企画 | ナノ

文通

白い上質な紙に、真っ黒な墨で染めた筆を滑らせる。
初めの一筆をひどく緊張して紙に置けばその後は流れる様に手を動かすだけだ。
細い小指ほどの筆はよく使いこまれており、手によく馴染む。
止まることなく、全ての想いを書き留めて最後に己の名前を記すと、ナマエは間違いがないか、どこかおかしなところはないか、書いた文を見分した。

「これを、届けてくださいますか」

不備ないということを、3度も確認した後、ナマエは手紙をするすると巻いて、綺麗な組紐で縛る。解けぬように結び目をきちんと整えた後、控えていた侍女に手紙を託した。
かしこまりました、と一礼をして去っていく侍女の姿を見送った後、ナマエはどこか弾む心を抑える様に、そっと息を吐く。
何度経験してもこの瞬間は慣れることがない。今、送ったばかりなので返事が来るのは大分先になるのだが、それが待ち遠しくて仕方がなかった。はやる気持ちを抑えるように窓辺によると、そっと空を見上げる。澄んだ青に、刷毛で塗ったように一筋の白い雲が流れていた。


「ナマエ様、文が届いております」
「っ・・・、ありがとう、ございます」

長くかかるかと思った返事は想像以上に早く届けられて、ナマエは身体が熱くなる程の歓喜が湧き上がるのを感じる。受け取った手紙には、自分が結んだ組紐が同じ様に結ばれていて、手紙の送り主が誰であるかを如実に表していた。
震えそうになる手で、組紐をほどいて手紙を開く。
そこには、男性らしい、けれどもとても丁寧な文字がつらつらと並んでいて、ナマエは目を細めて微笑んだ。手紙の内容は、とりとめのないものだ。どんな本が面白かったか、ナマエの体調を気遣う言葉など、微笑ましい内容が並んでいてナマエはクスクスと笑みを零しながら読み進める。
この手紙を読んでいるときがナマエにとっては何にも代えられない、至福の時間だった。だんだんと手紙の終わりに近づくにつれて、もう読み終わってしまうという焦燥が胸によぎるが、それでも早く読み進めたいと文字を追う速度は速くなる。相反する思いを抱えながら、次の分へと目を移せばそこには、ナマエへの詫びの言葉が記されていた。
時間が取れず滅多に会うことが出来ないこと、こうして手紙のやり取りしかできないことへの詫び。それに続いて、短く「会いたい」という言葉がつづられていてナマエは強く、けれども手紙を潰さないようにそっと胸に抱いた。

「いいえ、いいえ。こうして私への文を書く為に時間を割いてくださる。それだけで十分です」

手紙に言い聞かせるように呟いた後、暫く紙に残る温もりを探すように何度も何度も読み返した。





「紅炎殿下、こちらに文が届いておりまする」
「置いておけ」

第一皇子として、皇帝の代行を務める紅炎は、様々な政務をこなさねばならない。弟である紅明にも多少の仕事を振っているものの、それでも紅炎の手に残る仕事は少なくない。届いた文や書類を読み、返事をしたためるだけで、一日が終わることも少なくなった。
漸く、軽くなってきた机の上にさらに積まれた文や書類をうんざりとしながら見つめた後、埋もれた紙の中に見慣れた組紐がちらりと覗いて、紅炎は書いていた書類を手放して目的の手紙を、文の山から抜き出した。
乱暴に取り出したために詰まれた書類が、雪崩を起こすかのように崩れたが気にすることはなく組紐を解くと文を広げる。
そこには、女性らしい綺麗な細い字で言葉がつづられていて、紅炎は自然と口元に笑みが浮かぶのを止められなかった。
時節の言葉に続き、紅炎の体調を気遣う言葉の後に、紅炎が勧めた本を読んだこと。そしてその感想が飾り気のない言葉でつづられている。文字からは表情はうかがえないはずなのに、嬉しそうに微笑む姿が脳裏に浮かんで、思わず紙の上の文字をするりと撫でた。

