- ナノ -



「まさかこんなことになるとは……」
「うぅ……。恵くんのバカァ……」

 テレレレレレレと延々とカウントが刻まれていくスマートフォンの画面を見ながら、恵は鈴が借りているワンルームマンションの椅子に腰かけていた。その視線の先には全身を赤く染めた体をベッドに投げだした鈴がおり、何だか目に毒だな。と思いそっと視線を逸らす。

「ごめん。まさかこんなに人気が出るとは思わなくて……」
「なんで?! なんでこんなに再生数がおかしなことになってるの?! わたしそんなに悪女が似合う?!」
「割と似合ってるよ」
「褒めてなあい!!」

 蝶を模したドレスも“悪女らしさ”に拍車をかけているのだろう。いつも以上に豪奢なドレスの裾を翻すように背を向け、長い階段を上っていく姿は圧巻の一言に尽きる。
 いつもとは違う毒々しくも華やかなメイクに、普段のベルからは考えつかないほど一方的で狂信的な愛の歌詞。そのうえ臓腑を震わせ、虜にしてしまう曲調はリズムを取ることすら難しいのに、難なくベルが歌いあげているせいかカラオケ配信もものの数分で決まってしまった。

 とはいえ、こんなに恥ずかしがって後悔しているベルだが、撮影の終わりの方では吹っ切れたのかアドレナリンが大放出されたのか。高笑いしながら竜の背に座っていたのだから人生何が起きるか分からない。
 なおこの時の竜は「ベル本当に座ってる? 軽すぎない?」という見当違いな感想を抱いていた。

「でも、いつからこんな曲作ってたの? 皆も言ってるけど、あんまりベルらしくないよね」
「そ、それは……」

 恵がストーカー被害にあっていると瑠果から聞いた日。鈴は滞っていたはずの作詞作業に何故か火が付いた。そしてこの間の恵からの一方的な別れにも思うことがあり、燻る気持ちがそのまま作曲への力となった。
 ようは一から十まで恵のことを考えて出来た曲だとは口が裂けても言えなかった。

(うえええええん!!! こんなことなら没にすればよかった……!!)
(鈴さんにここまで言わせる相手って……やっぱり久武先輩なのかな……)

『わたしのものにならないのなら、あなたなんていらない』

 聞こえてきたフレーズに、恵はビルの正面に取り付けられた大型ディスプレイを見上げる。そこにはベルの新曲MVをCM用に仕上げたPVが流れており、スマートフォンの画面には「今回のベルやばいよね」「今までそんなに好きじゃなかったけど、今回はガチでハマった」「ベルもそろそろ落ち着くかと思ったけど、そんなことなかったわ」などという声で溢れている。
 関連動画にはテクノミュージック風に仕上げたものや、クラシカルに仕上げたものも上がりつつある。だがそのどれもがオリジナルである曲には敵わない。
 やはりベルが作った曲が一番だと恵がほくそ笑んでいると、ずっと顔を俯かせていた鈴が顔を上げた。

「恵くん。なんで笑ってるの」
「ははっ。鈴さんの落ち込んでる姿が可愛くて」
「恵くん?!」
「間違えた」

 本音と建て前をうっかり言い間違えた恵が慌てて口を手で塞ぐが、時すでに遅し。あんなにギクシャクとしていた時間が嘘だったかのように鈴が恵に迫りよる。

「酷いよ、恵くん!」
「ご、ごめんね。鈴さん。どんな鈴さんも好きだよ。って言いたくて……」
「そう言えば女の子の機嫌が取れると思ってるんでしょ」

 むっすりと唇を尖らせる鈴に、恵は思わず「このままキスしたらどんな顔するんだろうな」と思ってしまう。が、グッと手の平に爪を食い込ませることで我慢した。
 恵は我慢強い子なのである。

「んんっ、でも、僕はこの曲好きだよ。なんていうか……ぞ、ゾクゾクするよね……」
「笑うぐらいなら初めから言わないでよ! 絶対揶揄ってるでしょ?!」

 褒めようと思ってもつい笑ってしまう。必死に顔を背け、口元を手で覆っていても肩が震えていれば意味がない。
 実際鈴からしてみれば拷問である。何せ一から十までこの男の事を考えて作ったというのに、こんなにも笑われるのだ。プライドはズタズタだし、羞恥心は高まる一方だ。
 すっかりへそを曲げてしまった鈴に、恵は何度も咳払いしてから優しく声を掛ける。

