03:君へ想いを
* * * *
あれ以来、俺と天野ハネの間には、なんだか溝ができた気がする。
"あれ"というのは、ハネちゃんの例の言葉だ。
――『私に恋を教えてください』
どういう意味なのか。
意味なんてないのか。
「とにかくギクシャク、してるよなぁ…」
何も話さないわけではない。
テストは無事に平均点をとり、彼女はおめでとうとも言ってくれた。朝目が合えば、挨拶だってしてくれる。
しかし、前よりも会話に弾みがないのだ。
だからと言って、喧嘩もしてないし、原因は分からない。
「…もやもやする。やっぱここは、行動に出るしかないか!」
このまま"ただの友達"でいたくない俺は、柄にもなく積極的になれた。今こそ男を見せよう。
けれど現在はまだ、一時限目の真っ只中。二人きりになりたいから、放課後あたりに残ってもらうか。
指で回して遊んでいたシャーペンを握り、プリントの裏にさらっと手紙を書く。下手くそな字だが読めないことはないはずだ。
隣で授業に集中していたハネちゃんの机に、静かにそれを置いた。
『放課後、教室でお菓子パーティーしようぜ!by飛鳥』
困りながらも嬉しそうな顔をする少女に、俺は内心ほっとする。顔の筋肉が全て、溶けたように緩まっていくのが分かった。
笑ってくれて――よかった。
* * * *
「いきなりお菓子パーティーするなんて、どうしたの?」
「んー?たまにはいいかな、なんて」
待ちに待った二人きりの放課後。
昼休みにこっそり学校を抜け出し、コンビニで買ってきたお菓子を並べる。甘いのも酸っぱいのもあり、種類は豊富だ。
ハネちゃんは瞳を輝かせて、何から食べようか悩んでいた。
「どれも美味しそう」
「奢りだから好きなだけ食べてよ。太らない保障はできないけどね」
「…。それを言われると気が引けちゃうなー…」
二人で顔を見合せ笑う。冗談を言ってふざけたのは久しぶりだ。
もっと気まずくなってしまうかと覚悟していたが、案外そうでもなかった。
`もしかしたら、このまま"友達"でいた方が楽しいのかもしれない。傷付かないのかもしれない。隣にいられなくても、ずっと近くにいられるのかもしれない。
「でも…好きなんだからしょうがないじゃん」
どうしても、隣にいたいんだよ。
どうしても、諦められないんだよ。
心から、一緒にいたいと思うんだよ。
「…飛鳥くん?」
「ハネちゃんってさ、好きな奴いるの?」
唐突に。不意に。突然に。
とんでもないことを聞いてしまった。
ハネちゃんはビクリと動いて、探るような眼で俺を見る。自分でも驚く突発的な行動に、たじろぎながら見つめ返した。
「え…っ、そ、そういう飛鳥くんはどうなのかなー?」
薄くにやけながら少女はお菓子を摘まむ。そのペースが少し早くなったのは気のせいではないだろう。明らかに動揺している。
――そっか、好きな奴いるのか。
「…俺はいるけど片想い。しかも初恋。想いは伝えたいけど告白して振られたら、友達ですらいられなくなる可能性もあるじゃん?だからつい躊躇っちゃってる」
ぼそっと言うと、ハネちゃんは動作を止めた。そして唇をぎゅっと閉じる。それから何かに導かれたように立ち上がると、お菓子から遠ざかり、全開になっている窓の外へ顔を出した。ここは五階。おそらく彼女の視界には部活中の運動部が小さく見えているだろう。
風になびいたカーテンが彼女と俺の間に壁を作り出した。
「それでいいの?」
いいわけない。俺は我儘だ。
何も返事できない俺に気を使ったのか、少女は子守唄のような心地よい音程でさとる。
「告白に限らないけど、"伝える"って、いつでも出来るわけじゃないんだよ。少し嫌な話になっちゃうけど、もしかしたら相手が明日、事故で死んじゃうかもしれない。逆に自分がいなくなるかもしれない。永遠に伝えられなくなる事だってあるんだよ。そうなってしまったら、きっと一生…――後悔する」
こんなハネちゃんは初めて見た。
同時に、ひどく怖くなり、痛くなり、頭が真っ白になってしまった。
もしも彼女がいなくなったら?
