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−−…。
「なあ、俺今お金なくてさ、と〜っても困ってんのよ。五千円くらい、めぐんでくんねぇ?」
「こ、困ります。このお金は、今日塾で…」
「あぁ? 聞こえなかったなぁ〜。…もっかい言ってくんない?」
「…っ、」
塾や模擬の近辺というのは、こういったことが珍しくない。
いかにも真面目そうで、ケンカなどとは縁もないようなカモが、ネギをしょって歩いているのだ。塾への近道となる、人目のつぬ路地で待ち伏せでもしていれば、手頃な貯金箱が通りかかるというもんだ。
「どうせママからもらった金なんだろ〜?」
しかし、ここを通るのは何も、真面目な優等生ばかりではない。
「勉強なんかより、俺らがずっと有意義に使ってや」
「おい、」
「………あ?」
「邪魔だ、どけよ。」
苛立ち混じりの声が、男の言葉を遮った。
「ハァ? んだテメェ…。」
「いいから、邪魔だっつってんだよ。…“クズ”が。」
ピキッ…
「…ッノヤロ〜、ナメてんじゃねぇぞ!」
男が拳を握り、殴りかかってきた。
拳が空を切る。それが相手に当たることは叶わず、次の瞬間、男の身体が路地横の塀へと叩きつけられた。
「ッ!!?」
呻く間もなく、ガクリと男の肢体から力が抜ける。
“よえぇな…一発で気絶かよ…”
薫はあまり手応えの残らぬ掌を、開いたり閉じたりしながら、男にカラまれていた学生へと目を向けた。
「おい、」
「!」
忠告のつもりで、声をかけた。
帰り道で度々こんなことが起こっては、面倒でしょうがない。
「お前、気をつけ…」
「ひっ!」
薫が言おうとするより先に、短い悲鳴のような声が上がる。
「…。」
見れば、すっかりノビてしまっている男と自分を交互に見ながら、ガタガタと震える学生の姿が。
「お、おおお金ならありますから、な、殴らない、で…」
「……。」
声をかけた。ただそれだけだったのだが…。
恐らく、目の前で人が殴られ、ふっ飛ぶ所を見たのは初めてであろう学生は、震えた手つきでバックから財布を取り出す。
「ハァ、……消えろ。」
「え、」
「それ持って、とっとと失せろっつってんだ。」
「! は、はいぃッ!!」
冷めた声音に含まれるのは、呆れか苛立ちか。
その言葉に弾かれ、学生は転がるように路地から飛び出していった。
最近、タバコの減りが少なくなった気がする。
先週買ったものは、まだ半分以上本数が残っており、そこからタバコを一本取り、口元へと運ぶ。
「…お優しいんですね、」
「!」
「風戸薫くん。」
それに火をつけようとしたその時、
突如自分にかけられた声に、薫はハッとして手を止めた。
「誰だ。」
それまで感じなかった気配が、ふと浮き彫りになる。
声のした方へと鋭い口調で問いかければ、すっかり暗くなった路地裏から、高い靴音と共にその声の主が姿を見せた。
“……外人?”
街灯も何もない暗がりから、真っ先に目についたのは、月明かりに照らし出された銀色の長い髪。ニコニコとした笑みを浮かべるその顔は、日本人離れしているように見える。
「…一応、貴方の通う学園で生徒会長を務めさせて頂いているんですが…」
「は?」
「九条零夜と申します。」
“…! あのチビの…”
「テメェか、俺んとこに変な“ガキ”よこしたのは…。」
「ガキだなんて…紗嗚が聞いたら怒りますよ?」
そうは言っても、薫の目の前にいる零夜は実に愉快気な表情をしている。
“いけ好かねぇ”
火をつけぬまま手にしていたタバコをクシャリと握り潰し、薫は直感的に、零夜に対して距離をとる。
「そう警戒しないで下さい。僕はただ、貴方という方が…実際どのような人間なのか、見に来ただけですから。」
「?」
「噂なんてものは、大概アテになりませんからね。」
「…。」
自分に関する“噂”というものは、薫自身もよく知っていた。
虫が好かなければ誰彼構わず殴りかかるとか、女子供にも容赦ないとか…。しかし、薫は女子供に手を上げたことは勿論、自分から喧嘩を売るようなマネも、ただの一度として行ったことがない。
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