「鈴さん。笑ってごめん。でも、可笑しかったわけじゃないよ」
「…………じゃあ、なんで笑ったの?」

 初めてこの曲を聴いた時、弘香には「あんた……嘘でしょ……チャレンジャーかよ……」と謎のツッコミを入れられ、知からは「ベルのラブソングだ〜」と好意的に受け止められた。
 因みに瑠果からは「やばい! やばいしか言えないぐらいやばい! 大好き! ベル大好きだよ!!」と興奮したメッセージが送られ、千頭からは「俺、絶対浮気しないから」と謎宣言が来た。
 合唱隊からも「やるじゃない」だの「鈴、サイッコ〜!」だの「鈴も恋してるのね」だの、とにかく好き放題感想が送られてきた。父親からは「鈴が好きなように歌えるなら、それが一番だ」と無難な感想が寄こされ、忍からは「とりあえず、頑張れな」と意味深な一言が寄せられただけだった。

 そんな、ある意味公開処刑にも似た気持ちでいた鈴を笑い飛ばしたのだ。幾ら寛容な鈴であっても拗ねたくもなる。
 恵は鈴の拗ねる姿を見るのは初めてだったのでただ愛でていただけなのだが、それを素直に口にするには少々タイミングが悪い。だから別の話をすることにした。

「ほら、このMVでの撮影中さ、撮影陣の人たちがだんだんハイになって高笑いし始めた時のことを思い出して」
「ああ……あの悪魔みたいな……」
「それがウイルスみたいに皆に伝染してさ。なんか“ヤバイ館”みたいな空気になったでしょ? あの時、撮影ってこんなに大変なんだな。と思ったんだけど、思い返してみれば楽しかったなぁ、って」

 何台ものカメラが用意され、照明やら大きさの違うレフ板やら、見たことのない機材が沢山運び込まれた。ホールに響く監督の声に、動き回るスタッフたちの姿。弘香が呼んだ『U』で活躍するオーケストラたちを呼んでの生演奏は圧巻の一言に尽きた。
 そしてそんな人たちにもスタッフの高笑いが次第に移っていき、最終的にはミサのような勢いになったことは関係者以外誰も知らない。
 気付けば竜も笑っていたし、天使も楽しそうだった。AIたちも珍しく悪乗りしては監督から「君たちはいい助手になる!」と絶賛されていた。そんな賑やかな空気を思い出せば、自然と頬が緩んでしまったのだ。

「……あのさ、鈴さん」
「ん?」
「俺さ、学校。楽しくないんだ」

 ――俺。
 ベル以外の前で、恵が“竜”として立つ時だけに聞く一人称。それだけに大事な話をするのだと鈴が改めて背を正せば、恵はぼんやりと流れる雲を見上げながらぽつぽつと話し出す。

「周囲をうろつく女の子たちのこともそうだけど、皆勝手な理想を押し付けて来てさ。『恵くんなら〇〇できるよね』『恵くんにとっては簡単だよね』なんて言葉、何度聞いたか分からない」

 出来る出来ないに関わらず、勝手に頭の中で妄想した“理想の恵”を厚かましくも押し付けてくるのだ。恵にとってはストレスでしかなかった。

「運動も、勉強も、家事も、大体は出来るけど、プロじゃない。サッカー選手みたいにボールは捌けないし、バスケの選手みたいに簡単にボールは決められない。数学の学者でもないのに難しい問題は解けないし、化学者でもないのに先生の説明もなしに実験は進められない」

 どれもこれも“当たり前”のことばかりだ。だがその“当たり前”を、恵は昔から与えられてこなかった。

「母さんがいなくなって、父さんに罵倒されて……。竜になれば追い回されて、保護されたと思ったら何も知らない人たちから勝手な理想を押し付けられて……。はあ……。すごく、つかれる」

 恵は、今まで全て一人で抱え込んできたのだろう。だが今初めて鈴にその一端を見せてくれた。どうして今なのかは分からないが、鈴は恵の言葉を今度こそ一言も聞き漏らすまいと静かに耳を傾けた。

「同級生っぽいAzに竜の正体が俺だってバレた時、確かに驚いたけど、正直なことを言うとどうでもよかった」
「どうして?」
「だって、今の竜はベルが作り替えてくれた新しい“竜”だから。キミに愛されて、必要とされる“竜”になれた。『U』の世界だけじゃなくて、こっちでも自慢したくて仕方ないぐらい、僕は竜であることに誇りを持っている」
「恵くん……」

