企画 | ナノ

壊れた硝子

別にいいじゃない。
というのが、ほんの少し前の自分の気持ちだった。
シンドバッドだって散々ほかの女性を侍らせて、好き放題しているのだから、自分だって少しくらい羽目を外してもいいじゃないかと思っていた。日頃から溜まっていた不満と、嫉妬心とお酒の勢いでナマエは同じく酒でへべれけに酔った見も知らない青年に誘われて、謝肉祭に湧く国の裏で口づけを交わしたのだ。その時はほんの仕返しのつもりだった。それ以上ことに及ぶつもりもなかったし、ただのお遊びで終わるはずだった。
そんな考えがいかに甘かったかを後悔したのは、ほんの数秒後。
慣れない感触の唇はやはりあまり気持ち良くなくて、離れようとした瞬間に風のような言いようのない空気があたりを浚ったかと思うと、触れていた熱が一瞬で掻き消えた。驚いて目を見開いた先には、数メートル先で転がっている青年の姿があってナマエは驚愕に身を固める。青年は、完全に気を失っているようで地面に仰向けに倒れこんだまま微動だにしない。慌てて駆け寄ろうとしたところで、ぐいっと痛いほどに手を引かれて慌てて振り向いた先には無表情でシンドバッドが立っていたのだ。
その瞳の冷たさに、呼吸が止まるほどの恐怖が体を駆け巡る。ひゅっと喉の奥から漏れた音を聞きながら、ナマエは「シン・・・」とか細い声で名前を呼んだ。
ぎりっと音がしそうなほど強く手を握られて、身体を駆け巡る痛みに思わず体を捻る。抗議の声を上げるが彼は何も言わないまま無言で踵を返して、歩き出した。もちろんナマエの手は握ったまま。
何度名前を呼んでも返事をすることもなく、歩みを抑えることもなく、文字通り引きずられるようにして連れていかれたのはシンドバッドの部屋だった。無言のままで寝台へと自分を投げ飛ばしたシンドバッドはそのまま表情がないまま乗り上げてきたシンドバッドに見下ろされて、ナマエは恐怖に身を固めた。

「シ、シン・・・あの、私・・・」
「大丈夫だ、ナマエ」

謝らなくては、と必死で言葉をつむごうとするナマエを後目にシンドバッドは口元だけゆがめて見せると、先ほどよりは優しい手つきでゆっくりと頭をなでられる。その手つきは優しいといえるものであったし、ある意味何か壊そうとする衝動を必死で抑え込んだもののようにも感じられた。

「俺が悪いんだ。君に自由を許していたから。俺が甘かったんだ、少しくらい君の手を離しても大丈夫だと、そう思っていた。そんなわけないのにな・・・」
「ちが・・っ」
「君は悪くない。だから、安心してくれ」

その瞳に映るのは見たことのない狂気だ。初めて見るその色にナマエは只々、身を固めることしかできずにいた。

「まっ・・・、いやっ!」

そのまま覆いかぶさってきたシンドバッドが首筋に唇を寄せてくる感触にナマエは、全身を慄かせて拒絶した。肌が泡立つ感触に、シンドバッドの体をはねのけようとするがそれを容易く抑え込んでシンドバッドは痛ましげに眉を潜めて見せる。

「やっぱりあんな男に触れられたから、ナマエの唇が穢れてしまったんだ。大丈夫だ、君は悪くない。悪いの俺を拒絶することを言うこの唇と、穢した男のほうだ」
「ちが・・・シン、ゆるし・・・」

シンドバッドはいまだに微笑んだままだ。優しい、手つきで宥める様に頬を撫でられながら、ナマエはほんの少し前の自分の行動を精一杯罵った。

「大丈夫、穢れたところは俺が綺麗にしてやる。それに、もう二度と君を汚されないようにすると誓うよ」

べろりと唇を舐められる感触に何も言えずに固まってしまう。
綺麗に、本当に綺麗に笑顔に歪んだシンドバッドの顔を見つめながら、心のどこかでもう手遅れだと誰かが囁くのが聞こえた。




第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -