この手の届く距離
その日、中谷将美は図書室へと足を運んでいた。
まあ今日に限ったことではなく、友達のない将美は、昼休みの時間などは大概ここにいるわけで。
といっても、読書がそこまで好きというわけでもなく、今日はひたすら図書室の中をゆっくり見て回っていた。
“やっぱりここはいいな、みんな本に集中してるから誰も僕を見て怖がったりしない”
少年中谷将美は、この奇人変人が集う奏梗学園でも人目を引く存在だった。それは、彼が特別何が出来るというわけでも、秀でているわけでもない。
目を引くはその『外見』。
196cmという高身長はこの学園でも、ましてや同じ年の一年クラスでは特異で、どこにいても周囲から頭一つ分飛び抜けている。
加えて元々目つきが悪く表情の乏しい彼は、その身長も相まって高校生とは思えぬ迫力を放っていた。
当然周囲からは不良だ何だと囁かれ、あらぬ噂に、何もせずとも恐れられ…外見に反して酷く口下手で消極的な彼は、誤解を解くことも出来ぬままここまでずるずると生きてきた。
彼の本当の性格を知る者は、
少ない−−。
「はぁ…」
将美は先刻のことを思い出し、小さく息を吐く。
ここに来る途中、前を歩いていた女子が落としたハンカチを拾い、渡そうとしたところ、短い悲鳴を上げられ全力疾走で逃げられたのだ。
“ハンカチ、置いてっちゃったなあの人…”
後で事務室に届けないと…
あのような反応が、全く気にならないわけではないけれど、
あまりにも日常的で、慣れてしまった。
“あれ?”
ふと、将美は前方へと目を留める。
一列先の本棚の前で、一人の女生徒が高い位置にある本へ手を伸ばしているのが見えた。
「っ…、っ…」
どうやら取れないらしい。
懸命に背を伸ばし、爪先立ちで立つ姿は少し危なっかしい。既に片手に持っていた数冊の本が、今にも落ちそうだ。
「……」
「…?」
自分を覆った影に、少女が振り返る。
「どうぞ。」
気づくと将美は少女に歩み寄り、彼女が取ろうとしていた本を取り、それを手渡していた。
「……」
キョトンとした顔で将美を見上げる少女。
「…あ」
そこで漸く、将美は自分のとった行動に焦りと後悔を感じた。“ま、また逃げられる…そのままにしておけばいずれ届いたかもしれないのに…お節介って思われる……怖がられる…”
「……。」
と、
そこで少女は突然ポケットからなにやら取り出し、
“携帯?”
そこに、手慣れた様子で素早く何やら打ち込むと、それがスッと将美の前に差し出された。
『ありがとうございます。』
「−−…」
にっこりと、少女が将美に笑いかけた。
“え、…こ、これ、僕に言ってるの?”
己の目を疑う。
差し出されたお礼の文が信じられず、慌てて周囲を見回し、他に人がいないことを思わず確認してしまった。
「ど、どういたしまして…」
とりあえず返事を返すと、声が裏返った。変な汗が流れる。
“あ、…あれ?”
「あの…ひょっとして口が…?」
聞けないのだろうか。
と思い、それとなく訊ねると、少女は顔色一つ変えず、コクリと頷く。
「…もしかして…目も?」
思わずそう続けると、不思議そうに首を傾げられた。
「あ。す、すいません…お礼を言われるなんて珍しくて、その…」
言ってることが支離滅裂だ。
かなり無神経なことを聞いてしまったのかもしれない。
頭の中で慌てて言い訳を考えていると、
「…−−」
「…え?」
そんな将美の前で、少女は声もなく、小さく肩を震わせ笑っていた。
「……」
「あー。」
「!」
「いたいた、つぼみぃ。」
不意に自分の背後からかけられた声に、将美の身体はビクッと跳ねた。ハッとして振り返ると、そこには見知った顔が。
「沙代子先輩…。」
「あれ、まーちゃんもいる。」
まるで天井を見るように顔を上げて自分を見上げる彼女は、将美の先輩。彼に臆せず近寄ってくる、数少ない理解者だ。
「つぼみぃ、先生が探してたみたいだけど。」
『つぼみぃ』と、彼女は少女をそう呼んだ。それを聞いた少女は先程の携帯に返事と思しき何かを打ち込み、それを沙代子に見せると、急いで抱えた本をカウンターへと持っていく。
「じゃーね、まーちゃん。」
「え、あ、はい。」
“……つぼみ…っていうのかな、あの人…”
ぼんやり去りゆく二人の姿を目で追う。と、ふと入り口の前で立ち止まった『つぼみ』が、こちらを振り返り、
一冊の本を、こちらに見えるように翳した。
「!…」
ぺこりと頭を下げ、ふわりと花のように少女は笑う。
その微笑みが自分に向けられたことが、やっぱり信じられなくて…
戸惑いと、言いようのない嬉しさに
胸が騒いだ。
「ねぇつぼみぃ。まーちゃんとお友達だったの?」
数冊の本を抱え職員室へと向かう蕾に、沙代子は首を傾げて聞いた。
『本を取ってもらったの。
あんな大きい人、初めて見た。』
「…嬉しそうだね、つぼみぃ。」
「……」
『−−あ。す、すいません。お礼を言われるなんて珍しくて−−−』
大きな体を、小さくして話す“男の子”を、自然と可愛いと思えてしまった。
“自分よりあんなに背の高い人に、可愛いは失礼かな…”
「つぼみぃー?」
『この本、前から読みたかったんだ。』
「よかったね。」
『うん(*^^*)』
この本を返す時、一人じゃまた届かないかもしれない。
その時も彼は、そこにいてくれるかな?