 鈴の顔が今度は別の意味で赤くなっていく。そんな鈴に恵はそっと目を細め、話を続ける。

「ベルに『竜はあげない』って言われた時、すごく嬉しかった。僕がキミのものになれたみたいで、本当に嬉しかったんだ」

 恵はそこで一旦話を止めると、完全に硬直してしまった鈴を見つめる。そこには「そんなつもりではありませんでした」という顔をしている鈴がおり、恵は吐息だけで笑った。
 それからそっと椅子から立ち上がり、ほんの数歩で届いてしまう鈴の足元に跪く。

「――ベル。僕の心臓を、キミにあげる」
「へ?」
「キミが僕のものにならないことは分かってる。だから、僕をキミのものにして」
「け、けけけ恵くん?!」

 知り合いの高校生に突然跪かれたうえに、とんでもない『告白』をされる。恋愛偏差値の低い鈴は一体どういう対応をすればいいのか分からずあたふたしてしまう。
 現に誰もいないと分かっているのに、咄嗟に周囲を見回した鈴に恵は笑った。

「――でも。本当は」
「?」
「本音を言うと――鈴さんのことは、誰にも渡したくないんだ」

 Bellは“みんなのBell”だ。如何に竜と言えど好きに出来る立場ではない。
 むしろ恵も、華やかな衣装を身に纏い、自由に歌う姿に惹かれている。だから“Bell”には“竜の心臓を捧げる”と誓った。
 だが今この場所にいる“恵”という一人の青年は、目の前にいる“鈴”というたった一人の女性を誰にも奪われたくないと口にする。

「鈴さんにとって、僕はまだ子供だってことは分かってる。……それこそ、嫌になるぐらい。でも、相手を想う気持ちに年齢は関係ないでしょ?」
「それは……」
「僕は、鈴さんが好きだよ。何度も言ってきたけど、いつも本気だった。何度も告白しては、何度も振られてる。それが、僕なんだよ」
「ッ! そ、んな……」

 そんなつもりはなかった。鈴の声にならない声を、恵はキチンと理解している。何せ初めて想いを伝えたのは中学生の時だ。高校生だった彼女に、その想いが正しく伝わっているとは思っていなかった。

「最初は、僕もこれが“恋”なのかどうか分からなかった。でも、ベルも鈴さんも、いつだって眩しくて――ほんのちょっとでも嫌いになることがなかったんだ」

 むしろ毎日のように考えていた。『U』で会えない日があれば尚更ベルを、鈴を、思っては夜を明かした。
 まるで道に迷った旅人が見つけた北極星のように、恵にとって鈴は輝かしい星だった。

「撮影の時、監督が言った言葉、覚えてる?」
「監督の、言葉?」
「うん。『相手が自分のものにならないなら、自分の手で終わらせてしまおう。それがお互いにとって最上の幸せで愛だと、悟ったからベルは剣を取ったんだ』って。それを聴いた時、ベルに心臓を刺されるだなんて竜は幸せ者だなぁ。なんて思ったよ」

 対する鈴は、別の言葉を監督から言われていた。

「恵くんは、そんなことを言われたんだね。でも、わたしは違った」
「そうなの?」
「うん。わたしにはね、『竜は人にはなれない。長い時間を人が共にすることも出来ない。だから美しさと歌声に誇りを持っているベルのために――そんな誇り高い彼女を愛してしまったからこそ、一番美しい時のベルを永遠にするために竜は君を噛み殺すんだ』って言われて、わたしも『そうか。普通は人と竜なんて、生きる時間が違ってもおかしくないよね』って気付いたの」

 例え二人の世界は電子のものだとしても、仮初の姿だとしても――この曲の中での二人は、確かに“生きている”のだ。

 それから始まった撮影時、ベルは普段持つ事のない剣を渡され、初めは素直に『怖い』と思った。勿論本物ではないから竜が死ぬわけではない。だが竜を殺すために用意された凶器など恐ろしくて仕方なかった。
 そんなベルだが、監督の言葉を聞いた後は不思議とその重さを感じなくなっていた。
 竜に噛み殺されるより先に自分が殺さないと、この心優しい竜は一生傷を背負って生きていかなければならなくなる――。
 自然とそう思えたからこそ、ベルは一瞬の躊躇もなく竜の懐へと飛び込み、その剣を竜の胸へと突き立てた。

「勿論フリだったし、すぐにOKが出たからよかったけど、あの時……わたし、本当に竜を“殺す”つもりで剣を掲げていたの」

 ベルとよく似たAz。彼女が竜の背に抱き着いた時、ベルは思わず「やめて」と言いそうになった。
 改めて見た相手の顔には自分のようなそばかす模様はなく、Azの向こう側では自分よりも可愛い人がいるんじゃないかと想像してしまった。

