- ナノ -

恵と猿の大冒険!(※嘘)

山猿男子(オリキャラ)と恵くんが互いに突っ込んだり突っ込まれたりどついたり追いかけ回し合うお話。(※語弊)
なお今回は山猿くんの本名がポロっと出てきます。
※オリキャラがいっぱい喋るし仲良し設定化しているので苦手は方はご注意ください!



 体育祭とは、数多ある学校行事の中でも特に熱が入るものである。とはいえ運動が苦手な生徒にとっては地獄の日々。練習から本番まで、心も体も休まる時がない。
 幸い恵は運動が不得意というわけでもなく、日焼け跡が気になるほど色白でもない。むしろ日に焼けると肌が赤くなる知の方が心配である。
 それはさておき、もうじき恵と知が通う中高一貫校は体育祭の時期へと入る。そのため出場する種目を取り決めなければならなかった。

「流石に皆が皆同じ種目には出られないからなぁ」
「女子は平和そうでいいよな」
「男女混合の種目とかあったっけ」
「そういや去年二人三脚あったよな」

 ガヤガヤと周囲が賑やかに話し合う中、黙って頬杖をついて窓の外を眺めていた恵にも声がかかる。

「なー、恵。恵は出たい種目あるか?」
「男女別競技」
「男女別競技……。すげえ、全部漢字じゃん」
「お前なぁ……。焼肉定食と同じ部類に入れるなよ」

 呆れた顔で恵が前を向けば、目の前の席に座っていた友人こと、通常『猿』がニカリと笑う。

「だって四文字熟語みてえだなぁ、と思ってよ」
「バーカ。今のは五文字だろ。男・女・別・競・技。ほら、五文字」
「うわ、本当じゃん。四文字じゃなかったわ」
「お前本当バカ」

 如何に無関心に振舞おうと根は優しい恵である。目の前のおバカな友人のために指を折りながら字数を教えてやれば、何故か愕然とした顔を向けられ溜息を吐く。これがわざとなら恵も無視したのだが、まったくの素なのだから手に負えない。
 呆れる恵の耳に、担任の「そろそろ静かにしろー」と注意する声が聞こえた。

「基本的には挙手した者から優先的に決めていくぞ。だけど定員オーバーになったら他の種目に移ってもらうからな」
「最終的にはクジ引きで決めます」

 担任の言葉にクラス委員が続ければ、途端に「えー」と不満そうな声があちこちから飛ぶ。
 とはいえ中高一貫校であるため、全員で行う種目など学年対抗・クラス対抗以外では殆どない。

「お前、今年も出るのか?」
「ほ? なにに?」
「部活対抗リレー。去年出てただろ」
「おお、今年も出るぜ! オレの数少ない特技だからなぁ」

 山猿男子は元気いっぱいなのも特徴だが、何よりその俊足は中学時代から有名だった。身長は恵よりも少しだけ高く、筋肉量も多いのだが、見た目にそぐわず足が速いのだ。この男は。
 そんな友人の姿を去年も見ていた恵は改めて「こいつマジで前世猿なんじゃないのか?」と考えてしまった。

「学年対抗リレーには、体育の測定時の記録を元に上位者から走ってもらうからそのつもりで」
「お。ってことは恵も出るじゃん」
「……手ェ抜けばよかった」
「それ言うなら足じゃね?」
「お前一回口に出す前に辞書引けよ」

 『手を抜く』と『足を抜く』では全く意味が変わるというのに、この山猿男子は本当に理解していないのか。
 単なる言葉遊びだと言うなら恵も「バーカ」で済んだのだが、どうにも表情を見る限り本気で言っている気がする。
 とことん勉学に対して頭が足りていない友人の言葉に額を抑えれば、何故か山猿は「でへへ」と気持ち悪い笑みを浮かべた。

「オレってばさぁ、最近恵の『バカ』を聞くと“愛されてるなぁ”って思うようになってきたんだわ」
「電子辞書の角が顔面にめりこめばいいのに」

 咄嗟に『バカ』以外の言葉で、出来る限り悪態をついた恵に山猿は「ひっでえ!」と叫ぶ。

「地味に痛ぇこと言うなよ! っていうかそんなにイヤだったの?! いくらあたしでも傷つくわよ?!」
「なんで突然オネエになるんだよ。キッモ」
「ひどい! 今の割とガチの声だった! あんたなんかねえ……! あんたなんか、知くんに彼女が出来ても何も知らされずに突然結婚式に呼ばれてポカンとすればいいのよ!」
「どんな呪いだよ、ふざけんな! 素直な知くんに内緒事なんか出来るわけないだろ!」
「そっち?!」
「おーい。そこ静かにしろー」

