- ナノ -



 前日あれだけ励まして背を押したと言うのに、帰ってきてそうそうベッドに沈み込んだ兄の姿に知は目を瞬かせた。

「……トラブル?」
「…………もうダメかもしれない……」
「メーデーの方かぁ」

 知は再度ベッドに腰かけると、昨日と同じように何があったのか恵に尋ねる。だが今回は口にしたくないらしく、知に背を向けて丸くなる。
 幾ら知と言えど恵の心の中が見えるわけではない。恵が何に傷つき、何に悩んでいるのか。話してくれなければ分からないのだ。
 だが今の恵にはそれすら辛いのだろう。沈黙を保つ背中からは哀愁が漂っており、知は「どうしようかな」と頬を掻く。

「恵くん。ボクちょっと出てくるけど、すぐに戻ってくるから心配しないでね」
「うん……」

 とりあえず返事をする元気はあるらしい。蚊の鳴くような声とはいえ返事が来たので、知はスマートフォンを持って施設を出ると早速弘香へと繋いだ。

『もしもし?』
「ヒロちゃん。メーデーです」
『は? なに、あんた地上で遭難したの?』

 意味が分からない。とありありと声に滲ませる弘香に、知は「かくかくしかじかで……」と昨日の恵の様子と合わせて話をし、現状に対するアドバイスを求める。

『ええ? なにそれ……って思ったけど、それでかぁ〜』
「なにが?」
『いやぁ、それがコッチにも色々と救難信号というか、救助要請というか、そういうのが来てんのよ』
「誰から?」
『鈴と忍くんから』

 ――鈴と忍くん。

 その人物名だけで頭の回転が早い知は察した。

「うわ。これ絶対なにか勘違いしてるやつ」
『だよね。私もそう思ってたところ』
「恵くんのことだから、何も言わずに帰ってきちゃったんだろうなぁ……」
『あんたのお兄さん、意外とヘタレよね』
「だって相手が悪いよ。しのぶくんはベルの“初恋の人”でしょ?」

 鈴と忍がどんな関係だったのか。鈴が忍に対してどんな気持ちを抱いていたのか。知は知っている。何せ本人から話を聞かされたのだ。記憶喪失にでもならない限り忘れることは出来ない。

『六歳の時にプロポーズされた。って話、あんたたちにもしてたんだ?』
「たまたまね。話してくれた時は『そうだったんだぁ』って思うぐらいだったけど、今になって響くとは思わなかった」
『長年埋まっていた地雷が突然起動して被害を与えた感じよね』
「事故だし事件だよ、これは」

 この話は知だけでなく恵も知っている。あの時恵は知の隣で「そうだったんだ」と頷きながらも、見えないところでは悔しそうに拳を握っていた。
 あの時既に恵は鈴に恋をしていたのだろう。当時はキチンと察することが出来ずに首を傾けるばかりだった知だが、今では恵の一番の理解者だ。どうにかして誤解を解きたいと思う。

「しのぶくんは何て言ってるの?」
『恵くんを追いかけたけど、見失ったんだって。それで、もしかしたら『U』にいるかもしれないから、フォローしてくれないか。ってさ』
「うーん……。今の恵くんに『U』に行く気力があるかなぁ……?」

 随分と意気消沈していた恵の姿を思い出し、首を傾ける知に弘香は『つべこべ言わず来させなさい』と電話越しに命令する。

『鈴は、ベルは私がなんとかするから。とにかく、知くんは何としても恵くんを『U』にログインさせて。強制的にでも話をさせるわ』
「大丈夫かなぁ……。ますます拗れないといいけど……」
『……あの子たち、どうしてだか時々ものすごく言葉足らずだから確かに心配ね……』
「とにかく『U』で会おう。ボクも一緒に行くから、ヒロちゃんも用意して」
『私に命令するなんて百年早いのよ! じゃ、城で落ち合いましょう』

 一方的に切られた通話ではあるが、知は特に気にすることもなく駆け足で部屋へと戻る。そこでは未だに恵がベッドに突っ伏しており、知はそんな恵に日頃使っているデバイスを渡した。

「恵くん。『U』に行こう」
「…………なんで?」
「なんでも」
「今は気分じゃない……」
「ダーメー。恵くんが一緒に行ってくれないと、ヒロちゃんと一緒に竜の城を魔改造するからね」
「……やっぱり弘香さんとは一度話し合ったうえで知くんとは離したほうが……」
「やーだよー。ほら恵くん、起きて」

