先程までの喧騒が嘘のように消えた昼下がり。
お昼寝の時間が設けられているなんて、幼稚園児とはいいご身分だ。
寝つきのいい子たちの邪魔にならぬよう疲れ知らずの子供を寝かしつけ、寝相の悪い子は布団に戻し、タオルをかけてやる。
伊織は何やら今回のことを記事にしたいとかで、カメラを片手にどこかへ抜け出て行ってしまった。
「凄いな、九条は。」
気づけば無意識に、そう呟いていた。
「…?」
すやすやと寝息を立てる子供の頬をつつき、クスクスと笑っていた零夜は、それを聞き取り、首を傾げて振り返る。
「何ですか?藪から棒に。」
「子供の扱いといい教え方といい、随分上手い。先生みたいだった。」
「それなら伊織くんの方がずっと凄かったですよ。教え方とか、まさに学校の先生そのものって感じで。」
「柏倉もそうだが、九条のそれは学校で習うようなものだけじゃなく、なんというか、こう…」
もっと大切なことを、教えている気がする。
「どちらかというと、親の方かもしれないな。」
「そんな大げさな…」
そこまで言われて悪い気はしない。けれど、俺には到底真似できない、と一人苦笑する斑葉は、どことなく寂しげに見えた。
「…斑葉くんは、子供が嫌いですか?」
「……嫌いじゃない。ちょっと、苦手なだけだ。」
そう。苦手なだけ。
それは今日1日、零夜の目から見てもハッキリと分かったこと。
「どう接していいか分からない。遊ぼうと言われても、何をどうすればいいのか…」
「普通に遊べばいいんですよ。鬼ごっことか、かくれんぼとか。自分が小さい頃遊んだように。」
「………やったことない。」
「え?」
その言葉に驚き、思わずじっと彼を見る。すると、そこには先刻、泣きそうな少年を前に見せた、あの時の顔があった。
どうすべきか分からない、惑いの表情。
「小さい頃、少なくともこいつらくらいの時、俺はずっと家で、家を継ぐための勉強ばかりしていた。」
今みたいに、喋る方でもなく、ただ黙々と机に向かい、本と習い事に費やした日々。
表情も乏しく、この子供たちのように泣くことも笑うこともしなかった。
『子供のくせに』
「可愛くないと周りの大人たちがこそこそ話しているのをよく聞いたよ。他の奴らのように遊びたいとか、そんなこと思ったこともなかったな。」
「……。」
「だからこいつらと遊んでやるのも下手で」
ぽふ、
「! ……え?」
頭に乗っかる、ふわふわと柔らかい感触。
見上げると、それはする、と頭から離れ、目の前へと突き出される。
“…ウサギ?”
白いフェルトのウサギは、元気に頭と手をパタパタさせ、ボタンで出来た丸い目で、こちらをジッと見つめる。
『遊んで“やる”必要なんてありません。』
「?」
『遊び方も知らない、遊んだこともないと言うのなら、貴方はまだ、あの子たち以上に子供です。そして、自分は大人だと思ってる、大人ぶったただの生意気な“ガキ”なんです。』
「ガ、」
『遊べばいいんですよ。』
パペットの裏から、
ひょこっと見慣れた顔が覗き、その表情にふっと笑みが浮かんだ。
−−先程の子供たちに向けた、あの優しげな笑みを。
「遊び方が分からないのなら、あの子たちに教わればいい。腰を屈めて、目線を合わせて。遊んで“やる”んじゃなくて、ただ一緒に遊べばいいんです。だって僕も貴方も伊織くんも、まだまだあの子たちとそう変わらない、子供じゃないですか。」
「……」
「この子たちが起きたら、あと3、4時間はありますからね。手始めにしょうたくん辺りに声をかけてみるのはどうでしょう。」
「…何て、」
「え? そんなの決まってるじゃないですか。」
…あぁ、真っ白いうさぎは、こんな顔で笑うんだろうか。
いつも大人びた微笑みが、今日はなんだか、やけに子供っぽく見えた。
『一緒に遊ぼー』
「ですよ♪」
−−…。
「いやぁ、今日は楽しかったですねー。伊織くんの授業なんか迎えにきたママさんたちにまで好評でしたし?」
「いやいや、思った以上に子供というのは飲み込みが早くて助かったよ。…ところで彼、午後からは随分顔つきが変わったようだったけど、何かいい薬でもあったのかな?」
「…そんなんじゃないですよ。」
ニヤニヤとしながら情報を請うてくる親友に、零夜はふっと息を吐く。
「あーあ、本当は子供相手にたじろぐ彼を、思う存分いじってやろうと思ったんですがねぇ。」
「えー」
クスクス笑う親友は憎らしいことに、自分の考えてることなどお見通しなのだろう。
「…ま、あれもなかなか見ものでしたから、よしとしましょうか。」
…−−
「随分といいお顔をされてますね、坊ちゃま。」
「そうか?…気のせいだろ。」
帰りの車中。
ミラー越しに見る孫同然な存在の主人は、15年仕えてきた自分が、一度だって見たこともない表情をしていた。
「……畑中。」
「はい?」
「父は驚くだろうか。」
「?」
「俺が、…『遊んで欲しい』なんて言ったら。」
「…いいえ。とても」
とてもお喜びになると、思いますよ。
そう言うと、坊ちゃまはそうか、と一言、小さく呟いた。それっきり窓の方へと顔を向け、短い会話に終止符を打つ。
けれど窓に移る彼の顔は、先程までと変わることなく
“年相応”に、穏やかだった。