企画 | ナノ

箱の中の思い出

固い地面を踏みしめるのではなく、どこか柔らかい綿の上を歩いているような感覚もだいぶ慣れた。シンドバッドがイムチャックで手に入れた船はとても頑丈で巨躯が多いイムチャック人が何人も乗れるほどに大きかったが、やはり帆船である以上風のあおりを受けて大きく揺れる。初めこそなれずに気分が悪くなったりしていたが、1か月以上も海の上で過ごせばそれも慣れるもので、今ではシンドバッド達の勉強にも付き合えるようになっていた。

「くっそ・・・なんでこんな事しなきゃならねーんだよっ・・・」
「もう、ジャーファルったらそんな言葉使いしたら、またルルムさんに怒られるよ?」

隣で文字の書き取りを行いながらぶつぶつと悪態をつくジャーファルに、ナマエは呆れたような溜息を吐きながら忠告するが彼はギンっと鋭い視線をよこすだけだ。

「うるせー!大体俺はこんなことするために、こいつの仲間になったわけじゃねーんだぞ?!あぁん?」
「・・・私に凄まれたって、どうしようもないよ。ほら、これ終わらないとご飯食べられないよ?」
「メシの一つや二つ抜いたってどうってことネェんだよ俺は!もう、やめてや・・っブフ・・・」

イライラしたらしいジャーファルが持っていた羽ペンを投げ捨てて逃げようとしたところで、彼の後ろに音も気配も消して忍び寄っていたこの船で最強の女性の容赦ない一撃が脳天に振り下ろされて、彼は悶絶してしまう。頭を抑えてうずくまるジャーファルの姿にナマエも、その隣で黙って机に向かっていたシンドバッドもわずかに顔を青くさせてその強烈な一撃に慄いた。

「ジャーファル、言葉遣いは丁寧に、と何度も言っているでしょう?」
「いっ・・・てぇ、何すんだ!・・・ブハッ・・・」
「『痛いです、何をなさるんですか?』ですよ、ジャーファル。・・・もうすぐ夕飯だというのにまだ課題の半分もこなせていませんよ。もっと真剣に身を入れてやらないと」

なおも食って掛かったジャーファルにルルムの追撃が行われてついに彼は床に沈んでいた。ぴくぴくと小刻みに動いているものの、おそらくは意識はない。なにせ白目をむいているのだ、気絶しているに違いなかった。

「あら、ジャーファルったら疲れていたのかしら?」
「あ、えっと、はい、なんか昨日も課題が終わるまで眠れなかったみたいで・・・、寝不足なのかも・・・」
「まぁそれはいけませんね。沢山寝て、沢山食べねば大きくなれませんから。」

顎に手を当てて、綺麗な顔を痛ましげに歪ませたルルムにナマエもほんの少し引き攣った笑みで曖昧に頷いて見せた。

「あー、ナマエ。ジャーファルを布団に連れてってやってくれ。暫く起きないだろ、その様子じゃ・・・」
「うん、分かった。ルルムさん、ジャーファルの残りの課題、明日に回してもいいですか?」
「もちろんです。ゆっくり休ませてあげましょう」

ふわりと笑うルルムさんはとても優しそうで天使のような人だ。たとえ、彼女の一撃がジャーファルに引導を渡したのだとしても、その少女のような可憐な笑みの前には何も言えずナマエはジャーファルの体を背負うとシンドバッド達に割り当てられた寝室へと向かった。



「ルルムさん、ここどうすればいいんですか?」
「あぁ、ここはね。こうして、下をくぐらせて・・・」

一日の課題も早々に終わって、ルルムの食事つくりの手伝いも終わったので、何か仕事はないかと尋ねれば彼女は「じゃあ、これをやってみましょうか」と編み物を教えてくれることになったのだ。慣れない作業に何度も間違えながらもナマエの編み物は少しづつ進んでいく。だんだんとその作品が出来上がっていく様子にルルムも嬉しそうに目を細めて「それは誰にあげるの?」と尋ねてきた。