 知がこうして強引に『U』へと誘うことは初めてではない。そのおかげか、それとも知にだけはやたらと甘い性格故か。恵は渋々デバイスを受け取ると、見慣れた『U』の世界へと降り立つ。

「うわ! 竜だ!」「竜が来たぞ!」「初めて生で見た」「竜だ! サイン頂戴!」「竜! 今度はオレと対戦してくれ!」

 わらわらと自分に向かってくるAzたちに一瞬で不快な気持ちが沸き上がって来た竜だが、天使姿の知が『こっちだよ』と手招きすれば素直にそれに従う。

「あ! 竜がいる!」「どこに向かってるんだろう?」「あっち武術館じゃないよね?」「たまには違う場所に行くのかも」

 様々な言語が一瞬で日本語へと翻訳される。それを一瞥することすらせず、竜は天使が誘うままに廃墟ユニットへがある方角へと飛ぶ。
 だがあともう少しでメインストリートを抜けようとした時に、そのAzは現れた。

「竜!」

 涼やかな声と、長い髪。咄嗟に足を止めた竜が振り返った先には――どこかベルと似た容姿をしたAzが浮いていた。

「竜、会いたかったわ」
「…………?」

 ベルと同じような長い髪。だが色味は違う。ベルの髪は優しい薄紅色だが、彼女の髪は紅色で毒々しい。顔立ちも、そばかす模様があるベルとは違って化粧が施されているだけだ。
 つるんとした肌に長い睫毛。潤んだ青い瞳にぷっくりとした唇を見れば誰もが「美女だ」と思うだろう。しかし竜にとっては所詮『ベルの二番煎じ』でしかなかった。
 むしろベルに憧れる少女が増えたせいだろう。どこかベルに酷似したAzの姿はここ数年、ひっきりなしに目撃されていた。

(この人もどうせベルに憧れて、その潜在意識がこのAzという形になっただけだろう。ベルとは似ても似つかない)

 優しく包み込むかのような、あたたかくも大きな愛情を感じさせるベルの瞳と、目の前の獲物を捕らえたかのような瞳とでは比べるのも烏滸がましい。
 竜はすぐさま背を向けて飛ぼうとしたが、あろうことかその背中に見知らぬAzが抱き着いてきた。

「待って! 行かないで!」
「離セ」
「お願い! 待って! わたしの話を聞いて!」

 いつかのベルと似たような台詞ではあるが、込み上げて来る不快感は比にならない。無意識に目を眇めて威圧感タップリに見下ろせば、流石に名も知らないAzは体を離した。

「……あなたに、聞いて欲しいことがあるの」
「俺ニハナイ」
「お願い! 少しでいいから……」

 ギュッと両手を胸の前で組み、上目遣いで見つめて来る容姿端麗なAzの姿に、欲深い人間であれば舌なめずりでもしたことだろう。
 だが生憎と竜はこういった件に関しては潔癖なところがある。相変わらず冷めた瞳で、無言で佇むだけだった。

「わたし、竜のことが――」

 その後に続く言葉を、竜は、恵は、何度聞いてきたことだろう。
 現実世界でも仮想世界でも、こちらのことを何一つとして知らないくせに分かったような口で人を語る。『恵くんのこういうところが好きなの』と一方的に理想を押し付けてくる。
 自分はそんな奴じゃない。そう否定しても『いいの。私は分かっているから』と訳の分からない、宇宙と交信でもしているのか。と言いたくなるほど頓珍漢な答えが返ってくる。

 改めて竜が『聞く価値もないな』と視線を逸らした瞬間、ふわり、と竜の耳に誰かの手が被さった。

「竜――」
「ベル、」

 竜と比べ遥かに細い手が、心配そうに揺れる瞳が竜をまっすぐに見つめる。かと思えばそのまま白い手を竜の耳から頬へと滑らせ、いつもよりやや強引に竜の顔を自分へと向けさせた。

「竜。わたしを見て」
「――ベル、」

 少し前までイライラしていたのが幻だったかのように、竜の視線も思考も、全てが目の前で漂うベルにだけ向けられる。そんな竜に満足したのか、ベルは笑みを浮かべた。

「ベル! 邪魔しないで!」

 だがベルの瞳に酔いしれそうになっていた竜の意識を戻したのは、先程まで竜に何某かを告白しようとしていた見知らぬAzだった。
 彼女は怒りなのか羞恥なのかよく分からない感情で肌を赤く染めながら、竜の腕の中に納まったベルを睨みつける。

