04:天使
* * * *
「うへ、うへへへっ…」
ここ二週間、俺、風雅飛鳥はずっとにやにやしている。友人に気持ち悪いと言われたが、これっぽっちも気にしていない。
幸せだから俺はにやける。これのどこがいけないんだよ。日曜の朝から笑ってたっていいじゃないか!
「世界中の男へ謝罪したいぜ。あーんな可愛い彼女を俺が貰っちまったんだからな!うけけけ!」
調子に乗っているのは自分でもよく分かっている。けど、それだけ好きで、大切で、舞い上がりたくなってしまうのは理解していただきたい。
しかも今日は日曜で、水族館デートの日。平日の時とは違って、一日中一緒にいられるのだ。
テンションマックスだぜ。
「はぁー付き合って約二週間か…。あのドッキドキの告白は今だ忘れられないな。可愛い可愛いハネちゃん万歳!」
「…ママー、変なお兄ちゃんがいるよ」
「見ちゃいけません」
見知らぬ幼い男の子に指をさされた上に、軽蔑された。子供からの素直な意見なだけあり、流石に傷つく。
いい加減道行く人の目も痛くなってきたので、少し静かになろうと思う。落ち着こう。
「にしても俺、最近独り言増えたな。早く話し相手が来ないと、まじで変人になっちまう」
俺は現在、恋人が来るのを待機している。自慢ではないが、初めて彼女よりも先に待ち合わせ場所に着いたのだ。
「そろそろ来るかなー、ハネちゃん」
腕時計を一瞥してから、辺りを見渡しハネちゃんを探す。すると偶然、仲の良さそうなカップルが寄り添い歩いているのが見えた。が、その二人のすぐ近くにはもう一組、恋人同士であろう男女が険悪な雰囲気の中言い争っている。漂うオーラは真っ黒だ。
永遠などない、と誰かが言っていたが、それはつまりこういうことか?
かつては顔を合わせるだけで嬉しかったのに、いつのまにか隣にいるのが当たり前で、好きって感情もなくなって、最終的にはさようなら。
あの二組のカップルを眺めているとそんなビフォーアフターを見せつけられているようで恐ろしいが、生憎俺は"永遠"を信じている。――ドン引きされるかもだが、のろけたいお年頃なのです。
数分後、数十メートル離れた所から駆け足で近寄ってくる少女を発見した。
白いワンピース姿の金髪ロングに、すらりと伸びた手足。彼女は間違えなく――
「ハネちゃんっ」
流石に手を降るのは格好悪いからやらないが、緩む頬を止めることはできない。
熱い視線を送っていると、ハネちゃんは俺の存在に気づいたようだ。速度を上げて、リズミカルなテンポで目の前までやって来た。
「はぁっ…、ごめんね遅くなって。おはよう」
「おはよ。いつもは俺が待たせちゃってるから全然気にしないで。そんなことより、私服ってやっぱいいよなー…」
変態親父にならない程度に、彼女の服装をまじまじ見つめる。
…別にスケベな目で見てねえし!
健全な気持ちで純粋に可愛いって思ってるだけだし!
「ほとんど制服デートだから私服って新鮮だよね。ふふ、今日はちょっと気合い入れちゃった」
首には羽の形をしたネックレスが光り、髪もストレートではなく毛先の方が巻かれている。アクセサリーなどは全体的にシンプルな物がチョイスされ、気品のあるお洒落に仕上がっていた。
そろそろ俺、鼻血の大量出血で天に召されるかも。
「可愛すぎて逆に心配になるぜ…。怖い狼には細心の注意を払ってくれよ!?食われるぞ!?何かあったら俺が朝から晩までくっつき虫になって、監視してやるからな!」
「うーん、飛鳥くんが丸一日くっついててくれるのかぁ。有りかもしれない」
「ぶっ!?」
「なんちゃって。…大好き」
「…っ、そんなこと言ってると俺が狼になっちゃうだろうが!」
不意打ちの甘い攻撃に、俺は軽く少女の頭を叩く。それから、手をしっかりと繋いだ。彼女の手はどんな手袋よりも暖かい。握っているだけで十一月の寒さなど忘れてしまう。
「――じゃあ行こっか」
「うんっ」
"疲れるくらい、笑おうね。"
いつにも増して素直なハネちゃんはそう呟き、俺達は歩き出した。
* * * *
「いいなぁ…、私ペンギンちゃんになりたいなぁ…」
水族館に着いた俺達は、現在ペンギンコーナーにいる。
確かにペンギンは愛らしいし、沢山の人に好かれているけれど、女の子はペンギンに憧れを持つもの?
「なぜに?」
「だって、ペンギンって飛べないじゃない」
「いやいやいやいや、それって長所扱いしていいの?」
鳥なのに飛べないなんて駄目じゃん。と言う人ならいるが、どうやら彼女は真反対らしい。鳥なのに飛べないからこそ、魅力的ってやつなのか。
世間でいうギャップ萌?あぁ、クールに見えて実は雷が怖い女子みたいな?おっさんが喜びそうなシチュエーションだなおい。
「ところがどっこい。ペンギンだって、水中なら飛び回れるんだぜ?」
「え?」
ペンギンをナメてはいけない。
陸上ではペチペチしているけれど、水に入ればミサイル同然。物凄いスピートを出すことが可能だ。小さな身体で、懸命に海を飛ぶ。
そんなことを語っていたら、少女は目を細め「それもそうだね」と納得してくれたようだ。
ちなみに、地球温暖化と騒がれているこのご時世だし、実は俺もエコには気を使っている。いつまでも野生のペンギン達には元気でいてほしいし、人間ばっか得してるなんて、どう考えても非道だろ?