 彼を『友人』と認めたことで恵は教室にいても声を出すことが多くなった。とはいえ、その大半がこのどうしようもない友人に突っ込んだりどついたりとロクでもないものだ。だが周囲はずっとポーカーフェイスを保ってきた恵の表情が変わるようになったことを内心では喜んでいる。特に女子たちは「恵くんの声が前よりも聞ける……。幸せ……」なんて囁き合っているのだからこちらもこちらで手に負えない。
 しかし今は話し合い中である。担任は間延びした声で二人を注意した。

「はあ……。お前と話してると知能指数が下がっていく気がする……」
「ようこそ、バカの世界へ」
「お前本当ふざけんなよ」
「いひへへへへへ」

 バシッ、と恵が友人の背を叩けば、形容しがたい笑い声だけが返ってくる。字面だけ見ると不気味なのだが、本人が心底楽しそうに笑っているからだろう。隣の席や、その前後に座る生徒たちもつられるようにして肩を震わせ笑っていた。

「じゃあ発表するぞ。学年対抗リレーに出る走者は――」

 一部で不思議な笑いが伝染する中、気にせず担任が男女別に名前を読み上げていく。その中には本人たちが宣言した通り、二人の名前もしっかりと入っていた。

「恵くん一緒に頑張りましょうね!」
「今度は何のキャラだよ。教育ママか?」
「ううん。“一緒に走ろうね”って言いながら最終的には別々にゴールする女子の真似」
「わかりづれえ〜〜〜」

 女子の事なんて知るかよ。と恵が言外に伝えれば、山猿は「結構いるぜ? こういう女子」といらぬ情報を与えてくる。
 そんなくだらないことを話していたせいだろう。担任から再度「お前らー。私語は慎めー」と注意が飛んでくる。

「サーセーン! つか、マジで恵どれにするよ」
「障害物か騎馬戦」
「お。騎馬戦とか意外だな。上と下どっち?」
「下。そもそも俺らはデカイ方なんだから、自然と下だろ」

 恵もそうだが、山猿男子は特に背が高い。実際このクラスで一番背が高いのがこの男なのだ。恵はその次の次ぐらいである。他の男子も言うほど小さくはないのだが、やはり騎馬戦で大事なのは支える側である。こんな高身長男子を長時間抱えて走り回るのは下策どころか負けに行くようなものだ。
 これには残念なお頭をしている山猿も分かっているのだろう。配られた種目一覧表を眺めながら「だよなぁ」と呟く。

「あーあ。小学生の頃は上にも乗れたのに。たまにはオレも上に乗りてえよ」
「横綱が乗ったら下が潰れるだろうが」
「だぁれが横綱じゃい!」
「じゃあ筋肉ダルマ」
「どんどん口が悪くなる!」

 ただの悪口に聞こえるかもしれないが、恵は恵なりに楽しんでいたりする。普段の彼ならば他人にここまでズケズケと言うこともないのだが、この友人は懐も器も異様にデカイ。そのせいかついつい軽口が過ぎてしまうのだ。
 が、今回はその過ぎたる軽口がとある悲劇を招いてしまった。

「お前らー、もう三回目だぞー」
「せんせーごめーん! 恵と話すのが楽しくてさー」
「ったく、お前先生に本気で謝る気ないだろ」
「うはははは!」

 相手が教師だろうと山猿男子の態度は変わらない。「そこは変えろよ」と思わなくもないのだが、どうにも憎めない態度のため教師も大体の場合は許していた。
 とはいえ流石に三度目の注意となれば何かしらが起こる。担任教師は「そうだ」と声を上げると、二人に向かってニヤリと薄気味悪い笑みを向けた。

「お前らには不人気種目に出て貰おう!」
「はあ?!」
「ちょ、先生!」

 これには傍観していた恵も咄嗟に声をあげる。しかし担任は「無駄話してたお前らが悪い」と言い、恵と猿に二つの種目を示した。

「女装リレーと借り物・借り人競争。どっちがいい?」
「うわああああ! どっちもイヤだ! どっちもイヤだ!!」
「クソッ……! この疫病神……!」

 ガバッ! と恵に抱き着いてきた山猿男子を恵は必死に剥がそうと手を突っぱねる。しかしそんな姿も周りからしてみれば笑いものでしかない。
 周囲が「じゃんけんで決めようぜ!」や「恵が女装したら色んな意味でやばそうだな!」と好き勝手囃し立てる。勿論その中には「猿が女装だろ!」「ネタに走れネタに!」と猿の活躍(?)を求める声もあった。

「じゃあ、ジャンケンで決めるか」
「待って待って! どっちがどっち?! 負けたら女装?! 負けたら女装でファイナルアンサー?!」
「負けたくない負けたくない、絶ッッッ対に負けたくない……!!」