「邪魔なんてしていないわ。わたしも彼を探していたの」
「嘘よ! じゃあなんであんなこと言ったの?!」

 キンキンと、鼓膜をつんざくかのような甲高い声に咄嗟に竜は耳を塞ぐ。いつの間に来ていたのか、弘香のAzも翼のような手を自身の耳に当てていた。

「竜が今にもどこかへ飛びそうだったから。だから止めたの」
「じゃあ普通に“待って”って言えばいいじゃない! なんであんな、あんな――!」

 自分が言えない言葉をサラリと言えてしまうのか。
 そんな気持ちが隠そうとしても伝わってくる。

 弘香はチラリ、と漂っていた天使を見遣り、天使もまた首を横に振った。

「ねえ、そこのアンタ。私が口を出すのもどうかと思うけど、竜とベルは待ち合わせしてたの。でもいつもなら来てるはずの竜が来ていなかったから探しに来たのよ」
「だったら何? わたしの時間を邪魔していい理由にはならないでしょ?!」

 すっかり頭に血が上っているのだろう。懇切丁寧に自分たちがここに来た理由を説明したのに、理解しようとしない。弘香が思わず「どうする」とベルへと視線を向ければ、ベルはそっと竜の腕から降り立った。

「竜に言いたいことがあるなら言えばいいわ。コソコソせず、堂々と」
「……ッ! こんな衆目のある場所で?」

 確かにメインストリートの外れとはいえ、誰もいないわけではない。実際ベルの登場に気付き、数多のAzが集まってきている。その中で告白をしろと言うのか。と責めるAzに対し、ベルは存外冷たく言い放った。

「それはあなたが決めることだわ。わたしが決めることじゃない。どんな決断をするのもあなた次第。わたしは何もしないわ」
「あなたがいることが問題なのよ!」

 ベルの見た目を真似ている癖に何を言っているんだか。と弘香は呆れた気持ちで聞いていたが、弘香と違い、竜には耐え難かったらしい。じっと佇んでいた体を一歩前に出す。

「失礼な奴だ。失せろ」
「ッ! 竜! 待って!」
「触るな」

 彼女が伸ばした手を、竜はあっさりと弾く。そしてその大きな手が伸びた先には、静かに佇む“Bell”がいた。

「行こう。ベル。時間を無駄にしてしまった」
「いいの? ここで聞いておいた方がいいと思うんだけど」
「どうせ言いたいことなんて分かり切ってる。ただの理想の押し付けだ。自分に酔いしれた他人の自己満足に付き合う理由がある?」
「待ってよ、竜!」

 慌てて追いかけて来る名前も知らないAzを、竜は鋭い瞳で睥睨した。

「二度と俺の前に姿を現すな」
「――ッ!!」

 鈍く光る金色の瞳から伝わるのは、敵対心と憤怒だけだ。決して友好的とは言えない態度と冷たい声音に、顔を赤くしたAzが俯く。

「……わたし、わたしは……」
「さあ、ベル」
「うん」

 手を伸ばした竜の手にベルが手を重ねた時だった。彼らにだけ聞こえるような声で呟かれた、見知らぬAzの唇から零れ出た「恵くん」と言う名前に一同は硬直する。

「…………誰だ? それは」
「ふ……ふふっ。しらばっくれてもダメなんだから。わたし、知ってるんだから。竜の正体は――」

 ベルと似た顔で、姿で、竜を見つめる瞳は愛憎に溢れて似ても似つかない。咄嗟にデータを破壊してやろうかと竜が拳を握り締めると、ベルがクスリと笑った。

「あなた、不思議な人ね」
「……なんで」
「だって、竜が好きなのに、竜を困らせてばかりいるんだもの。そのうえ竜の正体を暴こうとしているだなんて――どこかの誰かさんみたい」

 ベルをアンベイルしたことで、ジャスティスを纏めていたジャスティンは暫くの間アカウント凍結を喰らった。そのうえジャスティスの行き過ぎた正義に疑問を呈す声も増え、最終的にジャスティスは解体。数多のスポンサーも瞬きのうちに去ってしまった。
 以降ジャスティスに所属していた者や、幹部だった者たちは暫く『U』にログインすることも出来なかった。幾ら正体が割れていないとはいえ、Azとしては広く知れ渡っているのだ。迂闊な発言も行動も出来ず、息をひそめるしかなかった。