「…飛鳥くん、もしもの話だけどさ。翼が生えたら、どこへ羽ばたく?」
突如、なかなかメルヘンチックな質問をされた。
某ネズミの、夢の世界にいる気分になる。
しかし残念ながら、俺はここで「お菓子で出来た城がある所」とか答えられる性格はしていない。別に現実主義者ではないけれど。
「そりゃあ決まってるよ、近所のゲーセン」
「げ、ゲームセンター!?しかも近所…」
徒歩で行けよって話だが。
ゲームセンターは金のない学生の巣で、個人的になくてはならない施設だ。昔は母親の手伝いをして、ワンコインの給料を手に入れては遊んでいた。
現代ではタッチパネル式のゲームが数多くあり、最近はそれらにハマっている。ぜひ皆さんもお試しあれ。
「だって他に用ある所ないし。なにより、自分だけ飛べたって意味ないんだよ。――ハネちゃんがいなきゃ、どこに飛べても虚しいだけじゃんか。だからせいぜいゲーセンだな」
「夢がないなあ。でも…ありがとう」
突然、俺の手を握っていた力が強くなった。全く痛くないが、「どうした?」と聞くと「飛鳥くんの手って安心するんだよね」と返された。
反応に困るが、とりあえず悪口ではないからいいとしよう。
「お、あっちの水槽クラゲいるじゃん!俺クラゲ好きなんだよなー」
なんというか、クラゲは半透明なのに妙な存在感がある。牙も角もなくて何も主張してないが、風船のようにほわんとしていて、癒し効果は抜群だ。
共感してくれる人、いるかな。
「でもクラゲちゃんって、死んじゃうと溶けて消えてしまうんでしょ?」
「その儚さが格好いいんだよ。何一つ残さずに、潔く散って行く。男前じゃん」
間違いなく、俺には真似出来ないけれど。
「潔い…か。でも、残される側はどう思うかな」
「…?」
正直そこまで考えていなかった。
そりゃ、残される側からすれば冗談じゃないよな。今更ながら、軽率な物言いだったと反省する。世界中のクラゲとクラゲファンへ謝罪します。
チラッとハネちゃんの機嫌を伺っても、表情からは何も読み取れず、俺は彼女の言葉を待った。
「例えば、好きな人が手紙も写真も、髪の毛一本残さないでいなくなってしまったら、私はきっと悲しくて寂しい」
「そう、だよな。ごめん変なこと言って」
「記憶はあるのに、好きな人には会えない。そんなの辛すぎるよ」
「…ハネちゃん?」
心拍数が上がった。ドキリ。いや、ビクリ。
決してワクワクして高ぶっているのではなく、どちらかと言うとお化け屋敷に入って感じる鼓動に似ている。
「温もりを覚えているから。思い出だけ心に置いていかれてるから。だから苦しい。でも記憶さえなければ、徹底的に忘れてしまえば、辛くない。ちゃんと笑って生きていけるっ…」
「ま、待って。もう分かった、分かったから。少し落ち着いて…!」
少女は明らかに様子がおかしい。というか、パニック状態に近い。もはやクラゲの話でもなさそうだ。
率直に、怖かった。一言でいうと、逃げたかった。自分も動揺しているんだろう。
もう、やめてくれ。お願いだから、もうその続きを言わないで。これ以上言わないで。
「私、は…!」
「ちょっと黙れよ!!」
俺は荒々しく叫んで、気がついたら彼女をぎゅっと抱き締めていた。
ねえ、なんで。
なんでだよ。
どうしてそんなに、
「泣きそうな顔してんだよ…」
腕に収まる少女の身体は、小刻みに震えていた。何かに怯えているようで、風が吹いたら崩れ落ちてしまいそうだ。そのくらい、華奢な身体は弱々しい。
髪を撫でしばらく抱き締めていると、我に返った彼女から嗚咽が漏れる。その声は悲痛そのものだった。
痛い。耳が、頭が、心が、痛い。
「ごめっ、ん…なさい。ごめんね飛鳥くん…っ」
謝らないでいい。
泣かないで。
疲れるくらい笑うんだろ?
その想いとは裏腹に、彼女の声のトーンは一向に明るくならない。
「――私ずっと…隠してたことがある」
「ん?」
「今から伝えること、信じられない事だと思うけど、聞いてほしい。勿論、私はこの事実を隠していたわけだから、今更なんなんだって怒ってもいいよ。でも…最後まで聞いてほしいの…」
「何言ってんだよ。ハネちゃんが隠し事したってことは、それだけ言いづらい事なんだろ?…さっきは大きな声だしてごめんな。ハネちゃんの泣きそうな顔、見てられなくてあんな行動しちゃってた。でも今度は大丈夫だよ。ヘソなんて曲げないし、最後の一文字までちゃんと聞く」
「ううん、私こそ本当にごめんなさい。制御できないくらい取り乱しちゃって…」
『今伝えなければ、永遠に伝えることができなくなるかもしれない』。そう教えてくれたのは紛れもなく、ハネちゃんだった。
でもそれは時に、残酷な運命をも告げなければならない。受け止めなければならない。
言葉から逃避し、逃げ出してはならない。
「あのね、私…人間じゃないの」
いくら親密な関係だったとしても。
いくら誰よりも愛していたとしても。
他人のことを全てを知ることなんて不可能だ。好きな物、嫌いな物を把握してるからといって、それは自己満足程度の情報。
そして俺も例外ではなく、それどころか、俺は彼女の事を丸きり知らなかった。何も、何一つ、表面しか知らなかった。
何者かも知らなかったんだ。
「私は天使。そして――"もうすぐ消えるんだ"。私のこの身体も、飛鳥くんの記憶にある私の姿も」
ペンギンが海を滑空するように。
クラゲが海へ溶けていくように。
天使は天を飛翔し、天へ滲んでいく。
-continue-
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