「自分用じゃないのでしょう?」
「え・・・っ?!・・・どうしてわかったんですか?」
「ふふ、だって自分用だったら少しくらいの間違いは見逃してしまうじゃない?でも今はすごく真剣に編んでいるみたいだったから」

「私も、ヒナホホ様に編むのだったら、それくらい真剣になりますもの」と笑うルルムさんにナマエは少しだけ恥ずかしくなって俯いた。

「どなたに差し上げるの?やっぱりシンドバッド様?」
「え?!シ、シンドバッドじゃないですよ!・・・いや、そのうちシンドバッドにも編もうとは思ってますけど・・・、まずはジャーファルに編んであげようかなって。」
「ジャーファルに?どうして?」
「だって・・・ジャーファルあんまり服に興味ないみたいで・・・いつも寒そうな格好しているし・・・」

いつも同じような格好をしているジャーファルはイムチャックのどんなに寒い海の上でも同じようなマントばかり着ている。すでにイムチャックの領海は抜けたので雪が降ることも少なくなっていたが、それでもまだ風は冷たく寒いもあるのだ。
鼻の頭を赤くして「寒くない」と言い張るジャーファルに何かしてあげたいと思っていたので、ルルムさんが編み物を教えてくれると言ってくれた時から、ジャーファルに初めの作品を上げようと決めていたのだ。

「そうですね。・・・確かにあの子はいっつも寒そうにしていますから、ナマエがそれを渡してあげればきっと喜ぶわ」
「・・・へたくそ!って言われそうだけど・・・」

ルルムの物に比べて網目もそろっていないし不格好なので、きっとジャーファルには散々に言われそうだが、それでも彼は実は優しい人だから受け取ってくれるだろう。

「ふふ、大丈夫ですよ。・・・そんなこと、言わせません」

静かな迫力に満ちたその笑みにナマエは若干背筋を冷たくしながら、あと少しで編みあがるそれを満足げに見つめて微笑む。
少しだけ意地っ張りな、照れを隠した仏頂面を思い浮かべながら、再び作業に没頭していった。




「あれ?これは・・・こんなところに入っていたんですね。」
「どうかしたのか?ジャーファル」
「いえ、貴方に頂いた私服を探していたら随分と懐かしいものが出てきたので・・・」

シンドバッドと私服の話になった時に、かつて彼にもらった服を引っ張りだそうと、多くない私物を漁っていたところで、クローゼットの一番奥、大事に箱に入れられて仕舞われていたそれに、ジャーファルは相好を崩した。
懐かしそうに箱を覗き込むジャーファルにシンドバッドも不思議そうに手元を覗き込む。綺麗な箱の中には、常夏の島、シンドリアでは滅多に使わないような毛糸のマフラーがしまわれていて、ほんの少し色あせたそれはかなり古いものであることが伺えた。

「マフラー?なんだってそんなもの・・・」
「これは昔ナマエが編んでくれたんですよ。ルルムさんに習って、一番最初に編上げた物を私にくれたんです」

幼かった頃、皆に与えられる優しさになれなくて、反発して可愛げのない事ばかり言っていた自分に、ルルムもナマエも根気強く接してくれたと思う。注がれる愛情がむず痒くて、結局このマフラーも身に着けたのは何年も経ってからだった。

「ほぅ、あいつが初めに編んだのはお前が持っていたのか?」
「えぇ、でも恥ずかしくて中々付けられなくて・・・。悪い事をしました」

懐かしい思い出にジャーファルは目を細めてゆっくりと毛糸をなでる。ちくりとした感触が指先をくすぐる感触が、かつて感じた胸の擽りを思い出させた。
もう戻れない過去の日々はいつまでもキラキラと輝いて自分の中にある。シンドバッド達を世界の海を駆け抜けた日々はもう戻ってはこないが、それでもこれからの未来はあの時感じた未知のものを感じる時の昂揚感によく似ているのだ。

静かに箱を閉じると再び大切にクローゼットの奥深くへとしまう。
いつかの日々を懐かしむのは今ではない。今はまだ、未来へと希望をもって進む時なのだ。




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