「アレ以降『U』の運営者側からも『アンベイル』や『正体探し』については禁止令が出たのに、あなた、それを破ってまで竜に何を伝えたいの?」

 サラサラと、ベルの指が竜の鬣を撫でては梳き、梳いては撫でを繰り返す。その動きに竜は次第に心を落ち着かせ、スリッとベルの手に自らの顔を寄せた。
 そんな竜の姿に見物していたAzたちは「ベルすげえ」「竜がなついてる」「わんちゃんみたい」など好き放題口にする。だが竜にとっては全てどうでもよかった。

「正体を知っていても言わないのがマナーでしょ? それを破ってまで、何を伝えようというの?」
「そ、それは……」
「“竜”は“竜”よ。他の誰でもないわ」

 暗に『勝手に正体を明かすという規則違反をするな』と伝えるベルに、竜の正体を知るAzは唇を噛み締める。

「これがバレたら、アンタ、アカウント凍結だけじゃ済まないわよ」
「ネット社会に晒されたくなかったら、この辺で止めた方がいいと思う」

 弘香と天使の発言も相手には効いたらしい。ブルブルと両手を震わせながらもドレスの裾を握り締める姿はある意味可哀想ではあるが、先にマナー違反を起こそうとしたのは向こうだ。
 同情するわけにはいかない。それに――

「竜は、わたしにとって大切な人なの。竜を傷つけようとしたあなたには、渡さないわ」

 ギュッと竜の頭を抱き寄せ、そのまましな垂れかかって微笑むベルの姿は歌姫ではなく『女王』のようでもあり、蠱惑的な毒蝶のようでもあった。
 その一種危うさを孕んだ美しさに、思わず目の前にいたAzだけでなく、その光景を遠巻きに見ていたAzたちも赤面する。

「だから――あなたに竜はあげない」

 ニコリ。といっそ慈愛すら感じられる笑みでそう告げたかと思うと、ベルはうっとりと目を細める竜の頬を撫でながら甘く囁く。

「行きましょう。竜。“わたしたち”の城へ」
「――ベル。キミが、それを望むなら」

 大きな両腕で、まるで大輪の花を抱くかのように恭しい手つきで竜はベルを抱きしめる。そして勢いよく飛び去った。背後を振り返ることは一切せず。
 それに弘香と天使も続きながらも竜の城まで来ると、二人は勢いよくハイタッチをした。

「イエーーーイ! 大ッ、成ッ、功!!!」
「すごいよベル! 演技力あがったね!」
「わあああああん!!! 二人とも酷いよ!! わたし明日からどんなこと言われるの?!?!」

 顔を真っ赤にし、更に涙まで浮かべるベルに、竜はコテン。と首を傾ける。

「何の話?」
「ほら、最近やたらと竜のことを嗅ぎ回る女集団がいたじゃない?」
「あの人たちのこと、ボクとヒロちゃんで調べてたんだー」

 ぷかぷかと浮かぶ天使の発言に、竜は「また勝手に危ないことして!」と目尻を吊り上げる。が、弘香もいたのであれば話は変わる。今日こそ言わねばと、竜は弘香のAzに向かって顔を突き出した。

「前から言いたかったんですけど、天使を危ないことに付き合わせるのやめてもらえます?」
「げえ! ちょっと! 言い出しっぺ私じゃなくてコッチだから!」
「え?」
「うん。多分だけど、前にリアルでうろちょろしてた人たちっぽかったから、ヒロちゃんとベルにも手伝ってもらったんだ」

 竜の目の前を飛び回っていた天使がクルリ。と一回転してベルの元へと向かう。それに対しベルも赤くなった頬を両手で挟みながら大きなため息を吐き出していた。

「だって……わたしに出来ることなんてコレぐらいしかないし……」
「ほら、リアルじゃ私たち何も出来ないじゃない? アンタ何も言わないからさ」
「それは――」
「分かってる。分かってるの。恵くんが、わたしたちに心配かけないようにって頑張ってるの、ちゃんと分かってる」

 ベルはそこまで言うと、おずおずと伏せていた顔を上げる。そして先程のAz同様――しかし彼女と違いずっと澄んだ瞳で竜を見上げた。

「でもね。さっきの言葉は本当よ。わたしの、本心」
「ッ! ベル……」
「た、確かに! ヒロちゃんから『悪女風に! 悪女風に言って! 絶対効果あるから!』って変なこと吹き込まれはしたけど!」
「ちょっと! 変ってなによ! 実際新しい扉開いてたでしょ!」
「開いてないよぉ!!」
「ベル、かっこよかったよ」
「あ、ありがとう……。じゃなくて!」