考えるだけで吐き気に襲われる。
「――なんて…こんな私が言える立場じゃないや。ごめんね飛鳥くん。上から目線みたいになっちゃって」
「ありがとう」
「え」
俺は邪魔なカーテンを素早く捲り上げ、こちらに顔を向けた少女の眼を一直線に捕まえる。
死ぬまで後悔だなんてまっぴら御免だ。
「飛鳥…くん?」
「お陰で決意固まった。告白するよ」
そうだ、してみせる。未来のために。
彼女は一瞬、長い金髪で顔を隠すように下を向いてから、ふわりと笑顔を見せた。
そしてまた外を眺めようと頭を動かす。しかしそれは俺の両手で阻止をした。痛くないよう力はほとんど入れていないが、頬辺りを包むように囲って固定する。
改めて、ハネちゃんは綺麗な容貌だ。白くて陶器のような肌に、薄く色付いた唇。青空色の瞳は輝き、少し潤んで見えた。
「――"好きだよ"、ハネちゃん」
三週間前、君と此処で出会ったあの日から。
ずっとずっと、君が好きだ。
容姿だけではない、優美な心を持った君が好きだ。
例え家族が、友人が、世界中の人々が反対しても、この気持ちは揺るがない。
「…っ!?うそで、しょ…?」
「嘘じゃない」
「で、でも!じゃあ初恋の人っていうのは…?」
「ハネちゃんのことだよ」
どもらずに、はっきりそう言う。
格好をつけて涼しい顔をするが、正直内心はビクビクして、今にも胃に穴が開きそうだ。
だって高い確率でフラれるんだぜ?
どっかの映画みたいに、実は私も貴方が好きです的なストーリーになる方が珍しいんだよ。
初恋の相手は眼を泳がせて、唇を震わせた。
「私だって、大好きだよ…っ。ライクではなく、ラブの意味で」
「そうかそうだよねラブの意味で…――って、あれ?」
俺は英語が苦手だ。
でも、このくらいの単語くらい分かる。
この場合、ライクは『友達として好き』。
そしてラブは――…
「れ、恋愛対象として、好き。だぁぁぁぁあああ!?」
「ちょ、や、飛鳥くん!声大きいっ」
二人で真っ赤になりながら、教室に男女の叫び声が響き渡る。学校の七不思議になるかもしれない。
だが今は冷静にそんなこと考えていられない。
夢じゃないよな?妄想じゃないよな?現実だよな!?
「まさかこんなことって…。絶対、ずぇーったいフラれるって覚悟してたのに…!」
「私だってついさっき、飛鳥くんが誰かに告白するって言うから『終わった』って思ったよ!――涙溢れてきちゃって咄嗟に下向いて落とした時は、流石にくじけたなー…」
「あん時泣いてたの!?潤んで見えたのは俺の気のせいじゃなかったのか!」
一番泣かせたくない人を泣かせてしまった。
法律では裁かれなくても、男としての罪に値する。
「でも私の勝手な早とちりだったし、飛鳥くんは何も悪くない。ほら、あれは嬉し泣きだったってことにしよう」
無茶苦茶な事を言うけれど、その天然な優しさが愛らしい。そろそろ鼻血吹き出そうです。なんですかこの可愛い生き物。
――でも、一つだけ解決していない疑問がある。
「なんで最近、距離感あったんだろう」
両想いだったのに、近付くどころか離れるってどういうことだよ。俺の被害妄想ではないし、彼女もあの距離を認識していたはずだ。
「あぁそれは多分…、私が避けてたから」
「おい!?」
犯人特定に時間はかからなかった。
「私もね、実は初恋なの。だから恋っていうものが全然分からなくてさ…。好きになればなるほど、それに比例して苦しくなって、寂しくて、きっと臆病になってたんだろうね。つい避けるようにしちゃった」
その気持ちはよく理解できる。
だから俺も踏ん切りがつけないで、ずるずると"友達"という関係に甘えてしまった。
でも、そのままでいたら、いつか俺は臍(ほぞ)をかむ羽目にあっていただろう。後悔先に立たずとはこのことだ。
「なのにこの前の勉強教えた日、別れ際で『恋を教えて』なんて無意識にポロッと出ちゃうし…。もう駄目だね私。飛鳥くんのこと尋常じゃないくらい好きみたい」
照れ笑いをする彼女のせいで、俺の心臓は相変わらずうるさい。
ハネちゃんのことは、何がなんでも守ってみせる。
腕がもげようと、骨が砕けようと、俺が必ず盾になってみせる。
神にでも天使にでも、胸を張ってそう誓おう。
――だから、どうか此処にいて。どこにも飛ばないで。
-continue-
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