えるようになっていた。対する忍も、以前のような保護者的な発言は少なくなり、鈴と対等に――それこそ“普通の友達”と接するような気安さに変化していた。
それを、初めはどこか誇らしくも寂しく思っていたのに――。
気付けば、鈴と共に過ごす異性は恵ばかりになっていた。
「…………恋、では、あったんだよ」
自分の声で、自分の言葉で、あの想いを過去のものにするのはどこか気分が重い。
それでも、確かに鈴は以前ほど忍に対して意識しなくなったことを自覚していた。せずには、いられなかった。
「…………昔は、好きだった。ってこと?」
「……うん。それこそ、恵くんと初めて会った頃は……。忍くんのこと、好きだった」
高校卒業時。卒業式が行われる数ヶ月前から忍に対する告白大会は開催された。
昼休みに留まらず、授業の間にある僅かな休憩時間にもそれは行われ、それらに逐一、律義に付き合っていた忍はだいぶ疲れた様子を見せていた。
「あの時、わたしは皆みたいに告白出来なかった。忍くんのことは好きだったけど……どうしても――。……ううん。どうしてだか、『今じゃない』って気持ちになって、結局、言えないまま東京に来たの」
弘香は、一度だけ鈴に「(言わなくて)いいの?」と聞いた。その時の鈴は少しばかり迷ったけれど、結局「いいの」と答え、笑った。
後悔はない。……わけでもないけれど。喉に引っかかる魚の小骨のように、胸に突き刺さる小さな痛みはあるけれど。それは決して“悪いもの”ではない。ほんの少しの――寂しさにも似た後悔は、鈴の人生に必要な痛みの一つだと今では素直に思えるのだ。
「わたしは、今、誰にも“恋”をしてないんだろうなぁ」
悲恋とはいえ、ラブソングを作ったことは何もこの一曲だけではない。弘香に誘われるがまま――企業とのタイアップやCM曲として作ったこともある。だがそのどこにも忍の影はなく――むしろ思い浮かべることもなかった。
「じゃあ、あの曲は誰を思い浮かべて作ったの?」
まっすぐ鈴を見つめる瞳は、『U』の世界で見る竜のものと殆ど変わらない。
確かに見た目は竜と人だから全く違うけれど、竜はもう一人の恵である。その眼差しの強さや瞳のきらめきが似ていても可笑しくはないのだ。
鈴はそんな当たり前のことを今更ながらに実感しながらも、恵の問いに答えるべく頭をフル回転させ――固まった。
「………………」
「? 鈴さん? どうしたの? 大丈夫?」
グルグルと、今まで作って来たラブソングの数々を思い出す。没にした楽曲、詩を含めればその多くが――“竜”を思い浮かべながら書いたものだと、今更ながらに気付いたのだ。
「な、ななななななんでもないよ?」
「うん。なんでもなくないよね」
すっぱりと綺麗に言い返された鈴は、焦点が合わない視線を更に右に左にと泳がせる。明らかに可笑しなその態度に恵は思わずむすっとした不貞腐れたような顔になる。
てっきり恵は鈴に忍以外の好きな人がいると思ったのだ。だが実際に鈴の頭の中を占めていたのは、“竜”と、今も隣でこちらを見上げる“恵”のことだった。
(どどどどどどうしよう……! わたし、そんなつもりじゃなかったのに……! 事案?! 事案になるのでは?! どう、どうすれば……! 助けて、ヒロちゃん……!)
しかし祈るように内心で叫ぶ鈴のことなど露知らず、弘香は今頃大学で用事を済ませている頃だろう。
あわあわと立ったり座ったり、かと思えばベンチの前をグルグルと歩き出すという、一種の奇行に走る鈴を黙って見つめていた恵ではあったが、最終的にはその手を取って鈴の意識を自分に向けさせた。
「誰? 鈴さんの――ベルの、心を奪った人は」
ムッとした顔は、大人びた顔立ちに似合わない程子供っぽい。だけどそんな顔を、鈴は『U』の中で、竜を通して、幾度となく見てきた。
ベルと話す時間がなくてしょんぼりと肩を落としながらログアウトする姿や、悪意ある言葉をベルに向けた相手を鋭く睨み、牙を剥いて威嚇した姿。
知のAzである天使と一緒に穏やかに薔薇を見つめ、慈しみ、時にはベルと共に花に触れては屈託なく笑う姿。城に住まうAIに纏わりつかれ、困りつつもどこか嬉しそうに相手をする姿。
そのどれもがベルの、鈴の心をくすぐり、数えきれないほど「もっと見せて」「もっとあなたが知りたい」という気持ちになり、実際に自分の口で、時には歌で、伝えてきた。
(これ、今思うとだいぶ恥ずかしいのでは……?!)
あまりにも直球なベルに竜も当初はタジタジになっていたものだが、積み重ねれば嫌でも慣れるのが人という生き物である。
今ではすっかり――むしろ竜の方からも積極的に「ベルはなにが好き?」とアレコレ質問するようになっていた。
多くは二人きり、あるいは知やAIを混ぜた城の中で密やかに行われるが、時にはたくさんのAzで溢れ返る公園やセンター街でも気になることがあれば互いに問いかけていた。
(あ!!! だからヒロちゃんが『熱愛報道』なんて言ったんだ……! わたしのせいで竜が、恵くんが、悪く言われたらどうしよう……!)