 今日のベルはいつもの清楚な格好ではなく、蝶の羽を模した一風変わったドレスを纏っている。早々とログインした弘香と城のAIたちによって髪は複雑に編みこまれ、口紅もいつもより濃い色を選んでいた。
 だからこそ余計に気高さが際立っていたのだが、今のベルはいつもと変わらない、素朴で優しい女性そのものだった。

「ヒロちゃんと天使から聞いたの。竜が最近『U』にもログインしていなかったのって、こっちでもストーカー被害にあってたからでしょ?」
「………………」

 一体どこから嗅ぎつけて来たのか。いつから竜の正体に気付いたのか。何か確証があってそんなことをしたのか。生憎とベルには分からない。それでも竜を守るためならばと、ベルには自分が出来ることがあれば何でもするつもりだった。
 初めは弘香も単に『鈴と恵を話し合わせるため』に『U』にログインしたのだが、城に待機していたAIたちから『最近ご主人様の周りをウロウロしていた方たちが近くまで来ていたので、追い返しておきました!』と告げたことにより計画を変更したのだった。

「それでヒロちゃんと天使が『一芝居打とう』って言いだして……」
「折角竜を連れ去るんだから、ドラマチックにやりたいじゃない。話題性抜群な感じでさァ」
「どーせヒロちゃんはわたしを売り込むことしか考えてないんでしょ」
「あ。そんなこと言うわけ? 私は私なりにこのトカゲっ子を心配して――」
「トカゲじゃなくて竜だよ、ヒロちゃん。頭打った?」
「分かった。まずはアンタを殴るわ。歯ァ食いしばりなさい!」
「きゃーーー」

 竜を揶揄おうとしたのに、結果的に自分が揶揄われた弘香が逃げ回る天使を猛スピードで追いかける。対する天使も縦横無尽に城の中を飛び回り――慌てて追いかけて行ったAIたちと揃ってホールから出て行ってしまった。

「……行っちゃった」
「……結局、どういうことなの? コレ」

 何が何だか分からない。という顔をして肩を落とす竜に、ベルは改めて説明することにした。

 曰く、

「わたし、あの時気付かなかったんだけど、忍くんと一緒にいたの、恵くん見てたんだよね?」
「……うん」
「それでね、忍くんが言ったの。『悪い。鈴。多分拗れた』って」
「………………」

 常々鈴の周りの人にはバレているだろうなぁ。と思っていた恵ではあるが、まさか交流の少ない忍にまで自分の気持ちがバレていたとは思わず冷や汗が浮かぶ。
 だがそれに気付かぬベルはつらつらと、それこそ忍が恵を追いかけるために店を出て行ったこと。結局見つけられず弘香に『フォローしてやってくれ。頼む』とメッセージを投げていたこと。知が『恵くんがメーデーだって』と弘香に伝え、弘香もそれに応えたことを次々と暴露し――竜は自分で穴を掘ってでも地中深くに埋まりたい気持ちでいっぱいになった。

「最ッ悪……!」
「ご、ごめん……」
「いや……ベルは何も悪くないよ……」

 悪いのは勝手に早とちりして、勝手に落ち込んで、弟やベル、弘香にAIまで巻き込んでしまったことだ。
 確かに『U』の世界でも最近やたらとベルに似たAzがウロチョロしているな。とは思っていたが、鬱陶しいとは思っても気にしてはいなかった。何せ竜は本気で“Bell”以外のAzは一瞥する価値すらないと思っていたのだ。

「……まあ、悪女なベルが見れてよかったと思っておくよ」
「や、やめて! 今思い出してもすごい、は、はずかしかったんだから……!」

 その割には何だか様になっていたような気もしなくはないな。と竜は素直に思ったが、ここに来てふと悪心に火が付いた。

「ベル」
「な、なに?」

「――僕を、飼ってみない?」


「………………へ?」


 ベルの呆然とした声が城の中にぼわんと響く。そして告げられた竜の計画に、すぐさま「えええええ?!?!」と大きな声をあげたのだった。



***



「今回のベルの新曲、MVやばくない?!」「これは新たな扉が開いた予感」「竜が羨ましい……! うらやま、しい……!!」「俺も飼ってくれ、ベルウウウウ!!!!」「危険なベルも素敵!」「今度から“女王様”と呼ぶわ!」「毒花なのか毒蝶なのか……どちらにせよ、美しい……」