 本気で女装などしたくない恵の顔が真っ青になる。しかも一瞬とはいえ、女装した自分を想像してしまったのだろう。全身に鳥肌を立てる恵が必死に勝利祈願をベルと知に願う中、無情にもジャンケンは始まってしまった。

「さーいしょーはグー!」
「恵! 恨みっこなしだからな!」
「うるせえ恨む!!」
「ヤダこの子! 目も声もガチなんだけど?! あたし殺されちゃう!!」

 山猿男子が半ばオネエになりつつも、担任の声に合わせて二人はそれぞれパーとパーを出す。あいこになったことで一瞬空気が緩むが、すぐさま決着をつけるために次の手を出す。

「あいこでしょ! あいこでしょ! あいこでしょ! お前ら仲良しか!!」
「うるせえ! こっちは人生がかかってんだ!」
「うはははは! なんかだんだん楽しくなってきた!」

 隣の席に座っていたクラスメートが突っ込むが、すかさず血気迫る表情の恵が言い返す。何度も続くあいこに、山猿男子はテンションが可笑しくなって笑い出していた。
 そして何度目かのあいこの後――恵がグーを出し、山猿男子がチョキを出したことで決着がついた。

「勝っ、たーーーー!!!」
「おああああああ!!!! 負けたーーーーー!!!」

 ガタン! と椅子が倒れそうになるほどの勢いで恵が立ち上がる。その両腕は真っすぐ天に向けられており、『U』で連勝記録を更新した時でもここまで喜びはしなかった。
 そんな恵の足元では山猿男子が頭を抱えている。
 いつの間にか大盛り上がりをしていた周囲は二人に拍手を送ったり、指笛を鳴らしたりと騒がしい。だがこれこそが高校生と言うものなのかもしれない。
 担任教師はどこか遠い目をしながら考える。

「なんか、あれだな。体育祭、始まってもないのに盛り上がっちゃったな」
「ですねぇ……」

 担任とクラス委員が苦笑い気味にぼやくが、最悪の事態を回避した恵と「Nooooo!」と叫びながら頭を抱える山猿男子にその声は聞こえていなかった。

「あー……。負けたらどうしようかと思った……」
「それ負けたオレの前で言う?」
「がんばれっ」
「このやろー!! こんな時だけ心からの笑みを浮かべやがってーーー!!!」

 不満を口にしてはいるが、実のところ猿は恵が負けても自分が女装リレーに出るつもりでいた。自分ならどんな姿で出ようが笑いものになって終わりだが、恵が事故れば大火傷ではすまなくなる。
 だがこうして恵が勝ったので、猿は心置きなく悪態をついていた。

「クッソー……女装リレーとか、女装リレーとか……!」

 ブルブルと震える手で拳を握る猿に、周囲の男子は「あれ? 意外とマジで嫌だったのか?」という空気になったが、すぐさまもたらされた言葉に盛大にツッコム羽目になった。

「女装リレーとか、あたしのための競技でしかないじゃない!!」
「そっちかよ!!!」

 恵以外の男子全員が心を一つにして突っ込んだ瞬間だった。

 しかし恵はなんとなくこの友人はこの空気を楽しんでいることも、女装リレーを然程嫌がっていないことも察し、じっとりとした目を向ける。

「お前、初めからコッチに出るつもりだっただろ」
「ほあ? なんのことでござりましょうか?」
「……はあ。このお節介焼き」
「どうせ焼くなら回転焼きかお好み焼きがいいなぁ」
「鉄板に顔面押し付けるぞ」
「さっきから発言が猟奇的なんですけどぉ?!」

 紆余曲折はあったものの、こうして恵は『借り物・借り人競争』に、山猿は『女装リレー』に出場することが決まった。尚女子の方には『男装リレー』があることをこっそりと明記しておく。



***



『恵くん、借り物競争に出るんだ』
「はい。いろいろあって……」

 体育祭を控えたとある夜。鈴と恵は『U』ではなくリアルの世界で通話をしていた。

『知くんは何に出るの?』
「知くんはムカデ競争と玉入れと、あとは応援合戦に出るって」
『そうなんだ。楽しみだなぁ、応援に行くの』

 上京したこともあってか、ずっと話で聞くだけだった体育祭と文化祭に鈴は行くことにしていた。勿論共に上京した弘香や瑠果も誘ってではあるが。
 しかし見られる側の恵としては複雑な気持ちである。

「でも、変なお題があるから油断できなくて……。去年も『魔法少女的な道具』とか『〇〇先生の大事な物』とか、割とえげつないお題があったから……」
『そ、それは怖いね……?』

 しかも『〇〇先生』は生活指導で恐れられている先生だったので、それを引き当てた生徒は涙目だった。結局は先生が机の引き出しに入れていた家族の写真で事なきを得たが、恵からしてみれば完全にブラックボックスである。
 確かに女装リレーは舌を噛み切ってでも出場したくない種目ではあったが、これはこれで恐ろしいものがあった。

