企画 | ナノ

託されたモノ

春風のような柔らかな気配が肌を撫でる感触に紅炎はついっと視線を上げる。

久しぶりに帰ってきた禁城での穏やかな時間にまず何をしようかと考えた時に真っ先に頭に浮かんできたのは、他国から嫁いできたまだ幼い妻のことだった。
ほんの二年ほど前にこの国にまるで人質のように差し出された彼女は、まだまだ幼く自分を前にして恐怖と緊張で小刻みに震えていたのを覚えている。その様子が、まるで母猫から引き離された幼い猫のように見えて思わず頭を撫でれば、彼女の目が丸く見開いた。驚いたように、薄く唇を開いて唖然と見上げる表情に思わず笑みを零してしまい、笑われた彼女は恥じ入って顔を真っ赤にして俯いてしまう。そんな彼女と夫婦の契りを交わす気には到底なれず御まま事のような夫婦関係が始まったのだ。

視線の先には、以前よりは柔らかい表情を浮かべる様になった少女からようやく抜け出したような容貌の妻、ナマエが手に持った米や粟の粒をぱらぱらと撒いている。それに群がる様に、小さな鳥が幾羽も舞い降りて甲高い鳴き声を出しながら彼女の周りを取り巻いている。そのうちの一羽が餌を強請る為か彼女の手に乗るとあっという間にほかの鳥たちも群がってきて、彼女はびっくりした様子で餌をばらまいて尻餅をついていた。

「大丈夫か?」
「はい・・・、あの、お気を遣わせて申し訳ありません・・・」

遠目でも恐縮したように身を竦ませて、即座に立ち上がって謝るナマエに紅炎は、ほんの少しだけ眉を寄せると無言で手招きをする。不思議そうに首を傾げて静かに近づいてきた彼女を目の前に座らせると侍女に命じて新しい茶を用意させた。

「怪我などしないように気を付けろ。お前は見ていて危なっかしい」
「はい、あの・・・申し訳ありません・・・」
「・・・そんなに縮こまるな。別に怒っているわけじゃない」
「・・・はい、あ、いただきます・・・」

用意されたお茶を小さな手で握ると丁寧な仕草でこくりこくりと飲み下す様子は、はやり小さな動物を連想させる。温かい飲み物で体も暖まり緊張が和らいだのか、口元に薄い笑みを浮かべたのをみて紅炎も同じようにゆるく口角を引き上げた。

「ここでの暮らしには慣れたか?」
「はい、とても良くして頂いて・・・。勿体ないくらいです。」
「そうか・・・。」

彼女の表情からは嘘は見て取れない。そのことに、紅炎は満足そうにうなずくと再び茶を口に運んだ。

紅炎の妻になった当初。
彼女は、そばについた侍女にひどく怯えて言葉も上手く交わせない程で侍女長から「どうしましょうか」と進言があったのだ。一度何がそんなに恐ろしいのかと尋ねてみれば、彼女は何度も言葉を詰まらせながら、視線が恐ろしいと告げてきた。どうやら、彼女は人の感情の機微を感じすぎてしまうようだった。ほんのわずかな表情の違い、言葉の調子で相手の感情を悟りすぎてしまうのだ。その為に、慣れない生活に失敗をするたびに侍女たちの苛立ちが伝わってきて、それを思うと体が固まってしまうのだと、涙を零しながら告げてきた。
そんな彼女のために、周りに配置する侍女は長年勤めた年配の者に変えた。まるで娘か孫のような年ごろのナマエを、彼女たちが可愛がるまで時間はかからなかった。徐々に心を開いたらしいナマエは今では慣れ親しんだ侍女の前では自然と振る舞えるようになっているらしい。

「・・・今日はお前に一つ頼みごとがある。」
「なんでしょう?私でお役に立てますか?」

不思議そうに首をかしげるナマエに無言で頷いたあと、紅炎は用意させていたものを持ってくるように侍女にいう。すぐに侍女が一抱えほどある籠を大事そうに運んできてナマエの膝の上においた。

「・・・これは?」
「開けてみろ」

籠にかかった布を恐る恐るどけたナマエだったが、中のものをみてぱあぁっと顔を明るくさせた。

「紅炎様っ、これは・・・」
「お前に面倒を頼みたい」

中にいたのは小さな子犬だ。短く刈られた褐色の毛に、くるりと丸まった特徴的なしっぽ。ぴんと立った耳がとても利発そうな印象をもたらすのだが、籠の中の主は待ちくたびれたのかすやすやと眠っているようだった。

「東の国から献上されたのだが、親許を引き離されてあまり元気がないらしい。お前なら、動物の扱いは慣れているだろう?」

人が苦手な彼女は、裏表ない動物たちを殊更好いていた。感情を読み取りやすいのと、真っ直ぐに自分に向けてくれる感情がうれしいのだと言っていた.

「よろしいのですかっ?」
「あぁ・・・。小さい犬種らしいから屋内でも飼えるようだが、散歩はよくさせてやって欲しいとのことだ。どうやら、人懐こいらしい」
「はい、承知いたしました。ありがとうございます、紅炎様!」

破顔して喜ぶナマエに紅炎も笑みを浮かべて頷く。細い指がゆっくりと頭から背中を撫でると、小さな影がのそりと動く様子が伝わってきた。

無邪気に喜ぶナマエに気づかれない様に、紅炎は背後に微笑ましそうに眼を細める侍女に軽く目配せをする。それに承知したという様に、侍女もかすかに頷いた。


これから彼女は散歩と称して、この子犬と中庭であったり、紅炎の後宮内を広く歩くことになるだろう。それは、きっとナマエにとっても人馴れするよい機会になるはずだ。
まだ、幼い故に許されてはいるが、ナマエはやがて多くの人間と関わりをもって貰う事になる。それは、紅炎の中ではすでに決まっている未来で、誰にも覆せない。

「頼んだぞ」
「はい!」

彼女に向けた言葉か、籠の中の住人に告げたものかわからない言葉だったが、輝くような笑顔に紅炎も満足して頷いた。


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