 あの後追いかけっこから戻って来た弘香と天使を交え撮影された新曲のMVは、なんと竜の城が舞台だった。
 元々竜の城は廃墟ユニットに浮かんでおり、その建物自体幾つか欠損が見られる。
 使用人は当然おらず、ホールのシャンデリアに光が灯ることはない。燭台に立てられた蝋燭の僅かな灯りだけが光源である退廃的な世界で、毒蝶のような美しい姿をしたベルが華やかな色彩を纏って姿を現す。

 そしてその足元には――


「…………鈴ちゃん、今回のMV随分と吹っ切れたなぁ」
「まさか竜に首輪をつけて侍らせるとは……」
「やるわね、鈴」

 まるでペットを可愛がるかのように竜の顎を膝に乗せ、玉座に座るベル。
 だが目を閉じている竜の手足と首には重い鎖がつけられており、決して二人が望んでそうなった関係には見えない構図になっていた。
 更には歌詞も話題になっている。何せ今までのベルとは違い、内容がかなり毒々しくて狂愛的だ。一度聴いたら病みつきになるほど中毒性が高い曲調も相まって、あっという間にランキング一位を獲得していた。

 それを、千頭を始めとした合唱隊の面々がスマートフォンの画面で眺めながらあれやこれやと話し込んでいる。
 その中には連休を使って帰省していた忍もおり、普段変わらない表情を引きつらせながらMVを眺めていた。

「いやー、CMが流れてきた時もギョッとしたけどさぁ。改めて見ると鈴ちゃん、新しい扉開いちゃったよなぁ」
「でも鈴も大人になった、ってことよね。こんなにも熱く激しい歌詞を書くだなんて……」
「情熱的よねぇ〜。“わたしのものにならないなら あなたなんていらない”だなんて」
「複雑な乙女心よね。分かるわぁ」

 合唱隊の面々はうっとりとした様子だが、男性陣としては「つまりは浮気したら許さねえからな」って意味の歌かな? とかなり歪曲したイメージを抱いていた。
 実際は愛に狂った女が身を焦がすような恋慕と切ない気持ちとを綯い交ぜにした複雑な心情を書き起こしたものだが、男性陣からしてみれば『恐ろしい』という言葉しか出てこない。

「いやでも、かなり過激だ。って騒がれてもいるぜ?」
「そりゃあな。今までのBellじゃ考えられないだろ。『跪いて』だの『愛してあげる』だの。アイツ、あんまり上から目線な歌詞書いて来なかったし」
「だよなぁ。どうしちゃったんだろうな、鈴ちゃん。なんか悩みでもあんのかな?」

 うっとりとした表情で竜の首に繋がる鎖を引き、傅かせながら歌うベルの表情は「楽しそう」だの「これぞ正しい“恍惚”のポーズ」だの「最高級の悪女が開花してしまった」だのと様々な意見が寄せられている。
 そのうえ時折吠えるように、噛みつくように大きな口を開けて抵抗する竜を笑いながら見下ろす姿は一部の層にぶっ刺さり、多くのユーザーから“女王様!”と崇められていた。

 勿論この撮影時にベルは何度も「無理だよぉ!!」と叫んでいたのだが、ノリにノッた撮影陣と、言い出しっぺの竜がどんどん役にはまり込んでしまったため出来た、最悪で最高のMVである。
 弘香は終始笑い転げ、天使とAIたちは『如何にすれば竜が哀れに見えるか』に全力を尽くしていた。自分の兄だからと言って妥協する弟ではないのだ。むしろ恵が楽しんでいたのだから知が楽しまないわけがない。
 普段は止める側のAIたちも『ご主人様のためならば!』と脱げるはずもない一肌を脱いでしまったわけである。

 ベルにとっては災難でしかない。

 だが随所に竜を可愛がるベルの姿を取り入れ、最終的には互いに互いを殺しあって笑いながら重なり合って死ぬ映像で曲も終わるのだから、メリーバッドエンドが好きな層にもぶっ刺さってしまった。
 うなぎのぼりどころか破竹の勢いで再生数とダウンロード数を上げていく状況に、忍は思わず「ま、いっか」と思考を投げ出したのだった。




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