「変なお題引いたら助けてくださいね、鈴さん」
『ち、力になれるようだったら、いつでも頼ってね?』

 女性の持ち物だとかアクセサリー系が出たら鈴たちに頼ればいい。しかしそれ以外のとんでもお題が出たら――。恵はキリキリと痛み始めた胃をそっと服の上から抑える。

「とにかく頑張ります。当日の自分のくじ運次第ですけど」
『そうだね。観覧席で応援してるから、頑張ってね』

 やわらかく、あたたかな鈴の声に恵の目も優しく綻ぶ。例え顔が見られなくてもこうして声を聞くだけで元気を貰える。
 恵は改めて鈴に礼を言ってから通話を切り、既に寝入っている知の体へ布団を掛けなおした。

「本当に何が出ることやら……」

 この数年間で出て来た様々なお題を思い出しゾッとした恵ではあるが――無情にもその日はやって来るのだった。



***



『借り物・借り人競争に出場する生徒の皆さんは――』

 晴れやかな秋晴れの空の下、無事開催された体育祭は順調に進んでいる。
 午前の部に入っているのは主に中学生たちの競技で、そこでは知の姿がよく見られた。
 当然恵は知を応援するため食い入るようにグラウンドを眺めていたし、その隣にいた猿も同様に「知くん頑張れー!」と声を上げていた。

 そうして午前の部最後の種目に、この『借り物・借り人競争』が宛がわれていた。

「ケーイ! 頑張って来いよ!」
「恵くん頑張ってー!」
「楽なお題だといいな、恵!」
「でもネタに困る恵も見てみたいけどな」

 テント内から様々な声が飛んでくるが、それに対し恵は苦い顔を浮かべるだけだ。幾ら教室内でも発言する頻度が増えたとはいえ、未だ猿意外とはまともな交流をしていない恵である。
 鬱陶しいほどの声援と期待を背に入場ゲートへと向かえば、委員会でテントを出ていた猿と鉢合わせた。

「お。そういや恵、今からだな」
「ああ。お前は何してたんだ?」
「オレは体育委員だから、さっきまで使ってたコーンを片して来たところ」

 パンパンと手を叩いて笑う友人に、恵も「そういえばさっきグラウンドにいたな」と思い出す。
 実際一つ前の種目は部活対抗リレーだった。恵は帰宅部だから出場していなかったが、目の前の友人は出場していたし、その後コーンの撤去もしていた。
 それを思い出して「そうか」と頷けば、猿も「頑張れな」と言って恵の背中を軽く叩く。

「今年の借り物競争もとんでもないお題が入ってる、って噂だから、気を付けろよ?」
「はあ……。俺の運が試されるわけだな」
「ネタ系のお題引いたら悩まず相談に来いよ? お前そういうの苦手なんだしさ」
「ああ。頼りにしてる」

 ここでするりと『頼りにしている』と口にした恵ではあるが、この言葉は恵にとって“何気ない一言”では決してない。本当に、心の底から『頼れる人間』が相手でないと口に出来ない特別な言葉だった。

 実際、恵の家庭事情を知る鈴たちが聞けば目を丸くして驚いただろう。だが猿はその件に関して一切知らない。恵が語らない以上、自分から聞くつもりがなかったからだ。
 底なしに陽気で考えなしの男に見えるが、これでいて人の機微には相当敏感でもある。現に恵が何かしらの事情を抱えているであろうことは出会った頃から察せられていた。そのため猿は恵が自分から話さない以上、この手の話を振ったことは一度としてない。
 とはいえ自分の家族の話は頻繁にするのだから、鈴を気遣い話題に出さなかった弘香とは大いに違う。

 だがその明るさと分け隔てのない態度が恵の鉄壁ガードを崩したのだ。
 本人に自覚はなくとも、恵の大事なものは恵と同じように大事に出来る男である。だからこそ貰えた恵の『信頼の証』に、山猿男子は眩しいほどの笑みを浮かべた。

「おう! 任せとけって!」
「じゃ、行ってくる」
「頑張れなー!」

 片手を上げて去って行く恵の背を暫し見遣った後、猿もテントへと向かう。そこでは既に相当数のクラスメートが恵の活躍を楽しみにしており、猿が顔を出すとすぐさま手招きした。

「猿、お前ここ座れよ」
「え。いっちゃん前じゃん。いいの?」

 クラスメートの一人が指さしたのは、グラウンドとテントを仕切るロープ前――最前列のど真ん中だった。
 基本的にこの場所は早い者勝ちだ。だからこそ「こんないい席にいてもいいのか?」と山猿が尋ねれば、周囲にいた生徒たちは「当然だろ」としきりに頷く。

