05:神の力

* * * *



 十月四日。
 俺は初めての恋をした。
 光のような金髪に、青空のような澄んだ瞳。
 彼女はまるで天使だった。

 つい最近。
 そんな少女と手を繋いで歩ける関係になったというのに、今はなんだか――遠く感じる。

「人間じゃ、ない?ていうかもうすぐ消えるってどういう事だよ?そんなわけあるはず……ない」

 頭で整理ができず、疑問が声となって溢れだす。
 本当はギャグを言ったんだろうと笑いたいのに、口角はピクリとも動かない。少女から「なーんてねっ」というネタばらしがあれば、きっとこの心のモヤは消えたけれど、それは今だ告げられない。

「――場所を変えよう」

 ハネちゃんは短くそう言い、出口へ向かった。これは夢なのか現実なのか解らないまま、俺も続いて後ろを歩く。
 正直、冷静じゃなかった。何度も躓きそうになるし、血の気が引いているのが解る。唇はかさかさに乾燥した。
 水族館を出てすぐの所には海が広がっていて、微かに感じる塩の匂い。海は穏やかだけれど、風はやや強かった。
 普段なら海は綺麗だなーとか、夏になったら泳ぎに来ようかなとか、そんな事を思う。しかし今は、波の音も光る貝もどうでもよくて、ハネちゃんのことだけが、気になって焦れったかった。

「じょ、冗談きついぜ……」

「まさか恋人が人外だなんて、信じる方が無茶だよね」

 少女は自嘲的に笑う。
 柔らかい砂を踏んづけて、俺は出来る限り笑顔をつくった。顔面の筋肉を無理に動かし吊ってしまいそうなのを、必死に隠しながら。

「はは、そりゃそーだ。確かにハネちゃんは天使みたいに可愛いし温厚だよ。けど流石に俺もう十六歳だし?人間と天使の区別くらいできますー」

 俺はぐっと伸びをして、おちゃらける。
 あえて、そうした。

「見た目はこんなにも人間なんだもの。疑うわけがないし、見破るはずがない。これは完璧な"神様の力"なのだから。ふふ、なんて言うとどこかの宗教みたいかな?」

 そう言って、ハネちゃんは空を仰いだ。

――仮に。
 これがギャグでも嘘でもない、事実だとしよう。天使とか神様とかが登場しているのも、おとぎ話ではなく真実だとしよう。
 もしもそうならば、必然的に"消える"というのも、ファクト。

「ハネちゃんは……」

 さっき、もうすぐ消えると言われた。ハネちゃんの身体も、彼女と一緒に過ごした俺の記憶も、だ。
 消えるという単語の意味なんて、電子辞書で調べなくても分かる。消滅、消失などという類いのものだろう。
 しかし、処理しなければいけない情報に追い付けず、そんな簡単な意味を理解する行為だけで、脳はオーバーヒートしてしまいそうだった。

「消えるって意味は分かるよ。けど、分からない。分かるわけにはいかない。なんで、どうして……どういうことだよ」

 この時の俺は、かなりガキみたいだったと思う。
 なんでも思ったことは口にして、自分の主張しかしなくって、ハネちゃんの気持ちを聞きやしない。
 それでも少女は目くじら立てずに、海を眺めながら語り始めた。

「私が初めて飛鳥くんに出会ったのは、三ヶ月くらい前の事だった。当時はまだ飛鳥くんは私の事を知らないし、出会ったというより、一方的に見たっていうほうが正しいけれどね」

 まさしく、俺が初めて彼女と対面したのはほんの一ヶ月前だ。三ヶ月前はまだ学校にハネちゃんはいなかったし、女子よりも友人といる方が楽しかった。
 遊ぶこと以外に夢中だった事といえば、元捨て猫であり現家族である"にゃ吉"を公園で拾い、無我夢中で猫の育て方を勉強していた。動物の知識がゼロだったため苦労は幾度となくあったけど、今ではにゃ吉のいない風雅家なんてあり得ない。

「段ボール箱に入っていたにゃ吉くんへ、飛鳥くんが手を差し伸べてくれた日。その日が最初に風雅飛鳥という男の子を見た日だった。覚えているよ。躊躇せず、『俺のとこ来るか?』って抱き上げてくれたのを」

「なんで、ハネちゃんがそれを……。その時近くにいたのか!?」

「うん、いたよ。この世の命ある者は全て、天使の姿を見ることはできないし、天使が猫や人間を助けることは出来ない。私達は現世と天国を往き来できるだけで、あくまで案内係みたいなものだからね。だから救いの手を差し出すことができない自分が情けなかったけれど、飛鳥くんがにゃ吉くんを抱き締めてくれて、ほっとした」

 あの時俺の周りには、誰もいなかった。にゃ吉が独りで寂しそうな鳴き方をしていたから、よく覚えている。
 百パーセント、いや千パーセント、繰り返すようだが"あの場所には俺とにゃ吉しかいなかったはずだ"。
 目に見えないもの。それはどうやら愛や絆だけではないらしい。視覚もあてになったもんじゃないな。

「にゃ吉くんね、元々天国にいたの。数年前にこの子は亡くなってて、天国まで案内をした天使は私だった。新しく生を享(う)けると同時に天にいた時の記憶は全て消去されちゃうけど、一緒にお花畑をお散歩したり、あっちの世界で仲良くしてくれたんだよ。生まれ変わって、もう私のことも記憶から抹消されているけれど、なんとなーく、ほんのりとでもまだ覚えていてくれているのかなって、飛鳥くん家にお邪魔して感じた」

 前にテストの勉強を教えてもらうため、彼女を部屋に招いたことがあった。
 確かに俺の元ではなく、ハネちゃんの腕の中へ飛び付いて行った。思わず嫉妬してしまうくらい、お互いさぞ幸せそうに。
 初対面であそこまで人になついたのは、これまでなかった。

「飛鳥くんのお陰で、にゃ吉くんは今幸せに暮らしてる。ありがとう。私の大切な友達を助けてくれて、本当にありがとう」

「い、いやいや別に。俺はただお腹がすいていそうな猫を拾っただけで、大したことは何も」

「ううん、命を救ってくれたんだもん。――実はその後もにゃ吉くんの様子が気になって、よく飛鳥くんの元へ行ってたんだけど、いつのまにか飛鳥くんを見ることまで楽しみになってたみたい」

 様子を見ていたと告白され、ハネちゃんが校舎の構図を覚えるのが非常に早かった疑問が解決した。興味本意で俺を眺めているうちに、校内の地図もおのずと頭に入っていたのだろう。
 彼女ははにかみながら、俺を見つめる。

「そんな日々を重ねていたら、どうしても飛鳥くんと話がしたくなっちゃった。一方的に見るのではなく、人間の身体を持った少女として、貴方に会いたかったの。一秒でもいいから、私を視界に入れてほしかったんだ。その想いはついに押し殺す事が出来なくなって、私は神様に請いた」

 ――"私を一ヶ月間だけ、人間として過ごさせていただけませんか?"

 偉大なる神に、彼女は駄目元で頼んだらしい。
 どこにでもいる、こんな俺なんかに会うために。
 頭も運動も顔も、俺以上の奴なんて沢山いるのに。

 神は天使の求めを受け入れ、少女は俺の元へ舞い降りた。

「この一ヶ月は、私の幸せの塊」

 放課後に遊んだり。
 誰かの家で勉強会を開いたり。
 普通の少女として生きた、当たり前の生活だけど。だからこそ。
 そうだ。彼女はいつだって幸せそうに笑ってた。

「それなのに私は我儘だった。飛鳥くんに出会えただけでも感謝するべきなのに、一つ願いが叶うと、また一つ新しい夢をみたくなってしまう。――恋を、したくなっちゃったんだ」

「……」

「でも別れはすぐにやってくるし、親密になればなるほど離れるのが怖くなって、飛鳥くんを避けた時期もあった。今好きだと言わなければ永遠に伝えられなくなるのに、ね」

 ハネちゃんは苦い顔でしゃがみ、指先でさらりと波を撫でた。水は夕陽を反射して、まるで液体の宝石のようだ。何度も見たことのある海でありふれたものなのに、彼女がいるというだけで、何もかも奇跡に感じる。

 ねえ神様。
 正直俺は、あんたを撃ち落としたい。文句言いたい。なんでこんな運命にしたんだって、このやり場のない感情をぶつけてやりたい。

「今に見てろよ、くそ神め…!」

 神に向かって下品な言葉遣いになったが、後悔はしていない。というより、反省している時間がない。
 タイムリミットを見せつけるかのように、ハネちゃんの背中に、清浄で純一無雑の白い"翼"が現れたのだ。



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