- ナノ -

二度目の遭遇



 クラスメイトに鶴谷さんとの関係を若干疑われたものの、有難いことにそれ以上噂が広がることはなかった。俺自身気を付けたからな。
 下校時間が被らないよう図書室や自習室で時間を潰したり、時には通学路を変えて遠回りして帰宅したり、用もないのにコンビニに行って時間差を作ったり。おかげで今の平穏な時間に繋がっているのだと思うと肩の力も抜けるというもの。
 それでも油断大敵だと肝に銘じて学校では深く関わらないよう気を付けていた。だからこそ穏やかに迎えられた週末――土曜日。早速天は俺を裏切った。

「………………」
「………………また会ったわね」
「……はい」

 まさか今週で見納めとなる原画展で再び遭遇するとは思わなかった。
 だって今日は敢えて混むであろう時間帯を狙って来たんだぞ?! それなのに遭遇するってどういうことだ?!
 いや待て。冷静になれ。
 混乱と緊張で背中に汗が浮いてくるが、それでも必死に脳みそを回転させる。

 件の原画展は明日が最後ということで賑わっている。実際この前来た時より人は多いし、物販コーナーなんてすし詰め状態だ。レジなんて最後尾どこだよ。ってレベルで人が並んでいる。正直オンライン販売もあるんだからそっちで買えばいいのでは? と思わなくもない。
 一方ギャラリーの方は、人自体は多くても間にガイドポールがあるから通り道は確保されている。それに通路自体も幅が広いから一人二人立ち止まっていようと後ろを通るのに問題はない。だからこそ人に流されず、けれど邪魔にならない程度の場所でゆっくり、落ち着いて、一枚一枚じっくりと眺めようと計画していたのに……。

「き、奇遇ですね」
「そうね。まさかこんな短期間に同じ場所で知り合いに会うとは思ってもみなかったわ」
「ははは……」

 制服とは違う、見るからに品のよさそうな服に身を包んだ鶴谷さんは軽く嘆息すると背を向けて歩き出す。

「つ、鶴谷さん?」
「立ち止まっていても周りの人に迷惑でしょ? 私はもう行くわ」
「え? あ、もう、いいんですか?」

 彼女と鉢合わせたのはこの作品の中でも特に人気のあるキャラクターが描かれた一枚絵の前だ。それにこの先には主人公の仲間とか名脇役たちが描かれた絵もあるはずだし、カラーの集合絵もある。名シーンの生原稿だって飾られている。なのに彼女は「見たいものはもう見たから」と言って歩き出す。

「ええ……」

 いや、原画展をどう回ろうが個人の自由だし、何に、どのキャラに重きを置いているかでもその心持ちは違うとは思うんだけど……。

「ここ、悪役のコーナー……だよな?」

 思い出せば、初めて鶴谷さんを見かけたのもここだった気がする。
 とはいえどのキャラを熱心に見ていたのかは分からない。単に偶然に偶然が重なって同じ場所で二度鉢合わせただけなのかもしれない。だってこの場には俺たち以外にも沢山の人がいて、それぞれがそれぞれの方法でこの時間を楽しんでいる。だからそこまで気にするようなことじゃないのかもしれないけど、何となく彼女の邪魔をしてしまったような気がして落ち着かなかった。

「あー……うー……つ、鶴谷さぁん!」

 結局前回と違ってそのままにすることが出来ず、人ごみに紛れて歩き去ろうとしていた彼女を追いかけた。


◇ ◇ ◇


「別に気にしなくてもよかったのに」
「いえ……俺のわがままみたいなものなので……」
「そう?」

 あれからどうにか追いつくことが出来た鶴谷さんに必死に声をかけ、今は物販コーナーを抜けた先にある休憩所の一画でコーヒーを驕っていた。

「ところで、高谷君はここに来るの何回目なの?」
「え。二回目、ですね」

 原画展は先々週から開催されている。元々開催されることは知っていたけど、最初の週は多いだろうと思って行かなかったのだ。それに期間は一ヶ月もある。だから当初より人が落ち着くであろう頃を見計らって行ったのが前回だった。
 第一原画展に興味を持ったのもこの作品が初めてだ。だから通常そう何度も来るものではないのでは? と首を傾ければ、鶴谷さんはゆっくりとカップに口を付けながら「私、今日で五回目なのよ」と返してきて危うくコーヒーを吹き出しかけた。

「ご、五回?!」
「そ。毎週末ここに来てるの。勿論、明日も来るわよ」
「が、ガチファンじゃないですか……」

 全然そんな気配なかったけど、鶴谷さん相当この漫画好きなんだな。改めてそう実感したが、即座に「違うわよ」と否定され二度見してしまう。
 一瞬女子特有の、というかツンデレキャラ的な「照れ隠しか?」と勘繰ったものの、コーヒーを啜る彼女の横顔は冷静そのものでファン特有の熱気というか、好きな作品に対する情熱みたいなものは感じられない。現に今も窓の外を眺めており、周囲にいるファンのように作品について語るような気配もなかった。

「作品自体、そこまで好きでも嫌いでもないの。全編見たわけでもないしね」
「え? そうなんですか?」
「ええ。ただ、頭に残ったキャラクターがいたから。それでこの作品を一時期見てただけ。そのキャラが出なくなってからは見てないわ」