「だってお前が一番恵と仲がいいんだから、ここ以外に座る選択肢ねえべや?」
「そうそう。恵ってこういうの苦手じゃん」
「恵くん、人に頼るの苦手そうだもんね」
「だからお前がここにいた方が恵も安心できるんじゃねえの?」

 ゲート前には既に出場する生徒が集まっており、その中には恵もいる。傍目には静かに立っているように見えるが、その実恵は恵で緊張していた。
 クラスメート達からしてみても表情の硬い恵を見ていれば好奇心よりも心配が勝ってしまうのだ。
 だからこそ唯一の友人である山猿を一番前に座らせることで『恵に安心感を与えよう』という作戦を立てていた。

「恵が気付けばいいけどなぁ」
「気付くだろ」
「だって猿だし」
「うきー! って叫べば一発だろ」
「みんなはオレをなんだと思ってるわけえ?!」

 まあいいけどさ。と口ではぼやきながらも、その視線はグラウンドに向かって走り出した恵へと向けられている。何だかんだ言って猿も心配なのだ。あの不器用な友人のことが。

 そしてそれは観覧席にいる鈴たちも同様だった。

「あ! 恵くんだ!」
「え?! どこどこ?!」
「あ! 本当だ! いた!」

 鈴と共に上京した弘香と瑠果も、今日は大学を休んで応援に来ている。知が出て来た時も同じような反応をしていた三人ではあるが、種目が種目だ。心配性の鈴と心優しい瑠果は勿論、弘香も何気に心配していた。

「っていうか、恵くんマジで大丈夫なの? この学校、たまにとんでもなくえげつないお題が入ってる、って聞いたけど」
「ネタ枠、ってやつだよね。恵くんが引いたら大変なことになりそう……」
「空気が凍るどころじゃ済まないだろうね。下手すりゃ大火傷よ?」

 恵も周りも。そう続ける弘香に、鈴はギュッと祈るように両手を握り締める。
 しかしどんなに願っても、恵が何を引くか、どこにネタお題が入っているかなど誰にも分からない。三人は「どうか無難なお題が当たりますように……!」と胸中で祈るしかなかった。

『位置についてー、よーい……ドン!』

 パンッ、と空砲が鳴ると同時に一組目の走者たちがお題の置かれた机に向かって走り出す。
 そして友人や先輩後輩を求めてテント内に向かう者、教師がいるところへ向かう者、保護者席へと向かう者とそれぞれだ。そうして物だったり人だったりを連れてゴールすれば、その場でゴール地点に立っていた教師がお題を読み上げていく。

「『クラスで一番の人気者』に『幼馴染』、今度は……『お母さんの口紅』?!」
「これもネタ枠の一つなのかなぁ?」
「母親が口紅持ってきてなかったらどうするつもりよ?」
「その時は別のお題を引くんじゃない?」
「うわぁ……。めんどくさ」

 次から次へと減っていくお題と、悲喜こもごもの歓声がグラウンドに響く。そうして中学生たちの競争が終われば、次は高校生だ。

「あ! 恵くん三組目だ!」
「意外と早いわね」
「恵くーん! 頑張ってー!」

 瑠果の応援する声は届いてはいないだろう。それでも応援せずにはいられない。
 例え数年間とはいえ、弘香も瑠果も交流があるのだ。あまりこの手の行事が得意ではない恵に無意識に声援を飛ばしてしまう。
 そんな中ついに恵がスタートラインに立つ瞬間が来てしまった。

「恵くん……!」
「あ〜! 神様ぁ〜!!」
「恵くんに変なお題が来ませんように……!」

 それこそ一組前で出た『縄跳びをしながらゴールする』『ゴールした時に卓球部から借りたピンポン玉を使った一発芸をする』などのネタ系ではありませんように! と三人は切実に祈った。

『位置についてー……よーい……』

 勿論祈る三人以上に緊張しているのは恵自身である。今までは傍観者だった自分が、今は走者である。鈴たち同様『まともなお題でありますように』と願いながらスタートダッシュを切り、真っ先に目に入った一枚の紙片を手に取った。

「何が書いてあるんだろう……?」
「あー!! ここが『U』ならモニターに映るのにいいいい!!」

 ガリガリと頭を掻く弘香が言うように、多くの生徒が『U』だったら、と考えている。それだけ恵へと向けられる関心は高いのだ。
 そんな中お題を引いた恵はと言うと――

「……………………」

 じっと、紙片にデカデカと書かれた文字を見つめている。周囲では既にお題を確認した生徒が走り去っているというのに、恵だけはじっとそこに佇んで動かない。

「恵……?」

「恵くん?」

 テントでは山猿が、観覧席では鈴がその動向を気にする中――ついに恵は紙片を睨むようにして俯かせていた顔を上げた。

「猿渡優仁ッ!!!」
「――ッ!!」

 猿渡、とは山猿男子の苗字である。本名を『猿渡優仁(さわたりゆうじ)』と書く。ほとんどの生徒が『猿』と呼ぶため名前で呼ばれることは滅多にない。フルネームなら尚更だ。
 恵も普段は友人であるにも関わらず、彼の名を呼ぶことはなかった。

