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−−…。
「「……すげー…」」
10分後。
神崎の弟である双子の螢(けい)と魁(かい)は、前回に引き続き突然家に来たいけ好かない男を見上げ、感嘆の声を上げた。
「あ、こら、まだ食うな!」
「うお! なんだコレめちゃくちゃうめえ! カメ、お前女だったのか!?」
「なんでそうなるんだ!」
「けい、オレにもよこせよ〜。」
テーブルの上に並べられた料理からは、美味しそうに湯気が立つ。
時間もなかったため、簡単な料理を作った要だったが、二人は物珍しそうにそれをつまみ、奪い合っている。
“野良犬か!”
「箸で食えよ、せめて。」
ゴミ箱に捨てられているものを見れば明らかだが、まともなものを食っていないのは確かだが…。
「どうだ? 神崎も…」
「………バイトに行ってきます。」
「え、あ、…おい! 神崎!!」
自分がしていることはただの、…いや、当人にしてみればかなり迷惑なお節介だろうと、要は解っていた。
“また、怒らせてしまった…”
「非常識です。」
「う゛…」
翌日の朝。いつものようにクラスで顔を合わせた要に、柚那は早速辛辣な言葉を浴びせかけた。
「食事の件はまあ目を瞑るとして…家の中を勝手にいじられては、こちらとしても不愉快です。」
「い、いや…それに関しては俺もやり過ぎたと反省してるんだが、あまりにも散らかってたもんで…つい…」
昨夜遅く。
バイトから帰宅した柚那は、小綺麗に片付けられた室内と、その変わりと言わんばかりに所狭しと干された洗濯物を目にし、唖然とした。
「一体何の権限があって、」
「わ、悪かった。さすがに無神経だったと…」
「いえ、もういいです。二度とうちに干渉しないとお約束して頂ければそれで結構です。」
こんなに不機嫌を露わにした柚那は、要にとっても、恐らく彼女を知るどの知人にとっても初めてのことだろう。…否、こんな時でも彼女は、表情一つ変えてはいない。声の調子と、彼女を纏う空気の些細な変化から、その感情を読み取ることが出来るのは、彼女に近い、ほんの僅かな人間。
「…あ、悪いが今日も行くことになるからな。」
「!」
「昨日あの後帰ってきた妹さんに、料理を教えて欲しいとせがまれて、……いい機会だからそうしようかと。」
「……。」
これまた珍しくハァ…とため息を吐く柚那に、要はばつが悪くなったが、それとは別に、昨日から考えていたことを口にする。
「神崎、バイトを減らせ。」
「! …な、」
「昨日妹さんから聞いた。お前、以前よりバイトの時間増やしたそうじゃないか。」
「だったら何ですか。」
「神崎の言い分だって分かる。一人であの人数を養わなきゃいけないのも、それにはやはり金銭的な問題があるのも…。」
「七瀬君には、分かりませんよ。」
「…そうかもな。」
「……。」
らしくない笑みを浮かべる要は、いつもと違い、目先のことではなく、どこかもっと、深いところを見ているようで…
「……」
『無理して身体壊さないといいんですけど。』
『ゆな姉は渡さねぇぞ!』
「…あいつら(妹弟たち)と、もう少し一緒にいてやれ。」
「………」
「差し出がましいようだけど、まだ小さいんだからな。」
柚那は反論するでも、昨日のように怒って立ち去るでも、ましてや頷くでもなく、
ただ黙って、
要のその言葉を聞いていた。
−−数日後。
“最近、神崎も何も言わなくなってきたな…”
柚那の妹、ありさに料理を教えるため、要は連日のように神崎家へと通っていた。
“妹さん、今日は部活の合宿でいないのに、夕飯の支度を頼まれてしまった…”
後になって分かったことだが、柚那は全く料理が出来ない。いや、出来ないというレベルではない。焼く料理の殆どは目を離せば真っ黒く焦がしてしまうし、味付けをしようものならとても人が食せるものではなくなってしまう。
成程、あのインスタント食品の原因は彼女の多忙さだけではなかったんだな。
「おじゃましま…」
「「かめー!!」」
「…す?」
神崎家の引き戸を開けた途端、なだれ込むようにして要の元へ、螢と魁が駆け寄ってきた。
「た、大変だ!」
「ゆな姉が…!!」
「…!」
「……七瀬くん、」
慌てて居間へと入ると、そこには壁に手をつき、虚ろな視線をよこす柚那の姿があった。
空いた手で額を覆う、その隙間からは、酷く青ざめた血の気のない顔が覗く。
「か…」
「騒がないでください。…ただの、貧血ですから…」
途切れ途切れに言葉を紡ぎ、小さく息を吐き出す。そう言って半ば強引に身体を興す柚那は、何食わぬ顔で要の横をすり抜けようとするが、やはりその顔色は蒼白としていた。
「…」
「…!」
咄嗟にその腕を掴み、引き止めたのは…
多分、要にとっても無意識のことだろう。
「お前…それでバイト行く気か?」「…いけませんか?」
「……。」
予想は…していた。
恐らく、これまでも彼女がこうして、決して丈夫ではない身体を奮い立たせ頑張ってきたことも。
弟たちの不安な表情と、何より彼女自身が、さも当然のように言ってのけるから。
「今日はやめろ。いくら何でも顔色が悪い。今日は妹さんもいないんだし…無理せず一日くらい休んだ方が…」
「これくらい何でもありません。」
「そうは見えない。」
「今日は一つだけなんで、…帰ってすぐに休めば何の問題もありません。」
「ふざけるな。今のお前に行かせるくらいなら、今日のバイトは代わってやる。俺が言ってるのはそういうことじゃ…」
「っ、…ふざけてるのはどっちですか!」
「!」
バッ−−、と掴んでいた腕を勢いよく振りほどかれ、要は思わず後ずさる。
……神崎柚那が、
初めて声を荒げた。
反動か、それとも具合の悪さからか、柚那の身体がぐらりと揺れる。
「…っ、」
「! 神崎!?」
「「姉ちゃん!?」」
防ぐ間もなかった。
視界が歪む。
咄嗟に差し伸べられた要の手が虚しく空を切り、柚那の身体は、床へと崩れるように、倒れていった−−。
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