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プロローグ


 当たり前の日常を過ごしていると、何かと『刺激』を欲しがる人たちが一定数出て来る。
 例えば数年前から人気ジャンルになった『異世界転生』を望む人だとか、両親の世代では考えられない『ゲーム』や大型動画サイトの収入だけで生きて行こうと考える人だとか。中には真っ当に『プロの選手になるんだ』と夢見る人もいるけれど、そういう人とは違った――所謂『志の浅い』人たちが望む『非日常』というのは大体が漫画やドラマみたいな劇的なものであればあるほど盛り上がるのだと思う。
 俺自身は求めたことがないからハッキリとは断定できないけど、それでももしも本当に『異世界転生』とか『転移』だとかがあったとしたら、その人たちは自分が望むようにうまくやっていけるのだろうか?
 俺には絶対に無理だ。何せ自他共に認める平凡男子なもので。咄嗟に頭の回転が速くなってうまいことピンチを切り抜けられるとも思わない。むしろ初っ端に死ぬモブだ。だから例え『チート能力』を貰ったとしてもうまく活用できる気がしない。
 だって幾ら『素晴らしい能力』を貰ったところで、今の今まで自慢できる特技もなければ得意なこともない人間がいきなり優秀になれるわけがない。だから人生望むことはただ一つ。

 ただひたすらに、穏やかに、恙なく生き、暮らしたい。それだけだ。

 まあ、だからと言ってその手の話が嫌いなわけではないんだけどさ。
 普通に娯楽として読むし見るし楽しんではいる。アニメ化も多いし、クラスの男子たちの間で話題になることもあるから、見ていて損はない。

 ただ毎回思うことがあるとすれば、皆結構『神様』に対してフランクというか、敬う気持ち的なものあんまりないよなー。ということだろうか。
 異世界転生した原因が神様を助けたとか、神様のうっかりで、とか、そういうパターンの場合は十中八九主人公は神様に対して『あの野郎』みたいな態度を取っている。表に出さなくても心の中ではめちゃくちゃ罵っていたりする。
 いや、罵りたい気持ちは分かるし、実際俺がその立場になったら同じように罵ると思う。
 だって日本には『八百万の神様がいる』なんて言われているぐらいだ。神様に対してついフランクな態度を取りたくなる気持ちもわかる。
 だからホイホイ神様が出てきたりするんだろうけどさ。でも時々面と向かって神様に文句を言うキャラがいたりすると『わー』って思ってしまう。だって俺は『平々凡々』に、恙なく、当たり障りなく、ドラマティックな非現実的な非日常とは無縁の、どこまでも穏やかに穏やかな人生を歩みたいと思っている人間なので。
 だから神様にケンカを売るとか、そういう態度を取るなんて絶対に出来っこない。
 幾ら身長が伸びて見た目はデカく見えようとも、実際の中身は狼でもゴリラでもなくただの羊。あるいはキリン。いや、もう図体の大小関係なしに草食動物な俺に争いごととか向いていない。

 だからそう。ただひたすら、穏やかに生きたい。そう、願っていただけなのに。

「ねえ。そこの君」
「…………ハイ。ナンデショウ」
「君、同じ学校の人、よね?」

 ……穏やかに、生きたかったんだけどなぁ……。

 ――おお、神よ。
 なんて、信じてもいない神様に嘆きたくなるぐらい、非現実的な場所で現実に存在している、非現実的な人物に声をかけられ天を仰ぎかけていた。

「イ、イヤー、ドウカナァ」
「そんな風にわざとらしく目を反らせば殆ど答えを言っているようなものじゃない。誤魔化し方下手くそすぎない?」
「うぐっ」

 見た目にそぐわず、という言葉に沿わずズバズバと仰りたいことを仰るこの方は、周囲に人がいようがお構いなくこちらをキリッとした凛々しい瞳で見上げて詰って来る。

「君、一人?」
「はい」
「そう。じゃあ、一つ言っておきたいのだけれど」
「はい」

 普段はキッチリカッチリ、バレリーナのように髪を纏めている顔立ちがキツメの同級生は、先々月にン年ぶりに再アニメ化が決定し、新規キャストによって獲得された新規ファンと、昔からこの作品を愛する古参ファンが溢れかえるこの場所――原画展の一画で――吸い込まれそうなほどに真っすぐとした黒い瞳と芯のある声でガッツリと釘を刺してきた。

「今日、私がここにいたこと。誰かに話したら承知しないから」

 ――おお、神よ。俺が何かしましたか。

 無言で何度も頷きながら、必死に両手を上げて『降参』と『服従』の意を示す俺に、その顔立ちキツメの同級生こと『鶴谷さん』は「フンッ」とどこか疑うかのような眼差しと共に鼻を鳴らした。




2022/05/29 23:45
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