 何故なら基本的に恵の隣か前の席にいるからである。

 名前を呼ぶ暇もないほど猿から話しかけてくるため、名前を呼ぶ機会がなかった。

 だが今はグラウンドに立っている。近くにいれば「おい」とか「ちょっと来い」と言えたが、グラウンドとテントの間には安全のためロープが引かれており、距離があった。
 だからこそ名前を呼ばざるを得なかったのだが――呼ばれた本人はと言うと、珍しくポカンとした顔で恵を見ていた。

「来い!」
「え……。ええ?! オレェ?!」
「お前以外に誰がいるんだよ!」
「わ、わかった! ちょ、オレ行ってくるわ!」

 おお、とか、頑張れ、とか、恵同様様々な声援を受けながら山猿こと猿渡がロープを跨いで駆けて行く。
 それを観覧席から見ていた鈴たちは、改めて『恵の友人』をマジマジと見つめた。

「アレが噂の“猿くん”?」
「うん」
「背、高いね。千頭くんみたい」
「あんたはホント、すぐ彼氏と結びつけるわね」
「だ、だって〜!」

 照れる瑠果を呆れた目で見遣りながらも、弘香は「一体どんなお題が出たのやら」と腕を組む。
 その視線の先では、テントから出て来た猿が恵の元へと辿り着いていた。

「どした? 何て書いてあるんだ?」
「ゴールするまで見せられないのがルールだろ。いいから走るぞ」
「お? おお。ってか、マジでオレでいいの?」
「うるせーなぁ。俺が呼んだんだから黙ってついて来いよ」

 いつも以上に悪辣な態度に、山猿は「はて?」と首を傾ける。普段からもしょっちゅう「うるせーよ!」「お前ちょっと黙れ」と怒られる身ではあるが、その時のどの態度とも声音とも違ったのだ。
 これは一体どんな感情なのか。
 改めて猿が恵の顔を伺おうと隣に並ぶが、ツンとそっぽを向かれてそれも叶わない。

「え? なに? マジでやばいお題引いたの?」
「………………」
「まさか“嫌いな奴”とか?!」
「黙って走れよ!」
「もしくは“名前に干支のどれかが入っている人”とか!」
「お前本気で黙ったら死ぬ病気にでも罹ってるのか?」

 ギャアギャアと言い合いながらも元々足が速い二人だ。あっという間にゴールテープを切ることになり、恵は渋々手を差し出した教師にお題が書かれた紙片を渡した。

「えー、ではお題を読み上げますね」

 もうすぐ定年に差し掛かろうとしている女性教師がマイクを持ち、紙片へと視線を落とす。すると恵はクルリと女性教師に背を向け、猿に声を掛けた。

「お前、ちょっと耳塞いでろよ」
「いや、なんでだよ。聞かせてよ。気になるじゃん」
「聞くな」
「いやいやいや! 無理だろ! だって相手はマイクだぞ?!」
「それでも聞くな」
「どんな暴君?!」

 心底聞かれたくないのだろう。苦虫を百匹どころか二千匹ぐらい噛み潰したような顔をする恵に流石の猿も真顔で突っ込み返す中、その老教師は「あら」と驚いた顔をし――ほっこりとした優しい笑みを浮かべた。

「彼が引いたお題は、『一番仲のいいお友達』です」
「クッ……!」

 グッ、と歯を食いしばって羞恥に耐える恵と、女性教師が読み上げたお題内容にポカンと口を開く山猿男子。
 そして恵のクールさやドライな態度を知っている後輩たちや中等部の生徒も呆気に取られる中、クラスメートたちだけが「大勝利!!!」とガッツポーズを取っていた。

「け、恵……!!」
「うるせえバカ! そんな目で見るな!!」
「恵! 大好き! 愛してるわ!」
「ざっけんな死ね!!」

 感極まったのだろう。目の前にいる恵を抱きしめようとした山猿男子からすかさず距離を取る恵に、周囲は笑い声をあげる。しかしこれでへこたれる山猿ではない。

「おい! ハグしようぜハグ! 親友だろ!!」
「誰が親友だ!! 調子に乗るな!」
「ヘイヘイヘイヘーイ! 恵くんオレたち大親友にグレードアップする時期じゃねえの?!」
「うっぜえええええ!! だからイヤだったんだよ借り物競争〜〜〜〜!!!」

