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ぼくらのシガレットルーム


一緒に住んでる/付き合ってないけどキスする/レオは喫煙してる










 発売元は、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパン。要するに、ここはどこだ?

 そんなどうでもいいことを頭の隅に追いやりながら、泉はテカテカと輝くグリーンのハードケースをしまい込んだ。
 無論、泉が吸う煙草ではない。生まれてこの方、咥えたことさえない。副流煙さえ嫌悪気味だし、飲み会前はニオイ避けのスプレーを虫除けのごとく降りかけて出かける日々だ。

   つまりこれは、同居人のおつかいである。

 月永レオは、とにかくタバコの銘柄にこだわりがなく、それは畢竟、火がついて煙が出れば線香花火だろうが咥えるのではないかと錯覚しそうになるほどだ。

 もちろん、事実そんなことはない。以前は灰が譜面に落ちてボヤ騒ぎさえあったのだから、花火など与えたら大惨事だ。そもそも地獄絵図だ。無論そこが問題ではないのだけれど。

 まあ、葉巻を買い与えれば煙を吸い込んで泣きながら咽こむし、極細のメンソールは噛み切ってしまい、慌てて吐き出させたことだってある。こういうトラブルもあって、瀬名泉はこの同居人にタバコを買い与えるのが好きではなかった。

 しかし、言ったところで聞く相手ではないし、そもそも音符との対話に溺れているときは、食事もろくにとらないような男だ。煙草を求めてベランダの空き缶を探り、雨水に塗れて露骨な毒色に染まったシケモクを吸われても鳥肌が立つ。

 結局、甘やかしている自覚はあるのだが、今日も撮影終わりにスーパーに寄って二人分の食材を買い込んだあと、自販機で適当な銘柄を二箱。
 非喫煙者なのにわざわざ作ったタスポは、ここ以外では決して出さなかった。スモーカーに対する波風の強さは局地的だとは言え、少なくとも泉の売り出し方に合ったものではないのだし。

「ただいまぁ」
「んー」

 珍しい日だった。唯一喫煙を許可した四畳半の小部屋から、レオの唸るような返事が泉を出迎える。
 ドアを開けると、ヤニとペンで敷金マイナスの覚悟はとっくに決めてある部屋の中央に、書き散らかした五線譜にまみれたレオが蹲っている。

「何、具合でも悪いわけ」
「目が覚めたらセナがいなかった……」
「今日朝から仕事だって言っといたけどぉ」
「タバコもないしセナもいないし、宇宙の声も聞こえない……」

 隣にしゃがみ込み、ガサガサとビニールを鳴らしても、レオはごろごろとフローリングの上を転がるばかり。

「ほら」
「はっ」

 そのくせ、不本意な二箱をゆらゆらと揺らして見せれば、猫じゃらしで遊ばれる小動物のような勢いで起き上がって来る。現金な生き物め。

「セナぁ!愛してるぞ!」
「あんたが愛しているのは、俺じゃなくて煙草でしょ」
「ありがとなー!」

 こっちの話など最早欠片も聞くつもりはないのだ。礼を言うだけマシである。雲間に日光が差し込んだように、ぱあっと明るくなったその表情に絆されて、これ以上何も言えない泉も泉なのだけれど。

 そのくせ、自分で口にした言葉に、意外とダメージを受けていたりする。
 レオが愛しているのは自分ではなくて煙草、というのはいくらか意味合いが違うが、少なくともこの立場は、別の人間でも十分代用が効く。長年の付き合いでノウハウを知っているから気兼ねがないというだけ。

「あっ、セナ!」
「ん?……っん」

 煙草を開封する手を止め、泉の腕を強く引いて、吸い込むより深いキスをする。

「おかえり!口寂しかったぞ!」

 ざまあみろ、国籍不詳のケムリ草。
 なんて、低レベルな嫉妬。不必要。火がついたまま消えなくて、早何年経っただろう?