この手紙の送り主であるナマエは、側室の一人である。
東の小国から嫁いできたナマエは身分も高くなく、政治的にも取り立てて大きな意味も持たないため数居る側室達の中に埋もれる様にして、ひっそりとこの宮中で過ごしていた。
そんなナマエをひょんなことで知ったのは、去年の正月の時だった。
普段であれば、宮中にて新年の参賀の祝いがあり、側室たちとも挨拶を直接交わすのだが、運悪く西方で小競り合いがあり、紅炎は国外にいた。その際に、側室達が皆そろって新年の挨拶を文で送ってきたのだが、その中で読んだナマエの文に惹かれたのだ。
昔から書物が好きなこともあって、様々な文字を見てきた。固い頑固そうな文字、どこか焦る様なせっかちな文字など、人が記す文字にはどうして個性がにじみ出てしまう。何千、何万と目にした文字の中で、ナマエの文字が一番綺麗に見えたのだ。他の側室達がどこか媚びたような、丸く細い文字を並べているのに比べて、ナマエの文字はすっきりと丁寧に並んでいて美しかった。それなのに、女性らしい艶やかな色がにじみ出ていて、思わず何度も読み返してしまった。
言葉ではどれだけでも偽れるが、文字はそうはいかない。
どうしても個性がにじみ出てしまう中で、ナマエは只々美しく、紅炎の胸を揺さぶったのだ。

その後、宮中に戻ったあと紅炎は時間が空くとすぐに手紙の主に会いに行った。彼女がどんな人物なのか、はやる気持ちを抑えながら部屋へと向かえばそこにいたのは何度か言葉を交わしたことがあるだけの形ばかりの側室であるナマエだった。競う様に華美に彩る側室達の中で、最低限の装飾だけ施して、控え目にけれども真っ直ぐに顔をあげて、小さく笑みを浮かべるナマエの姿は、まさしく文字の通りに清楚で美しかった。

突然の紅炎の訪問に、驚きながらも喜んで迎えたナマエに紅炎も素直に嬉しかった。手紙の礼を伝えれば、頬を染めて嬉しそうに微笑む姿はとても可愛らしく抱きしめたいという衝動を抑えるのが難しかった。
その後、あまり会う時間を取れない自分に文を送ってほしいと、ナマエに頼めば彼女は驚いたように目を見開いた後、「喜んで」と頷いてくれた。そしてその言葉通りに文を送ってくれたナマエに、返事を送り、そしてその返事がまたナマエから届いて、といった具合にやり取りがずっと続いている。
何度目かのやり取りの時、ナマエの文が一目でわかる様にと文を結ぶ組紐を送った。この紐を使って止めれば、どれだけ文に机が埋もれようとも一目でナマエの文を見つけることが出来る。
どれだけ政務が忙しくとも、ナマエの手紙を読み返事を書く間は疲れも忘れることが出来た。

返事を書くために、まっさらな紙を広げて筆を滑らせる。思いつくままに、するすると文字をつづった後、最後に自分の想いを記そうとして思わず手を止めた。
ナマエの気持ちがどこにあるのか、紅炎にはまだ分からない。
自分の側室であるものの、彼女は国の為に嫁いできたにすぎない。彼女に命じればもちろん、簡単に紅炎を受け入れるだろう。そもそも断れる立場ではないのだから当然でもある。
けれども紅炎が欲しいのは彼女の身体だけではない。彼女の心が何よりも欲しかった。
そしてそれは、急いては永遠に手に入らなくなってしまうのだ。

ぐっと力が入ってしまった為に、乱れた文字を苦々しく見つめて書いた文をぐしゃりと握りつぶした。

「まだ、焦るときではない」

今はじっくりとナマエとの距離を詰める時だ。ここで焦ってはすべてが水の泡になってしまう。
早くこの手の中にナマエを抱ければいいと、口角を引き上げながら紅炎は新しい紙にもう一度筆を滑らせた。



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