 白線が引かれたグラウンド内で、両手を広げた猿が必死に逃げ回る恵を追いかけ回す。走っては立ち止まり、立ち止まってはジリジリと互いにどちらに動くか睨み合う。
 だが結局足の速さでは山猿に軍配が上がる。恵は奮闘空しくも捕まることになり、背後からギュッと山猿に捕獲……というより、抱きしめられていた。

「うふふふふ……つーかまーえたっ」
「だああああ!! 普通にキモイ! 本気で気持ち悪い!! 早く離せバカ!!!」
「やーね恵ったら! そんなに照れなくても!」
「どこが照れてるように見えるんだよ! 全力で嫌がってるんだよ!」
「今日はあたしたちの記念日ね!」
「人の話を聞け! こっちはマジで鳥肌立ってるんだからな?!」
「うそぉ。え? あらやだ、本当。恵くんったら繊細ね」
「ぶっ飛ばすぞ!!」

 恵の声が観覧席にまで届いているのだろう。保護者たちも声を上げて笑っており、実際弘香はヒーヒー言いながら笑い続けている。

「あはははは! あれが恵くん?! あれが恵くん!? ウケる!!!」
「ふ、ふふふ……! わ、笑ったら可哀想なんだけど……でも……あはははは! 恵くん、可愛い〜〜〜!!」

 鈴の隣では瑠果も笑い転げている。そして必死に応援していた鈴はと言うと――

「ふ、ふふふ……! 恵くんってば……! あははははは! おっかしい〜!」

 こちらも大爆笑であった。

「こんの……! そんなに抱きしめて欲しいならやってやるよ! 背骨折られる覚悟があるならなァ!!」
「ギャアアア!!! それ死んじゃう! あたし死んじゃう!!!」
「おら来いよ! 逃げんなクソ猿ッ!!」

 もう完全に吹っ切れたらしい。今度は恵が山猿を追いかけ回し始め、中等部席にいた知も「恵くんおもしろーい!」と涙を浮かべて笑っている。
 そんな知の声も今の恵には聞こえていないのだろう。バタバタと足の速い二人がグラウンド内を駆け回る。
 普段なら止める教師陣も、この盛り上がりを止める気はないらしい。各テントから飛んでくる声援や笑い声、恵と山猿のふざけているのか真面目なのかよく分からない口論があちこちに飛んで行く。
 そうして恵にがっしりと捕まった猿が関節技を喰らい、「痛い痛い痛い! ギブ! ギブです恵様!!」と叫ぶ声でこの騒ぎは終わった。

「はあ……はあ……クソ……なんで俺がこんな目に……」
「いってぇ〜! やーべえ、姉ちゃんの関節技とか、今まで『ゴリラじゃん!』とか思ってたけど、恵と比べたらハムスターだったわ」
「誰がゴリラだクソ猿」
「ウホウホウホ!」
「腹立つ〜〜〜……! なんだコイツ!」
「だはははは!」

 両手を膝につきながら顔を顰める恵に、山猿はゲラゲラと腹を抱えて笑う。あの後他の走者もそれぞれお題に見合った人や物を連れて来たが、完全に二人のやり取りに潰されていた。
 そしてようやく『借り物・借り人競争』は終わり、二人は揃って退場している最中であった。

「いやー、面白かったわ! また来年も出ようぜ!」
「ざけんな! 大恥かいたんだぞ、コッチは!」
「いやいやいや、みんな楽しんでたって。知くんもめっちゃ笑ってたじゃん」
「あ〜〜〜〜! 絶対鈴さんにも見られた〜〜〜〜!」

 別にいい子ぶっていた訳ではないが、鈴の前では少しでも『背伸び』をして自分をよく見せようと頑張っていた恵である。しかし今回の一件で完全にメッキが剥がれてしまった。
 勿論鈴の前での振る舞いが一から十まで作られたものではないが、それでも『高校生の恵』として友人と騒ぐ姿を見られるのは相当に恥ずかしいことだった。

「あー。その人あれか? この間の、お前の大事な人? 今日来てんの?」
「来てる……」
「あちゃっぱー。でも過ぎた時は戻らないんだぜッ! 前向けよぉ!」
「ガラス窓に顔面から突っ込んで病院送りになればいいのに」
「オレの顔面に怨みでもあるんですかあ?!」

 恵の肩に腕を回す猿に、少し前までの恵であれば無言でその腕を叩き落とすか睨んだことだろう。だが今はむしろ爪を立てる勢いで猿の背中をガッシリと掴み、完全に据わった瞳で友人を見遣った。

「お前本当に覚えてろよ」
「え。やだ。なにそのガチのガチすぎる感じのガチトーン。初めて聞いた感じなんですけど。それどういう感情?」
「今の俺なら悪魔とも契約出来る」
「いやだ怖い!! 誰か助けて!!」

