まるさんかくしかく | ナノ




三郎は医務室へと続く道を私のことを抱えているにもかかわらず、音もなく歩いていく。二人の間に特に会話はなくて、しばらく沈黙が続いていたけれど、今はそれがむしろ心地好いとさえ思えた。


ふと、今までリズム良く歩んでいた三郎の足がぴたりと止まった。不思議に思って俯いていた顔を上げてみると、医務室に着いたことがわかった。


「三郎、ここまで来たらもう大丈夫だよ。だから、おろして?」


ここに来る途中は運良く誰とも会わずに来れたが、医務室の中には新野先生か保健委員の誰かが居るだろう。こんなところを誰かに見られるのは避けたい。三郎はちら、とこちらに目をやると、今度はにやり。…嫌な予感がする。嫌な予感しかしない。

三郎はいつものような笑みを見せたあと、「失礼します」と一言だけ言ってそのまま中へと入ってしまった。ああ、まずいまずいまずい。


「はいはーい。あれ、鉢屋…と、…なまえちゃん?」

「い、伊作先輩…」


うわ、恥ずかしい。非常に、恥ずかしい。先輩も驚いたのだろう。きょとんとしてる。不幸中の幸い、と言っていいのかわからないけれど、医務室には伊作先輩ひとりきりしか居ない。


「えーっと…どうしたの?」

「あー、あの…足をちょっと…すみません」

「馬鹿。ちょっとどころじゃないだろ」

「ば、馬鹿じゃないよ…。ていうかね、いい加減おろして!ほんとに恥ずかしいんだよ?」

「くす……鉢屋、悪いけどあそこの棚から包帯を取って来てくれるかい?」


三郎は伊作先輩の言葉に面倒臭そうに返事をして、(ここでやっとおろしてくれた)(あぁ、恥ずかしかった…)言われた棚へと向かって歩いていった。


「はい、じゃあなまえちゃんは痛いところみせて」

「お願いし、ます」

「………、」


伊作先輩の表情が悲痛そうに歪められる。自分が思っていたよりも怪我が酷いということに気づかされた。それと同時に、何とも言い難い申し訳ないような気持ちが胸に広がった。やっぱり私は三郎の言うとおり馬鹿なのかもしれない。


「善法寺先輩、包帯、これでいいですか」

「うん…ありがとう、鉢屋」


先輩の綺麗な手がてきぱきと私の足に包帯を巻き付けていく。私はその光景をただぼんやりとみていた。


「なまえちゃん、これはいつやったの?」

「あー、えっ…と、二日前くらいに…おつかいの途中で…。一応、応急処置はしたんですけど…」

「あぁ、おつかいに行ってたの。どうりで最近見かけないわけだ」

「はい…。さっき帰ってきたばっかりなんです」

「鉢屋以外のやつらにはもう会ったかい?」


ど、くん。心臓が不自然な音を奏でた。


「会ったというか…、姿は、見かけました」

「そう…。……よし。はい、終わり。暫くは安静にしてるんだよ」


治療されたところを見てみると、白い包帯がとても綺麗に巻かれていた。


「ありがとうございました」

「ううん。それより、大丈夫?顔色が良くないけど」

「あ…い、いえ、全然大丈夫ですよ?なんともありません」


先輩の表情から、私の言葉に納得をしてないことが容易にわかったけれど、先輩はそれ以上私の体調について何かを言ってくることはなかった。しかし、私の体調については何も言わなかったけれど、不可思議な言葉を吐き出し始めた。


「ねぇなまえちゃん、…僕はなまえちゃんのこと、絶対に裏切ったりなんかしないよ」

「え?」


…?伊作先輩は、いったい何の話をしているんだろうか。あぁ、そういえばさっき三之助も同じようなことを言ってくれた気がする…。有り難いことには変わりないけど、私にはその意図がちっともわからなかった。


「なまえちゃんの味方はまだ、ちゃんといるんだ。僕に、鉢屋…他にもたくさん。留三郎は駄目だったけど…」

「……えっと…先輩、ちょっと話の内容が掴めないんです、けど」

「あの女のせいでしょ?」

「え、」


伊作先輩の目が、雰囲気が、すべてが普段の様子からは想像も出来ないくらい冷たいものになった。こんな伊作先輩、今まで一度だって見たことがない。そして、哀しいことに私は先輩の言う『あの女』が誰を指すのか、それが分からないほど鈍感ではなかった。


「今、なまえちゃんが傷付いてる原因はあの女でしょう?」

「せ、せんぱい?」

「可哀想に。あの女に大切なものを奪われてしまったんだね」

「ちが、います」

「あの女がいなければこんなことにはならなかった」

「先輩、やめてください」

「あんな女、」


「善法寺先輩」


効果音を付けるなら、ぴしゃり。それまで私の横で黙ってたっていた三郎が、ぴしゃり、と先輩の名前を呼んだ。


「ここではいつ、誰が、何処で話を聞いてるかわかりません。そういった話は避けた方が良いかと」

「あぁ…そうだね。二人とも、ごめん。どうかしてたね。少し感情的になりすぎちゃったみたいだ」

「いえ…」


よかった。とりあえず、ぴりぴりと張り詰められていた空気が緩んだ。



「でもね、僕はあの…彼女が来る以前の平和な学園が大好きだったんだ。特に…君たちが仲良く笑っているのは、見ているだけで幸せだった」


伊作先輩からは、さっきまでの冷たさが嘘のように消えていた。その代わり、見ているこっちが泣きたくなるくらい、ひどく淋しそうに笑った。


「さ、鉢屋。なまえちゃんを部屋まで送ってあげて」

「はい。言われなくても」

「ちょ、三郎?」

「じゃあなまえちゃん、お大事にね」

「えっ、あ、ありがとうございました」













医務室を出た後、私はまた先ほど同様三郎に抱きかかえられている。恥ずかしい。何度も言うけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。こんなことされるのは、当たり前だけど慣れていない。


「三郎、おろしてってば」

「安静に、って言われただろ」

「う…うん。それは、そうだけど…でも、」

「でも?」

「一緒に…歩きたい、の。久しぶり、だし」

「……、」


三郎は少しの間何か悩むようにして、渋々、といったかんじではあったけど、静かに私の身体をおろしてくれた。そして、私のペースに合わせて、ゆっくり、ゆっくりと二人並んで歩く。今の発言に嘘はない。本気でそう思って発した言葉だ。



「ありがとうね、医務室まで運んでくれて」


三郎は返事の代わりに、こちらを見て微笑んだ。…三郎がたまに見せるこの表情は心臓によくない。




「さぶ、ろ…」

「なんだ」

「さっきさ、伊作先輩が言ってたこと…」

「あぁ、」

「…私も、同じだよ。みんなで楽しく笑い合ってる日常がね、すごく大好きだった」

「なまえ……」

「けど…もう、戻れなそうだね…」


やっぱり私は馬鹿だ。自分の発言に泣きそうになっている。


「なまえ、私は…」


「みょうじさん!!」



三郎の言葉を遮るようにして、私の名前が呼ばれた。紛れもない、あの、彼女の声で。ぞわり。訳の分からないものが何処かから押し寄せてきた。





ああ、三郎はさっき、何を言おうとしたのだろうか。









積木崩し
(崩壊はあっけない)(それは、積み重ねたものが大きければ大きいほど)(全てはそんなものだ)



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