 なるほど。ストーリーではなくキャラ単体に惹かれたのか。それなら「ファンじゃない」と言う気持ちも分かる。勿論ファンの形なんて様々だけど、作品を一部しか見ていない状態で「ファンです!」なんて口にしたら古参たちからキレられるもんなぁ。
 大体、彼女の口振りからして今後この作品を全編見直すような感じもしない。本当にそのキャラだけが目当てで足を運んでいるのだろう。
 となると、どのキャラが好きなんだろうか? 主人公、ではなさそうだ。だったら全編見ているはずだし。さっき「そのキャラが出なくなってからは見てない」って言ってたから、サブキャラだよな。でも一話限りのゲストキャラなんていっぱいいるしなぁ。まさかモブ? でも原画展ではあまり展示されていなかった。残る可能性は――

「……悪役、とか?」
「あら。よく分かったわね」
「な、なんとなく……」

 敵キャラなら原画展にも沢山展示されている。主人公たちと敵対するキャラはメインもモブも必ず一枚は紹介絵のようなものが展示されているから、それを見に来ているのだろう。

「でも、そんなに何度も来てるなら入場料バカにならないのでは?」
「平気よ。もう二度と生で見られるか分からないんだから、安いものよ」

 わあ。月に三千円しかお小遣いをもらえない自分からしてみれば内臓がギュッと絞られるような返答だ。
 確かに学生割引があるとはいえ、それでも数百円の差でしかない。一度に千円飛ぶのだから、彼女は既に俺の一月分のお小遣いは使用済みということである。更に明日も来るのであれば二月分つぎ込む形になるのだ。
 確かに「もう生原稿なんて見られないだろう」と思うと千円弱で見られるのは安い方だ。実際、それだけの価値がここにはある。

「そんなにお好きなんですね」
「……別に、好きというわけでもないのよ。ただ、忘れられないの。あのキャラの生き方というか、在りようが。それだけよ」

 それって「好き」なのでは? そう思わなくもないが、彼女はカップを傾けるとずっと眺め続けていた窓の向こうから視線を外し、こちらへと向き直った。

「君は? だれが好きなの?」
「あ、俺はやっぱり、主人公ですかね。なんていうか、男らしくて憧れるというか……」

 掲載誌が青年誌ということもあり、主人公の年齢は高めだ。よくある十代の少年が主人公ではない。だから自分にはない大人な考え方というか、物の見方、捉え方というものに憧れを抱いてしまうのだ。あと普通に強いし、仄暗い過去があることも、ありきたりなのかもしれないけど惹かれる要素の一つだ。

「俺、見た目も中身もこんななので。憧れるといいますか……」

 見るからにヒョロヒョロで、筋肉質でもなければ脂肪がついているわけでもない。体力だってないし、中身も薄暗くて陰気だ。友達も少ないし、女子と話すのには勇気がいる。現に鶴谷さんが隣の席になった時、一ヶ月ぐらいずっと緊張した日が続いていた。
 勿論この一週間も凄かったが、なんというか……。緊張の理由が違うからそこは加味しないでおく。
 そんな残念な俺が二次元キャラに憧れるとか、傍から見れば痛々しいのかもしれない。だけど彼女は笑うことも蔑むこともなく、ただ先と変わらない平坦な口調で「そう」と頷くだけだった。

「誰をどういう風に好きになるのか、どんな応援をするのかは人それぞれよ。君が逐一気にするようなことじゃないわ」
「そ、そうですかね」
「そうよ。それに、私なんてそのキャラ目当てで見てたのよ? 他人にどうこう言われる筋合いもなければ、言う権利もないわ」
「そ、うですかね……」
「だから自信を持ちなさい。あなたが主人公を好きだと言っても、笑う人なんてこの場所にはいないんだから」

 彼女の言う通りだ。
 ここは、この作品のファンで溢れかえっている。老若男女問わず、皆誰かのファンで、それぞれのやり方で応援しているんだ。だから例え陰気だろうがヒョロガリだろうが、笑われることはない。
 分かっていたのに分かっていなかった。目から鱗が落ちるような心地で彼女を見遣れば、当の本人はコーヒーを飲み干すと鞄を肩にかけて立ち上がった。

「それじゃあコーヒーご馳走様。また学校で会いましょう」
「あ、はい。今日は、その……色々とすみませんでした」

 謝ることなんて特にはないと思うのだが、それでもつい零れ出てしまった。もはや口癖のような謝罪に、彼女は怒るどころか珍しく口元を緩めて軽く笑った。

「謝る必要なんてないわよ。じゃあね」

 いつも通り、と呼べるほど堂々とした、華奢な背中から視線が剥がせないままギュッと手の中にあるカップを握り締める。

「……はあ」

 一度ならず二度までも、同じ場所で会っただけでなく今回は会話もしてしまった。
 陰キャの自分が女子と会話なんてそうそうないから結構緊張したのだが、ちゃんと話せただろうか。

「……ま、いっか」

 最後にはほんの少しだけ笑ってくれた。その理由はあまりはっきりとは分かっていないが、それでも前回の射殺すような視線に比べれば遥かにマシだ。
 俺は未だに湯気の立つカップをゆっくりと傾け、賑やかな休憩所から人踊りの激しい往来を、カップの中身が冷たくなるまで、先程の彼女のようにぼんやりと眺め続けた。


2022/06/26 13:10
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