鈴の心配などまったくもって意味のないものであったが、当人は必死である。だが現実逃避出来たのはここまでだった。
ベンチから立ち上がっていた鈴とは対照的にずっとお行儀よく座っていた恵までが立ち上がり、鈴を真正面から見下ろしてきたからだ。
「――ベル。答えて。きみの頭の中にいる人は、今、思い浮かべた人は、誰?」
「だッ、れ、って、いわれても……!」
「僕の知らない人?」
「そ、ういうわけじゃ……」
「じゃあ、知ってる人?」
「うぅ……!」
聞き方はどこか知と似通って可愛らしいのに、鈴を見つめる瞳は一切の嘘も誤魔化しも許さない。と言わんばかりに鋭い。
まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直していると、恵は数秒黙った後、ゆっくりとしゃがんで鈴の顔を下から覗き込んできた。
「――ベル。聞かせて。僕は、あなたの心が知りたい」
「ッ!」
その台詞は、初めてベルが竜に捧げた歌の歌詞によく似ていた。
恵がそれを意識したのかどうかは鈴には分からなかったが、次第に揺れていた視線は恵へと定まり、赤くなった顔を見られたくなくてすぐに逸らす。
「…………りゅ、竜……だよ」
「……え?」
蚊の鳴くような声で呟いたせいか、恵は一瞬怪訝そうな顔をする。だからもう一度、今度は若干開き直りながらも鈴が「竜のこと、考えてたよ」と答えると、恵の釣り上がり気味の瞳が満月のように丸くなり、完全に硬直する。
「…………ほんとに?」
「……………………うん」
たっぷりと時間を掛けた頷いた鈴に、竜のオリジンである恵はしばし呆然としたあと――勢いよく立ち上がり、その勢いのまま鈴の体をギュウっと抱きしめた。
「はッ?! け、恵くん?!」
「――うれしい。ありがとう。ベル。すごく、うれしいよ」
「はうっ!」
耳元で、とろけるような甘い声が鼓膜を揺らす。
途端に鈴の全身は岩のように硬直し、ドクドクと心臓の音が爆音で鳴り始める。
しかも時間帯的に人通りが少ないとはいえ、ここは『U』の世界ではなく、現実である。
チラチラと二人に視線を送ってくる人も少なからずおり、鈴はあわあわとしながらも必死に恵の説得を試みる。
「け、恵くん落ち着こう?! っていうか離して?!」
「……鈴さんは、こうされるのイヤ?」
「うっ……!」
聞き方がずるい。と鈴は心底から思う。
現にそろそろと視線を上げた先にある端正な顔は、大好きなベルに拒まれたのかと不安がる子犬のようにしょぼくれている。
そんな顔をされて尚突き放せるほど鈴は冷たくはない。むしろ全力で抱きしめ、柔らかな黒髪をぐしゃぐしゃになるまで撫でまわしたくなるほど恵のしょんぼり顔には弱い。
だからこそ何も考えないままソレを口にしてしまった。
「そんなわけないじゃん! 恵くんのこと大好きなのに!」
(……って、アレ?)
――鈴が自身の発言内容を自覚し、とんでもないことを口にしてしまった。と自覚する頃には、その言葉はしっかりと恵の胸に沁み渡ってしまっていた。
「――ありがとう。ありがとう。ベル。僕も、ベルが――ううん。鈴さんが、大好きだよ」
「うぐぅっ……!」
思わず呻かずにはいられないほど、恵のとろけた瞳と甘やかな声に鈴は完全にノックアウトされてしまった。
もしもこの場に弘香がいれば「このマセガキ」だの「恵、恐ろしい子……!」などと言っては鈴の心を掻き乱しただろう。だがここには二人しかおらず、恵からしてみれば長年思い続けていた相手からの思いがけない“告白”で完全に(見た目には分からずとも)有頂天になっていた。
「ベルも、鈴さんも、僕が一生守るから」
「ああああ……!」
どうしよう……! と後悔してももう遅い。突き放すには恵に対して好意が大きすぎたし、誤魔化すにはタイミングが遅すぎた。
結局鈴はいつもの鋭利な雰囲気が大気圏外にまで飛んで行ってしまった恵に「そういう意味じゃないの」とは言えず、まるでプロポーズのような言葉を受け止めるしかなかった。
そしてそれは現実世界に留まらず、『U』の中でも盛大にベルを囲い、慈しみ、愛する竜の姿に『結婚秒読み』と大騒ぎになるまでそれほど時間はかからないのであった。
終わり
タイトルは事の顛末を聞いたヒロちゃんが鈴に向けてはなった会心の一撃(一言)です。
竜とベルは『U』の世界では無自覚にイチャイチャしてたらいいな。と思っていたら出来たお話です。
ベルの肩や腰を抱いたり、マントの中に隠す竜がいたら可愛いですよね。そしてそんな竜に「どうしたの?」って聞きながらも笑いかけるベルがいたら私は幸せすぎて極楽浄土に直行すると思います。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。m(_ _)m