 フッ、と怪しく笑う恵の姿に流石に恐怖を覚えた山猿が逃げようとするが、恵はすかさず「逃がすか!」と山猿の肩を掴んでヘッドロックを決める。

「イデデデデ! 恵くん意外とバカ力!!」
「うるせえ! 大体お前があんなことするから……!」
「オレのせいかよぉ!! でも嬉しかったんだからしょーがねえじゃん!」
「だからって全校生徒の前で抱き着こうとする奴がいるか!!」
「じゃあ二人きりだったらいいのかよ!」
「気持ち悪っ」
「おぎゃあ! 今までで一番冷たいツッコミ! オレちゃん悲しい! ピエン!!」

 スキンシップが好きな猿と、他人とのパーソナルスペースが広い恵。実際これほどまで距離を詰めて会話出来る人間は鈴や知だけだ。弘香や瑠果でさえもう少し距離を開けて会話をする。
 恵自身それに気付いてはいるが、隣で延々と泣き言を漏らす友人を突き放すことはやはり出来なかった。

「ったく……。お前じゃなかったら本当にぶん殴ってた」
「この前のウザ絡みした二人組とか?」
「流血沙汰になってただろうなぁ」
「もしもしポリスメン?」
「犯人はコイツです」
「オレかよ?!」

 軽快なやり取りに、二人は一瞬黙ってから顔を合わせる。

「ふっ……くっだらねぇ〜」
「だははは! オレ冤罪なんだけど!」
「あー……。クソ。こんなことで笑ってしまった自分が一番情けないというか、悔しいというか……」
「なんでだよぉ。オレちゃんといれば毎日がエブリデイでハッピーパーティーナイトだぜ?」
「毎日もエブリデイも同じ意味だっての。あと夜までお前と一緒とかただの苦痛」
「ひでえ!!」

 元々クールを気取っていたわけでも、一匹狼になりたかったわけでもない。ただ他人に心を開かなかっただけだ。
 そんな自分が、鈴と知以外にもこんなにも心を、距離を許している。
 その事実に恵は暫しぼーっと空を見上げた後、未だにブチブチと文句を垂れる友人の肩に己の肩をぶつけた。

「ま。お前の女装した姿をバカにすることでチャラにするか」
「ひっでえ!! つーかそうだよ! 午後の部でオレ女装しなきゃいけねえの忘れてた!」

 恵の心配ばかりして自分のことはすっかり忘れていたのだろう。頭を抱える友人に、恵は「そういえば」と気になることを尋ねた。

「お前、女装するにしても服はどうするんだよ」
「え。普通に母ちゃんが持ってる社交ダンスの衣装と、姉ちゃんの化粧道具パクッてきたんだけど」

 女性ものの服とは縁がない恵である。一体どこで調達したのか気になって尋ねてみれば、思わぬ回答が飛んで来てつい友人の顔を凝視する。

「母親の衣装が入るのか? 本当に?」
「おん。オレの母ちゃん横にも縦にもデカイから」

 横にも縦にも。とジェスチャーを使ってまで伝えて来た友人に、恵は何度目になるか分からない溜息を吐きだした。

「……お前……本当命知らずだな」
「なんで?! 怖いんだけど!?」

 日頃から姉に散々な目に合わされているというのに、それでもまだ化粧道具を勝手に拝借したり母親の衣装を持ち出す友人に恵は額を抑える。
 だが結局、恵は呆れるよりも観念したように柔らかな笑みを浮かべた。

「なあ、あとで写真撮ろうぜ」
「え? マジで?」
「ああ。お前のお母さんとお姉さんに送りつける用のな」
「鬼!!! 悪魔!!! 人でなしーーーー!!!」

 山猿の涙交じりの叫び声が青々とした空の彼方へと飛んで行く。恵はただ「ざまあみろ」と笑い返すだけだった。


 そしてこの後、午後の部で見せた友人の渾身の女装姿に恵は人目を憚ることなく大爆笑し、リレーそっちのけで恵を笑わせに来た友人は自陣から大ブーイングを食らう羽目になったのだった。



終わり




 本当は考えていたけど前回は出さなかった山猿くんのお名前ですが、スピンオフみたいな話だから出してもいいかなぁ。と思って出しました。
 山猿改め、『猿渡優仁』くんです。優仁と書いて「ゆうじ」ですけど、ぱっと見「ゆうじん」って読むよね。つまりはそういう意味。(安直)

 心許せる友人が出来たらいつもすまし顔の恵くんも少しぐらいは『男子高校生』できるんじゃないかな。なんて思って書いていたらとんでもない話になりました。
 でも楽しかったです。(笑)


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