 その時ベルの胸に、この曲の歌詞の通り『竜が自分以外の誰かを愛するぐらいなら、この手で殺してしまいたい』という真っ黒な感情が頭を擡げた。
 すぐに我に返ってそんな考えは消し去ったが、それこそが誤魔化しのきかない本心なのだと、鈴は改めて理解して落ち込んだ。

「わたし、忍くんが知らない人を好きになっても、他の誰かと結婚しても、生きていける」

 きっと泣きはするだろうが。昔の恋心がじくじくと痛んで、耐え切れずに泣いてしまうことは想像できる。だが明日の光を拝めないほどに泣くことも、夜を恐れることも、きっとないだろう。

「でも、竜が……恵くんが、ベル以外の人にあんな風に接したらと思うと……」

 Bellによく似たAzに、今まで自分がされていたようなことを竜がしたら?
 あの大きな手で包み込み、跪いて視線を合わせ、優しく言葉を紡いでいたら?
 ベルと天使以外誰も触れたことがない鬣に、見知らぬ誰かが触れたら? あのゴツゴツとした肌に、鋭い爪に、触れていたら?

 鈴は想像しただけでも嫉妬で目の前が真っ赤に染まるような心地がした。

「恵くん」
「うん」
「わたし、今でも恵くんの隣に並ぶ自分を、上手く想像出来ない」

 鈴は自分がどんな人間なのかよく分かっている。長い付き合いのそばかすに、ひょろりとした手足。色気のない体は歳を重ねても未成熟に見える。
 都会に来てもどこかまだ田舎臭さが抜けていない気がする。ショーウィンドウに写る自分を見る度に、どこか情けない気持ちになる。
 そんな自分が本当に、こんなにも格好良く育った恵の隣に立っていてもいいのだろうか。鈴には自信がない。

「でも、でもね。いつか、恵くんの隣に立っていても、例え笑われても、堂々としていられるような自分にはなりたい、って、そう思うんだよ」

 今の自分では恵の想いに応えることは出来ない。
 そう考えたからこそ必死に紡いだ鈴の言葉に、恵は頷いた。

「分かった。いつまでも待つよ」
「ありがとう」

 今はまだ、恵は未成年で鈴も未熟だ。互いを想い合っていることが分かった以上、恵はこれ以上じたばたして我儘を言うつもりはなかった。
 本音を言えば恋人同士にはなりたかったが――時間はまだあるのだ。これからゆっくり想いを育てていこうと、そっと持ち上げた鈴の指先に口付ける。

「ベル。竜の心臓はキミのものだ」
「うん」
「それから僕自身の気持ちも、これからの時間も、全てキミにだけ捧げるよ」
「……うん。いつか、わたしもその気持ちに応えたい」

 ぎゅっ、と鈴が恵の頭を胸に抱くようにして両腕を回せば、一瞬恵は硬直した後に鈴の背中に腕を回す。

(これはこれで拷問……いや、ある意味では得、なのかな……)

 頬に感じる柔らかな感触に、ついムズムズというかムラムラというか、感じてはいけない熱を感じてしまうのは恵が立派な『男の子』だからだろう。
 それでもこの雰囲気を読み取れないほどバカでもないため、恵はドクドクと早まっていく心臓の音が「どうか聞き取られませんように」と願うだけだった。


 ――この後数ヶ月に渡って鈴と恵のじれったい攻防が続くとは、この時の二人は予想すら出来ていなかった。



終わり



 最初のページの冒頭部分は付き合った後の二人が一向に前に進んでいない状況をそのまま書き表しています。
 頑張れ恵くん。頑張れ鈴ちゃん。いつかやましい二人が書きたいです。

 あと恵くんに告白しようとした子は既に一度告白して振られています。それでも未練がましく恵の周囲をうろつき、ストーキングし、恵が竜じゃないかとあたりをつけ、あんな暴挙に出ました。
 ちなみに竜は彼女が誰だか分かっていません。同級生なのか先輩なのか後輩なのか。声で判断出来るのは鈴と弘香と瑠果を抜けば合唱隊の人たちと施設にいる子供たち、職員の人たちまででクラスの人の顔も名前もあやふやです。

 新曲が発表される前は当然ながら『悪女風』に微笑み竜にしな垂れかかるベルと、それを甘受する竜の写真が『U』の中で出回りましたが、その後の新曲のおかげで『宣伝の一種だったんだろうな』という話で終わっています。私も見たかった。

 訳の分からない話になってしまいましたが、最後までお付き合いくださりありがとうございました。



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